ドンケルハイト





今日は6月18日。
ザールブルグに来てから初めての私の誕生日。
だけど、ここでもやっぱり空は薄暗かった。
まるで、雨が降り出す一歩手前の、泣きそうな空。
私の気持ちも、朝からずっと泣きそうな、そんな、日。




 街の人たちの日食に関する噂話を耳にしながら、飛翔亭に向かったのは、護衛を探すためだった。今日しか取れない「ドンケルハイト」という花が、どうやら近くの森に咲くらしい。
 それを教えてくれえたのは、クーゲルさんだった。
「昔、錬金術師の護衛をしていてね」
 何度か顔を合わせたことはあったけど、クーゲルさんが錬金術師の護衛をしたことがあったなんて、少しも知らなかった。
「お嬢ちゃんはあんまりここに顔を出さないからな。知らなくても当然だ」
 私の表情に気づいたのか、隣からディオさんが言ってくれたけど、確かに私は、あんまり飛翔亭のみんなの事を知らない。
 と、いうか……一人工房に籠るばかりで、外に出ていないのだ。
 
 私は、採取が苦手だった。

 原因は、私がザールブルグに来てから何度目かの採取で、モンスターに襲われたから。
 秋の日差しが穏やかで、木々も少しだけ色づき始めて、それでもまだ少し、汗ばむような火だった。
 それまでずっと一人で採取に行っていたけれど、一度もモンスターに出会っていなかった私は、その日も暢気に一人で採取籠を背負って、鼻歌なんかを歌いながら近くの森を歩いていた。
 もちろんディオさんもクーゲルさんも、イングリド先生も、モンスターの恐ろしさを私に話して聞かせてくれたけど、今まで一度も見たことがないものを怖がっていても仕方ない、なんて思い始めていた、そんな時だった。
 オオカミの格好をした、でも、オオカミじゃない、恐ろしい気配を纏ったウォルフという獣型のモンスターが、突然茂みの中から私に襲いかかった。
 私は採取籠を放りだし、間近に迫った牙を必死で避けて、土に転がって。
 仕立ててもらったばかりのオレンジ色の服もマントも、端をびりびりに破かれた。
 震えながら工房に帰ってお風呂に入って、そして服はきちんと縫い合わせることができたけれど。
 私はそれ以来、怖くて街の外に出られない。
 もう、半年もの間。
 材料が手に入らないのだから、当然調合も進まない。当然飛翔亭に納品できるものも限られてきて、時々は、お金に困ってアカデミーで買えるものを売ってしまったりしている。
 それが、悪い評判を呼ぶことは、うすうすわかっていたのだけど。
 でも……今日ばかりは。
「護衛?」
「はい。近くの森に、日帰りでいいんですけど」
 カウンターのディオさんを見上げて頼むと、彼は顎先を困ったようになでながら呟いた。
「まいったな…今はハレッシュもロマージュも出てるしな……」
 私は、そんなディオさんをみて、慌てて両手を胸の前で振った。
「あ、いいんです。いなかったら……その、あきらめて、また今度……」
 本当は、断られてほっとしていたのに。
「ああ、まだあきらめることはないだろう。……おい、ダグラス」
 ディオさんは、薄暗い飛翔亭の隅に声をかけた。
 私は気づかなかったけれど、そこに、蒼い鎧を身に着けた若い男の人が一人立っていて、小脇に紙の束を抱えていた。
「あん?」
 ディオさんのほうが年上なのに、随分乱暴な態度でこちらにやってくる。
 私には気づかない様子でカウンターの傍に立つ。近くで見ると随分背が高い人で、それになんだか威圧感があって、ちょっと近寄りがたかった。
「お前、昼で仕事上がりだって言ってたな。ここで飲んでないで、ちょっと外で運動してくる気はないか?」
 言われて彼は、片耳を掻くとディオさんに向かって言った。
「おいおい、俺の飲み代がここの売上だろ?」
「いいから、ここのお嬢ちゃんの護衛になってやれ。今日だけだから」
「はぁ!? 何言ってんだよ、俺は……」
 本当に驚いた表情で、ディオさんに何か言おうとしている彼を見て、私も慌てて首を振る。
「いいんです! 本当に! 無理言ってすみません!」
 その声に驚いたのか、彼はくるりとこちらを向いた。
 その瞬間、目に入ってきたのはひどく蒼い、瞳。
 私の故郷にはない目の色に驚いて息を呑む。
── 夏の、空のいろ、だ。
 ロブソン村の、良く晴れた、一番素敵な空の色だ。
 そう思ったら、本当にまじまじとその眼を覗き込んでしまったけれど。
 相手の不審そうな顔を見て、慌てて目を逸らした。
 この人も、私の悪い評判を知ってるのかもしれない。
 は、と我に返って、私はディオさんにぺこりと頭を下げ、飛翔亭を飛び出した。




 乳鉢の中で、星の砂が出来上がりつつある。
 ゴリゴリとそれを押しつぶす手が、時々止まる。
── どうして、こんななのかな。
 村にいた時には怖いものなしだったのに。
 ザールブルグは広くて、人がいっぱいいて、息が詰まる。
 あったはずの目標を見失って、今はまるで星の砂作りの専門家だ。
「……だめだ」
 私は、喉の奥からぽつりとその言葉が吐かれるのを、自分で聞いて驚いた。
 でも、その言葉の尻尾を掴んで、引き戻す。
「ダメだよ、ダメ! このままじゃ、だめ!」
 このままじゃ。
 私、きっと後悔する。
 どうして急にそんな気になったのか、説明はできない。
 けれど私は乳鉢を机に置くと、エプロンを取り、代わりにマントと、ずっと部屋の端に立てかけたままだった木の杖を掴んだ。
── 外に、出なくちゃ!
 いっぱい、おいしい空気を吸って、体を動かして、空を見上げなくちゃ。
 空は……今日は、こんな空だけど。
 でもきっと、明日は晴れる。
 ううん、今日だって、ほんとは雲一つない、青空なんだ。
── ドンケルハイトを採れたら、私きっと頑張れる。



 近くの森は、初めて来たその日よりも、鬱蒼としてみえた。
 木の影は灰色の空さえ覆い隠して、細い道をより見えにくくする。
 私は調合用のランプをなるべく高く掲げて、道の両脇を照らした。
 幸い、今のところモンスターには出会わない。
 けれど木の杖を握りしめた片手は、自分でも滑稽なほどにきつく握られて、足はなかなか前に進まない。ランプの先に映るのが、魔法の草なのかそれともただの雑草なのか、その見分けすらつけられないほど緊張している。
「怖くない……怖くないったら、怖くない……」
 自分に言い聞かせるように何度もつぶやく。
 そんな時。
 目の端にそれが見えたのは、本当に奇跡だったと思う。
「あっ…!!」
 私は思わず短く一言叫んで、その時ばかりは周りに気を配るのを忘れ、その木の下に駆け寄った。
「見つけた! ドンケルハイト……!」
 薄暗くても分かる、鮮やかな赤。
 私はランプを近づけて、それが間違いなく参考書に載っていた通りのものだと確認して、帯からナイフを取り出した。
 そして、根元のほうからそれを刈り取ろうと座りこんだ。
 その時だった。

 ガサガサッ……

 その瞬間まで、まったく気づかなかった。
 私の周囲を取り囲むように、ウォルフたちが迫っていたことに。
「………っ」
 本当に怖いとき、喉はひくつくだけで、声が出ないことを知った。
 ひゅっと短く息を呑んで、森の陰から姿を現すウォルフの中の一匹を見返す。
 金色と銀色の毛並。
 ひくい唸り声を上げるだけで、すぐに飛び掛かってこない。
 でもきっと、あと数瞬ののちには、私の腕に…もしかしたら喉をめがけてその牙をむく。
 私はナイフとランプを片手に、地面にぺたんとお尻をついて、震えながら後ずさった。
 とん、と木の幹が背中に触れる。
 ナイフを握った手が、無意識にぶるぶると震えていた。
 ウォルフ達は、それを知ってか知らずかじわじわと輪を狭めてくる。
── だれか……。
 誰か、助けて。
 そう言いたかったけれど、喉から声が出ない。
 出たとしても、だれが来てくれるだろうか。
 はっ、はっ、はっ…と荒い息と、獣臭さが周りに漂う。
── 私、食べられちゃうのかな。
 せっかく、ドンケルハイトを採れたのに。そう思った時。
 ナイフを持っていた手の震えが止まった。
── そうだ。私、ちゃんと採取できたんだ。
 だから。
 だから……
 私は、オオカミから目を離さず、脇に置いてあった木の杖に、そろそろと手を伸ばした。
 指先に、木の感触。
 私はそれをぎゅっとつかむと、木の幹に背を凭せかけながら、ずるずると立ち上がった。
── 負けない!
 どうしてそう思ったのか、なぜそんなことができたのか、今も分からない。
 私はナイフを先に投げつけて、次に木の杖を前に掲げ、ウォルフの群れの中に飛びこんでいった。
「やぁ!」
 まさか攻撃されるとは思っていなかったのだろう、一瞬、ウォルフの群れがランプの明かりの届かないところへと後退する。
 が、それも一瞬の事で。
 再び群れの輪が縮まる。それに、一匹増えた…気がして。
「やだぁ! こっち、こないで!」
 後は、文字通り闇雲に木の杖を振り回し、何度かは、当たった…気がする。
「あっ……!」
 けれど自分もウォルフの牙を避けられずに、腕の外側がざっくりと大きく裂けた。
── 痛……っ…
 痛い、なんていうものじゃなかった。
 本当は、腕が熱くてなくなってしまったかと思うほど。
 でも。
 ホウレンソウを食べる暇なんてもちろんなくて。
── せっかく、ドンケルハイトが採れたのに……。
 目の前が霞むのは、悔し涙のせいだと思った。
 そのあと、何度か攻撃をかわした…と思ったけれど。
 腕が、熱くて……持ち上がらなくなってきて。
 息も、切れて……足が、止まってしまった。
 ウォルフは、私が動けなくなったことを知った。
 朦朧とした中に、その後ろ脚が大きく撓められて、その牙が、目の前に迫るのが見えた。
 そして、…もう、だめだと……

「あぶねぇっ…!」

 視界が、蒼く染まる。
 今日は、私の誕生日で。
 日食で、青い空なんか見えないはずなのに。

 大好きな、ロブソン村の、青空。

 その青空が霞む。
 私は自分の体がぐらりと前にのめるのを感じた。


「……おいっ……」
 遠くで、誰かが呼んでる。
「おい、おいったら……起きろよ、おい! お前…! ……名前、なんだったかな…ええと…」
 私の事……かな?
「エルフィール! エルフィール・トラ…なんだったかな……。……エリー!」
 懐かしい呼ばれ方に、私ははっと目を開けた。
 その瞬間、目の前に現れたのは、吸い込まれそうなほど蒼い瞳。
 しばらく、ぽかん…として、その目を見つめ返せば。
「この……莫迦野郎!」
 耳の奥まできん…とするような声で、怒鳴られた。
「護衛なしで街の外に出るなんて自殺行為だぞ! なんでもう少し待ってらんねぇんだ」
 私は口の中に残る苦味に、何か薬を飲まされたことを知って、そしてぼんやりとしたまま、自分の腕をちらりと見た。
 血は止まっていて、どうやら、この人が手当てしてくれたらしい。
「あ……、……えっと……?」
「ほら、街に帰るぞ」
 私の意識が戻ったと知るや、私をぐいと引き起こして、立たせようとする。
 でも私はまた、立ちくらみを起こしてしまって、その人に寄りかかる。
 ごちん、と鎧に頭をぶつけて、慌てて体を起こした。
 どうやら私が気を失う前に見たのは、この人の鎧だったみたい。
「あ、あの…でも、ドンケルハイトが……」
「ああ!?」
 身をよじってその手から抜け出し、後ろに落ちている採取籠のほうへ行こうとしたら、すごく強い調子で引き戻された。
「ったく懲りてねぇな……お前その…錬金…錬金術とかのために、死ぬ気か?」
 両の二の腕辺りを掴まれて、ぐいと顔を上げさせられる。
「あれ……? 飛翔亭にいた人……?」
 この距離で改めて見直して、初めて分かった。
 私よりもずっと背の高い、赤毛っぽい黒髪の……男の人。
「おいおい今頃気づいたのかよ。……ったく」
 彼は私の手を離すと、私の後ろの採取籠のほうへと歩き、手早く、その周りに散らばった魔法の草やドンケルハイトを集めて籠に放り込み、ついでに、落ちて明かりの消えたランプを採拾い上げた。
「ほらよ、これでいいんだろ? 気が済んだか?」
 籠を押し付けられて、その勢いに頷く。
 ようやく頭がはっきりしてきて、私は、先に立ってさっさと道を戻り始めた彼の後ろに、急ぎ足で追いついた。
「あの、…あの!」
 名前を知らないから、呼び止められずに咄嗟にマントの端を握った。
「なんだ?」
「あ……私、エルフィール・トラウムって言います……助けてくださって、ありがとうございます! ……あの、あなたは?」
「ああ」
 彼はようやく気付いたというように、鼻を軽く鳴らして、私を見下ろした。
「俺は、ダグラス。ダグラス・マクレインだ。そのうち有名になるから覚えとけよ」
 そして初めて笑顔を見せた。
 そんな自己紹介をされたのは初めてで、それに、その笑顔が今までの仏頂面と全然違って見えて、ぽかんとしていると。
「エルフィール…エリーか? 変な噂ばっかり聞いてたが……見直したぜ?」
 大きな掌が、私の頭をなでた。





 今日は、6月18日。
 三年前の、今日。
 ダグラスと近くの森で会った。



 あの時は想像もしなかったけれど、彼は今、私の隣にいて、ランプを持ち行く先を照らしてくれている。
 あの日、ダグラスは昼間の仕事を終えて、私の工房を訪ね、誰もいないと知って近くの森まで追ってきてくれたのだ。
 飛翔亭での私の態度が、切羽詰って見えて放っておけなかったらしい。
 その後、乱暴者、とか、分からず屋、とか。
 そんなことを言ったり言われたりしながら喧嘩もたくさんしたけど。



 あの日、勇気を出してよかった…と。
 今は、そう思う。


- END -

2012.06.19.


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