五月祭 1






 春の討伐隊がザールブルグの街に戻る時、街は5月祭の準備で忙しい。
 ザールブルグでは新年・春・夏・秋とそれぞれに祭りが催されるが、5月1日に行われるその祭りは、豊穣の女神をまつるもので、中央広場の真ん中に 立った白樺の木には明日の準備として色とり どりのリボンが垂れて風になびいている。
 明日になれば小さな子供が着飾ってそのリボンの端を握り、交互に踊って白樺を美しく編み込んでいくだろう。それに…
── 今年は誰が五月祭の女王様になるのかな?
 買い物かごを片手に、マイバウムと呼ばれるその白樺の木のそばを通り抜けながら、エリーは脇にしつらえられた会場をちらりと見る。15歳から18歳 までの少女から毎年選 ばれる五月祭の女王コンテストは、祭りのメインイベントだ。
 まだザールブルグに来たばかりの頃、お前も出てみろとダグラスに言われたことがあった。
『お前みたいなちんちくりんでも、ひょっとするとひょっとするかもしれないぜ』
 そんな風にからかわれて、腹を立てたっけ。
 でもそのあとの年は採取に出かけて、あまり見る機会がなかった。
 金髪に花冠を乗せ、体より大きな籠を抱えた小さな少女が数人、エリーの脇を駆け去っていく。あの少女たちは明日、女王のお供をして各家庭を回ってく るのだと思いだし、エリーはつぶやいた。
「捧げものの準備しなくちゃ」
「捧げものってなんだ?」
 不意に背後から声を掛けられて、驚いて振り返る。
「ロルフ」
 黒髪の青年は自分がエリーを驚かせたことなど気づいていない様子で、エリーと同じように子供たちの後ろ姿を目で追った。
「あれはなんなんだ?」
「あれは明日のお祭りで、女王様への捧げものを集める子たちだよ。あの子たちが家にきたら、女王の祝福のお礼に、バターとかチーズとか、卵なんかをか ごに入れてあげるの。ロルフの故郷にはそういう習慣、ないの?」
「ないな」
 短い言葉は素っ気なかったが、旅の間に少しは打ち解けたこのエリーより一つ年上の青年には、何か難しい事情があるらしい。故郷の話となると口を噤ん でいたから、返事があっただけで進歩と言えるだろう。
 二人は何気なく歩調を合わせて歩き出した。
「女王を選ぶコンテストは?」
「ああ、それならあった」
 エリーは通りすがりに、青物の屋台から野菜と、つりさげられたソーセージの塊を買い、子供たちに渡すために卵を買った。
 その間ロルフは何も言わずにエリーについてくる。勿論先の話の続きはない。
 しばらく歩いてから、ふと足を止めて尋ねてみる。
「ロルフ、どこに行く途中だったの?」
「あんたの工房だけど?」
 エリーは、むしろキョトンとした顔のロルフを見上げて、眉を落とした。
 それを見てロルフ自身も気付いたのか、はっとした顔をして付け足す。
「こないだあんがたくれた炭のやつ、あんたの言うとおり護衛に使ったら評判が良かったんだ。だから……その……」
 少々コミュニケーション不全なところのある彼は、すこしおたついた様子で言い、エリーは頷いて笑った。
「ああ、ガッシュの木炭のこと? ならたくさんあるよ。じゃあ工房に戻ろうか」
 錬金術で作られるアイテムに頼る護衛なんて、と最初は言っていたロルフだったが、クラッケンブルグへの旅の間に少しは思い直すところがあったらし い。最近はフラムなど爆弾系以外のものも依頼に来ることがある。
 そうして今度こそロルフと隣り合って、職人通りへ戻り始めた時だった。
「エルフィール・トラウム?」
 短いが、鋭く聞こえたその声に、思わず振り返ったエリーは、市場と上区を繋ぐ通り際にある、カフェの入口に、長いドレスを身に纏った女性を見つけ、 一瞬誰か分からずに小首を傾げた。
 それがアカデミー時代の同級生だと分かったのは、錬金術士の格好をしていなくても、彼女のふわりとした金色の巻き毛が印象に残っていたからだ。
「あれ? ロテル…だよね。ずいぶん久しぶりだよね。元気にしてた?」
 アカデミーに通っていた貴族の一人だが、おなじ貴族のアイゼルと違い、一人で行動することは少なく、いつも取り巻きに囲まれていた。だから、在学中 はほとんど話すこともなかったのだが。
 笑顔で近づくと、ロテルは手にした春用の扇をこれ見よがしに開いて、口元を隠し、ちらとエリーとエリーの後ろに立っているロルフを見たが、その視線 にエリーは気づかなかった。
 卒業してからもう半年以上経っている。自分の店を開いた卒業生もいるが、ロテルは実家に戻ったのだと聞いているが……。
「気安く話しかけないで頂ける?」
 不意に投げつけられた言葉の意味が、分からずにエリーは笑顔をこわばらせた。
「え…?」
「市井の錬金術士風情が、貴族であるわたくしたちに……ねぇ?」
 傍にいた同じ年頃の女性たちに、ちらと視線をやって、くすくす笑う。
 アカデミーにいた時のロテルは、気位こそ高かったが、こんな話し方もしなかったし、エリーにこんな風に言ってくることも、錬金術士を馬鹿にするよう なこともなかった。なのに…と、驚いたエリーの様子がおかしかったのか、後の二人も同じように潜めた声で笑っては何か囁いている。
 ぽかんとしていると、口元を隠したままのロテルはエリーに向き直って言った。
「でも、まぁ、今日は特別に話して差し上げてもいいわ。ねぇ、エルフィール、後ろの彼はなんなの?」
エリーの怒りにも気づかぬ様子で、ロテルがくすくす笑いを漏らしながら聞いてくる。「すごくみっともない古い鎧。ああ、もしかして採取に連れて行って いる冒険者って彼なの?」
 何日も一緒に居るんですって? と、言われたその言葉の意味が分かった時、エリーの頬にさっと朱が差す。
「お似合いじゃないかしら?」
ね、ロテルはほかの二人に笑いかけながら言った。「この子、聖騎士のダグラス様とお付き合いしているって嘘をついていたのよ。アカデミーにいたころ ね。ダグラス様とこの子じゃ、身分違いもいいところなのに。……でももう、嘘の必要もないみたいね、エルフィール?」
 いいじゃない、素敵な彼ね、と言われ、あまりの事に言葉を出せずにいると、エリーよりも頭一つ高いところ、すぐ後ろから声がした。
「貴族ってやつはずいぶん口ぎたないんだな。俺の親父はザールブルグの聖騎士だったが、あんたみたいなのの話は一度も聞いたことがなかったぜ」
 この鎧は、その親父の形見だが、それが何か? と、ロルフは言った。
 その雰囲気に圧倒されたのか、それともロルフの言葉が効いたのか、ロテルはそびやかしていた肩をすくめて、救いを求める様に脇の二人に目をやった。
「あ、あら…そう。そうなの。……ええ、そうねもう行かなくちゃ」
「あ……」
 エリーが止める間もなく、取り巻きを引き連れて上区のほうへ立ち去っていく。途中、こちらをちらりと振り返り、睨みつけられたような気もしたが、気 のせいだったかもしれない。
「……あれがあんたの友達ってやつか? 例のアカデミーの」
 同じようにその後ろ姿を見送っていたロルフが言った。
 エリーは知らぬ間にこわばっていた体からようやく力を抜いて、振り返る。
「もしかして、アイゼルのこと? ううん、アイゼルは全然違うよ。もっとずっと素敵な人なの」
「ふぅん」
エリーのアカデミー時代の友人の話は、旅の間にロルフの耳にも入ってきていた。「もしあんなのが友達だっていうなら、あんたの価値観疑うところだっ た」 
 あけすけな物言いに、エリーの顔にようやく笑顔が戻る。
「アイゼルはいい人だよ。それに美人だし。アイゼルも錬金術の工房を開いてるから、そのうち紹介するね」
 エリーはからかうようにロルフを見上げて言ったが、ロルフはあまり興味がない様子で生返事をしながら、エリーの工房に向かって歩き出した。
「ところで……ねぇ、ロルフのお父さんってザールブルグの聖騎士だったんだね」
 そう声をかけた瞬間、先を行くロルフの足が急に止まり、エリーはその背中に鼻先をぶつけそうになって慌てて立ち止まる。
「わ、急に止まらないで、危ないよロルフ」
「エリー、あんた、その話は……」
 振り返った、ロルフが言いかけた時だった。
 広場の向こうで歓声が上がり、エリーはつい振り返る。
 秋の討伐隊がそうだったように、春の討伐隊が戻って来たのだ。
 市場の白いテント越しに人垣が見え、彼らに向かって手を振る青い鎧がちらちらと見える。
── ダグラス、帰ってきたんだ。
 こうして第一陣が街に入るころには、どの隊も市壁の向こうにたどり着いているはずだ。あの様子を見るに今回もみんな無事に集まってきたのだろう。勿 論ダグラスも。
── 良かった……。
 思わずほっとして頬を緩めていたのだろう。
「……行かなくていいのか?」
 ロルフが隣で言った。
「ん? うん、混んでるからいいかな」
 自分が尋ねかけたことも忘れ、籠に入れた卵が割れたらいけないし、と呟くエリーにロルフは言った。
「あんた……聖騎士のダグラスって奴と付き合ってるって、噂でも何でもないんだろ?」
「……」
濃緑の瞳にじぃっと見降ろされて、しばらくしてからやっとその言葉が腑に落ちる。「……えっ、……え?」
 ロルフはあまり表情を動かさず、畳み掛ける様にエリーに尋ねた。
「違うのか?」
「な、……っなんで?」
 その手の事どころか他人にまったく興味がなさそうなロルフが、エリーの相手に興味を持つはずもない。そう思っていただけに慌ててしまう。
「そりゃ、旅の間に何度もそれっぽい事聞かされ続けたからな」
 古い顔なじみなのだろう、黒熊亭のあの二人の口からも、踊り子のロマージュからも、何度もダグラスの名前を聞いた。それは大抵エリーをからかうとき の言葉で、ロルフは自然とエリーとダグラスの関係を知った。
 まあ、本当は旅に出る前にもダグラスとエリーを目撃したことはあるのだが。
── 初めの頃は……。
 今回の護衛の相手だ、と、エリーと大門で初めて顔を合わせた時、あの時の栗色の髪の少女だと知って、まともに顔を見ることができなかった。旅の初め は特にひどかったけれど。
 そのうち二人がお互いよそ見もせずに付き合っているらしいことを知った。
「そ、そっか……」
 そうとも知らず、俯き加減に頬を染めるエリーを横目に、ロルフはダグラスが凱旋してくるであろう、人垣の向こうを見遣る。
 青い鎧は聖騎士の証。
 陽光に映えるそれを身に纏うのは、馬に乗った者たちで、それ以外の徒はみな緑がかった鎧を揃いで着ている。
 かつて、ロルフの父もあの蒼い鎧を身に付けていた。

『お父様は、戻れないのよ』
『母さん、でも…』

 不意に幼かった頃の苦々しい思い出が蘇り、彼は軽く頭を振る。
 そしてまだおろおろしている様子のエリーに言うともなしに言った。
「――… 聖騎士なんて、碌なもんじゃない」
エリーがその言葉に、きょとんとした目で顔を上げるのを、どこか冷えた心で見降ろした。「聖騎士なんて相手にするのはやめとけよ。……放っておかれて 忘れられるのがオチだぜ」
「え?」
 エリーの目に浮かんだ困惑の色に、ロルフははっと我に返る。
「っ…工房にはまた明日行く。悪かったな」
 早口に言って踵を返した。
 今ここに居て、何かを尋ねられたら答えられない。
 背中にエリーの視線を感じたが、振り返ることはしなかった。 



- continue -

2013.11.25.





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