五月祭 2



 調合机の上には作ったばかりの栄養剤と、シャリオミルク、それから緑の中和剤が置かれている。相性の良い青と緑のアイテムは、エリーにとって 馴染みのあるものだ。
『なんとなくだけど、調合する前からでき上げる感じが分かる時があるよね』
 マリーはそういうけれど、エリーは勘で調合するのが苦手だ。
 少量ずつ配合を変えて、パターンごとにナンバーをつけ、ノートに書きとめる。それを繰り返して一番いいと思ったものをレシピとして残す。
 また、たとえば栄養剤に使う蒸留水が更にいいものになった時は、最初から配合を考え直す。
 初めてマリーと一緒に調合をしたとき、真面目だねぇ、と驚かれた。
── でも、こういうやり方しかできないもんね。
 根を詰め過ぎて倒れていたのは学生の頃。眠る間も惜しかった。でも今はマリーも妖精も居て、心に余裕が出てきている。
「ん、こんな感じかな」
 ビーカーにできた、肌色、という表現が一番よさそうな、とろりとした液体は、上記の三つを調合したものだ。甘い香りがお菓子の様で、シャリオミルク よりずっとこってりとしたのど越し。
 液体に付けた指先をぺろりと舐める。
「うーん。好みが分かれそうではあるけど」
 完成したレシピを清書し、それから『ゲネズンミルク』とアイテム名を付けて、エリーはノートを閉じた。
 顔を上げ、カーテンを引いた窓に寄る。
 掌で布をからげると、すっかり濃くなった夜の気配だけが窓の外に落ちていた。
「…………」
 すでにアルテナ教会の真夜中の鐘は鳴って、ずいぶん経つ。
── ダグラス、来ないなあ……。
 カーテンを下ろし、エリーは足元で眠っている妖精たちを起こさないように、竈に薪を足した。
 今までダグラスは遠征から帰れば、夜は遅くなっても必ずエリーの工房に顔をだしたけれど、はっきり約束をしているわけではない。
 今日もてっきりお腹を空かせてやってくるのだと思っていたエリーのキッチンには、食事の支度がしてあったけれど、一口も口をつけないまま冷え切ってし まっている。
 そういえば自分の体も随分冷えているなと思う。まだ春の始まりの季節だし、お腹に何もいれずにいたのもいけなかった。
「ん、よし。お風呂入っちゃおう」
 いつまでも工房の扉を叩くあの音を、期待して待っていても仕方ない。


 シャワーから流れ出る熱いお湯が肌に心地良く、エリーは喉を上げて目を閉じる。
 頬にあたる湯の流れが首筋を通って体に流れる。
── 怪我したりは、してないんだろうけど……。
 もしダグラスが、大けがをしたりすれば自分の所に真っ先に連絡が来るはずだ。
 というのも、ダグラスの家族はカリエルにいたし、市井で一番親しいのはエリーだと誰もが知っているから。
── 忙しいのかな。
 ほんの少し前までは、こんなことはなかった。
 今夜会えないなら昼間の凱旋を見に行けは良かった。
 そうふと思った瞬間に、昼間のあの言葉が不意に耳によみがえった。

『身分違いなのよ』
『聖騎士なんてやめとけよ──忘れられるのがオチだぜ』

 身分。
 ダグラスと自分の間に身分なんてあるんだろうか。
 聖騎士なんて。
 なんで、ロルフはあんなことを言ったんだろう。
 こんな真夜中のせいなのか、その言葉は何度もエリーの頭の中で木霊して、エリーは濡れた頭をぷるぷると横に振った。
 体はすっかり暖まったけれど、流れるシャワーを止めることは、いつまでたってもできなかった。




 翌日。
 頬にあたるまぶしい光と、聞きなれた朝の職人通りの賑やかさでエリーは目を覚ました。
 なぜこんなに眠いのだろう、と考えながらすぐ起きられなくて、ベッドの中でごろごろしているうちに思い出したのは、ダグラスが結局やってこなかった こと。食事は手つかずでキッチンに置いてあること。
「…………」
 うっすらと目をあけて、小窓の外の空を見上げる。
 五月の空は薄青く、白い雲がかすれて漂っている。
「ダグラスの……莫迦」
 ぽつり、と仰向けのままつぶやいたら、お腹がくぅと鳴った。
 と、そこに、五月祭を知らせる花火の音がし、エリーはぱちっと目を開いた。
「お祭りだ」
 独り言に応えてくれる人はいなかったけれど、腕を付いて身を起こし、ベッドから小窓を覗けば、もう9時近いのだろう、子供たちが盛装して広場に駆け ていくのが見えた。
 エリーは慌てて着替えて階下に降りる。工房では妖精たちが昨日からの仕事にすでに取り掛かっており、調合釜の火もしっかり熾されていた。
「ごめんねみんな。寝坊しちゃった…すぐご飯にするから」
 そう言ってエプロンをつけようとしていたところだった。
 ドンドンドン!
 重い扉を叩く音。
 エリーはそれが誰の叩き方なのかすぐに気付いて振り返る。
 どうぞ、と言う前に扉が開かれて。
「よう」
 短い挨拶と共に突然顔をだした人。
「……ダグラス……」
 寝ぼけても居たけれど、それ以上に驚いてしまってぼんやりとその顔を見返す。
 4か月ぶりに会ったその人は、少し痩せたのか、また少し精悍さを増していて。
 まじまじと自分を見る視線に気づいているのかいないのか、ダグラスは閉じられた扉の前で、腕を組んだまま。その仕草はいつも見慣れたもので。
「元気そうじゃねぇか」
 そう言ってぱっと笑う顔を見たら、エリーはきゅっと自分の胸が締め付けられた気がして、エプロンを持った手を無意識に胸元に上げた。
 ダグラスはそんなエリーの反応に気づかずに、ひょいとエリーに近づいてくる。
「おい、どうした?」
 不意に伸びてきた手が、エリーの顔を上げさせようと頬に伸びる。
 暖かな掌が、触れて。
「熱でもあんのか? …いや、ああ……」
蒼い瞳が自分を見降ろしてくる。そして、ダグラスは不意に笑って、それからエリーの頭に手をやると、がしがしっとかき回した。「起きたばっか りか、寝ぼすけ」
「ちが…」
きっと寝癖が付いたままだったのだろう頭を、エリーは慌てて両手で頭を隠しながら、違う、と言いかけて、エリーは口をもごもごさせて俯いた。「……う ん、昨夜夜更かししたから」
 答えると、ダグラスはすこし考えた後で、言った。
「待ってたのか、俺が来るの」
 エリーが髪を直しながら何も答えずにいると、ダグラスは今度は自分の赤味がかった黒髪に手甲を嵌めた手を入れて、がしがしと掻き、言った。
「そうか、悪かったな。俺の隊だけ帰城が随分遅くなっちまったんだ。もう真夜中過ぎてたし、お前は寝てると思い込んでた」
 そのさっぱりとした物言いに、なんとなく顔を伏せたエリーを、ダグラスが軽く屈み込むようにして覗き込んできた。
「なんか怒ってんのか? 昨夜、来られなかったせいか?」
「ち…ちがうよ!」
 ようやく出た声が上ずった大声になってしまって、エリーは自分でもびっくりして口を噤む。
 同じように驚いた顔のダグラスの蒼い瞳が目の前にあって。
 違うと叫んでみたものの、本当に違うとも言い切れないな、などと思っていると、
「そうか? ……なら、いいけどよ」
 ダグラスは腑に落ちないという顔をした後、軽く唸って、そのままふいに顔を近づけてきた。
「あ…、きゃあっ」
 とっさに二人の間に差し込まれたのは、エプロンを掴んだままのエリーの手で。
「っ…! な、なんだよ」
 それにキスをしてしまったダグラスが、驚いたように目を開ける。
 いつの間にかもう片方の手はエリーの腰に、逃げられないようしっかりと回されていたけれど、エリーは体をひねるようにその腕から逃げ出して、一歩後 ずさった。
「だ、だって!」
── なんだか、今は。
「なんだ、照れてんのか?」
 今更、などと言われてエリーは頬を染め、それを見られるのが恥ずかしくて背中を向ける。
「ち、ちがうもん!」
 ダグラスの長い手がエリーを掴まえようと伸びてきて、実際簡単に捕まえた。
「照れてんだろ。それとも、さみしかったか?」
 後ろから抱きしめる腕に。耳の裏側に唇を押し付ける様にして囁かれる低い声に。
 簡単に参ってしまいそうになる。
 押し付けられた唇が開いて、ほんの軽く、エリーの耳を噛んだ。
「……っ………」
── そんな簡単に。
「4か月だぜ? 長かったよな、結構」
── そんな風に思うなら、もっと……早く来てくれたら良かったのに。
 ダグラスにしては、かなりの台詞なのだが、エリーはすねた様に思ってしまう。
 だから。
 自分を抱きしめるダグラスの腕にぎゅっとしがみついた。
「おい、どうした? エリー?」
 それに気づいたダグラスが、身を起こしてエリーを向き直らせようとしてくる。
 声に心配がにじんでいることに気づいて、エリーは咄嗟に人差し指を一本立てて、自分とダグラスの間に突き出した。
「だって……そう! まずは『ただいま』でしょ!?」
 そう言うと、ダグラスは漸く動きを止め、あー、と低く唸った。
「『ただいま』は? ダグラス?」
 姉のように母のように、眉をしかめて言うエリーの顔を見て、ダグラスは観念したように、言った。
「……ただいま」
 言ってから、きっとひどく照れくさかったのだろう、エリーをちらりと横目で見たダグラスを見て、とくん、とエリーの胸が震える。
 体がむずむずして、ダグラスがここにいることが嬉しくなって、ひどく恋しくなって、もっと強く抱きついた。
「お帰りなさい」
 ダグラスの腕の中で、囁くようにつぶやいた。
「……お前は?」
 ダグラスの腕が体に回ってくる。
 強引にではなくそっと包み込まれて、耳元で囁かれる言葉。
 今度は、素直に答えられた。
「ただいま、ダグラス」
「おう、……お帰り」
 鎧は冷たかったけれど、頬を押し付けて、ダグラスの腰に手を回す。
 ダグラスの腕が体を包んで、強くぎゅっと締め付けてくる。
 顔は見えないけれどダグラスが笑っているのが分かった。
「ダグラス……」
 体を離して、顔を上げて背伸びする。
 身をかがめたダグラスと、こつんと額を合わせた。
「ダグラスは、私がいなくて寂しかった?」
 いたずらのつもりで聞いてみたら、莫迦やろうと答えが返ってきて、そのまま唇を重ねる。
 お腹の底からふわふわと、心地よさが湧き上がってきて、目を閉じる。
 それから何度もキスをして、頬を寄せ合って、ようやく体を離した。
「えへへ……」
 それでもまだ腕は絡めたまま、照れくささに笑って見せると、ダグラスがエリーの髪を撫で、頬を撫でて、それからもう一度キスをして言った。
「今日は昼までなんだ。迎えに来るから、祭り、一緒に見に行くか?」
 尋ねられて、エリーはぱっと顔を上げる。
「ほんと? うん!」
嬉しさに大きくうなづいてから、ふと、思ったことを口にしてみた。「えっと……ねぇ、それってデート?」
 自分が口にした言葉が、思っていたより照れくさく感じて、エリーは上目づかいにダグラスの顔をちらりと見た。するとダグラスは言葉を無くして、耳元まで赤く染め、口をぱくぱくとさせてから、言った。
「っ…別にそういうんじゃねぇ、ただ、食いたいもんがあったから……」
「そ、そっか! そうだよねっ」
 ダグラスの動揺ぶりにつられて、エリーもしどろもどろになる。
 急に頬が熱くなって、掌で抑えた。
「大体、いつも飯食いに行ったりしてるだろ…なんでまた急に……」
 ダグラスはまだ何か言っていたが、エリーはぶるぶると首を振って、話を遮る。
「私もいろいろ行きたかったから! あ、でも……疲れてるんじゃないの? 大丈夫?」
 気遣うエリーに、ダグラスは頷く。
「莫迦、一晩起きてたくらいでバテたりしねぇよ。じゃあ昼すぎに迎えに来る。屋台で何か食おうぜ」
 そして、うん、と嬉しそうに笑うエリーを残し、工房を出て行ったのだが。
 すぐまた扉が開いた。
「エリー」
 鎧姿を半分扉の陰に隠すような格好で顔をだしたダグラスを、エリーはきょとんと見る。
 ダグラスはそれ以上工房に入らず、すこし口ごもった後に言った。
「さっきのあれ、それでいいから」
「? ……何のこと?」
 依頼を受けた記憶はないな、と思っていると、ダグラスは、あー、と低く唸って言葉を足した。
「さっきのだ。その……出掛けるだろ」
 赤くなった耳を掻く様子に、ようやくエリーにも合点がいった。
「もしかして、デートで、いいってこと?」
 ほんのり頬を染めて聞き返すと、ダグラスはぎこちなく一瞬頷くと、さっと姿を消してしまった。 
 残されたエリーはといえば。
 しばらくぽかん、とした後、じわじわと沸いてきた気恥ずかしさを知って、転げまわりたくなるような感覚を味わった。

 

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