SIDE.Elie
すっかり春めいた街道を辿り、エリー達がザールブルグに戻ったのは、やはり4月に入ってからの事だった。
冬という季節があったことなど忘れたかのように、ザールブルグの窓辺は色とりどりの花盛りで、市場にもみずみずしい薄緑をした葉野菜が並んでいる。
「ん~~~っ!」
暖かな日の朝、エリーは工房の二階でぐぐっと背伸びをし、ベッドから起き上がった。
屋根に小さくしつらえられた小窓を開けて職人通りを見おろし、春の空気を胸いっぱいに吸いこみ、白いパジャマからいつものオレンジ色の服に着替える。
朝食ができるまでは絶対に起きてこないはずのマリーの姿は、ない。
旅から帰ったエリーとマリーが、古いベッドと新しく買ったベッドで隣り合わせに過ごしたのは僅か数晩で、彼女は討伐隊が東の大地からモンスターを一掃したと聞くと、すぐさま嬉々として出かけていってしまったのだ。
『もしかしたら、カリエルまで足を延ばしてくるかも』
そんなことを言って。
だが彼女の凄いところは、その僅か数日の間に、エリーと共にいくつかのアイテムを作り出してしまったこと。
食べ物のカテゴリに関しては、エリーが旅先でアイディアをまとめていたものだったが、そのほかの爆弾や鉱物系のアイテムは、エリーが持ち帰った材料を見たマリーが、その場で思いついたものだった。
その過程で、産業廃棄物とも何とも言えない何か、「とんでもないもの」が出来上がったりしたが、マリーはその「とんでもないもの」が気に入ったらしく、「とんでもないもの」とアイテム名を付けて喜んでいる。
着替えたエリーは階下に降りてゆき、だいぶ片付いてきた木箱の間をすり抜けて調合机に向かった。その右脇の棚には、基本的な材料……蒸留水や中和剤、研磨剤などがたっぷり並んでいる。
「おねーさん、おはよー」
「おはよー」
机の下から眠そうな目を擦りながら出てきた妖精たちは、エリーが戻って来た当初こそ、げっそりとやつれていたが、今は少し健康を取り戻しつつある。
棚の材料は、マリーが彼らをフル稼働させて蓄えてくれておいたものだ。
だからこそ、二人の調合がスムーズに進んだと言っていい。
「おはよう。朝ごはん何がいい?」
エリーが尋ねると、中の一人が可愛い笑顔で言った。
「オイラにそれを聞くのかい? オイラの好物はいつだって妖精がゆだぜベイベ」
「………」
マリーが雇ってきた妖精は、少し癖があるようだ。
それでもエリーはキッチンに立ち、井戸水を沸かして大麦を煮ると、そこに少しだけはちみつを入れてオートミールを作り、ソーセージを添えて仕上げる。
熱々の皿を妖精たちに注意して運ぶように言って、自分も調合机に戻った。
帰ってきた日には、机の板すら見えなかったが、マリーが旅立ってからさすがのエリーも少しずつ片づけて、ようやく天板が見えてきて、ここで食事をとれるようになってきた。
「熱いから、ゆっくり食べてね」
こちらも、狭いながらも床に座って食事をとれるようになってきた妖精たちが、各々うなづく。5人はそれぞれ同じ色の服を着ていたが、そうでなくても エリーには最初に自分が雇った二人が分かる。
この二人は、エリーの帰還を涙を流して喜んでいた。
こうして彼らはエリーが戻って来てくれて良かったと言ってくれるが、エリーも妖精たちがいることでずいぶん助けられている。調合にしてもそうだが、 マリーもダグラスもいないザールブルグはやはり少しさみしい。
代わりにロマージュやルーウェンやロルフが、この工房を訪ねてきてくれても、だ。
クラッケンブルグから帰ってから、飛翔亭で受ける依頼の他に、この工房で直接受ける依頼もいくらか増えてきた。ロルフやルーウェンのような冒険者の頼む者は大体いつも同じで、特にマリーが丹精込めて作ったフラムが人気を博している。おかげでエリーは心置きなく『食べ物』カテゴリの調合に専念できた。
── 今日はもう少しラクトースの応用を考えてみよう。
そんなことを思いながら粥を口に運んでいたが。
「…ん、……あれ?」
ちら、と目の端に入った青色に見覚えがある気がして、エリーはスプーンを置いて改めて目を細めた。
その青は、机の引き出しから少しだけはみ出していて。
「なんだろ……」
引き出しを開けると、そこには見慣れない封筒が挟まっていた。
けれど。
『 エリーへ 』
表書きの荒い文字を見た瞬間、寝ぼけた頭が一瞬でしゃんとした。
「ダ……ダグラス!?」
絶対に手紙など書かないと思っていた。
シュバイトの丘から黒熊亭に戻った時、ほんの少しも期待していなかった、とは言えない。
でも黒熊亭にはやはり一通の手紙も届いていなかったし、ザールブルグに戻っても、ダグラスは、手紙どころか伝言の一つも残さず、討伐隊に出てしまっていたのに。
それが、こんなところに。
エリーは封蝋を剥がすのも惜しいくらいに慌てて封を切ったが。
「あれ?」
指で探った封筒の中に、紙らしき感触はなく、まさか封筒だけで中身は何も書かずにこれで済ませる、なんてダグラスがやりそうなことを一瞬思い浮かべた。
しかし。
はらり
机の上に落ちてきた、少し黄色く変色してしまったそれが何かと気づいたとき。
エリーは嬉しさで胸がいっぱいになる自分を感じた。
「ダグラス……」
もとは純白だったろうその花びらは、ザールブルグの冬が明けるとき、町中に咲くあの花だった。
エリーはそっと、破れてしまいそうなその花弁を指先に取り上げ、掌に受ける。
「おねーさん、それなーに?」
「ん? これはねぇ……」
ふと、ダグラスだけが過ごした、ザールブルグの冬の香りを嗅いだ気がした。
SIDE.Dagllas
「隊長! 待ってください!!」
遠くから叫ぶように聞こえた、聞きなれた伝令の声にダグラスは顔を上げた。
シグザール城とエアフォルクの塔、その間を抜ける東に抜ける街道筋は、マリーの引き起こした惨劇から立ち直り、すっかり平坦に整備され、人の行き来も再開された。
4月になり討伐隊としてザールブルグを出発したダグラスは、小隊と共に周辺のモンスターを追いながらここまでやってきた。
そして、マリーから託された結界石とラウァエの書、とやらを宮廷魔術師のイェーナーから命じられたこの場所に、今まさに埋めようとしていたところだったのだが。
「なんだ?」
土に膝を付いていたダグラスは、周囲の騎士と共に立ち上がり、林の向こうから馬を駆ってやってきた部下と、その後ろにしがみつくようにして乗った、 見慣 れぬ服装の男とを見比べた。
だいぶ飛ばしてきたらしく、くたくたに疲れ切って馬からずり落ちる様に地面に下りた男は、それでも呼吸をととのえてから胸に手を置き、ダグラスに一 礼すると言った。
「間に合いましたね。私はケントニスアカデミーからまいりました、フューレンと申します」
冬の落ち葉のような色をした髪はふわふわと顔周りを縁取り、鼻の上に小さな丸眼鏡をかけている。
が、一番の特徴と言えば、その左右違う瞳の色だった。
「ケントニス?」
言葉と同時に差し出された封書を受け取りながら、ダグラスはいぶかしげに眉を寄せた。
「はい、ケントニスアカデミーから事情によりザールブルグへ派遣されていたのですが……イングリド教官は少々興奮しておられまして、私が代理で」
その言葉に嫌な予感を感じながら、手甲を嵌めた手で、ぎこちなく紙を開く。
そこには、こうあった。
『親愛なる ダグラス=マクレイン 殿
お手元にある『ラアウェの書』を、至急お返しください。
この世に一冊しかない、大変貴重な書物です。
この手紙がどうか間に合い、ラアウェの書が土中に埋められるなどと言う事が行われませんように。
王立錬金術アカデミー教官 イングリド 』
かなり急いで書かれたらしいその手紙にはそれでもアカデミーの印章が押されている。
ダグラスは首をひねった。
「どういう事だ?」
「アカデミーの話に寄りますと、そちらの本は無断で、改装中のアカデミー図書館から持ち出されたそうです」
その言葉を聞いた瞬間、ダグラスの頭にはあの歯切れの悪いマリーの様子が思い浮かんだ。
『あたしが作ったんじゃないし』
ぺろりと舌を出しているあの顔が思い浮かぶ。
「マリーはどこだ?」
苦虫を噛み潰したような顔で振り返り、部下に問えば、数日前に東の大地へ向かったとのこと。
ダグラスの喉から唸りとも、ため息ともつかない深いものが漏れる。が、怒鳴りそうになるのは、エンデルクの憔悴した顔を思い出して抑えた。
多分アカデミーのイングリドも似たような心境だろう。彼女の怒り顔をダグラスは実際に見たことはなかったが、話だけはエリーから幾度か聞かされてい る。目の前のこの男もそのとばっちりを受けたのだろうなとダグラスは気の毒に思い、小脇に抱えていたラアウェの書を彼の手に返した。
「ああ、よかった。これで一安心です」
ほっとした様子の男……フューレンは、ラアウェの書をマントの下に仕舞うと、代わりに一冊の黒い背表紙の本をダグラスに差し出した。
「これはラアウェの写本と呼ばれるものです。代わりにお渡しするようにと」
「写本?」
「原書ほどの効力は望めませんが、数か月ほどはもつかと」
どうやらただ取り上げに来ただけではないらしいと、ダグラスもほっとする。
効力が確かならば、結界石とこのラアウェの書がなければまたモンスターがわいてくることになる。そうすれば今度の討伐も、無駄に終わることになって いただろう。
「お預かりします」
だが手に取った本は先程のものとさほど変わりない気がした。
「では私は戻ります。ああ、私はしばらくザールブルグアカデミーにお世話になる予定です。もしまたお会いした時にはどうぞよしなに」
そういうとフューレンは元来たときのように、部下の馬の背に乗って帰って行った。
「なんだか胡散臭い奴でしたね」
すぐそばにいた副官のアロイスがそう言ったが、それはケントニスのオッドアイを見慣れていないせいだろう。とダグラスは一応フォローして、結界石と共にラアウェの写本と呼ばれるその本を埋めた。
「ま、結果待ちだが…これの効果が出れば、俺たちも少しは街でゆっくりできる様になる」
「そうなることを願いますよ」
── あいつもいい加減戻ってくるだろうしな。
ダグラスは南の空を見るともなしに見た。
帰りの道程でも、今後の採取でも、モンスターはいないに越したことはない。それに、討伐が一段落すれば、エンデルクとブレドルフの許可も取れるようになるかもしれない。
アロイスの指示で、結界石の上に道標が建てられ、容易には動かせないように周りに土が盛られる。
一見この下に何か埋められているとは思えないだろう。
「──…よし、出発しよう」
確認をしてダグラスが馬に飛び乗ると、それまでのんびりしていた様子の部下たちも、顔を引き締め次々動き出す。ダグラスは隣のアロイスと視線を交わ し、全員にいきわたる声で言った。「俺たちの仕事は、ここらに居るやばい奴らを元居た場所にお送りすることだ。あと半月、気を緩めるなよ!」
おおぅ、とも、おおす、とも言えない野太い声が上がる。
そんなダグラスの様子に、副官のアロイスはにやりと笑った。
一昨年の武闘大会以来、年若いこの聖騎士の下に配属されたものの中には、ダグラスよりずっと年配の騎士もいたし、一年のうち幾度か『錬金術士の護衛』とやらで居なくなるダグラスに不満を持っていたものも居た。
が、この数か月、みっちりとこの小隊で任務をこなし、このダグラス=マクレインという男の人となりが隊の中にしっかりと浸透した。
単に剣の腕が立つだけの男ではなく。
融通の利かない若造でもなく。
粗野でなく、おきれいなだけでもない。
まさに『隊を率いる』にふさわしい男としてダグラスは認識されたのだ。
本人に自覚があったのかどうかは知らないが、エンデルクの思惑とはその辺にあったのだろう。
「隊長」
「ああ?」
アロイスは、隊員の様子を馬上から確かめているダグラスに馬を寄せると、こっそりと囁いた。
「さっきの伝令ですがね。エルフィール・トラウムがザールブルグに到着したと伝えてきましたのでお知らせしておきます」
「ばっ……」
先程まで大人びていた顔が、急に少年のように赤くなる。「だっ、誰がそんな報告……」
「僭越ながら、俺が情報を集めるよう指示しておきました」
褒めていただいてもいいですよ、と、ニヤニヤと笑って見せるアロイスにからかわれたと知って、ダグラスは口を引き結び馬首を巡らす。
部下たちに声を掛けながら歩いていく後ろ姿を見てアロイスは笑いを抑えられなかったが、ダグラスの後を追った。
- END -
2013.11.18.
マリーはいい加減な所もありますが、こんな依頼の片づけ方はしないと思うんですが。
ストーリーの都合上、いい加減なアイテム(?)を作ってもらいました。
あんまり山も谷もないお話でしたが、楽しんでいただけたら。