「準~決勝進出者は~! 昨年優勝 ダグラス・マクレイン! 対するは~! 彗星のごとく現れました、女性錬金術士~ エルフィール・トラウム!」
呼び出しの声に闘技場への扉が開かれる。
ダグラスとエリ―は共に、まっすぐ前を見て、歓声で沸き返る表舞台に進み出た。
「悪いが手加減する気はねぇぞ」
「ダグラスなんてこてんぱんにしちゃんだからね!」
隣り合わせに歩み出しながら言う台詞さえ、歓声にかき消されて届きにくいほど。
それでも。
闘技場に上がると、二人は呼吸を合わせて距離を取って向き合い、剣と杖を構えた。
その間から、審判役の騎士がじりじりと離れる。
「来いよ。やれるもんならやってみろ」
「後で泣いても知らないからっ」
そして。
十分に二人から距離を取った審判役の騎士の手が上がる。
「始め!」
「やあっ!!」
最初に攻撃を仕掛けたのはエリー。
大きな宝石のついた陽と風の杖は、これまで相手してきた冒険者や騎士と同じように、ダグラスの頭を狙って振るわれた。それはいつかのようにダグラスの頭に大きめのたんこぶを作るはずだったが、腹を立てているエリーは容赦ない。
だが、あの時のように不意を突かれたわけではないダグラスは、余裕でそれをかわそうと身をひねる…が、半歩予測を誤って、自分の剣の腹でそれを受け止めることになった。
宝石と剣がぶつかり合う鈍い音がして、両者ともにぎょっとした顔になる。
もちろん、エリーは、動けないはずのダグラスが防御に回ったせいで。
ダグラスは、エリー程度の攻撃を見誤ったことで。
「っ…!?」
「………っ」
周囲からはどよめき、それから一瞬ののちに、からかいも含んだような歓声がおきた。
口をへの字に曲げ、一瞬エリーが首をかしげる。
明らかに、胸元を気にして。
だがダグラスはそれを隙と捉えてエリーに切りかかった。剣の腹を使って狙うのは手元に近い杖の根元だ。
握力のないエリーの手から、杖だけをはじき飛ばすなんて簡単なことだと思っていた。
ところが。
「……っ!」
狙いを定めるためにエリーの体の動きを追った瞬間、頭の芯がくらりと痺れる。
── しびれ薬、か?
それに似た感覚に、ダグラスはそう思うが、アイテムの持ち込みは入念にチェックされているはずだ。
がつん、という鈍い音とともに、エリーの杖がダグラスの緩んだ一刀をかろうじて受け止め、さらに受け流すと、観客の中から若い女の悲鳴やら、喝采やらが起きた。
「……エリー! っ……お前、なんか妙なアイテムもってんな!?」
めまいに似た感覚……覚えのある感情が急に湧き上がってきて、ダグラスはエリーから離れつつ目を逸らす。それが何のアイテムか名前までは分からなかったが、これは、カスターニェからケントニスに渡るとき、何度か味わったものだ。
エリーはダグラスのその言葉に、ローレライの鱗の効き目を知って、ほっとしながらもう一度杖を振り上げた。
「ずるくないよっ、ハンデだもん!」
ダグラスはふらつき、片手を額辺りに当てて、背をかがめている。剣こそ地面に付いていなかったが、捻った半身は隙だらけだ。
エリーはここぞとばかりに打ち掛かる。
そして。
ひらりとオレンジ色の服の裾をはためかせ、エリーが両手にギュッと握ったその杖の先が天下の聖騎士の頭に……昨年度優勝者の頭に振り下ろされた時。
会場の誰もが息を呑んだ。
ぱかんっ!
小気味のいい音が、場内に響き……誰もが見事なエリーの一撃が決まったと思った。
だが。
ダグラスの腕に付けられた手甲がそれを防いだのだと知ると、更に盛り上がる。
「……っ大人しく殴られてよっ」
「莫迦言え! 誰が大人しくなんてやられるか!!」
エリーと、エリーから目を逸らすダグラスの舌戦は、しかしその歓声のせいで審判にすら聞き取れない。
エリーの声だけを頼りに、ダグラスが剣を繰り出す。が、常の勢いはローレライの鱗で相殺され、エリーはそれも辛うじて避ける。
「っっ……今! 本気でやった!」
「こんなん本気の内に入るか!! さっさと降参しろ! エリー!」
その言葉に、エリーはますます眉を上げて、杖を構え直した。
「絶対降参なんてしないんだから! 謝ってよ! ダグラスなんて…ダグラスなんて……っ」
試合前のルーウェンの一言のお陰で、ずっと内に秘めていたもやもやとしたものが、形になって口に出る。「どうせ私の事なんてどうでもいいんでしょ! 眼中にないんでしょ!」
えーいっ、と振り下ろされる杖の軌跡は、たかが女のか弱い……と言いたいところだが、さすがは4年以上も採取と言う名の冒険を繰り返してきたエリー。ウォルフ位なら一撃で仕留める腕前が、ダグラスを一瞬ひやりとさせ、会場の皆を唸らせる。
「……っどっからそんな話が……!」
「ルーウェンさんから聞いたんだから! それからアイゼルにも聞いたんだよ! 私が、一人じゃ何にもできないって言ったんでしょ?」
ダグラスはエリーの連続攻撃を受け止めながら、鼻先に近づいたエリーの顔を見て、またくらりと眩暈を起こす。
「……くそ…っ…なん、なんだ、……よっ」
怒っているはずのエリーの顔が、妙にかわいく見えて。
心なしか斜がかかってきらきらと光っているようにすら見える。
その声も、甘く甘く響いて聞こえて。
「俺はそんな風には言ってない!」
そのまま抱きしめそうになるのをはっと堪えて、剣の腹でエリーの杖を押し返す。
「言った!」
「言ってない!!」
至近距離に顔を近付けたまま頬を膨らませ、しかしエリーは肩で息をつく。いくら鈍っていても相手はダグラスだ。その剣を躱すだけで消耗する。
── ダグラスったらなんで動けちゃうの!?
ペンダントにしていたローレライの鱗は、激しい動きに隠していた胸元から零れ落ち、ちらりとエリーの目の端に映る。
今までの冒険者や騎士は、誰もがあっという間に魅了されて、指一本動かせないで終わったのに。
何か、対抗できるアイテムでも持っているのだろうか。
その時、エリーの脳裏に、先程通路でダグラスと話をしていた時、後から来たあの女性の言葉が浮かんだ。
『試合が始まる前にどうしてもお渡ししたいものがありまして…』
── きっと、あの人からのだ。
そう思った瞬間、かっと頭に血が上る。
「わ、私……。私一人だって冒険だって採取だって行けるんだから! ダグラスの護衛なんかいらないんだから! ダグラスなんて、あの女性(ひと)の護衛ずーっとしてたらいいよっ!!」
そんなエリーの言葉で、ようやくダグラスにもうっすらと分かってきた。
エリーの怒りの原因がなんなのか。
「あれは仕事だ! お前、まさかそんなことでスネてここまでしてんのかよ!」
ダグラスの言葉に、ただでさえ息を切らせて赤く染まっていたエリーの頬には更に朱が昇る。
それがダグラスの目には、ぱぁっと色づいて花開いたように見えるのだからたまらない。
「莫迦っ、ダグラスの莫迦! 違うもん! ダグラスの莫迦!」
そんなエリーの杖を剣の腹ではじきながら、ダグラスは叫ぶように言った。
「何が違うんだよ! あのな! お前に頼まれた時は本当に忙しかったんだ!」
「ならそれまで毎日工房に来てたのはなんなの!? 私だって忙しかったんだよ!? 調合は進まないし、もうすぐマリーさんも帰ってきちゃうし……それでも一緒がいいと思って誘ったのに、ダグラスはどうせ『いそがしい』んでしょ!?」
やたらと杖を振り回すエリーの攻撃は、ダグラスにしてみれば駄々っ子の拳だが、観客にはまるで、ダグラスが攻撃する間もないほどの華麗な技に見られたようだ。わぁっ! と歓声がひときわ高くなる。
「っ…毎日じゃねぇし、来てくれて嬉しいなんて言ってたのはお前だろ!」
「ほとんど毎日だったじゃない。それに、嬉しそうだったのはダグラスだよ!」
エリーの大きな一振りは、体勢を崩していたはずのダグラスが片腕を軽く振ったそれだけで、またしても弾かれた。
「……っ……だったら何なんだよ! いいじゃねぇか、付き合ってんだぞ俺たち!」
「っ…!! なんでこんなところでそんな恥ずかしい事いうの莫迦っ!」
幸い、鍔競り合いにもつれ込んでいた二人の声は、周りの誰にも聞こえない。
ごく一部の者を除けば。
闘技場を眺め下ろす、特別にしつらえた観覧席。
ザールブルグの若き王、ブレドルフは、重厚な椅子に凭れ肘をついて座ったまま、ダグラスとエリーの二人の戦いを面白がって見ていた。
その斜め後ろに侍るのは、黒髪のエンデルク。
更に少し離れて腰かけているのは亜麻色の髪のフロレットと、その父リュトガース卿。その二人の後ろに護衛役のアロイス。
ブレドルフは笑いをかみ殺しつつ、一方的にやられているように見えるダグラスから目を離し、自分の後ろに立つエンデルクに声をかける。
「エンデルク、君は確か唇が読めたと思ったが……教えてくれないか? あの二人が何を話しながら、あんな勢いで戦ってるのか」
「…………」
エンデルクは、王の求めに従って一言たがわずそれを伝えようと一度は口を開きかけたが、黙り込む。
「エンデルク?」
そして、ブレドルフに促され、ようやく……つぶやいた。
「申し上げますがあれは……ただの……」
そこで、一つため息。「――ただの、痴話喧嘩です」
エンデルクの口から、痴話などと言う言葉が出てくるとは思わなかったことと、目の前の光景がその状況と重なった事が、ブレドルフのかみ殺した笑いを、とうとう爆笑に変えた。
「っ…く、くくっ……ああ、本当におかしいねあの二人は。いつもいつも楽しませてくれるよ」
「陛下」
咎めるようなエンデルクの声も、更にブレドルフの笑いを助長する。
そんなブレドルフの隣で。
くすっ、と小さな笑い声。
振り返れば、賓客の一人であるフロレットが、口元に手を当てて笑い出していた。
「本当に……おかしいですわね」
「フロイライン……」
王は、笑いから微笑みにそっと表情を変えてフロレットの横顔を見た。
フロレットの目にはまるで笑いをこらえたせい、という具合に涙がにじんでいたが、それは今にも零れそうで、しかし彼女は、くっと一息息を吸うと背を伸ばし、ブレドルフに笑いかえした。
「あの少女には、先日お会いしましたわ」
飛翔亭で一目見た時。
なぜか印象深かった。
どこがどうというのではない。身なりは地味だし、かわいらしいとは思っても美しいとは思えない顔立ち。
でもどこかで出会ったことがあるような気がした。
そして驚いたのはあのダグラスが、彼女を見るなり開口一番怒鳴りつけたことだ。
それまでの数日の護衛の間に、ダグラスが誰かを怒鳴ったところなど一度も見たことがなかったし、自分に対しても礼儀正しく、丁寧で、まさかと信じられない思いでその様子を眺めるしかなかった。
けれど、それ以上に信じられなかったのは、驚きのせいで何も言えなくなったフロレットの前で、すぐさまダグラスに言い返したあのオレンジ色の服の少女の態度。
とても。
とても真似できなくて。
とてもうらやましかった。
フロレットの視線はブレドルフから離れ、闘技場で未だ剣と杖を打ち合わせている二人に向けられる。
「お二人は、どこか……似ていますね。とても……とてもお似合いです。そう思いませんか?」
「──ええ……」
そこに浮かんだ翳りのない笑顔に、ブレドルフの笑顔も深くなる。
が、その向こうでフロレットの父であるリュトガースは事情を察したか、微かな怒りに頬を染めていた。
彼にとってダグラスはたかが聖騎士なのである。
けれど、彼は、ふと振り返った自分の娘の表情に、開きかけていた口をつぐむ。
フロレットは言った。
「お父様。今年もまたダグラス様の絵姿を買ってくださいませね」
父に向けてフロレットは小首をかしげた。亜麻色の髪がさらりと流れるが、それに触れる様子はない。そして彼女は続ける。
「あの方のお陰で私はここまでになりました。でもまだ、たった一年ですわ。来年はきっと、誰の助けもなく歩けるようになるでしょう」
「その時には、私が責任を持って良いお相手をお探しすることを約束しますよ」
ブレドルフがフロレットの言葉の後を繋ぐ。
リュトガース卿は、柔らかな椅子の背に、ゆっくりと体を戻す。
悪くない、という顔をしながら。
「エンデルク」
ブレドルフは会場がまたひときわ沸いたのを感じて、後ろでそれらのやり取りを見守っていたエンデルクに声をかけた。「そろそろ下の決着がつきそうだ。準備したほうがいいいだろう」
行きなさい、というように手を振ると、エンデルクは短い礼をとり、その場を辞すため背後の階段を降りようと踵を返す。
「エンデルク」
が、ブレドルフに短く呼ばれて振り返った。「ダグラスとエリー、決勝で当たるならどっちがいい?」
いたずらそうに聞かれた質問に、エンデルクはこう答えた。
「錬金術士の相手は生涯一度きりで結構です」
と。
- continue -
2013.1.31.
蒼太