喧嘩 6




 声をかけたものの、狭い通路を返事もせずに駆け去っていくエリーの背中を見送りながら、ダグラスは我知らず一つため息をついた。
── なんだってこんなに、言いたいことが通じないんだ?
 エリーとはいつだって、歯に衣を着せずに話しているはずだ。言葉が荒いと言われたことはあるがそれでもエリーはいつでも笑っていたし、分かった、というようにうなづいていたし、いつも素直だったのに。
 それが、久しぶりに顔を合わせて、さあ話をしようとしたら、莫迦だの知らないだの謝れだの。
 ちくり、とまた胃が痛んだ。
 ここの所毎日そうだ。
 ダグラスは腹を掌でそっと抑えて、声をかけてきた女性のほうへと向き直った。
「お待たせしました。私に何か御用があったとか?」
 するとダグラスと同じようにエリーを見送っていたらしい女性……無論、フロレットだが……は、はっとしたようにダグラスへ微笑む。
「ええ。……あの、こちらをお渡ししたくて」
「これは…?」
 歩み寄ったダグラスに差し出されたのはアルテナの紋章だった。いつか、エリーがアルテナ教会で買ったと言って見せてくれたことがある。
「御武運をお祈りさせていただきました。どうぞ、お持ちになってくださいませ」
 ダグラスは少々困った顔をする。禁止されているような品ではない。けれどアルテナの紋章を持てばほんの僅かとはいえ攻撃への抵抗力は生まれるはずだ。
「申し訳ありませんが……」
 断ろうとしたダグラスの視線の端で、銀色の影がちらちらと動いたのが目に入った。
 アロイスは、ダグラスに向かって手を振り、どうやらこれを受け取れと言っているらしい。
 見ればフロレットは自分の手元に集中して、アロイスの様子などには気づいていないようだった。
── これが気遣い、ってやつか?
「有難く……受け取らせていただきます」
 手を伸ばせば、ぱっと顔を上げ、微笑む。
 青白い顔に少し血の気が戻ったように見えた。
「しかし、ここには荒っぽい奴らも入ってきますから、どうぞ観覧席へお戻りください」
 フロレットはブレドルフ王の賓客でもある。父親のリュトガース卿も昨夜入城していたから、きっと王と並んで試合を見るに違いない。
 ダグラスは受け取ったアルテナの紋章を懐に仕舞い、アロイスを促した。
「 ダグラス様は、お戻りにはならないのですか?」
 ためらいがちの言葉にダグラスは軽く首を横に振る。
「私はこのまま。隊長の許可は取っていますので、よろしければアロイスが護衛に付きますから」
「そう……ですか」
 フロレットの表情には気づかず、ダグラスはフロレットがアロイスに抱き上げられて立ち去るのを待つ。
 父親が来たなら、護衛ももう最後だろう。
 肩の荷が下りたような気がして、ほっと息を付いた。







『勝者! エルフィール・トラウム!』
 早くも一回戦が終り、通路に張り出されたトーナメント表に赤い勝ち上がりのラインが引かれる。
 どよめきと歓声の中、エリーは軽々と一人目の冒険者を倒した。
 最近街で噂の二人のうちの一人、ということで注目の的だったエリーだが、錬金術士は日々工房に籠って怪しい薬と作っているとか、変な匂いをさせたり爆発を起こしたりしているという噂ばかりが先に立ち、実際にエリーを目撃した事のある人間は一握りしかいない。
 会って会話をしたことがある者ですら、エリーはアカデミーの学生、くらいには思っていても、それが噂の錬金術士と同一人物として認識していなかったりもする。
「いや〜。もっとごついオバサンか、しわくちゃのババアだと思ってたよ、俺」
「俺も。結構可愛いし、細っこくてな。……聞いたか?噂じゃあの子の持ってるあの杖、王室から下賜されたものらしいぜ。だからだな、勝ち抜いたのは」
「だよなぁ。じゃなきゃあんな普通の子が人の一人どころか猫一匹倒せるはずねぇ」
 通路にあふれるそんな声を耳にしながら、ルーウェンはある人物の姿を探して、きょろきょろとあたりを見回していた。
「ダグラス!」
 そして中庭の練習場で見つけた蒼い鎧の騎士に声をかける。
 こちらはよりごつい冒険者や騎士たちに遠目に取り巻かれて、しかしひそひそと交わされるのは、今年もエンデルクに勝てるかどうか、または今年は俺があいつを倒して優勝してやる、という話。
「……ルーウェン。あんたも出場するのか?」
 剣をふるっていたダグラスがルーウェンに気づき、剣を止めた。ルーウェンは笑って手を顔の前で横に振る。
「俺はもういいよ。前は顔が売れるからって出てたけどな」
冒険者としての依頼も適度に入ってきているし、何より家族も見つかって、あちらから見つけてもらう必要ももうないのだ。「それよりエリー、一回戦勝ち上がったみたいだぜ?」
 からかうように言うと、ダグラスは仏頂面をしたまま汗をぬぐい、再び剣を振り始めた。
「一回戦くらい。当たり前だろ」
「そうか? 魔法は禁止なんだから、よくやってると思うけどな」
傍にあった石造りの腰掛けに腰をおろし、ルーウェンは稽古に励むダグラスをのんびりと眺める。「案外落ち着いてるんだな。もっとこう、かっか来てると思ってたよ」
「俺の相手はエリーじゃなくて、エンデルク隊長だからな」
 鎧の下から立ち上る雰囲気が、徐々に研ぎ澄まされていくのがルーウェンにも感じられる。ダグラスは昨年の大会優勝者だ。シードがかかっていて、実際に試合に参加するのは5回戦から。
「エリーが心配じゃないのか?」
「…………」
 むっつりした顔がさらに険しくなるのを見て、逆にからかいたくなる。
「会場はエリーの噂でもちきりだよ。みんな面白がって大注目だ」
「別に。……だったらなんだよ」
「若い奴らなんて、お前にゃちょっと聞かせられないような話で盛り上がってるぜ?」
 ぴたり、と、ダグラスの剣先が止まる。ルーウェンの鼻先に。
「邪魔するなら帰れ。どうせロマージュに何か言われてきたんだろ」
 お見通しか、とルーウェンは両手を上げて、にやりと笑う。
「それもあるけど、俺はどちらかと言えばお前の味方だって。ま、エリーはロマージュを頼りにしてるみたいだけど、お前も何かあったらこのルーウェン兄さんに相談しに来いよ」
「誰が兄さんだ!」
 突っかかるダグラスを置いて、尻に付いた石の粉を叩いて立ち上がり、ルーウェンはそのまま練習場を出ていく。
── ま、あれなら大丈夫かな。
 あとはロマージュたちの小さな画策が、どうか大事を招かないように祈るだけだ。





「ふぅ、はぁ……はぁ〜〜っ……」
 エリーは肩で息をしながら、杖を両手に抱える様に、控室の椅子に座りこんだ。
 とうとう、4回戦を勝ち抜いた。
 自分でもまさかと思うが、観衆はもっと度肝を抜かれているらしい。
「エリー、あなた大丈夫?」
 アイゼルの大きな碧の瞳が心配そうに自分を覗き込み、エリーはえへへ…と笑って顔を上げた。
「うん……もうちょっと休めば、大丈夫。攻撃だってちっとも受けてないし、ほんとにコレのお陰だよ」
 言いながら、首にかけた紐をするりと引っ張る。
 その先についているのは小さな鱗。室内の暗い明かりの中でも虹色に光って、ほんのりといい香りさえするそれは、カスターニェからの荷物に紛れていた、魅了のアイテム。
「ちょっと、ちょっと仕舞なさい。出しちゃだめよ」
 慌ててアイゼルがそれをエリーの手の中に押し戻す。武闘大会でのアイテムの使用は禁止なのだ。そう、アイテムの「使用」は。「装備」ではなく。しかし大っぴらに見せてもいいものではない。
「でも、だいぶ体力を消耗したみたいね。いくら相手が動かなくても、攻撃の手は休められないものだし」
 ロマージュは顎先に手をやって考え込んでいる。
 次はいよいよ、ダグラスが相手なのだ。
 トーナメントのくじ引きの結果次第ではエンデルクにあたる可能性もないではなかっただけに、運がいいと言えるだろう。ここが本番。なのである。
「どうせダグラスだって魅了されて動けなくなるでしょうから、のんびり延々と叩けばいいのよ」
 アイゼルが真顔でそんなことを言う。
「あのダグラスの事だから、あちらからあなたに手を出すことはないでしょうし……まあ、アイゼルの言うとおりのんびりやりなさいな。ここに勝てさえすればいいんだから、疲れたら防御して休みなさい」
「はぁい……」
 正直なところ、ここまで戦ってきて疲労困憊のエリーは返事をするので精いっぱいだったが、そこに、扉を開けて入って来たものがいる。
「よぉ、エリー。調子はどうだ?」
「ルーウェンさん」
 緑のバンダナをした男は、そのまま室内に入ってきてエリーに笑いかけた。
「遅かったじゃない。ダグラスはどうだった?」
 ロマージュの言葉に、ルーウェンが答える。
「ん? ああ……ダグラスね。ダグラスは……うーん、そうだなぁ……」
ちら、とエリーを見て少しだけ口をつぐみ。「エリーの事は眼中にない、って、言ってたな」
 とてもダグラスの味方とは思えないその言葉に、エリーの頬が傍目にはっきりわかるほど膨らんだ。
「……どうやら、体力はともかく気力は戻ったみたいね」
 急に鼻息の荒くなったエリーを見て、ロマージュはその調子と言わんばかりに微笑んだ。




- continue -

2013.01.30.

 


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