喧嘩 8




エリーにとって、勝負は一瞬だった。
 傍目にも長く感じられるほどの対峙の後で、エリーに向けたダグラスの剣先が閃いたのだ。
 それまで一度も剣の腹しか見せなかったダグラスの攻撃を、エリーは避けられなかった。
 ふっ、と首筋を風と共に何かが掠める。
 首元にほんの僅かの違和感を感じて手で触れれば、掛けていたペンダントがなくなっていた。
「悪いな、エリー」
 驚くほど近く。
 ほんの耳元でダグラスの低い声。
 次に首筋に鈍い痛み。
 僅かにぎゅっと抱きしめられたような感触。
 そして、ブラックアウト。




 ダグラスは、首筋への手刀一撃で気を失ったエリーを、地面に倒れる前に片腕で受け止る。
「しょ……勝者! ダグラス・マクレイン!!」
 うわぁああっ! と、大歓声が起こる中、ダグラスは自分の剣を腰に戻し、エリーの手から落ちた陽と風の杖を拾い上げると、エリーの軽い体を横抱きに抱き上げた。
 気のせいかまた会場から悲鳴が上がった気がしたが、騎士隊の鎧を着た救護班が駆け寄ってきて、エリーを受け取ろうとするのを拒んだダグラスは、そのまま闘技場の石舞台から降り控室に向かう。
 階段の途中には驚いた顔のロマージュとアイゼルがいたが、何か言われる間にひと睨みすると、何も言わず道を開けた。
「……ったく、どいつもこいつも………」
── 俺も。
 今さっきまでの口喧嘩を思い出すと、耳まで赤くなりそうだ。
 この顔を誰にも見られたくないと思いながら、ダグラスはエリーを控室のベンチに寝かせ、杖と帽子をとり、マントを外した。
 ダグラスは、エリーが大会に出ると聞いた時から、きっと勝ち上がってくるだろうとは思っていた。まさか妙なアイテムを使っているとは思わなかったが、エリーのこのマントの防御力の高さも、陽と風の杖の攻撃力もよく知っていたからだ。
 だから、一撃で終わらせる気でいた。掠り傷一つ負わせたくないと思っていたのに。
 呼吸を楽にさせる為、手早くエリーのチョーカーを外す。
 外したチョーカーの少し下にほんの微かに見つけた細い切り傷に、ち、と舌打ちした。
「傷つけちまったじゃねぇか……」
 つぶやいて、さっさとエリーを抱き起し、背中に並んだボタンをはずそうとすると、後ろでアイゼルの、ちょっと! と言う声が聞こえたが。
「はい。そこまでよ。あなたは決勝戦があるでしょ」
 後から来たらしいロマージュの声に手を止める。
 仏頂面でダグラスが振り返れば、ロマージュは豊かな胸を押し上げる様に腕を組み、隣には頬を染めダグラスから目を逸らすアイゼルがいた。
「お前らあの妙なアイテム回収しとけよ」
 ダグラスが立ち上がると、入れ替わりにロマージュがエリーの枕元に腰をかがめ、その体の上にマントをかけてから、服を緩め始める。
「もう拾ってきたわ。……ダグラス、貴方これが効かなかったの?」
 不審そうに言うアイゼルの手に、例のきらきらと光る鱗。ただし、地面に落ちた拍子に割れて形が崩れ、半分も残っていない。
「くそ、ローレライの鱗かよ……」
 呆れた様子のダグラスに、アイゼルは錬金術師の興味を持ってなお詰め寄る。
「魅了に対抗できるアイテムでも身に付けていたの? でなければ説明がつかないわ」
「んなもん持ってねぇよ。持ってたらエリーに相手にあんなに手こずるもんか」
 試合前にもらった護符も、控室に置いたままだ。
「そう……なの……」
「ロマージュ!」
やや呆然としているアイゼルの肩越しに、ダグラスは声をかける。「そいつ、あと少しすれば目を覚ますはずだから。工房まで面倒見ろよな」
 そして踵を返す。
 アイゼルは足音高く出て行ったダグラスの背中を見送る…というよりも唖然として目で追って、それから振り返った。
 ロマージュは白い布を水に浸して、気を失ったエリーの額に乗せながら言った。
「……どうやら、私たちの負けね」
「? …どういう事ですか?」
 同じく枕元に歩み寄りながら、アイゼルが尋ねると、ロマージュは呆れたように笑う。
「たしかに効くと分かっている薬が特定の人物に効かないのは、その人にその薬への耐性ができてる……ってこと、よ」
 敏いアイゼルは、半瞬も考えないうちにその答えに至り、頬を染めたあと、ロマージュと同じように呆れた溜息をついた。







 まず目の前に茶色い何かが見え、ぼんやりと見つめていたそれの輪郭が鮮明になってきた時、エリーはそれが工房の天井だと気づいた。
「……っ! あ、痛っ!!」
 ここがどこなのか気づいて飛び起きた瞬間、首筋に鈍痛を感じて思わず声を漏らす。
「エリー。起きたのね?」
 すぐさま近寄ってくる気配に目をやれば、心配そうな顔をしたアイゼルの顔、その向こうにロマージュとルーウェンがいる。
「………私……負けちゃったの?」
 だんだんはっきりしてくる記憶の中で、ダグラスの一撃を受けたことを思いだした。
 それから、倒れ込む瞬間に……強く、一瞬だけ抱きしめられたことも。
「負けたわね」
「そっか……」
 ベッドに起き上がり、ふう、と一つ息を付く。
「はいこれ。力の湿布よ、張っておきなさい」
「あ、うん」
 アイゼルから差し出された湿布に手を伸ばそうとすると、アイゼルは首を振って、エリーにあちらを向かせ、赤くはれてきた打撲跡に眉を顰めながら貼り付ける。
「まさかダグラスにエリーが攻撃できるとは思ってなかったよ」
 少し離れた場所に椅子を引いて座っていたルーウェンが暢気に言った。
「折角の賭けには負けちゃったわね、ルーウェン」
 ロマージュが意地悪そうに言うと、おどけた様子のルーウェンが答える。
「そう、俺はエリーの勝利を信じて、賭けてたんだけど」
 それを聞いて慌てて謝ろうとするエリーに、ロマージュが手を振った。
「謝ることないわ。賭けてたっていってもほんのちょっとなんだから。エリーちゃんを信じてた割にはね」
「ま、ダグラスもそれだけ、エリーを勝たせるわけにはいかない理由があったんだろ」
「理由?」
 エリーが首を傾げ、つ、と辛そうな顔をする。
 気付いたアイゼルが座るエリーの首の後ろに枕を当てた。
「まぁ、男としての立場ってのもあるが……何よりエンデルクに勝ちたいって、あいつ、試合前に言ってたからね」
「ルーウェン?」
 ずいぶん言い回しが違うんじゃないの? とロマージュがその耳を引っ張っている。
「それって……」
「いてて……。ん、まぁ、言葉通りだろ。ダグラスにはエンデルクしか見えてなかったんだよ。そんなもんじゃないか? 男ってのは」
 やっと耳を離されて、それをさすりながらルーウェンは言った。
 ほんのちょっとの意地悪は、元気はあるが性質の優しいエリーに、ダグラスへ向かうきっかけになっただろうか。ダグラスのような男には、言いすぎるくらいに言って、体ごとぶつからなければ伝わらない。
「少しはすっきりした? エリーちゃん」
 その言葉に、エリーは自分の胸に手を当て、思い起こす。
 戦いの最中、あんなふうにダグラスと言い合って。
 簡単な喧嘩はいくらでもしてきたけど、そういえばいつもエリーは、ダグラスに言葉が通じないもどかしさで、泣いたり逃げたりしてきた。その度ダグラスはエリーを追いかけ、理由を聞きだし、宥めてくれたけど。
 面と向かって泣かずに済んだこんな喧嘩は初めてで。
 不思議と心はすっきりとして、体は心地よい疲労感に包まれている。
「はい。……なんだか、すごく」
 にこ…と笑ったエリーに、その場にいた全員がほっとした笑顔を見せる。
 と、ルーウェンがちらと扉に目をやり、それからふとエリーに尋ねた。
「なあエリー。実の所俺はエリーがなんでダグラスと喧嘩したのか、知らないんだ。よかったら聞かせてくれよ」
「え?」
 きょとんとした顔で、エリーがアイゼルとロマージュを見る。
 二人が首を振り、肩をすくめるのを見て、エリーは鼻先を掻いた。
「えっと…初めは、妖精の腕輪の事、だったんですけど。でも……きっと、そのせいじゃなくて」
 えへへ…と照れたように笑うのは、もう、怒りも何もないせい。
「ダグラスにはいつも、言いたい事言ってたはずなのに、なんだか伝わってなかった気がしてもどかしくて……それで、ずっともやもやしてたんです。ダグラスっていつも強引だから。……でも、一人で採取に出かけると、それが私の事想ってくれてるってことも分かって……」
 とん、と扉の向こうで微かな物音。
 しかしエリーは気づかず話し続ける。
「あの女性(ひと)の護衛の事だって……私より任務のほうが大事なの分かってるけど、それで怒ってるのも知らないし、一緒に居るのは楽しいけど、錬金術も大事で。工房に来てくれるのも、邪魔されたと思ったわけじゃないけど、でも図書館の本、なかなか進まなくてちょっとイライラしてたことも……」

「分かんねぇ」

 突然、寝室の扉が開かれて。
 そこに居た蒼い鎧の人物に、エリーは目を丸くし、それからかぁっと頬を染める。
「だ、ダグラス!」
「お前の話には、『けど』と『でも』が多すぎるんだよ。もっと簡潔に話せ」
 驚きに身を固めるエリーの傍に、大股で近づくダグラスと、入れ違うように、ロマージュたちは足音を忍ばせ目配せあって、そっと部屋を出る。
「……莫迦。わかってよ。ちっとも考えないでそんなこと言うから……」
 まさか聞かれていたのかと、しどろもどろになるエリーのベッドに、会場から走ってでも来たのだろうか、まだ汗も滴らせたままのダグラスがどさりと腰かける。
「自分でもわかってねぇからそんな話し方になるんだよ」
 いつもの仏頂面のまま、そんなことを言われ、エリーは混乱しつつも頬を膨らませた。
「女心って、そんな簡単なものじゃないのっ」
 ダグラスの横顔に、拳を握って言えば、ダグラスは貯め込んだ息を吐きながら答えた。
「ああ、フツーの女は武闘大会に出たりしねぇし、フツーじゃねぇお前の女心はさぞ複雑にできてるんだろうよ」
「っ……」
 一瞬また怒りだしそうになったエリーだったが、武闘大会、の言葉にはっとして、おずおずと……前を向いたままのダグラスの横顔に尋ねた。
「……ダグラス……決勝戦、どう…だった、の?」
 エリーの問いに、ダグラスが振り返る。
 そしてエリーの顔をじっと見て……言った。
「負けた」
「!!」
 息を呑むエリーから目を逸らし、ダグラスは赤味がかった黒髪にくしゃりと手を通した。
 よく見れば手甲の表面に、鋭く長い傷がつけられている。
「言っとくが、お前のせいじゃねぇからな。あのお嬢さんの護衛についてたせいでもねぇ。ただ……単に俺の力不足だ」
「ダグラス……」
 思わず身を乗り出したエリーの肩を、振り返ったダグラスの手が伸び、押し返す。
「お前は?」
「え?」
「俺が殴ったところ。痛いか?」
 エリーは自分の掌を首元に乗せる。アイゼルがくれた力の湿布が、徐々にその痛みも体の力も回復させてくれているのが分かって、首を横に振る。
「そっか」
ほっとしたようなダグラスの声。が、続けてダグラスは言った。「それに関しちゃ謝らねぇからな。俺は昨夜ちゃんと止めたんだ」
 なのに、その蒼い目が済まなそうにエリーの首筋を見る。それから手が。
 するり、と首筋にかかって、小さな切り傷に指先が伸びる。
「こっちはちょっと……悪かったよ。跡が残らなきゃいいけど……」
 その仕草と視線に、どきりとしながら。
 エリーは、僅かに残った力を振り絞って、言った。
「……それより…ほかの事、謝ってほしい、よ……さっき外で聞いてたんでしょ?」
「まだ言ってんのか。ほんっとうにお前って頑固だな」
ダグラスは苦笑と共に、エリーの体を抱き寄せる。「勝負にゃ勝ったし、謝る必要ねぇだろ……って言いたいところだが」
 剣を合わせて、言い争って、それでようやく分かったことも少しはある。
 その方が随分自分には向いているらしい。
「なんとなくは分かった。だから……お前が来年俺に勝ったら、まとめて謝ってやる」
「ら、来年!?」
 驚くエリーの背を抱いて、体を凭せ掛ければ、久しぶりの感触にほっとする自分も居て。
 負ける気はねぇけどな。とつぶやく。
 来年こそは、エンデルクに勝つ。去年の勝利がまぐれではなかったと証明したい。
 ただ……。
「お前はどうなんだ?」
「え?」
 尋ねたら、不思議そうな声が聞こえた。
 少し体を離し、顔を覗き込む。
「なんで俺がお前を怒鳴ったか、分かってんのか?」
「…………?」
 少し上を向いて、考えた後。
 くい? と首をひねったエリーを見て、やっぱりな、とため息をつくしかない。
「一人で、出かけたから? でも、それはダグラスが…」
 いけないんだよ、と、かわいらしく責めてくる唇を衝動的にふさぐ。
 魅了の効果がまだ続いている気がする。
 大会でエリーと戦ったほかの冒険者たちまで、もしこんな後遺症が残っていたらどうするつもりだと、後でダグラスはアイゼルを責めるつもりだ。
 柔らかい唇から、ちゅ、と軽い音をさせて離れ、次に目の前にある、首筋の微かな傷にキスをする。
 エリーは痛みに小さな悲鳴を上げたが、腕を振りほどくことはできない。
「莫迦。その前だろ。……お前、一人でなんでもやりすぎなんだよ。工房の事はマリーにでもやらせとけ。妖精を雇うのはいいが、ちゃんと休んで、飯を食え……ほんとは、妖精なんかいなくてもいい程度が一番なんだろうけどな」
 首元で囁かれる言葉に、エリーは、あ、と思いあたる。
 ダグラスが工房に来ていたのはいつも、エリーが疲れはじめた時間。
 ダグラスが来れば嫌でも調合の手を止めざるを得なくなっていたし、食事もしたし、眠りもした。
「でも、まぁ……俺も少しは、反省、した」
 そのまま、ダグラスはエリーをベッドに押し倒して、鎧を着たままの体を伏せた。
「っ…ダグラス!?」
 だめだよ! みんながいるんだから! と小声の抵抗に、ダグラスは目を閉じる。
 いつだって少し強引過ぎて、言葉が足りなくて、結局エリーを振り回してしまう事。
 そして、何より工房を優先しようとしていたエリー自身は全く今まで通りだったのに、いつの間にか自分はほんの少し変わってしまっていた事。
── 言えるかよ。
 違う形でエリーを手に入れた途端、もっとエリーを独占したくなったっていただなんて。
 エリーがいつでもこうして腕の中にいて、目の届くところで自分に守られていればそれだけでいいんだ、と思い始めていたことに気づかされた。
── それじゃ、だめだろ。
 エリーは錬金術士なのだから。そんなエリーを好きになったのが自分なのだから。
 たとえ真夜中に自分以外の男が工房を訪ねても? ――否。それは後で、もう一度話さなくては。
「期待に副えなくて悪いな。……今は……寝不足なんだ…あと…、後で胃薬…くれ……」
 エリーにもたれたまま、あっという間に眠りに落ちる。
「ええっ!?」
 エリーは。
 そんなダグラスの背中に所在なく腕を回し。
 扉の向こうで耳をそばだてているはずのロマージュたちを呼ぶかどうか。
 うろたえ、酷く悩んだ。







- continue -

2013.02.01.


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