喧嘩 5




「この野郎、よりによって騎士隊の目の前でどういうつもりだ!」
 追いついた掏りの背中に腕を捻り上げ、ダグラスはその手からブレスレットを奪い返した。
「いてて……ほんの出来心って奴で…わかってますよ、ダグラス・マクレインさんでしょ? 明日の武闘大会に出る……」
「そこまで分かってんならこの後どうなるかも勿論知ってんだな?」
 愛想笑いで誤魔化そうとする相手を、闘技場脇に建てられた、臨時の騎士隊詰所に掏りを引っ立てて、数分後。 無事に引き渡しを完了し、少々げんなりしながら元来た道を戻ろうとしていた時、ダグラスは同じ騎士寮に住む同僚に声をかけられ立ち止まった。
「ダグラスじゃないか! なんだよお前、どっかの貴族令嬢の護衛に就いたとかって聞いてたのに、なんでこんなとこうろついてる?」
 下級騎士の鎧を着た男は、今の立場こそダグラスとはだいぶ違うが、同じ時期に登用試験を受けた相手だけに年も近く、いつも気安い雰囲気で傍に寄ってくる。
 ダグラスはうんざりした顔を隠そうともせず、手にしたブレスレットを彼に見せた。
「護衛は継続中だよ。今さっきネズミを一匹カゴに放り込んできたところだけどな」
 それを聞いただけで大体の事情を察したらしい同僚は、ふうんと頷いて、それからそういえば、と続けた。
「お前の彼女、さっき受付に来てたぞ」
「あ?」
 意味が分からない、と言う顔をしたダグラスに、同僚が続ける。
「錬金術師の。オレンジ色の服着てたから間違いないと思うけどな。まあ俺が記帳受付ってわけじゃなかったから見間違いかもしれないけど。お前、よく許したな」
 そういえばこいつは明日の武闘大会の受付担当だった、と思い出した後、ダグラスは。
「……何やってんだ、あいつは……」
 空を見上げ、掌で額を覆った。
 寝不足で傷む頭とは別に、心なしか胃がおかしい。
 本当に、何を考えているのか分からない。
 本当に。
 本当に。
── なんだんだよ、あいつ……。
 泣けてきそうだった。






「大体、ダグラスはエリーの扱いが荒すぎるのよ」
 いつだってそうだわ、と憤慨しているのはアイゼル。
「女心なんて分からなくてもいい、って最初からそう思っているのも考えものよね」
 工房の二階、最近お茶会を開くことが多くなってしつらえた丸テーブルを挟み、答えたのはロマージュ。そして二人の勢いに押されて聞き役に回らざるを得ず、間に挟まれ黙って紅茶をすすっているのがエリー。
 事は、飛翔亭からエリーを送ってきたロマージュと、エリーを心配して工房にやってきたアイゼルが出くわしたところから始まった。
 お互い今回のダグラスの態度には不満を抱いていたらしく、あっという間に意気投合し、それから昨夜エリーがした話をかいつまんでロマージュがアイゼルに話せば、より一層盛り上がり。
 そのままエリーはなぜか、武闘大会の受付に連れていかれて、今、帰ってきたところだ。
「エリーちゃん、あの鷲鼻へし折ってやんなさいね」
「そうよ。エリー」
── どうしよう……。
 エリー自身はと言えば昨夜一晩泣いて、まだ悩むところはあるものの少しはすっきりとした所なのだが、この二人はエリーとは裏腹に、何故かダグラスに対してひどく怒りだしていて。
 たしかに二人が言う言葉にはどれもこれも納得がいく。
 ほとんどが昨日自分がロマージュに訴えたままの内容なのだから。
 ダグラスがちっとも自分の事を考えてくれないと思ったことも、知らない女の人を連れて何も言ってこないのも、昨夜のことも……。
 昨夜の事はロマージュにしか話していなかったが、エリーはその時泣きながら怒っていたから、昨夜ダグラスがどんな顔をしていたかまでは伝えていない。
 ちょっと傷ついたような顔をしていた事、酔っていた事。
 あの女の人の身なりと、ダグラスの様子を考えるにきっと、任務だろうということはエリーにも分かっていたんだという事。
 でも喧嘩をしたときの常と言うもので、相手の事は悪口しか出なくなるときもあるのだ。
 そして、自分以上に怒りを抱えた人間を見た時、心がすっと落ち着くこともある。
「あ、あのね……でも、ダグラスもきっと……」
 さすがに二人の話を止めようと、エリーが口を開きかけた時だった。
 どんどんどん! と工房の扉を叩く音。
 お茶をしていた3人の女性は、目を合わせる。どう考えてもその叩き方はダグラス以外の何者でもなくて、エリーは思わず扉に鍵を掛けただろうかと思い起こしてしまった。
「おい! エリー! いるんだろ!? 顔出せ、顔!」
 まるで借金取りか押し売りかという具合に声を荒げるのを聞いて、アイゼルとロマージュが目配せ合って、エリーに言った。
「エリーちゃん、あなたは打ち合わせ通りお部屋に行ってらっしゃい。絶対下に降りてきてはだめよ」
「そうよ、あなたが折れる必要なんて一つもないんですからね。さ」
「だ…だけど」
 ためらうエリーを二階に置いたまま、二人は階段を下りていく。
 心配になったエリーが階段の上でためらっていると、扉を開ける音と同時にダグラスが息を呑む気配。きっと、二人に出会ってぎょっとしたに違いない。
「今更、何しに来たのかしらダグラス?」
「エリーは? いるんだろ?」
 ロマージュの柔らかな声に、ダグラスが応えている。
「あら残念。エリーは外出中だけど、何か用事があるなら伝えておいてあげてもよろしくてよ」
 一緒に居るアイゼルの声もする。
「直接話す。中に入れろ」
「嫌よ。夜中に女性の家の扉をあんな風に叩く方には、それ相応の対応しかできないわ」
「夜中…って、おい」
 まだ日は西に落ちたばかりで、ほんのり空も明るいくらいだ。
「あなたエリーに依頼でもしているの?」
 ロマージュに尋ねられ、ダグラスの、はぁ? という声。
「別に……今は何もねぇけど。あんたたちには関係ないだろ?」
「じゃあもっと入れられないわね。お客様なら中で待っていてもらってもいいんでしょうけど、そうでなければこんな遅くに、男性を、一人暮らしの女性の部屋になんて入れられないわね。そういう事を誰かが言ってたと聞いたところだし」
 遠まわしに、遠まわしに。
 ちくりと言われた台詞の意味が分からないほどダグラスも鈍くないらしく、一回り声が小さくなって、エリーにはダグラスが何を言っているのかよく聞こえなくなってしまった。
 多分二人がかりで責めたてられているんだろう。
 エリーはそっと身をかがめ、階段下を覗き込んだ。
 ロマージュとアイゼルの背中が見え、その向こうにダグラスがいる。
「……だから! エリーに直接話すって言ってるだろ!」
「何を話すって言うの、どうせ怒鳴りつけて言う事を聞かせる気なんでしょう」
 アイゼルの声と、ダグラスの声。
「莫っ…そんなことするか!」
「どうかしらねぇ」
「しねぇよ! 昨夜だってあれは……俺はっ…」
 ダグラスの言葉があまり上手くない事は、誰よりエリーが一番良く知っている。しとろもどろのその様子がさすがに可哀そうに思えてきて、エリーは二人を止めようと、足音を忍ばせ階段を二、三段降りた。
 ロマージュとアイゼルには悪いけれど、帰ってもらおう。
 ところが。
「大体な、なんでエリーが武闘大会に出るんだよ。誰が出していいって言った?」
 そんな言葉が耳に聞こえてきて、足を止める。
 確かに、自分でもそう思う。武闘大会の大会規約によれば、一切のアイテムは使用禁止になっているし、騎士隊の面々が大会側で用意された一般と同じ剣を使うとしても、杖一本で勝ちあがれるとは到底思えない。
 でも。
 その言葉を聞いたとき、心がもやもやとした。
「あいつは…エリーはそんなもん出なくっていいんだよ。今からでもいいから参加取り消しして来いってエリーに言え!」
「エリーが大会に参加しようとしまいと、あなたには関係ないじゃない。なぜあなたの許可が必要なの?」
アイゼルが冷ややかに言い放つ。「それともあなた、エリーに勝てないとでも思っているのかしら?」
「俺が勝つに決まってんだろ! あいつの護衛してやってんのは俺なんだぞ?」
 不意に、エリーはすっと心が冷えた自分を感じた。

『してやってる』

 それは、そうかもしれない。ダグラスに護衛を頼んで、賃金を払っているのは自分だし、ダグラスにしてみれば本職を置いて、エリーに付き合っているわけだ。
 でも。
── それって、無いんじゃないかな?
 そういえば、妖精の腕輪にしても、掃除の手伝いにしても。
 ダグラスはいつも「してやってる」とエリーに言う。
 理由が上手くつかめないまま、エリーは胸をむかむかとさせて、わざと足音を立て階段を下りた。
「エリー。降りてきちゃダメじゃない」
 その音にアイゼルが振り返る。
 ダグラスは、一瞬驚いたようなほっとしたような顔をしてから、眉を上げてエリーを見た。
「エリー! お前に話がある。だからちょっとこいつら何とかしてくれ」
 だがエリーが無言でダグラスの前に立った。腰に手を当て、睨み上げて。
「ダグラス」
「エリー…?」
 唇をきゅっと結び、言った。
「ダグラスは私がダグラスに勝てないって言うけど、やってみなくちゃ分からないよね」
 ロマージュが隣で、感心したような息を漏らして笑ったのが分かる。
「はあ……?」
 眉を落とすダグラスに、エリーはなお言った。
「私が勝ったら、ダグラス、謝ってよね!」
「謝るって……腕輪の事とか……昨夜の、ことか?」
ダグラスはちらりとアイゼルとロマージュを見ながら、声を潜め言いにくそうにした。「あのことなら…その…」
 頭を掻いて口を開くダグラスに、エリーがぴしゃりと言い返す。
「いいから謝って! 全部!」
 一から十まで。とにかく『ごめん』といわせたい。
「なっ……全部ってなんだよ?」
「分かんないなら考えてよ!」
「考えるより聞いたほうが早ぇじゃねえか! じゃなきゃ謝りようもねぇだろ!」
 いつの間にか鼻先を近づけて、二人言い合う。
「うう〜っ! ダグラスの馬鹿! 明日は絶対勝つからね! 後悔するなら今のうちなんだから!」
「訳分かんねぇよ! こっちこそ、その台詞、そっくりそのまま返してやるぜ!」
 そして、ほとんど追い出されるような形で、バタンと扉が閉じる。
 ふうふうと鼻息を荒くしているエリーを見て、ロマージュとアイゼルから、激励の声が上がった。




 そしていよいよ……武闘大会当日。
『いいわね? ダグラスなんてこてんぱんにするのよ?』
『土下座させてもいいくらいよ? エリーちゃん』
 なんていう二人の声に背中を押され、エリーは会場の地下通路を歩いていた。
 周りにいる冒険者がじろじろと自分を見てくる気がする。
「やっぱり……場違いだったかな」
 昨夜はどうしてあんな大見得を切ってしまったんだろう、とため息をつく。
 時々エリーは後に引けない勝負を買ってしまうことがあって、後で後悔する癖に、その時にはなぜか気づけないのだ。
 自分が近付くとざわめきが止まり、遠ざかると冷やかしの声が上がることにうんざりして、エリーは陽と風の杖を抱え、控室の通路をふさぐ槍の参加者たちをよけた。
 ふと見れば、脇にもう一つ小さな通路があって、その先に明かりが灯っている。
 どうやらあそこまで行けば、ひっそりと隠れていられそうだ。
 そう思ったエリーが、奥へと歩いて行ったとき。
「あ、痛っ…」
「おっと、すまねぇ……」
 狭い通路に向こうから飛び込んできた男の鎧に、ごつんと額をぶつけてそれを見上げる。
 そして相手もエリーを見降ろしてくる。
「あっ」
「ああっ!」
 それがダグラスと気づくと、エリーはとっさに杖を前にだし、自分の身を守る体制に入る。
「いっ、いまさら言っても、参加取り消しはもうできないんだから!」
「……それくらい、知ってるよ」
 呆れたような声。
 心なしか昨日より穏やかに聞こえて、エリーは思わず杖を下ろした。
 するとダグラスはその蒼い目で、じっとエリーを見つめてきた。
「な…な、何?」
「あのな、エリー……その、昨日お前に言われた事…」
 そういって一度口を閉じ、ダグラスが何か言いかけた時だった。
「ダグラス様!」
 ダグラスの背後から若い女性の声がした。ダグラスは言葉を止めて振り返り、エリーはダグラスの体越しに相手を確認する。それは、一昨日見たあの、育ちのよさそうな女性だった。後ろには銀髪の騎士が控えている。
「こちらにいらっしゃいましたのね。私、試合が始まる前にどうしてもあなたにお渡ししたいものがあって……」
 立ち姿も華奢なその女性が、ふと、ダグラスの陰になっていたエリーの姿に気づく。
 一瞬いぶかしげな顔をしたが、微笑んで小首を傾げて言った。
「申し訳ありません。お話の邪魔をしてしまったのですね?」
「あ、あ……えっと!」
物腰柔らかなその態度に、エリーはなぜか焦る。「そんなことないです。私の話は終わりましたから!! あの、ダグラスとどうぞ、ごゆっくり!」
 そして踵を返し、逃げる様に元来た通路を戻ろうとした時だった。
「おい、エリー!」
ダグラスの鋭い声に振り返る。薄暗い廊下で表情は良く見えない。「その……お前…試合、油断すんなよ。俺と当たるまで傷一つ作るんじゃねぇ! 分かったな!」
 その言葉に。
 逃げ腰だった心が、なぜかふっと軽くなる。
「………っ、〜〜っ…」
 何か言い返すつもりで口を開いたけれど、何故か照れくさくて。
 それがなぜなのか分からないまま、エリーは口をつぐみその場を駆け去った。
 



- continue -

2013.01.29.


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