喧嘩 1






 冬の澄んだ空気を通して、遥か遠くに望むザールブルグの街。
 漸く登り切った崖の上で腰をおろし、エリーは持参してきたミスティカティとサンドイッチをほおばりながら、歩いてきた道のりと、この先の道行きを考えほっと息を付いた。
「あと1日かぁ……妖精の森って遠いよねぇ」
 たしか4年前もここでよくこんな風にため息をついていたはずだ。
 あのころは護衛を雇う余裕が本当になくて、妖精の森への道はモンスターが出ないという噂を頼りに、だれも連れずたった一人で往復8日の道を歩き切った。
 野営の支度にも慣れず、独りの夜にも怯えながら、それでも7人の妖精を雇い切ったころには、すっかり旅のノウハウが身について、その後ハレッシュやダグラスを驚かせたものだ。
 そして今、そろそろやってくる雪の季節の予感を感じて、エリーはぶるりと体を震わせる。
「寒……」
 呟いても、いつもならさり気無く風上に腰掛けてエリーを寒風から守ってくれる蒼い鎧の騎士はいない。
 街を出る前にした大喧嘩を思いだし、エリーは先程よりもずっと深い溜息をついた。

『私に妖精さんが必要なの、ダグラスだって知ってたでしょ!』
『だからまた工房に来るようにしてやったじゃねぇか!』
『してやった、ってなんなのその言い方!』

 最初はほんのちょっとの言い争いだった。
 よくよく聞けば、ダグラスのお陰で腕輪が戻って来たことには違いないのだけれど、でも、『一月遅らせられた』お陰で作業はどんどん遅れて、マリーから送られてくる材料はどんどん増えて、なのに基本のへーベル湖の水や魔法の草の採取は全く間に合わず、本に乗せられそうなアイテムは一つしか作れていない。
── これじゃ、帰ってくるマリーさんに合わせる顔がないな。
 そんな思いに駆られて、いらついていたのかもしれない。
 なにより、そんなエリーの状況を知っていたのにほとんど毎日のように工房に顔をだして、たまにはそのまま次の日まで居たりして、なのにエリーが妖精の事を口にするたび知らん顔して「そうか、忙しそうだな」とか「でもあんまり無理すんなよ」なんて言っていたダグラスに腹が立った。

 それでもエリーはそんなに怒りが持続するタイプでもないし、あの喧嘩の次の日には、気を取り直し仲直りも兼ねてダグラスを誘うため城門へ向かったのに。

『だめだ。俺は忙しい。他をあたれ』

 昨日まで工房にやたらと入り浸っていたのは誰だったのか。
 護衛が必要ならいつでも声をかけろと言っていたのは?

「怒ってもよかったよね……うん」
 あれから売り言葉に買い言葉。
 妖精の森に行くにも護衛を付けろというダグラスと、守ってもらわなくても十分だというエリーで、城門前に人だかりができるほどの喧嘩をした。
 それからお互い、『ふん!』と音がしそうなくらい顔をそむけあって、それで、そのまま街を出てきてしまった。
 騎士がいるはずの街を見おろして、思い出したせいでまた腹を立てそうになりつつ、少しの寂しさも感じながら、エリーは手早く昼食を片づけて立ち上がる。
── 喧嘩したの、久しぶりだな。
 ロブソン村に帰る前にも喧嘩はしたけれど、あれは、エリーの気持ちをくみ取ってくれないダグラスに、エリーが当り散らしたのであって、ダグラスが怒ったりエリーを怒鳴ったりしたわけではない。
 大体、良く考えてみれば今までだって、ダグラスがエリーを叱るときは理由があったし、エリーが本気で怒ったのも、ダグラスが口にしてはいけないものを食べてしまった時くらいだ。
 こんなに意地を張って、お互い口をきかないまま街を出てきてしまったりしたことはなかった。
── でも。
 今回の事は絶対ダグラスも後ろめたいと思っているのだ。だからあんなに意地を張るに違いない。
 エリーはそう思い直し、ザールブルグに背を向けると、目の前に広がる妖精の森に足を踏み入れた。




「聞いたわよ」
 いつものシフトでいつものように城門警備をしていたダグラスの前にやってきたのは、丈の短いピンクのワンピースを身にまとった、かのアイゼル・ワイマールだった。
 エリーと同じくらいの身長しかないくせに、腕を組み、自分を見上げてくる様はいかにもで、何を言われるか予想がつくだけに、ダグラスには面倒事がやってきたとしか思えない。
「先日エリーと派手に喧嘩したそうじゃない。ここで」
 確かに喧嘩はした。夢中になってふと気づいたら、周りを広場にいた市民が取り囲んでいて、慌てて追い払ったけれど、その後噂がどう伝わったのかは知らないが、目の前にいるアイゼルを見ただけで大体どんな噂なのかは分かった気がした。
「エリーの奴、どうしてる?」
 もう10日近く姿を見せない彼女の様子が気になり、そっぽを向いたまま尋ねる。
 たった10日だ。ダグラスとエリーの間ではよくある期間だったが、少し前まで工房に入り浸っていた──実際には入り浸れるように調整していたのだが──その分、急に会わなくなったような気がしてならない。
 アイゼルはそんなダグラスを見て、眉を上げる。
「さあね。気になるなら自分で確かめてみたらいいんじゃないかしら。もっとも、今工房に行っても誰も居ないでしょうけど」
「あいつ……やっぱり一人で妖精の森に行きやがったな」
 苦虫を噛み潰したダグラスの表情に、アイゼルは細い指を頬に当て、じっとそれを観察する。
 実の所、アイゼルはついさっきエリーの工房でお茶をしてきたところだ。
 もちろん巷に流れる噂の真相を知りたくて、そっと尋ねたのだけれど、しばらく街を離れていたらしい当の本人は噂のうの字も耳に入っていなかったらしく、けろりとした顔でアイゼルを迎えた。
 けれど、ダグラスの名前を出したとたん、エリーは頬を膨らませ、唇を尖らせてアイゼルに言ったのだ。
 曰く、ダグラスが自分勝手だと。
 工房にあるものは勝手に食べるし、人の言うことを何にも聞いていないと。
 謝るまでは許さないんだからと、怒りの範囲がだいぶ広がっているらしいエリーを見て、もう少しエリーの怒りが収まったら会いに行けばいいと、アドバイスするつもりでここへやってきたのだけれど。
「大体あいつも、本当に人に言うこと聞かねぇよな。実際かなり頑固だし」
 そう思わないか? と尋ねられて、アイゼルはあいまいに相槌を打つ。それは、工房でついさっき聞いてきた愚痴とどこか似ている気がする。
── 結局似た者同士なのね……。
 これは案外、すぐにも会って話をしたほうが簡単に解決するのかもしれない、とアイゼルが口を開きかけたときだった。
「俺はな、絶対一人で採取に出るなって言っただけなんだ。大体あいつ、妖精妖精ってなんなんだよ。俺がいなくちゃ困る癖に……」
 ほとんど独り言のように呟かれた台詞が、アイゼルのどこかにカチンと触れた。
「……あら。エリーなら心配ないんじゃないかしら? 大体の事は何でも一人で出来るでしょう?」
 少なくとも、今現在、親の支援を受けながら工房を始めたばかりのアイゼルよりも、採取も、調合も、経営も優れていると思っている。いつかは追い越す目標として。
「あいつが? そうかぁ?」
 ダグラスは疑わしそうな様子で言った。エリーの散らかりに散らかった工房や、採取に夢中になって時間も場所も忘れる事や、何より腕に抱いた時のあのすっかり頼ってくるような甘い姿を思い返して、ダグラスは腕組みをしたまま顎先を掻く。
「まぁ、それはいいとして、あんたからエリーに言ってくれ。俺が心配してるってことも分かれって……」
 もし、この時ダグラスが、アイゼルの碧の瞳に浮かんだ冷ややかな色に気づいていたら、きっと途中で口をつぐんで、慌てて訂正していたはずの台詞は。
「あら。そう」
最後まで発せられることなく遮られた。「その言葉、しっかりエリーの伝えさせていただくわ。もっとも、また妖精の森に出かけると言っていたから、エリーがあなたの言葉を聞くのは少なくともあと8日後でしょうけどね」




 さて。街に流れている噂と言えば、その情報をいち早くつかむのはいつだって飛翔亭なのだ。
 そして、付き合っているけれど甘さをあまり表に出さないルーウェンとロマージュの二人が、護衛や踊りの合間を縫って、デート場所代わりに使うのも昼間の飛翔亭だった。
「ダグラスとエリーが喧嘩別れした?」
 ディオが特別にタダだと言って、カウンターに座る二人に教えたのはそんな噂。
 普段の二人の仲の良さを良く見せつけられている身としては、寝耳に水で、ルーウェンはへぇ?というように声を上げ、ロマージュは少し目を見開いてからカウンターに肘を付き、ディオを見上げた。
「珍しいわね。口喧嘩してるのは良く見かけるけど、そんな噂になるなんて」
 その問いに、ルーウェンが横から口を出す。
「大方痴話げんかの類じゃないのか? あいつら自身は気づいてないんだろうけど、いっつもイチャついてるようにしか見えないしな」
 そう言って笑ったが、ディオは口髭の下の唇をゆがませ、顎先に手を当てて少し考える様に言葉を継いだ。
「いいや、最初はそんな噂も聞いたが、大分派手な喧嘩だったらしい。それから二人でいるところを誰も見てないようだし、そうと知った男も女も色めき立ってるな」
「色めくって、なんの事だ?」
 不思議そうなルーウェンに、ロマージュが言う。
「少し考えたら分かるでしょ? ダグラスは元々街の娘(こ)たちに騒がれてるし、エリーは騎士隊で人気があるみたいだしね。中には本気の子だっているかもしれないわ」
「へぇ……モテるのも大変だな。残念だけど俺にはそういう縁がなさそうだ」
 何気なくつぶやいたルーウェンに、ディオが渋い顔して、ちらりとロマージュを見遣る。
 ロマージュはルーウェンの耳に手を伸ばし、ぎゅっとその耳たぶを引っ張ってから、ディオに向かってにっこりと笑った。
「まぁ、あの二人の事だもの。そんな大事にはならないでしょうけどね」




- continue -

2013.01.25.

 


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