喧嘩 2


 最低賃金で雇える黒妖精を一人、その後もう一人迎えに行くために、だいぶ長い時間街を離れていたエリーが、ようやくザールブルグの街に戻って腰を落ち着けたのは、12月も終わりに近づいたある日の事だった。
 先に連れてきた緑妖精が不足していた基本材料を採取しておいてくれた筈だし、そろそろ本格的になっていく雪のことも考えると、後の雇用は年が明けてからしっかり旅支度を整え直して…と思ったのだ。
 がっかりしたのは、妖精の森の長老から、このところ妖精稼業も繁盛していて、雇えるのは5人までと言われてしまったこと。
── ああ、また調合遅れちゃうな。
 だからきっと今年の年越しも、調合をしている間にいつの間にか終える事になるのだろう。それでも少しでも作業が進めば、マリーが帰ってきたときに自信をもって迎えられるはずだ。
「あら、エリーちゃんじゃないの。お帰りなさい」
 寒さに震えて小走りに飛翔亭に入ってきたエリーを見て、最初に声をかけてきたのはロマージュ。今日は踊りのない日と見えて、肩から柔らかそうな毛織物を掛け、体を包み込んでいる。
「寒くなってきたわね。随分姿を見なかったけど、どこかへいってたの?」
「はい。妖精の森へ行ってたんです。妖精さんを雇いにいけるようになって」
「へぇ」
ロマージュは依頼書を熱心に見るエリーの横顔を窺って、用事を済ませた頃合いを見計らい、ここに座りなさいな、と自分の隣を指さした。「一人で行ってきたの? 誰も護衛に付かなかったみたいじゃない」
 心配で言った言葉に、エリーはなぜか眉を寄せ、暖めたシャリオミルクのカップを両手に包む。
「ロマージュさんまで。私ってそんなに頼りなさそうですか?」
「頼りない?」
「私、今ダグラスと喧嘩中なんです」
エリーの方から言われた言葉に眉をあげると、エリーは背を丸くしてほっと溜息をついた。「でも、喧嘩したのはもう1か月近く前だし、そんなにずっと怒っていられないし……けどダグラスには会いにくいし、なんだか疲れちゃって」
 一人で妖精の森を往復するのは確かに可能だったけれど、一人でいればそれだけ負担も増える。夜も焚火が消えないようにと浅くしか眠れないし、冬の寒さも身に染みて、その度に護衛を連れて行けと言ったダグラスの言葉を思い出した。冒険者としての経験が増えた今、4年前のあれはかなり無茶だったことを知る。
 そんなことをエリーはロマージュに話し、それからまた何を思っているのかため息をついた様子を見て、ロマージュは微笑む。
「喧嘩するほど仲がいいってほんとね。昨日ダグラスも来たけど、元気なさそうだったわよ」
 いつものように王室広報を張り替えに来たダグラスが、ちらりとカウンターを見ただけで、ロマージュのからかいにも応じず出て言ったことを伝えると、エリーは目を見開く。
「そうそう、少し前にはエリーはまだ帰ってこないのか、どうして誰も護衛につくって言わないんだ、ってうるさいくらい怒ってたわよ。勝手よねぇ。そんなに心配なら、自分がエリーちゃんに付いて行ったらよかったじゃない。……いくら武闘大会が近いからって、ねぇ?」
 ちら、と目を走らせた先に、今年の武闘大会は12月30日です、と書かれた張り紙が貼られている。
 はっとした顔をして、エリーが立ち上がる。
 ロマージュが微笑む前で、ポシェットから慌てた様にミルクの代金を出して、依頼書を詰め込み、振り返る。
「ロマージュさん、ありがとうございました! 今から城門にいってみま……」
 その時、飛翔亭の扉が開いた。
 そこにいたのは蒼い鎧を纏った、見間違えようのない聖騎士。何かに気を取られているように、外を見ながら入ってくる。
 エリーは驚いた顔をして、それから声をかけようと口を開く。
「ダグラ……」
「本当にこちらで宜しいのですか?」
 聞きなれた声が、固い言葉で誰かに話しかけている。その、誰かの姿がダグラスが抑える扉の隙間から飛翔亭に滑り込んでくる。ダグラスの蒼い鎧をつけた手に、手を重ねて。
「いいんです、ダグラス様がいつも通ってらっしゃるお店に来たかったんです」
 深い青のドレスを身に纏って現れたのは、この店に出入りする冒険者とも錬金術士とも明らかに違う、上流階級の身なりと物腰をした女性だった。
 女性は立ち尽くすエリーと、目を丸くしている飛翔亭の面々に気づくと、微笑んで軽く会釈する。
 するとカールさせた亜麻色の髪が、柔らかく額と顔の輪郭を縁取ってふわりと流れた。年は、ダグラスと同じくらいか、もしかしたらもう少しだけ下か。やせ気味ではあるが、ダグラスと並んでも似合いの、すらりと背の高い美しい人だった。
 彼女はじっと自分を見つめる飛翔亭の面々に、不思議そうな顔をして微笑んだまま小首をかしげる。
「! エリー! お前!!」
 逆に大きな声を上げたのはダグラスだった。
 店の中にエリーを見つけるなり、その怒鳴り声に驚いた女性の手を離し入口に置いたまま、大股でエリーに近づきその二の腕を掴む。
「帰ってたならなんで俺んとこに来ねぇんだ! 大体な、あれほど言ったのにお前ってやつは……」
 エリーはダグラスを見上げたまま、眉を上げて手を振り払う。
「離して」
「な……」
「どうして私がダグラスの所行かなくちゃいけないの?」
 いつもの口喧嘩とは違うひくい声に、ダグラスのもう一度エリーを捕まえかけた手も止まり、エリーはそのままダグラスの隣も女性の脇もすり抜けて、飛翔亭を出ていく。
 後に残ったダグラスはぽかんと口を開け、カウンターのディオとロマージュは呆れたため息を一つ。
「あの、ダグラス様?」
この状況をどう考えているのか、ダグラスのつれてきた女性が小首をかしげた。「申し訳ありませんが、腰を下ろしても構いませんでしょうか? それから、お水を……」




時は少しさかのぼる。
「はぁ? 護衛?」
 ちょっと待ってください、というようにダグラスから掌を向けられたエンデルクは、表情の一つも変えずに繰り返した。
「護衛だ。期日は本日から12月30日の夜まで。対象はフォン・リュトガース卿のご息女で、名はフロレットとおっしゃる。年は二十二、新年の催しにご出席のため、現在王宮に滞在中だが、市井を見て回りたいとのことだ」
「今日から30日までって。30日って言ったら」
 混乱している様子のダグラスが言いたい事を察したらしい。エンデルクは当然のように言った。
「いついかなる状況でも、常に最上の力を出し切れる形でいる事が、騎士としての心がけというものだ」
 暗に、練習不足で実力が出し切れないから断る、などということは絶対に許さないという声。
「……わかりました……」
 エンデルクの前を辞退したその足で、フロレット・フォン・リュトガースとやらを迎えに行く羽目になったダグラスを、扉の外に控えていた副隊長のアロイスが早足で追いかけてくる。
「仰せつかりましたね」
「どういうつもりだ、この時期に」
 舌打ちをしかねないダグラスに、アロイスはこの人はちっともわかっていないという顔をする。
「この時期だからでしょう。まさか巷の噂をご存じないので?」
「噂? ……ああ。今年はエンデルク様が優勝ってやつだろう? 毎年の事過ぎて涙が出るぜ」
 腹立ちまぎれに肩で風を切って王宮の廊下を行くダグラスを、女官が見つけて騒いでいるのが目の端に映る。アロイスは呆れた様に首を振った。
「違いますよ。あなたが錬金術士のエリーさんと別れたという噂のほうです……っいってぇ!」
突然足を止めたダグラスの蒼い鎧に体ごとぶつかる形になって、アロイスは肩を抑えて立ち止まる。「どうしたんですか、いきなり」
 ダグラスは振り返って眉を寄せ、何の罪もないアロイスを睨み上げる。
「別れた? 俺が? エリーと!?」
「そうですよ」
 痛めた肩を撫でながら、アロイスは頷く。
「詳しく話せ」
「話しますよ、そんな怖い顔しなくても」
 自分より十も年下のダグラスに、両手を上げて降参しつつ、アロイスは言った。曰く、一月近く前に、ダグラスとエリーが城門前で大喧嘩をし、その後会っていないらしい、つまり別れたらしいという噂が立っている事。
「だから、今がチャンスとばかりの勢いなんでしょうよ。あなたは若くてまだどの貴族とも懇意にしてませんし、ブレドルフ王にも目をかけられてる。それだけならエンデルク隊長も同じですが、あの人はああいう性質ですから、親しくなるになんの利もないというかむしろややこしいというか。だから……」
「ひと月位、いつもの事だろ……」
長く続くアロイスの意見も耳には入らず、ダグラスは自分の額に手を当て溜息を一つ。「とりあえず、分かった」
 あらぬ噂が立っても、自分では何も変えられない。
 大事なことは一つしかなくて、それは兎も角エリーが戻ってこないことにはどうにもできないのだ。
 再び廊下を歩き出したダグラスに、アロイスは『本当にわかってんのかな…』と言いながら付いて行き。
 そして、今に至る。





「少なくとも二人っきりではないのね?」
 夜になって、慣れない任務にげんなりした様子で飛翔亭にやってきたダグラスを、真っ先に捕まえたのはロマージュだった。
 昼間、あのお嬢様……フロイライン・フロレットという名前の女性は、飛翔亭の中をもの珍しげに眺め、出された食事を小鳥のようにつついて、再びダグラスを連れて出て行った。
 ロマージュはその時こそ何も言わずに二人の様子を眺めていたが、彼女はダグラスを傍に座らせて、あれは何、これは何と尋ねては、仏頂面のダグラスの横顔を覗き込み……ここにエリーが居なくて本当に良かった、という目と笑顔を何度となく見せた。
「当たり前だろ、相手は上位貴族のお嬢様だぞ。しかも、昼間だって店の外に護衛が二人とお付きが一人。だったら最初から俺を名指ししてくるの、やめてほしいぜ」
「………」
 目を細めてその様子を窺うロマージュに気付かず、ダグラスは冒険者の酒を……とディオに頼みかけてから、いいや、稽古があるから幸福のワインで、と言い直している。
「だったら断ればよかったじゃないの。……エリーちゃんの護衛は断ったんでしょ?」
 エリー本人から聞いた話を振れば、ダグラスは嫌そうに首を振り、パンをちぎってスープに付けると口に放り込みながら答えた。
「貴族様には貴族様の理由があるんだろ。俺は一応、腕だけで言うなら聖騎士の二番手ってことで名指しされてんだから断れねぇよ。もしエンデルク様が護衛に付けばもっと箔もつくらしいが、さすがにそれは無理だろ?」
 あの人も忙しいからな、とダグラスは自分で言ってから、確かにそうだと思い返す。
 自分のような小隊持ちは、隊員といくらでも剣の稽古もできるし、他にも時間がある。しかしエンデルクはといえば、王の側近としての仕事、隊長としての仕事、いったいいつ眠っているのかと思うことすらある。
「だから……あのお嬢さんの護衛は、エリーの護衛とは違うんだよ。任務なんだ」
 物思いにふけりながらも答えた言葉に、ロマージュは肘をついて一口酒を飲む。
「そうかしらね。護衛は護衛。何も変わらないと思うわよ。ところで……エリーちゃんの工房にはもう行ったのかしら?」
 尋ねた途端に、ダグラスの動きが止まったのをロマージュは見逃さなかった。
「まだなのね?」
「……これから行く。飯食ったら」
「あら。エリーちゃんの話をきくと、ご飯やら何やらいろいろとお世話になってたみたいじゃない?」
 ロマージュは『いろいろと』の部分に力を込めて言ったが、含んだ意味はダグラスには通じなかったらしい。
「喧嘩したときに、もう飯は作らないって言われたんだよ。忙しいからって」
 むっつりとしたダグラスの横顔に、ロマージュが言う。
「エリーちゃんは昔からずっと忙しいわよ。でもあなたの相手はちゃんとしてたでしょ? ……だいぶ怒らせたのね」
「……わかってるよ」
 少なくとも普段なら、4日もすればいつの間にか元通りなのに、今回は本当に長引いていて。
 思わず出たため息は、自分が思うより深刻そうに漏れた。
── 何が悪かったんだよ。
 分かった、と口で言っても、エリーが何であそこまで怒ったのか、昼間顔を見るなり飛翔亭を飛び出したのか、本当はいまいち分からない。
 そんなダグラスを見て、ロマージュは長い銀髪をさらりと掻き揚げ、言った。
「ダグラス、あなたねぇ……甘え過ぎなのよ、エリーちゃんに」
「甘える……って、俺が、あいつに? 逆だろ?」
「莫迦ね、逆じゃないわよ。両思いだからって甘く見て、お互い分かり合う努力を惜しむと逃げられるわよ」
 それでなくてもエリーちゃんは騎士隊から人気があるんだから、とロマージュは添える。
「え?」
 顔色を変えたダグラスに、ロマージュは僅かにしまった、と言う顔をする。
 けれど、話せと攻め寄るダグラスの勢いに押されて、しぶしぶ口を開いた。






- continue -




2013.01.26.




蒼太
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