妖精の腕輪 3


 そして、夜──。
 祭りの喧騒も過ぎ、もう今夜は来ないのかと思う時間に工房のドアを叩く音がして、新しいレシピをノートにまとめていたエリーはペンを止めた。
「よぉ、帰って来たぜ」
「お、おかえりっ」
 扉を開けダグラスの顔を見た瞬間、上ずったような声が出てしまったのに、ダグラスはまるで気づかぬ様子でエリーの脇を通り工房に入ってきた。
 そして、ダグラスが真っ先にしたことは、ほのかに頬を染めているエリーを抱きしめるわけでもなくキスをするでもなく、マリーがいないかどうかの確認だった。
「そっか、まだカスターニェか!」
 まだ戻っていないと伝えると、ダグラスはしてやったりと満面の笑顔を見せて、本当に久しぶりに食卓兼調合机の前に腰を下ろし、頬についた治りかけの傷を痒そうに掻く。
── なん…だぁ。
 そんなダグラスのいつもの様子に、気が抜けた。
 内心ほっとしながら、奥の小さなキッチンから食事を運び、呆れた様にため息をついてみせる。
「だって、行くだけで半月近くかかるのに、戻ってるわけないでしょ?」
「あの人の事だ、何か妙なもん作って移動しかねないだろ」
 その言葉に、それも尤もかもしれないと感心していると、ダグラスは食事がすべて並び切らぬうちから手を出した。
「これ、もらうからな」
「つまみぐいするの?」
 咎める様に言ってみたけれど、仕入れたばかりの麦を混ぜて焼いたパンは熱いうちがおいしい。けれど硬く仕上がって食べごたえのあるそれは、エリーがスープを温めて運んでくる間に皿の上から消えていた。
「そんなにお腹減ってたんだ」
 先に食事をとってしまっていたエリーは、びっくりしながらも机のそばにもう一つ椅子を引いてきて座り、勢いよく食事をほおばるダグラスの横顔に話しかける。
 まるでエリーの事など目に入っていないかのようだ。でも……
「ああ、ちょっと引き継ぎが長引いたからな」
 遠征の間に伸びてしまったのだろう長い前髪が、まだ濡れている事に気づく。
 多分、泥やほこりを落としてからここに来たのだろう。
── そんなの、気にしないのに。
 たとえ泥だらけの鎧姿のままで尋ねてきても、追い返したりしない。実際、今までは討伐隊の帰りには、そのままここに来ていたはずだ。
 そんなことを思いながら、なぜか、戻って来たダグラスと目が合った瞬間の、あの何とも言えない気恥ずかしさが、また込み上げてくるのを感じた。
 それに気づかれてはいけないような気がして、なるべくいつも通りに振舞おうとしたけれど、不意に食事中のダグラスが顔を上げ、こちらを 見た。
「何、見てんだ?」
── わっ…。
 蒼い瞳と目が合う。
 昼間のように、驚いたような目ではなくて、不審そうな様子で見返されて、エリーは思わず席を立ちながら言った。
「えっ…見てないよっ? あ、でも、パンのおかわりする? それともほかに何か食べたい?」
 慌てた様子のエリーから何を感じ取ったのか、ダグラスの目が細められる。
「飯はもういい……それより」
 立ち上がったエリーを逃がさぬように手首を捕まえて、引き寄せられ、後ろから抱くように膝の上に乗せられた。
「……っ……ダグラス!?」
「暴れるなって。前は良くこうしてただろ?」
 マリーが来て以来、こんな風に工房で触れ合うことはなかったけれど、確かに以前はこうしたことが良くあった。でも、それは『以前』のことで。
 『今』は。
「や、やだ! 恥ずかしいよ!」
「なんでだよ。マリーも妖精もいないだろ?」
 濡れた前髪をエリーの耳裏に押し付ける様に抱きしめてくる。
「なんでって……だって……」
 マリーは兎も角、妖精など居てもいなくても同じな癖に、と思いながらも、背中にぴったりと寄せられるダグラスの体の大きさや体温に、言葉が詰まる。
 だから口を閉じたまま、自分を後ろから抱くダグラスの掌を掴んで、解こうと指に力を込める。なのにダグラスは一層逃がすまいと力を込めてきた。
「うー…っ!」
「……一月ぶりなんだぜ? 迎えに出てくるとか、可愛い事しやがったくせに」
 暴れるエリーの耳裏でひくく囁かれたら、声の響きに体がぞくりと震えた。
「っ…ちがうよ、あれはたまたま買い物に」
「色気のねぇ事いうなよ。そういうのはだまってりゃいいんだって」
 勝手に勘違いさせてもらうから、と喉元から頬に手が伸びてきて、半身をひねるように振り返らされ、蒼い目と目が合う。どきりとして目を閉じれば自然に唇が重ねられる。
「……ん……」
 少しかさついた唇。触れ合ったまま、ダグラスの大きな掌が、髪を撫でてきて。目をあけると、いつの間にか横抱きにされ、頬の傷が目の前にあった。
「……怪我したの?」
「かすり傷だ」
 そっと伸ばした手で頬に触れると、ダグラスの手がそれに重ねられて。
 もう一度キスを。
 ……もう一度、もう一度。
 静かな工房に、最後はほんの微かな口づけの音が響くと、エリーは真っ赤になってダグラスの胸元に顔を隠す。
 ダグラスはそんなエリーの耳元に囁いた。
「エリー。二階行くか?」
 それにうなづくのが当たり前のような気がするのに、恥ずかしくて戸惑う。
 なのに。
 いつの間にか工房の明かりは落ちて、二階の小窓に灯がともった。




それから。
 更に一月経った12月1日。

「どう? おいしい?」
「んー……まあまぁ、ってところかな。俺は甘いもんそんなに得意じゃねぇし。でもまぁ、見た目が豪華だから土産にはいいんじゃねぇか?」
 引き割りの祝福の麦を甘いラクトースを煮詰めて飴状にて固めた、使った新しい食べ物『ウアラップ』は、紙職人に見繕ってもらった華やかな包み紙に包まれていた。
 エリーは見回りの途中で鎧姿のまま工房に寄ったダグラスのために、口直しのミスティカティーを淹れ直しながら、嬉しそうにうなづく。
「うん。材料が祝福の麦だしおめでたい時のためのものだから、綺麗に包んだらいいって、アイゼルがアドバイスしてくれたの」
「へぇ、あのお嬢がね」
「この間工房に行ってみたんだけど、すごく綺麗にしてて、家具もみんな白とピンクでかわいいの」
「へぇ」
 ダグラスは生返事をしながら淹れたてのミスティカティーの香りを確かめ口にする。
 討伐隊から戻った褒美として、勤務表に街周りの仕事が増えたこの一月の間、ダグラスは折を見てはエリーの工房に顔を出している。お互いの忙しさから長居することは無かったが、目の端をうろちょろとする妖精もいないし、マリーも未だカスターニェから戻らない。
 エリーはダグラスの食べ残したウアラップを一つつまんで口に放り込む。
「ん~、もう少し甘さを抑えてみようかな。それに飛翔亭のお仕事もあるし、妖精さんがいてくれたらもっとはかどるんだけど……」
 マリーからは、材料がいっぱいに詰まった箱が雑貨屋のオットー経由でひっきりなしに届けられている。中でもワルツ草は食べられる草らしく、祝福の麦と同じよようにラクトースと合わせて何か作れそうな気がする、とエリーは忙しそうだが楽しげだ。 「あんまり無理すんなよ。もう学生じゃねぇんだから」  そんなエリーの傍で、軽く注意しながらも、ダグラスはめずらしくゆったり二人きりの居心地の良さを満喫中。
 だから、今日も工房のドアをノックする音に、またマリーからの届け物か、と思う程度だったのだが。
「はーい、開いてまーす!」
 調合机で早速新しいレシピをノートに書き写していたエリーが、立ち上がって出迎えたのは。
「おねーさん、行商に来たよ!」
 エリーの背中越しに入口を見れば、そこには妖精がひとり、白い布袋を抱えて立っていた。
「パテットじゃない」
 驚いて屈み込んだエリーに、妖精はにこりと笑って抱えた白い袋の口を開きながら言った。
「お姉さん、妖精の腕輪を無くしちゃったんだって? しょうがないからまた持ってきたよ。はい、これ」
 そういって古びた腕輪をエリーに寄越す。エリーはそれを受け取りながら、ひどく嬉しそうに笑った。
「何で知ってるの? うん、そうなんだ。妖精さんを雇いにも行けないし、無くしてすっごく困ってたの、ありがとうパテット!」
「お礼なら……」
言いかけた妖精が、エリーの向こうに、苦虫を噛み潰したような顔のダグラスを見つける。「あっ! おにーさん! やっぱりおねえさんの知り合いだったの? なんだかおねえさんの匂いがした気がしたんだよね」
「同じ匂い?」
 エリーは驚いた顔をして、自分の腕に鼻を寄せて匂いを嗅いでいる。
「さあて、俺はそろそろ城に戻るかな」
 ダグラスはさりげなく立ち上がり、マントを付け直し。
「うん。お礼はあのおにーさんに言ってよ! こないだ森で助けてもらったんだ」
 エリーは驚いて振り返る。
「ダグラスったらそんなこと一言も言わなかったじゃない」
「……ま、まぁな」
 髪を掻くダグラスの様子に気づかず、妖精は脇をすり抜けようとしたダグラスを見上げてにこりと笑った。
「おにいさん! 約束通りひと月待ってから来たよ! これで助けてもらったお礼は返したからね」
「ひと月待ってから……?」
「あー……」
 不思議そうなエリーの前で、ダグラスは掌で顔を覆う。
 

 そんなダグラスの様子を見ていたエリーの顔が、不思議から気づき、気づきから怒りに変わる前に。
 早いところ逃げたい、とダグラスは思った。







- END -




2012.12.22.

オチは…オチが分かりにくくなかったかと心配。


蒼太
Page Top
inserted by FC2 system