はじめのいっぽ 4




「ダグラス」
「よぉ、遅かったみてぇだな」
 ランプを手に急いで静かに階段を駆け下り、扉を開けたエリーの目の前には、いつもと変わらない黒のタートル姿でダグラスが立っていた。
「きてくれたの?」
 こんなに遅くに? と言った自分の声が、思ったよりずっと弾んで聞こえて、エリーは慌てて声を潜めた。
「来るって言ったろ……まあ、お前が起きないようなら帰ってたろうけどな」
 その言葉に、エリーの笑顔がさらに深くなる。
 ダグラスはその笑顔に少し照れくさそうにしてから、改めてエリーを見た。
 風呂上りなのか、ランプの明かりでも髪が濡れているのが分かる。ダグラスは耳を軽く掻くとエリーから目を逸らし、言った。
「……マリー、帰ってきてるんだろ?」
「あ、うん。二階で寝てるよ」
 エリーはうなづき、ダグラスを中に招き入れようと一歩後ろに下がったが、ダグラスは首を横に振ってそれを辞す。
「明日はまた朝早いからな。すぐ帰る」
「すぐ?」
 思わず聞き返したエリーの顔を、ダグラスがまじまじと見返してくる。
 それから微かに笑って、内開きの扉に体を預けた。
 『少しは時間がある』の合図のようなそのしぐさに、エリーはまた笑顔になって、支える必要の無くなった扉から手を離し、通りに面した窓の縁にランプを置いた。
 ほのかな明かりが、窓越しに外の石畳を照らす。
 ダグラスの背中には街灯の明かりが明るく落ちていて、そんな場所に立ったままでも彼がゆったりと気を抜いているのがわかり、エリーも嬉しくなった。
「ね、今日ね。私お城の城門に行ったんだよ。でもダグラス、いなかったね」
「ああ、知ってる。帰り際にアレ先輩に会ったからな。ちょうど交代だったんだ」
 他愛もない事を離しながら、二人は向き合って立っていたが。
 徐々に、会話の間が開いてくる。
 なぜかわからないけれど、ダグラスが、エリーをじっと見て相槌を打つばかりで、話そうとしないから。
 蒼い目で見つめられ、落ち着かなくなってきたエリーは視線を落とし、ダグラスの足元に目をやりながら、尋ねた。
「……あ、あの……何? どうしてそんなに見るの?」
なぜだかダグラスの顔が、見られなくなっていく。会えて、あんなに嬉しかったのに。「あの……待たせてたのかな。ごめんね…今日、忙しかったの」
「べつに待ってねぇよ。俺も飯食ってて遅くなっただけだ」
 その言葉に顔をあげ、もう一度目が合ったが、別に怒っているわけでもなさそうなのに、あまりにも強く見つめてくる視線に、エリーまた、ぱっと視線を逸らす。
 何を言おうとしたのか、思い出せずに混乱する。ダグラスと話しているというのに、何を言っていいのかわからなくなるなんて。
 けれど、話さずにいて、もっと会話の間が開いてしまったら、きっと、今思い出したら恥ずかしいことを思い出してしまう。そう思って、エリーは両手の指先を絡ませながら、言葉を続けた。
「えっと…ダグラスは、昼に大門にいた? あ、でもきっと気のせいだよね。今日の午後は内勤だって言ってたもんね」
 下を向いたままなぜかとても早口になってしまって。声も上ずって。
「エリー」
 ぐい、と顎先を捕まえられて、顔を上げさせられたのはその時だ。
 びくり、と体が震えて、固まったのを感じた。
 ダグラスと目があいそうになって、咄嗟にギュッと目を閉じてしまう。なぜそんな風にしてしまうのか、自分でもわからないままに。だが。
「話すときはちゃんと人の目、見ろよ」
 言葉と同時に、ダグラスの手は、おまけのように額を突いて離れた。
「えっ、あ?」
 エリーは弾かれた額を掌で覆いながら、そっと片目ずつ目を開けて、ようやく正面からダグラスに向き直った。からかうような調子で腕組みをした、いつも通りのダグラスがそこに立っていた。
 なぜかほっとして、肩の力が抜ける。
「あんまり警戒、すんな」
「警戒? 警戒って何を……」
 言いかけた所に、覆いかぶさるような影と、唇に少しかさついた温かい感触。
「それから、無防備過ぎだ。そんな恰好して出てこられたら、こっちが困る」
 ダグラスの顔が離れ、不意打ちのキスをされたとわかるまで、ぽかん、としていたエリーは、その言葉を理解するとはっとして自分の姿を見直した。
 白いシャツはゆったりとした形だったが、柔らかな素材が体の線を浮き上がらせ、しかも窓際に置いたランプが、微かにそれを透けさせる。
「きゃあ!」
 エリーは短く叫ぶと、ダグラスから見られないように両手で胸元を抱き、ドアの陰に逃げ込んだ。
 くっくと笑う声がドアを隔てて聞こえて、顔を真っ赤にしていると、そのドア越しに声が聞こえた。
「これが、ついこの間まで同じような格好で俺の前をうろついてたヤツと同じかねぇ?」
 言われてみれば、ロブソン村では何も考えずにその調子でいたかもしれない。でも。
「あ、あの時はあの時だもん!」
「今は? どう違うんだよ?」
 からかうような声がして、エリーは思わず言い返す。
「ダグラスのせいなのに!」
叫んだ台詞の答えは、ドアの向こうの沈黙だった。いつまでたっても返事がないことに心配になったエリーは、そっと扉の向こうを覗こうと背を伸ばす。 「ダグラス……?」
 だが、大きな手のひらが、そんなエリーの頭を少々乱暴に押し返した。
「な、なに?」
「……いいからそっち側にいろ。見られるの嫌なんだろ?」
 ドア越しに背中を預ける気配。エリーはそのドアに同じくそっと背を預けた。
 伝わらないはずの体温が伝わってくる気がする。
 それからまた少し話をした。いつもとは違う、胸の鼓動を感じながら。
 昼間どうしていたか、誰と出会って何を思ったか。それだけで、会っていなかった時間が埋まっていく。
 そして、話をしながら、どちらともなく扉の端に手が伸びて、手を握った。
 後ろ手に絡まる指先から、本当の体温が伝わってくる。
── 私……。
 エリーは、自分の指先にダグラスの指先を感じながら、そっと、頬を染める。
── 俺は……。
 ダグラスは、自分の指先にエリーの細い指を感じながら、軽く耳を掻く。
 だいぶ、お互いに会いたかったらしい。
 多分、すごく相手が好きらしい。
 軽く握っていた手に、少しずつ力が入っては、ゆるんで、それからまた握り直す。
 いたずらするように。
 一日会えなかった分が、満ちる様に。





 やがてダグラスが、扉越しに言った。
「そういえばな、しばらく護衛には付き合ってやれないかもしれないから、先に言っておく」
 「え?」
 突然の言葉を聞き返すために体を返して扉の端に寄ると、ダグラスも扉から身を起こし、こちらを覗き込んだところだった。
「秋の魔物討伐の準備もあるんだが、今度の騎士隊登用試験の試験官も掛け持つことになった」
「とうようしけん?」
 体は扉の陰から出さずに首だけかしげて尋ね返すと、ダグラスは面倒そうな様子で頭を掻いた。
 昼の話し合いの席で、エンデルクはダグラスにその役目を割り振った。ダグラスとしては小隊の訓練もあるところに更に降ってわいたこの話は、迷惑に近かったのだが。
「まぁつまり、入隊希望で集まってきたやつらの剣の腕前を試して、出来のいい奴だけ残すってことだ。もちろん最後は隊長が直接試すんだけどな」
 合格した奴らを訓練して、秋の討伐隊に連れて行くことになる、とダグラスは言った。
「ふーん……なんだか、大変そうだね。でもそれって去年の武道大会で優勝したせい? あ、じゃあ、ダグラス今年は秋の討伐隊にも出るんだね。それまでに何か作れるかなぁ」
 討伐隊の度に渡すのが恒例となっている回復アイテムの事を思いつつ、エリーはつぶやいた。だが、討伐隊が出ればしばらくは採取も安全にできるな、などと考えていると、扉から流れ込んでくる夜の空気に、体がぶるりと震えた。
「……大丈夫か?」
 肩ごしに目を合わせ、ダグラスが尋ねてきた。
「ん? 大丈夫だよ。そんなに寒くないもん」
「莫迦……違う。……俺が護衛につかなくても、平気かって聞いたんだ」
 ひくく潜めた声と共に、蒼い瞳がじっとエリーを見る。途端に、先程まで感じていた気恥ずかしさを思い出してしまって、エリーはぱっと扉の後ろに隠れた。
「う…うん。まだ遠くには行かない予定だから、大丈夫だよ。ハレッシュさんだって……」
いるし、と言おうとして、彼がもうザールブルグにいないことを思い出す。「ルーウェンさんもロマージュさんもいるから」
「……そうか」
 声に、安心したような残念そうな響きを感じ、エリーはまだ握ったままの手を、少しつよく握り返した。すると、後ろからダグラスの声が続く。
「あんまり危ないところに行くなよ。お前、採取に夢中になると周りが見えなくなるからな」
「……うん」
「それから、工房にはしっかり鍵かけろよ」
 昼間、あの人が来ただろ? と釘をさすように言われて、それはまだ鍵が、と反論しかけたエリーだったが、代わりに小さなくしゃみが一つ出た。
「もう、上に戻ったほうがいいな」
 後ろから声がして、ダグラスは最後にエリーの手を軽く握るとそっと離してしまった。
 温かかった掌がすっと夜風に冷たくなったことに、エリーは一瞬手を伸ばしかけたが。
「ダグラス」
 名前を呼んで、再び扉の端から顔を出せば、ダグラスも同じくそうしてくる。
「おい……そんな顔すんなよ。まぁ、なるべくこっちに顔は出すつもりだし、飛翔亭にだっていく」
 顔を見合わせたとたんにそんなことを言われて、エリーは自分の眉がハの字以上に下がっていたらしいことを知る。
「城門警備のシフトも変わりないはずだから、お前、何かあったらちゃんと俺の所に来いよ。……アレ先輩じゃなく」
「え?」
「じゃあな。おやすみ」
 最後は早口で聞き取れず、エリーは聞き返したけれど、ダグラスは特に言い直すこともなく、支えを無くした扉がゆっくり閉じそうになる。
「え、あ、ダグラス!」
 エリーはとっさに扉の陰から出ると、ダグラスの服の端を掴んでその顔を見上げた。
 どうしてか驚いたような顔をしたダグラスが目の前にいる。
「も、もう帰っちゃうの……?」
  ダグラスが、多分自分で考えていたよりも長く、ここにいてくれたことはわかっていた。夜明けまでには城に行かなくてはいけないのに、今はもう夜中に近い。
「エリー……お前、な」
 自分から目を逸らして耳を触るのは、照れた時のダグラスの癖だ。そんなことをぼんやりと思ううち、強く、両腕を引かれた。
 次の瞬間には、暖かな腕の中に抱きしめられていて。耳元に唇が押し付けられた。
 そして微かに、エリーにしか聞こえない声で、二言、三言囁く。
「え……?」
 そのまま腕の中に抱きこまれ、エリーは初めて、ダグラスの心音の速さに気づく。
 今言われた言葉の意味を、エリーはしばらくそのまま考えていたが。
 意味に気づいた瞬間に、エリーの顔に朱が上り…それから、無意識にダグラスの背に回そうとしていた手が、ぎゅっと拳に握られる。
「………ダグラス!」
 腕からすり抜け、たくましい胸を叩こうとしたときにはもう、ダグラスは、笑い声をこらえながらエリーを離した後だった。
「また来る」
 いつものようにそう言って帰っていく背中を見送り、残されたエリーはといえば、頬を染めたまま、ランプを持って二階に上がるしかなかったのだが。

 
 何も知らぬままぐっすりと眠りこんでいるマリーの隣に横になりながら、明日からまたきっと、忙しい一日が始まるのに……こんなに心臓がどきどきしたまま眠れるのか、とそう思った。







- end -



2012.8.25.


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