はじめのいっぽ 2





 遠目にその青い鎧を見た時に、あ、違うなと思って、エリーは走り寄る足を緩めてしまった。
「あの、ダグラスはいますか?」
 それでも、遠慮がちに声をかけると、この暑さの中で汗ひとつかかず、爽やかと言ってもいいほどの様子で立っていた彼は、おやという顔をして振り返り、微笑んだ。
「居ますよ。今は内勤に戻ってしまいましたが」
「あ、じゃあ、あの……」
 すらりと背の高い金髪の騎士を見上げ、ダグラスを呼んでほしいと言いかけて躊躇う。
── 最近忙しいって言ってたっけ……。
「どうしたの?」
 柔らかい物腰で尋ねられ、エリーは顔を上げた。
「あの、飛翔亭で喧嘩が…というか、もう少しで喧嘩になりそうなんです」
 言いながら、眉をハの字に落とした。
 まだ起きていない騒動を止めに来てくれるほど騎士隊も甘くはない。だから、やはりダグラスを呼んでもらおうと口を開きかけたが、門番の彼は軽く頷いてもう一人の門番を呼んだ。
「今から飛翔亭に行ってくるから、もう一人呼んで警備を続けて」
 どうやら少し位の高い人らしい。とエリーは気づいて改めてその人を見た。よく見ればダグラスのものよりも、鎧の装飾が細かく豪華に見える。
「飛翔亭と言うと…クーゲルさんのお店だね」
「クーゲルさんをご存じですか?」
「お名前はね」
 警備に人がやってきたのを見届けると、彼は小走り気味のエリーに軽々とした足取りでついてきた。
「君は職人通りの錬金術士さん……だよね。ダグラスの……」
 ここでもダグラスの、と言われてエリーは少し困ったような照れくさそうな顔をした。それに気づいたか、彼は言葉を足してほほえんだ。
「僕はよく謁見室にいるんだけど、覚えてるかな。何度か君を見たことがあるよ」
「え…っと…?」
 エリーは彼を見上げて小首をかしげた。謁見室にはそう何度も入ったことがある訳ではない。入るときにはいつも緊張しているから良く覚えていない。
「うん、いいんだよ。でも、そのうちに工房にお邪魔するかもしれないから、よろしくね」
 そんなことを話しつつ、飛翔亭に向かった二人だったが。


「エリーちゃん、ごめんなさいね」
 飛翔亭に着いたとき、そう手を合わせて謝ってきたのはロマージュ。それから、緑のバンダナを巻いたルーウェンがいて、カウンターのそばに散ったガラスを、クーゲルと共に片づけていた。
「君が行ってからちょうど俺が戻ってきたんだ」
 ルーウェンは、エリーの隣にいるのがダグラスではないことに一瞬いぶかしげな顔をしたが、続けて言った。「あの二人の殴り合いだろ。止めに入るのが大変だったよ。ロマージュ一人のときじゃなくてよかったけど、エリーにもそっちの人にもすまないことしたな」
「大丈夫だったんですか?」
「まぁね、多少は殴られたけどね」
 ルーウェン自身も二、三発食らったらしい。頬が赤みを帯びているのを見て、エリーはロマージュを心配そうに振り返るが、ロマージュが軽く首を横に振った。
「大した事ないわ。でも、マスターがふて腐れて、奥の部屋に閉じこもってしまったのよ。機嫌が直るまでは出てきそうにないわ」
そして、エリーの後ろの立ち、様子を見守っていた金髪の騎士に向かってすまなそうに微笑む。「呼び出してしまって申し訳ありませんが、こんな様子で」
 騎士は、ロマージュの微笑みを向けられたにも関わらず、頬を染めることなくただうなづいた。
「ならば私は任務に戻ります」
そしてエリーに向かって、気を悪くした様子もなく微笑む。「何事もなくてよかったね」
 これがダグラスだったなら、文句の一つや二つ言った上に、ディオを引っ張りだそうとするに違いない、とエリーは思ったが、金髪の聖騎士は、カウンターのクーゲルのほうへと向き直った。
「クーゲル先輩、また後ほど、お邪魔させていただきます。……では」
 クーゲルは、どうやら金髪の騎士の事を見知っているらしく、だがいつにも増しての仏頂面のまま、頷いただけだった。
 騎士がいなくなり、重い扉が閉まると、ルーウェンが言った。
「あれは誰だい? てっきりダグラスが来るかと思ったよ」
「門番さんみたい……ですけど、普段は謁見室にいる方みたいです。ダグラス、門の所にいなくて」
 確信が持てずにエリーが言うと、カウンターでグラスを拭き始めたクーゲルがつぶやくように言った。
「あれは、アレだ」
「ん? 何? クーゲル」
 ロマージュが振り返る。が、クーゲルは「アレだ」と短く言うばかり。
「だから、何だって?」
 ルーウェンが再び尋ねると、クーゲルはため息をついて答えた。
「あれは、アレ・キスリングという名の聖騎士だ。王付きの親衛隊で、なかなか腕の立つ男だが……」
 そこまで言われて、皆、ああ、なるほどと言う顔をする。クーゲルが言葉を濁したのには気づかずに。
「ところでお嬢さん、依頼の確認に来たのかね」
 言われてエリーは漸く自分が採取籠を持ったままうろついていたことに気付いた。
「あ、はい。そうなんです」
「今日はディオからの依頼は紹介できないが、いいかね」
 そのあと見せられたクーゲルの依頼を見て、エリーはついため息をついた。
 クーゲルの顧客は、貴族や金持ちばかりだ。
 彼がどうやってその依頼を受けてくるのかは謎だが、今のエリーの工房の機材では、質のいいものが作れそうにない。
── ディオさんが復帰してくれないと、すごく困るなぁ……。
 だが固く閉じた奥の扉の向こうは、物音一つしない。クーゲルの依頼は諦めて断り、また明日来ると伝えて飛翔亭を出ると、後ろからロマージュに呼び止められた。
「エリーちゃん」
振り返ると、ロマージュはいつものように綺麗に唇の両端を上げて微笑んで言った。「今日から工房も再開ね。開店…って言っていいのかしら? おめでとう」
 ロマージュに言われてそういえばそうだったと思い出し、エリーはにこりと笑って礼を言う。
 だが、彼女は飛翔亭の中を気にしながら声を落としてエリーに言った。
「ねぇ、お店が軌道に乗ってからでいいんだけれど……良ければ、作ってほしいものがあるの。危険から身を守れるお守りがあったらいいとおもって」
 それを聞いて、エリーが驚いたようにロマージュを見た。
「ロマージュさん、もしかしてまた旅に出るんですか? この間帰ってきたばかりなのに」
 ロマージュはそんなエリーを見て、意外そうに笑って見せる。
「あら、それが採取に出てばかりのエリーちゃんが言う台詞かしら。……そうね、旅にはそのうち出ることになるでしょうけど、でも、今回の依頼は私のじゃないわ。ルーウェンのよ」
 そこまで聞いて、エリーははっとして閉じた飛翔亭の扉を見た。
 確か、両親が見つかったと言っていたはずだ。散りじりになった村人が集まって、ザールブルグの東に新しい村を作り始めたと。
「ルーウェンさん……もしかして」
 行ってしまうんですか? と、目の前の、その恋人に聞くことができずにいると、彼女は軽く首を横に振っただけで何も言わなかった。
 代わりに、エリーの耳元にふと目をやって、はぐらかすように尋ねる。
「そういえば、そのイヤリングどうしたの? 前のに戻ってるじゃない」
 言葉通り、エリーの耳元には元の緑の丸いイヤリングが揺れていた。
 とたんにエリーは顔を真っ赤に染めて耳元を抑え、掌でそれを隠す。
「…っ、あ、これ…これは……その、無くしちゃったみたいで」
「なくしたの? 昨夜はしていたわよね。ご両親から頂いたんでしょう? 大変じゃない」
 エリーの動揺を不思議そうに見ながら、ロマージュは腰に手を当てる。
「昨夜……工房に着くまではあったと思ったんですけど……だから、多分工房に……」
 しどろもどろのエリーを見て、ロマージュの目が細められる。
「昨夜、ねぇ……」
 じーっと見つめられて、エリーは真っ赤な顔をしたまま、目を逸らした。
「わ、私採取に行くんでした! じゃあ、また、ロマージュさん!」
 ぱっと踵を返して駆けていく後ろ姿を見送って、ロマージュは訳知り顔に笑った。







「あいつ…どこいく気だ?」
 シグザール城内、王の執務室に控えているはずのエンデルクに報告をしに上階までやって来たダグラスは、窓の外から見降ろせる広場を、オレンジ色の細身の姿が駆けて横切って行く姿を見つけ、思わず声に出してつぶやいていた。
 だいぶ遠目だったにもかかわらず、それがエリーだと分かった自分に、気恥ずかしさを覚えながらも、足を止めて窓の外を見遣る。
「開店したばっかりだろ……忙しい奴だな」
 今日は無理をするなと、今朝言ったばかりなのに。
 籠の他には大きな荷を背負っていないし、夜は会う約束をしているのだから、行き先は近くの森だろう。例の杖は持っているようだから、危険はなさそうだとその背中を見送る。
 以前はずっと頼りなかったエリーだったけれど、近頃はずいぶんたくましい。
 軽く頬をなでて、ダグラスは少し考える様子を見せると、控えの間に急いだ。
 この報告を終えたら下に戻って、来月の討伐隊に向けて武器庫の整理の予定だ。先日の事件のせいで在庫がぐんと減っているから、質のいいものをエリーにも依頼したいところだが、店があの様子では間に合いそうにない。
 そんなことを考えながら、控えの間の小姓に呼び出しを頼むよりも早く、執務室の扉が開き、出てきたのは当のエンデルクだった。
「ダグラス」
 ひくく良く響くが、どこか焦ったような声で名を呼ばれる。要件は聞く前に分かった。エンデルクがその顔をしてダグラスを呼ぶのはいつも同じ理由からだからだ。
「王が、街に出られたようだ」
 また、と頭に付けなかっただけでも、大したものだとダグラスは思う。
 それに、エンデルクの目を盗んで外に出られるブレドルフ王と言う人は、実は相当の手練れなのではないか。
「まずは市場をあたる。念のため大門と職人通りも見に行くように」
 ダグラスは、いつものように指示を与えてくるエンデルクについていきながら、はたして夜までに見つけることができるだろうかと、こっそりため息をついた。







「ふぅ〜 ……暑いなぁ…もぉ……」
 何か冷たいアイテムを作ろうと、毎年夏になるたびに思うのに、依頼の多さに負けて新しいアイテムを作りだし損ねてきた。
 今年はマリーもいることだし、本の執筆も兼ねて何かチャレンジしてみよう……そう思いながら、エリーは採取籠に摘み取った魔法の草を入れる。夏の日は長くて、森の中はまだまだ明るかったが、久しぶりの採取でも手は作業を覚えていたようで、木の影が長く地面に延び始める前に、籠はいっぱいになった。
「うん、よし。これ位でいいかな」
 籠を背負い直し、立ち上がって額の汗をぬぐうと、その視線の先に、街を囲う城壁が見えた。
 思っていたよりも街の近くに戻っていたらしい。
「ん? あれ…?」
 と、大門の脇に開いた大穴の向こうに、ちらりといつもの蒼い騎士姿を見かけた気がして、目を細める。
「ダグラス!」
 思わず声をかけたが、その騎士は振り返らない。
 さすがに距離がありすぎただろうかと思ううちに、その姿はどこかにきえていた。
 今見えるのは、蒼い鎧の騎士は、昼過ぎに大門を出るときに見た、いつもの警備員だけだ。
── ダグラスだと、思ったんだけどな……。
 見間違いかと思った瞬間、夏の暑さとは別に、またほんのり頬が染まる。
 だがダグラスは夜まで内勤のはずで、ここにいるわけがない。
 エリーは頭を振って街に戻ると、採取してきた材料を置くため、外の暑さにため息を付きながら工房に入った、の、だが。
 部屋の隅、調合机の前に誰かがいる。
── 泥棒?
 では、なく。
「や、おかえり。鍵がかかっていなかったから、上がらせてもらったよ」
「王………っ…!」
 様、と、言う前に、口を閉じられたのは幸いだったと思う。
 いつもなら、謁見室の奥の豪奢な椅子に腰かけているはずの男性が、なぜかのんびりと工房の椅子に腰かけていた。
 驚きのあまりに取り落しかけた籠を抱え直し、エリーは咄嗟にあたりを見回したが、いつもついているはずの黒髪の騎士の姿はない。
 工房の扉を閉め、ただにこにことしている彼に歩み寄り、エリーは籠を下ろすと尋ねた。
「どうしたんですか、こんなところで。植物栄養剤なら、まだ作れないですよ」
 少し慌てているエリーに比べ、ブレドルフはのんびりと立ち上がり、工房内をもの珍しそうに見回してから、言った。
「どうしたもこうしたも。今日が開店の日だって聞いていたから、お祝いにね」
 ほらこれ、と差し出された大きな包みには、そのものが値打ちのありげなリボンが丁寧に掛けられていた。少しぽかんとしたままエリーがそれを受け取ると、ブレドルフ王はそんなエリーを見て笑う。
「君が宮廷への誘いを蹴って進む道だからね。応援しないと」
 その言葉が本気なのか厭味なのか、エリーにはわからなくて、あいまいに笑いを返す。だがブレドルフはそんなエリーの様子には気づかぬふりをして、手渡したものを開けるよう促した。
「これは……?」
「喜んでもらえると思うけれどね」
 思ったよりも重みのある包みを、一旦机の上におろし、ブレドルフのほうをちらちらと見ながら開ける。
 と、そこに入っていたのはいかにも高級そうなティーセット。銀のスプーンとフォーク、それから波打つ縁取りには金が惜しげもなく使われている。
 エリーは目を丸くして顔を上げた。が、嬉しそうにしているブレドルフを見ると、出そうになったため息を飲み込んで、礼を言った。
「……ありがとうございます。でも、お戻りにならなくていいんですか?」
 きっとエンデルク様が、と言いかけたところを、ティーカップを手に微笑まれた。
「実はお茶の葉も持ってきたんだ。まさか、この暑い中をこのまま帰らせたりしないよね」



- continue -



2012.07.21.


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