一宿三飯。  3


「なんだ、マリーの奴まだ寝てんのか」
 夜になって工房にダグラスがやってきた。ろくに食べるものもないエリーを心配してのことだ。
「うーん、ゆすっても起きないんだよね。ご飯だけはちゃんと食べるから心配ないと思うんだけど」
 叩き起こしてやろうか、というダグラスを慌てて止める。
「い、いいから行こうよ。きっと帰るころには起きてるって」
「どうだかな」
 呆れ顔でダグラスが言う。
 エリーは工房に鍵をかけ、夜風の涼しい外に出ると、相変わらず宿屋の娘にもらった服のまま、ダグラスと並んで職人通りを歩き、尋ねた。
「ねぇダグラス、ダグラスはもし私が宮廷魔術師になったらどうする?」
「ばっ…あんま大きな声でそんなこと言うな」
 街はまだ人通りも多い。
 行き交う人々が、ダグラスの声のほうに反応して振り返る。
「どうして?」
 不思議そうな顔をしてエリーが首をかしげると、ダグラスは腕を組み、訳知り顔で言った。
「つまりだな。宮廷魔術師ってのは、政治に関わるポジションだからだよ。王にアドバイスする立場でもあるし、国の行方を占ったり予言したりすることもある。騎士隊の戦略会議にだって出席するしな」
「えっ……私そんなのできないよ!?」
「だから何年か見習いをやれってことだろ。……大体、なんでお前、王の私室まで呼ばれたと思ってんだ。あれは、内々の話だったからだぞ。もし謁見室で同じ話をして、お前が次の宮廷魔術師候補だって公に知られたらどうなると思う?」
 エリーは小首を傾げて少し考えた後、分からない、とのんきに言った。
「知った人間がお前を調べるとするだろ。そしたら本人はアカデミー上がりの世間知らずのペーペーだった、ってわかったら……」
「な……なめられちゃうってこと?」
 エリーは青い顔をして言ったが、ダグラスは畳み掛ける様にして言った。
「なめられるどころか、宮廷に上がる前から散々な目に遭うかもな」
「ひゃ……」
 エリーの脳裏に、賄賂とか黒幕とか陰謀とか毒殺とか、そんな小説で読んだことのある単語が次々並ぶ。それもあながち間違いではなかった。ダグラスが一緒に呼ばれた理由は、もしエリーがその道を選ぶなら、守れ、と、そういう意味だからだ。
「ど…どうしよう、そんなこと考えてもみなかった」
 おろおろとするエリーを見て、ダグラスは少しだけかわいそうになり、いつもの輪っかの無い頭をぽんぽんと撫でる。
「ま、俺やエンデルク隊長や、王様もいるからな。そうそうそんな目に合わせやしないし……いいことだってあるぞ。対外政策の要でもあるから、いろいろな国に行って美味いもん食べられるかもしれないし」
「それだって毒入りかもしれないんでしょ?」
 妙な連想をして、毒入りチーズケーキなんて嫌だ、とエリーはつぶやく。
 ザールブルグとドムハイド王国の関係は、エリーが覚えている限り安定している。だがほんの少し前までは戦争状態にあったし、今の宮廷魔術師イェーナーは、一件おっとりした外見の女性だが、その時代から魔術師として第一線を受け持って来た人物なのだ。
「………やっぱり、宮廷魔術師には向いてなさそう…」
「ま、もうちょっと考えろよ。時間はまだあるんだからな」
 しおれたエリーを先に通そうと、ダグラスは飛翔亭の扉を開けながら言った。
 だが顔を上げたエリーは、ぽかんとそこに突っ立って、そこから先へ行こうとしない。
「…? エリー?」
 視線の先を追う。
 そこには、いつもの飛翔亭の喧騒はなく。
 しん…と静まり返った室内と、酔客やディオやクーゲルやフレアたちが、ぽかんと口を開けている光景があった。
 ダグラスは、その視線の先を見ようと、扉から身を乗り出して中を覗き込む。
 と、そこには。
 ルーウェンの首に腕を回したロマージュと、そのロマージュの細腰を抱き……口付けているルーウェンの姿があった。




「変なとこ見られちゃったなぁ……はは…」
 頬に十字の傷のある男は、だいぶ土埃に薄汚れていたが、宿場で会った時と同じように暢気な笑顔で、エリーたちのテーブルに座っていた。
 先程の刺激的な一場面は、焦ったダグラスがエリーの目を掌でふさいだものの、エリーはもちろんダグラスより先にばっちりそれを見てしまっていて、今はルーウェンの顔がまともに見られないらしく、もじもじしながら下を向いている。
 ダグラスから見たルーウェンという男は、人懐こくて調子はいいが、笑顔の裏では、どこか懐深くまでは人を寄せ付けないところのある男だった。
 それがきっと、生き別れた両親を探しているせい……孤独、というものの影だったのだろうと、彼がいなくなってからそう思った。
 冒険者とは、流れ者・浮き草・自由人。
 ハレッシュのように、一つの街に居続ける者ののほうが珍しい。
 いつも居所を探している。
 そのせいか、独りが当たり前の男だと思っていた。
 ダグラスは肘をテーブルについて、フロアで踊るロマージュと、目の前の男を見比べる。
 そうしているのは何もダグラスだけではなくて、飛翔亭の酔い客たち──ロマージュが目当てだった──の視線も同様だ。
 だが、ロマージュはもう、まったく何事もなかったかのようにいつも通りに踊っている。
 楽隊も気を取り直して、普段通りの演奏。
「なんで連絡しないのかって、いきなり平手打ちだよ……。それもこれもマリーのせいだよな」
 はは…と笑うルーウェン。
 マリーの騒動に関わったせいで、ルーウェンだけが数日遅れての帰還になったのだ。
 飛翔亭の扉を開けて、目が合うなりの行為だったようだが……それがどうしてキスシーンにつながるのか。
「いつからお付き合いしてたんですか?」
 エリーはとうとう好奇心に負けて身を乗り出したが、ルーウェンは頬を掻いて、何でもない事のように答える。
「付き合うっていうか…うーん、君らに雇われてこっちに戻ってからすぐだったかな」
「それって、一年以上も前の話じゃないですか!」
 なんで黙ってたんですか、という言葉に、聞かれなかったからなぁとルーウェンは言う。
 ダグラスは何も言わずに、自分たちばかりからかわれていた日々を思い出して、苦虫を噛み潰している。
 そしてエリーは、ルーウェンが旅に出たと伝えた時の、ロマージュの様子を思い出していた。
 驚いたような彼女の、あの一瞬の間。
「……ロマージュさん、驚いてましたよ。帰ってきたらルーウェンさんがいなくて」
「それは、お互い様だったと思うんだよなぁ。俺だってあいつが急に帰ってこなくなって、驚いたんだから」
「手紙くらい」
 エリーがロマージュの代わりにルーウェンを責める。
「と、いわれても、どこに出したらいいのかもわからなかったんだから」
 ロマージュは旅に出て、その間にルーウェンもいなくなったのだ。
「……何の話してるの?」
 するり、と銀色の影が、三人のテーブルに滑り込んできた。
 楽隊の音は止み、休憩に入ったロマージュが一息つきにきたのだ。
 頼まずともクーゲルがヘビの酒を持って出てきてロマージュの前に置く。
「ルーウェンさんが、連絡もしなくてひどいって」
「うーん。そうね。ひどかったわね。……でも、仕方ないわね」
 ロマージュは形のいい唇で弧を描いて微笑む。
 エリーが驚いていると、ルーウェンは自分の頬を掌で抑えて、眉を寄せて見せる。
「俺はついさっき平手打ちされた気がするんだけどな。…まだ痛い」
「それとこれとは別なの。ごめんなさいね」
 テーブルに肘をついてルーウェンと話す様子は、まるで以前の二人のままだ。とても付き合っているとは思えなくて、エリーは不思議に思う。
 そこへ、ようやく口を開いたダグラスが尋ねた。
「ところで、……俺から聞くのもなんだが、結局あんたは家族を見つけられたのか?」
 ロマージュの微笑んでいた唇が僅かにこわばったが、そこにいた誰も気付かなかった。
「ああ…」
ルーウェンはロマージュの方を見ることなく、少し照れくさそうに笑って言った。「見つかったよ。ここから少し東のほうの村にいた。戦争で散り散りになった昔の村の人間たちも、噂を聞きつけてそこに集まってきてる」
 エリーは身を乗り出して、嬉しげに言う。
「よかったじゃないですか! それで……皆さん無事だったんですね」
「全員、じゃないけどな」
 その言葉に、ダグラスとエリーがはっとするのを見て、ルーウェンは頬を掻く。
「でも、ありがとな。やっぱり一緒に喜んでもらえると嬉しいよ」
 ダグラスは気楽そうに見せるルーウェンの仕草に、目をやって、気を取り直し、尋ねた。
「つまり、新しい村づくりをしてるってことか?」
「うん。東のほうは土地が豊かでね。大変だけど、森を切り開けばいい農地になるよ」
 どういう植物を育てるのか、どんな家畜を買い揃えるつもりなのか、そんな話をしているルーウェンの隣で、黙ったままのロマージュにエリーが気づく。
「ロマージュさん……?」
 ふ、と薄碧色をした瞳の焦点が合う。
 エリーを見ると、安心させるように微笑む。だが、何も言わない。
「そこで暮らすのか?」
 ダグラスが尋ねると、ルーウェンは視線を落として言った。
「……どうしようか、迷ってる。おやじたちはそこで一緒に暮らそうって言ってくれてるけど、俺は、この街も気に入ってるし……」
 と、ルーウェンの隣でずっと黙っていたロマージュが口を開いた。
「帰るべきね」
入口でのキスが終った時のように、ロマージュはするりとルーウェンから離れて立ち上がった。「家族は大事だわ。ずっと探してきたんですもの、後悔しないうちにしっかり親孝行しなくちゃ…ね」
「ロマージュさん?」
 エリーの声に僅かに微笑むと、ロマージュはそのままフロアに出て行ってしまった。
 残されたエリーとダグラスは、居心地悪そうにルーウェンを見た。
「はは……ふられちゃったな」
 ややあってルーウェンは、傷のある方の頬を軽く掻くと、笑顔のまま立ち上がった。
 エリーたちは目を見合わせ、ルーウェンを見たが、何も言えずに見送る。
「ディオ、ここに代金おいといたぜ。二階、空いてるよな?」
 ルーウェンは後も見ずに二階への階段を昇って行ってしまった。







「あのまま別れちゃうのかなぁ、あの二人」
「別れるとか…別れねぇって話か?」
付き合っている、という感覚が随分違うように思えて、ダグラスは頭を掻く。「大体、俺らにはどうしようもねぇだろ」
「……だけど……」
 言葉少なに工房へ戻ってきた二人は、明かりのついた部屋に入ると、そこには目を覚ましたマリーがいて、エリーの作った昼食の残りをぱくついていた。
「おかえりー!」
 明るい声に出迎えられて、エリーは少しほっとする。
「マリーさん、起きたんですか?」
「うん、すごーくよく寝かせてもらったよ。ありがと、エリー」
「寝すぎて腐るんじゃないか?」
 続いて入ってきたダグラスに一言言われ、目を細めてじっと睨む。
「そんなこと言ってると後で後悔するからね」
「フラムも何も、爆弾関係みんな取り上げられてる今のあんたなら怖くもねぇぞ」
「なにぃ?」
 なんだよ、というように胸を張るダグラスに、マリーも腰に手を当て応酬しようとうするが。
「まぁまぁ、二人とも……」
エリーが二人の間に割り込んで、なんとかマリーを椅子に座らせる。「具合でも悪かったんですか、マリーさん」
 エリーは心配げに言う。いくらなんでも一日寝通しだったのだ。
「ああ。あたし寝溜めするタイプなんだ。これで二、三日は徹夜できるよ。ご飯もおいしかったし、パワー全開って感じかな」
 笑顔のまま腕を曲げて見せる。
 エリーが安心して微笑むと、マリーはところで…と身を乗り出した。
「あたし今日一日考えてたんだけど……例のアカデミーの大図書館の話、あれ、ここでやろうかなって」
なんでもないことのように、けろりとした顔で言う。「ここならベッドもあるし、3食おいしいご飯が出てくるし、エリーと一緒に研究できるし、機材も二人で買えば安く上がるし、それに、採取だって交代でいけるじゃない? 一石二鳥どころか一石多鳥だとおもうんだけどな」
 エリーの笑顔は、笑顔のまま固まった。
「………」
「あれ? まだ足りない? そうだなぁ、あたしが爆弾系で、エリーが薬系とか食べ物系っていうのはどう? お互い得意分野を伸ばすのっていいアイディアだと思うんだけど」
「マリーさん……」
 エリーの顔を見て、マリーは慌てて付け足す。
「あ、家賃? 家賃は出世払い……っていうか、採取してくるからそれで…現物支給っていうか……」
 エリーが固まりっぱなしなのを見て、ダグラスが助け舟を出そうと一歩前に出る。
「おいマリー、急なこと言うなよ。エリーだっていろいろ悩んで……」
「……嬉しい」
 ぽそ…と呟かれる言葉。
「へ?」
「あん?」
 今まさに再び口論を始めようとしていた二人が振り返る。
 エリーはふるふると震えていた。……喜びのあまり。
「嬉しいです、マリーさんが私と一緒に研究してくれるなんて。図書館建設は大変そうだけど、私きっと、足手まといにならないように頑張りますから!」
 悩んでいたのではなかったのか。店を開くという話は……?
── 三つ子の魂百までも……。
 ダグラスの脳裏にその言葉がよぎる。
 マリーに助けられたエリーにとって、マリーは絶対なのだろうか。
「えっ、ほんと? いいの? いやー、絶対ダメって言われると思ってたんだけどな。よかったぁ」
 マリーは軽い調子で照れたように言う。
「ダメなんて言わないです。だってマリーさんは私の……」
 ぽ、と頬を染めるあたり、蚊帳の外感をひしひしと感じて、ダグラスはエリーの両肩に手を置いて自分のほうに向かせ、乱暴に揺さぶる。
「ほんとにいいのかよ? 変な薬盛られてるんじゃねぇだろうな!?」
「いいの。だって私の目標はもっと勉強して、人を助けられる錬金術士になることだもん。お店を開くことそのものが目的じゃないんだよ? 図書館建設は後世まで残るやりがいのある仕事だし……それに、マリーさんと研究できる以上に勉強になることって、ないよ」
 浮き浮きとして話すエリーを見て、ダグラスはうなだれる。
── だから、飯は食わせるなって言っただろ……。
「よろしくお願いします、マリーさん」
 差し出されたエリーの手を、マリーが握る。
「よろしくね。あ……それで」
にこ…と笑って、握手を交わしながらマリーが言った。「もののついでと言ってはなんなんだけど。あそこにあったペンデル、全部食べちゃったんだ。ごめん」
 甘いものあんまり好きじゃないんだけど、お腹減っちゃって…何か食べ物ある?
 そう聞かれて。
 エリーは無言でマリーの手を……強く、強く握った。
 笑顔だったが。
「いたい、いたい!」
 叫ぶマリーを見て、ダグラスはニヤニヤしながら言った。
「つまみ食いはよくねぇなあ」
「ダグラスはそんなこと言う資格ないの!!」
 びしりとやられてすくみ上るのは、ダグラスだけではなく、マリーもで。
「私のペンデル~…」
 空になった袋をゆすって、エリーが肩を落とす。



 この日、錬金術士エルフィール・トラウムの進路が決まった。
 マリーと共に、アカデミー大図書館の新設に関わること。

 そしてマリーは知った。
 エリーを怒らせると、イングリド並みに恐ろしいということ。
 甘いものは決してつまみ食いしないこと。

 ダグラスは思った。
 厄介な居候ができたと。



 そしてまた、新しい5年間が始まる。



 


- END -




2012.05.17.

最初の4年が過ぎたら、ベースをアニスにしようと思ってました。
GBやWSのアトリエを含めてたら…二人が最終的に何歳になるかと思うと……(泣笑)

とはいえ、せっかくのおいしいネタだらけのGB,WS,その他諸々です。
この先は全部ひっくるめての世界だと思っていただけると嬉しいです。

といっても、次に閑話が一本入るんですが。

蒼太
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