一宿三飯。  2





翌日。
「マリーさん、朝食が下のキッチンに用意してありますから、食べてくださいね」
 スパッツにノーブラ、キャミソール一つ、というあられもない恰好で、ベッドに突っ伏し寝ているマリーに、エリーが声をかけると、枕越しに不明瞭な答えが戻ってきたが、彼女は結局起きる気配も見せずに、ベッドの上でごろりと寝返りを打って今度は大の字になった。
 どうやらエリー以上に寝覚めが悪いらしい。
 エリーは一瞬迷ったが、書置きを残すとそっと階段を下り、工房の扉に鍵をかけて外に出た。
「……うーん、いい天気」
 空が青い。
 昨日もらった薬が効いたのか、足の調子もいい。
 こうして自分の足で自由に歩けるのは幸せだなぁと思いながら、エリーは城門に向かう。
 職人通りを抜け、中央市場へ。
 おいしそうな果物と野菜とお菓子が並んでいたが、いつも以上にガマンガマンと自分に言い聞かせて通り抜ける。
「あ……ダグラス!」
 やがて見えてきた城門に、蒼い鎧に赤味がかった黒髪を見つけて大きく手を振ると、腕組みしていたダグラスが振り返った。
「早いな。もう来たのか」
「マリーさんの寝相がすごくて…ねらんなくて」
 トホホと眉を落とすと、ほらみろという顔をされた。
「あんまり構うと懐くぞ。気をつけろよ」
「またそんな風に言って」
 ダグラスは、門番小屋に一言声をかけるとエリーを中に連れて行った。
「何の用事かわかったの?」
 小走りに隣を歩きながら尋ねると、ダグラスは首を横に振った。
「俺も来いって言われただけで、内容はまだだ。隊長が帰ってきたらしいから、何か関係があるのかもな」
「ダグラスも?」
 その時はふーん、と短くうなづいただけだったが、だれにも止められることもなく謁見室まで通されてしまうと、驚いて目を丸くした。
「やあ、よく来たね」
 久しぶりに入った謁見室には、先代ではなく若い王が腰かけていた。
 隣には、少しやつれた様子のエンデルクが控えている。
「ブレドルフ王……様。お久しぶりです」
 王子と呼びそうになって、エリーは慌てて言葉を改め、軽く膝を折って挨拶をした。
 両脇には、親衛隊がきらびやかな青い鎧を着て並び立っている。
 いつみても壮健なその姿だが、王はその中で肘掛けに肘をついたままくつろいだように頷いた。
「ダグラスも。今回の話は聞いたよ」
「はっ…」
 短く答えるダグラスの隣で、エリーは尋ねた。
「あの……ご用件はなんですか?」
 また、何かのアイテムだろうか。今依頼されても植物栄養剤すら作れないのだが。
「うん。簡単に言うと報奨金を渡そうと思ってね」
「報奨金?」
 小首をかしげるエリーに、ブレドルフは一つ笑って見せてから、小姓に合図し、小さな箱を二つ持ってこさせた。
 小姓はそのままダグラスとエリーの前に並ぶ。
「君らのお陰で、『海鳥の巣』の主力を抑えることができた。これはそのお礼。受け取ってほしい」
 小姓が蓋を開けて見せる。
 その中に入っていたのは、金貨数枚と小さな小瓶、それから銀のマント止めが一つ。
「これは…?」
「それは先日ドムハイド王国の王女から送られてきた香水でね。気に入った者がいたらその人にあげてほしいと言われたんだが、ちょっと意味深すぎて、宮廷内の誰にも渡せなくて困ってたんだ。でも勿体ないからエリーにあげるよ」
「陛下」
 エンデルクが咎める様に短く言ったが、ブレドルフはけろりとした様子だった。
「マント止めはもちろんダグラスにね。剣のほうがいいのかもしれないけど、剣はこの間の武道大会にあげたから、おなじものでは芸無しだと思われるだろ?」
「……陛下」
「婚約祝いだと思って受け取ってくれたらいい」

「………」
「……………はぁ!?」

 王に対する態度とはとても思えない素っ頓狂な声が、ダグラスののどから洩れ、エリーはぽかんと口を開け、まじまじと王の顔を見てしまった。
「あれ? 違うの? エリーのお家にあいさつに言ったって聞いたんだけどな」
「ち、違います! ……その、あいさつと言っても……」
 背中をどっと汗が流れる気がして、ダグラスは言おうとしたが、ブレドルフは大笑いしてそれを遮る。ひょっとして、いたるところでそんな噂が流れているのだろうか。
「まあ、いいじゃないか。どっちでも。いずれそうなるだろ?」
 ダグラスは真面目な顔をしているしかなく、エリーは笑っていいものかどうか悩みながら顔を伏せる。
「あ、それからせっかく来たんだ。この後お茶でもしないか。最近はどこかの誰かさんが外にだしてくれなくてねぇ……すごく暇なんだよ」
 そういうと、手を振って小姓を下がらせ、エンデルクに目配せる。エンデルクは王を軽く睨み返したが、二人を見ると言った。
「だ、そうだ。二人とも控えの間で待つように」
「はっ…」
 ダグラスが短く答える。エリーはそのあとに続いて謁見室を出た。
 後ろで大扉が閉まるや否や、ダグラスはため息を漏らし。
 エリーは真っ赤な顔をしてうろたえている。
「あの王様は…何考えてんだ」
 普通ちゃんと確認してから言うだろ。と一人ごちる。
 これで今日から騎士隊中の噂の的だ。
 エリーはといえば、それでもすぐに立ち直り、王様ったら変なこと言うよねぇ、と笑ってから言った。
「でもよかったぁ……これで飢え死にしないで済みそうだよ。ありがたいなぁ…」
「莫迦、妙なこと言うな」
 飢え死にという言葉に、大扉の左右にいる近衛兵が、不審そうな顔つきでエリーたちを見ていた。
「あれ…でも、マリーさんの分は?」
「あの人の分はきっともう差し引かれてるんだろ」
 損害全体で言うといったいいくらになったのだろうと、とダグラスは恐ろしく思った。




 やがて先程の小姓が迎えにやってきて、二人は王の私室に通される。
 ブレドルフはエンデルクと共に円卓に掛けて待っていた。
 二人が到着するのを待っていた女官が、合図もなしにミスティカティを用意する。
 エリーは銀の菓子皿に並んだペンデルを見て顔を輝かせたが、ダグラスは難しい顔をしたまま席に着いた。
 ブレドルフはまず二人を盗賊退治の件でもう一度ねぎらったが、その後、市井の話、街の外の様子などをいくつか聞いた後、カップを置いた。
「さて……お茶も飲んだことだし、そろそろ本題に入ろうか」
 ブレドルフが言うと、エリーとダグラスはカップを置いて、顔を上げた。
 エンデルクは最初から知っていたように、表情一つ変えない。
「エリー、君に頼み…というか、提案があるんだ」
 名指しされ、エリーは驚いて背筋を伸ばす。
 ブレドルフはグレーがかった青い瞳を、いたずら気に緩ませた。



「君に、宮廷魔術師になってほしい」




 エリーは土産に包んでもらったペンデルと、王から下賜された小箱を持って工房に向かって歩いていた。
「……どうしよう」
── 宮廷魔術師なんて……。
 イングリドは知っていたに違いない。
 だから自分で聞きに行かせたのだ。
 あの時。
 隣にいたダグラスは立ち上がりそうになって自分を抑え、それを見たエンデルクは言った。
『今すぐにではない。ダグラスは宮廷魔術師イェーナーを知っているな?』
ダグラスがうなづくのを見て、続ける。『彼女がそろそろ引退を考えているという話を陛下にされたのだ。といっても、少なくともあと数年後を目途にということだが、後任を探している。引き継ぎも必要だからな』
 エリーもさすがにあの場で返事はできないだろうと、ブレドルフは二人を解放したが、エリーは警備に戻るダグラスとろくに話もできないほど混乱して、そのまま帰ってきてしまった。
 我知らずため息をつきながら、職人通りに入る。
 いつものなじんだ光景にほっとした。
「……あれ?」
 工房のカギを開けようとして、それが解かれていないことに気づく。
 マリーは一度も外出していないのだろうか。それとも鍵が心配で出ないでくれたのだろうか。
「盗まれるものはなんにもないんだけど……」
 扉を開けるとしかし、工房の中はがらんとして人気がなかった。
 不思議に思いながら中に入り、もらったペンデルと小箱を調合机に置くと、キッチンを覗く。
 作って置いた朝食は、すっかりなくなっていた。
「どこ行っちゃったんだろ、マリーさん」
 相談相手には向かないが、少し話を聞いてほしかった。
 なんだか酷く疲れてしまって、夜になってダグラスが来るまで休んでしまおうと二階に上がる。
 と、そこにいたのは。
 ベッドで大の字になり、朝のままの様子で寝息を立てているマリー。
 いや。
 口の周りにパンくずがついていたから、朝のままではなかった。
「ま…マリーさん? まだ寝てるんですか?」
「う〜ん……ふにゃ…」
 ゆすり起こす気にまではなれなくて、エリーはため息を一つつくと、横になるのをあきらめ、はだけたブランケットをマリーの体に掛け直すしてもう一度階下へ降りた。
 部屋の隅に置かれた採取籠に目をやる。
 そういえば、アイゼルとノルディスに頼まれていたアイテムがそのままだ。
「アカデミーに行って、アイゼルに話を聞いてもらおう」
── 最近いないことが多いみたいだけど…また、採取に出てるのかなぁ。
 エリーは親友の顔を思い浮かべ、工房を後にした。






「………と、いうわけなんだ」
 予想に反して、尋ねた部屋にアイゼルは当たり前のように居た。
 数か月前のようなやつれた様子はなく、むしろ頬はバラ色でつややかだ。
 アイゼルはエリーの話をすべて聞き終えると、エリーが小分けにして持ってきた手土産のペンデルを上品に指先でつまんで食べ、言った。
「宮廷魔術師…ね。王様も物好きだわ」
 アイゼルは『死にまねのお香』の一件も、それ以前からあるブレドルフ王との交流もしらない、ある意味一般人からの視点でそう言った。
「そうなんだ……。でもこんなにいっぺんに、あの道もこの道もあるなんて言われると困っちゃうよ」
 路頭に迷った自分を救おうとしてくれているのはわかるのだが、今度は人生で迷いそうだ。
「まぁ……あなたのことだから、きっと自分で答えを出すんでしょうけど」
 簡単に言えば愚痴をいいにきたのでしょ? と紅茶を一口。
「なんだか疲れちゃって。マリーさんが工房にいるから戻れないし…」
「マルローネ先輩が?」
 エリーが昨夜からの事をかいつまんで話すと、アイゼルは頬に指を当ててため息をついた。
「うん…いい人なんだけどね」
 力が抜けたように丸テーブルに突っ伏す形になったエリーは、ふと本棚のほうを見て、その棚にいつものアイテムが並んでいないことに気づく。蒸留水、中和剤、研磨剤など、常にストックしておかねばならない品々。
「あれ…? どうして…?」
 エリーの視線に気づいたのか、アイゼルは姿勢を改めてエリーに向き直った。
「ねぇ、今のあなたにお話しするのは申し訳ないような気もするのだけど……」
 意味深な台詞にエリーも体を起こす。
 アイゼルは翡翠の瞳を軽く伏せていたが、ややあって意を決したように言った。
「実は私、上区の一角にお店を出すことになったのよ…もちろん、錬金術のね」
「えっ」
 エリーの目が丸くなる。アイゼルは本当に申し訳なさそうな顔してエリーを見た。
「以前から考えていたの。卒業したらあなたのように、自分だけの力で頑張ってみようって。あなたの採取に付き合ってみて、いろいろ考えるところがあったの。自分で材料を集める、ただそれだけで見る目が養われたわ。調合の結果もずいぶん違った」
「アイゼル……」
 言われて思い返せば、アイゼルはずっとそのようなことを言っていなかっただろうか。資金繰りの事、工房の賃貸の事、客層の事。
 何より、採取でぼろぼろになって帰ってきた日の事。
 かなり前からそのつもりでいたに違いない。
「そんなこと、あなたは普段からやっているのだもの。いまさら過ぎて…それに、私のお店は
お父様が…少しは出資してくださるのよ。もちろん後で返す気でいるのだけど。だから、なかなか言い出せなくて」
 微かに視線を逸らし、うつむく様子は、それを良しと思っていないのがうかがえる。
 エリーは首を横に振ると、心から笑顔で言った。
「すごいじゃない、アイゼル! アイゼルのお店ができたら、真っ先に行くね」
 楽しみ! とアイゼルの手を握って言うエリーの様子に、アイゼルはようやくほっとしたような表情になる。そして、躊躇いながらも付け加えた。
「慣れないことだから、始めは苦労すると思うわ。けどノルディスが……」
その名前を口にしただけで、アイゼルのなめらかな肌が、ほんのりと上気する。「時々、手伝ってくれるというのよ。だから、きっとやっていけるわ」
 アイゼルがなかなかエリーに告白できなかったのは、最後の一つがあってのことなのだろう。恥ずかしげに頬を染めた様子が、たまらなくかわいらしく見えて、エリーはぱっと顔を輝かせた。
「よかったね、アイゼル! ……なんだか私、元気が出てきちゃったなぁ」
 そんなエリーにつられて笑いそうになって、アイゼルは慌てて表情を引き締めた。
「ま、まだ気が早いわよ。ノルディスは私の事なんて何とも思っていないんですから。ただの……仲間で」
そしてコホンと一つ咳払いをすると、改まった調子でエリーに言った。「そこでと言ってはなんだけど、あなたさえよければ、あなたも私と一緒に工房を経営しない? あなたの選択肢をもう一つ増やしてしまって申し訳ないけれど…」
「えっ…」
 エリーは思わず目を丸くする。
 それを見たアイゼルは、ふいと目を逸らして言った。
「嫌ならいいのよ。誰もあなたなんてあてにしていないんだから」
「あっ、違うよ、そんな意味じゃなくて!」
久しぶりに拗ねられて、エリーは慌てて手を顔の前で振る。「そうじゃなくて……考えさせて」
 アイゼルは、エリーの様子を見て一つ息を吐くと、新しい茶葉を淹れ、カップに注いだ。
「そうね、沢山考えたほうがいいわ。私も随分悩んだのだもの」
「……相談してくれたらよかったのに」
 今度はエリーがすねた様にいうと、アイゼルは笑って新しい紅茶をエリーに差し出した。
 こうして、寮でアイゼルの淹れてくれる紅茶を飲むのも、あとほんのわずかな時間なのだなとエリーはふと思った。




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2012.05.14.

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