キスをしよう。街にでよう。



 

ラジオから声が流れる。
『明日の降水確率は0% 出かけるにはよい週末となるでしょう。』


《 ヴィク×コレの場合 》

「明日は晴れるそうですよ? ヴィクトール様。」
 部屋の中で朝食の片付けをしていたアンジェリークは、それを聞くと嬉しそうに振り返った。
 遅く起きた朝。テラスに置かれた白い椅子の上に寝転んだヴィクトールは、弾んだその声に惹かれて新聞から顔を上げた。
「ん? そうか…。」
 と言っても、春先のことであるからここの所しばらく雨は振っていない。ただ、アンジェリークの声には、ヴィクトールと一緒にいられる久しぶりの休み…そういった気持ちが込められていた。
 彼がその事に気付かない筈は無い。
「…何処かへ行ってみるか?」
 と、部屋の中の妻に尋ねる。 
 二人が結婚して3年。何時の間にか一緒にいることが日常になったこのごろ。
 けれど二人の間に流れる空気は、ヴィクトールが相変わらず忙しくてアンジェリークとゆっくりと過ごす事も余り出来ずにいるために、未だに新婚のような甘い香りがする。
「えっ?」
アンジェリークは思わず瞳を輝かせた。「でも…ゆっくりお休みにならなくっていいんですか?」
 ヴィクトールはそんなアンジェリークを手招きした。呼ばれてテラスへ出てきた彼女の白いワンピースの裾が、春の風にそよぐ。
「お前にいつも寂しい思いばかりさせているわけにはいかん。行きたい所は無いのか? 買い物とか…。」
 アンジェリークはヴィクトールの腕に引き寄せられて、その寝椅子の脇に座った。
 ふわり、と微笑む。
── ヴィクトール様と一緒なら、おうちにいても、どこにいても私はいいのに…。
 自分が答えるのを待っている夫の、柔らかな視線に心がときめく。
「ピクニックに…。」
と、躊躇いがちに言った。「近くの公園に行きませんか? お弁当を持って。今菜の花が満開だって、近所の奥様が教えてくださったんです。」
 きっと、満腹になったら彼は眠ってしまうだろう。たぶん、私の膝に頭を乗せて。
「菜の花か…。いいな、行ってみるか。」
 妻の言葉に一瞬考える振りをしたが、実の所は彼女の喜ぶ顔が見たいだけのヴィクトール。反対する筈も無い。
 その言葉に、幸せそうに笑った彼女の頬に手をやる。
 そして、二人の唇は微笑んだ形のまま、重なった。
 
 
 
 
 
 

《エル×レイの場合。》

 
「…降って来ちゃったね。」
 駆け込んだ軒先から、レイチェルは空を見上げた。
 快晴だった朝の天気からは考えられない曇天。空をグレーの雲が覆っている。
「確率は確率ですから…梅雨ですしね。」
 隣で同じく空を見上げ、エルンストが答える。
 久しぶりのデート。いつものように街をぶらついて買い物。それからお昼を食べて映画へ。そういう予定だったのに、今はまだ昼にもなっていない。
 といっても、買い物にしろ映画にしろ、大概のことはレイチェルが決めて、エルンストはただついていくだけなのだが。
── 悪い気はしませんけどね。
「アナタが予想してたら絶対外れてないよ。」
 そう言うと、レイチェルは彼の横顔をどこか得意そうに見上げた。
「…そうですか?」
 エルンストはレイチェルを見降ろした。
「うん。」
 何の疑いも無くそう言いきるレイチェル。
── あなたは、…本当に…。
 ノンフレームの眼鏡の奥で、いつもは理性的なだけの瞳に優しさが灯る。
 彼女だけに見せる柔らかな視線。
 冷たい雫が剥き出しになった腕に落ち、レイチェルはエルンストの視線に気付かず少しだけ身を引いて、彼の肩に寄り掛かった。
 湿った空気を伝わって、レイチェルの体温が彼に伝わる。
 突然の雨に、通りに人影はまばら。
 水のヴェールに隠されて、辺りの風景は煙ったように霞がかっていた。
 ふ、とエルンストが屈み込む。
 一瞬だけ触れる、暖かい唇。
 あまりにも僅かな時で、レイチェルは目を閉じる事さえ出来なかった。
「………!」
 す…。と何事も無かったかのように離れるエルンストに、オドロキの眼差しを向け、レイチェルは頬を染めた。
 そんな彼女を見ないよう、エルンストは視線を逸らし
「たまには私からしてもいいでしょう…。」
と言った。
 間近に見る人…レイチェルにしか分からないほどに薄らと、耳の辺りを朱に染めて。
 
 
 
 
 

《 オス×リモ の場合。 》

 
 
 
 
 白い駿馬は軽やかに秋の小道を走っていた。
 色とりどりに染まった紅葉を透かし、光が煌いている。
「いい天気ね! オスカー!」
「遠乗り日和、ってやつだな、お嬢ちゃん!」
 馬の上には二人の人影。
 オスカーは、横乗りになったアンジェの身体を両脇から支えるように、馬を走らせている。
 昼を過ぎ、半日のあいだ日に照らされ続けていた森の空気は香ばしく、二人の心を沸き立たせた。
「もう少しスピードを出して! オスカー!」
「これ以上? 大丈夫かお嬢ちゃん。」
 彼女の浮かれたような態度に、自分も引き込まれながらそれでもオスカーは一応尋ねた。
「大丈夫よ! …ねえ、もっと早く!」
 余りに気分が良くて、物足りないのだ。
 そんな彼女のおねだりを嬉しげに聞いて、オスカーは笑った。  
「よし、…俺にしっかり掴まってろよ!」
 言うが早いか、馬のたずなを1つ打つ。
「きゃあっ」
 思いも寄らない加速に、彼女はオスカーにしがみ付く。
「ははは…。言っただろう? ちゃんと掴まってろって。」
 それでも彼女が怯えない程度に、笑いながらスピードを落としてやる。
「もう…意地悪ね。」
 小さく膨れてオスカーの胸をたたいたアンジェだったが、その瞳は決して怒りを含んでいるようなものではない。
 逆に瞳を輝かせて、オスカーに身を任せる。
 そして、二人は目的地に着いた。いつか来た、森の中の小さな原っぱ。
「さあお嬢ちゃん、降りてくれよ。」
 一足先に馬から降り、オスカーはアンジェに手を差し出した。
「降ろして。」
 わがままに、そして可愛らしくアンジェはねだる。
 オスカーは呆れたように、けれど幸せそうに笑い、そして思いついて言った。
「いいぜ、お嬢ちゃん。…キスしてくれたらな。」
「まあ。」
アンジェは苦笑する。「わがままね。」
「どうする? するか、しないか?」
 オスカーの面白げな瞳にアンジェは微笑み、そして馬の背から身を乗り出した。
 チュ…ッ
 真紅の髪をかきあげて、アンジェは彼の額に口付ける。
 そして、唇を離してにっこりと笑う。これでどう? と言うかのように。
 思わぬところに降ってきたキスに、オスカーは思わず目を丸くした。
 それから、苦笑して彼女に両手を差し出す。
 アンジェはそれを受け、するりとオスカーの腕の中に飛び降りた。
「食わせ者だなお嬢ちゃん…このまま離したく無くなっちまうぜ…。」
 半ば本気で囁いたオスカーに、アンジェはくすりと笑った。
「あら、離さなくってもいいのよ…? 夕方まではね。」
 
 
 
 
 

《 ルヴァ×ロザ の場合。 》

 
 
「はぁあぁぁぁぁ…。」
 ルヴァは深い深いため息を付いた。
 ロザリアがそれを聞きつけて、食後の軽いお酒のグラスを下ろし、向かいのソファに座る彼を見た。
「お疲れになった?」
 幾分からかうような調子で尋ねる。
「ええー。いや、そうでもないですよ〜。」
 ルヴァは頷きかけて、慌てて首を振る。
 ロザリアはそんなルヴァを微笑んで見つめると、つと席を立ち彼の座るソファへ歩いた。
 12月。
 外ではまた雪が降り始めていた。
「でも、おかげさまですっかり支度が整いましたわ。」
 ルヴァの視線を上げさせて、窓辺に置かれたツリーを見る。
「しかし…物要りなんですね〜。クリスマス、っていうものは〜。」
 久しぶりに雪が止み、ロザリアは今朝からクリスマスの準備に忙しかった。
 ルヴァもそんなロザリアに急かされて、街まで買い物に出かけた。
 ツリーの飾り、ディナーの材料、それから秘密のプレゼント。
「それはそうですわ、だって神様が産まれた日ですもの。ね?」
 ソファの端に腰を置き、点滅している色とりどりのライトに、しばらく見入る。
「…綺麗ですね〜。」
 ルヴァは小さく呟いた。自分の産まれた場所ではこんな習慣が無いものの、こうして薄暗い中でじっと見ていると、なんだか気分が落ち着いてくるのだ。
「そうね…。」
 ロザリアは彼の肩に腕をからめた。
「………。」
 ルヴァは少し身体を傾けて、ロザリアの額に薄蒼い髪を寄せた。
 暖炉にはオレンジ色の炎が音も無く立ち、街は静寂に包まれて、溜息さえも吸い込まれてしまいそうだ。
「あなた…?」
 ロザリアが囁いた。
「ん? なんですか? ロザリア?」
 半分眠ったような声で、ルヴァは答える。
「今日はお疲れ様。」
 頬に、小さくキス。
 ルヴァは一瞬きょとんと目を丸くして。
 それからにっこりと微笑んだ。
「いえいえ…どういたしまして。ロザリア。」
 
 

《END》

 


 素敵なバナーを頂いたお礼に、「Suger Moon」の高月ルナ様へ、
無理矢理押し付けさせていただきました〜。こんなんですみません〜。

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