07.日の曜日

レイチェルが決意を固めた、次の日。
コン……コン。
 昼も近くなってから、補佐官室のドアが軽く叩かれた。
 そのやんわりとした音に、山積みの書類に目を落としていた女王補佐官ロザリアは顔を上げた。
「どなた?」
 少し低めの落ちついた声は、すでに十分補佐官としての雰囲気をかもし出している。
「え〜、わたしです〜。」
 補佐官室の大きな扉がゆっくりと開けられ、ターバンを巻いた頭がひょっこりと現れた。
「あら。」
 ロザリアの表情が変わる。
「おじゃまでしたかね〜?」
「どうなさったの? あなたがこちらに来るなんて。」
 申し訳なさそうなルヴァを見て、ロザリアは軽く立ち上がった。
 さりげなく、ドレスの乱れを整える。
「えー…。最近忙しそうですね〜。ロザリア。」
 大きく窓をとったブルーの部屋。ロザリアの方へ歩いて行きながら、ルヴァは軽く頭を下げた。補佐官に対しての簡略化された礼である。 ロザリアもそれに倣いながら、しかしその言葉に自分の仕事を思い出して、また執務机に腰を下ろした。
「あなたも決して暇ではないはずですけど?」
 そういって、つい八つ辺りしてしまう。今、補佐官である自分と、女王であるアンジェリークは寝る間もないほどの公務に追われていた。しかし守護聖達には災時でもない限り、慌てるほどに忙しい事など殆ど無い。それを知っているロザリアは、どうせ毎日本を読みふけっているであろう、地の守護聖に向かって、きつい視線を送ってみせた。
 当の地の守護聖は、言われた嫌味を珍しく理解したと見えて、しゅんと肩を落としている。
 けれどそれに流されるロザリアではない。
 机の上の書類に腕を付いて、一つ溜息を付く。
「何のご用ですの? でも…手短にお願いしますわ。」
 彼の話は嫌いではないが、今は時間が余り無かった。
 すると、地の守護聖は、悩んでしまったようである。
 きっと前置きの話で頭が一杯だったのであろう。
 そのせいか、彼がしばらく考え込み、それから言った言葉は、想像を絶するものになってしまった。
つまり、こうである。
「え〜。……会いたかったぜ〜。お嬢ちゃん〜〜〜。」
 いつものおっとりした仕種で発せられた台詞に、ロザリアは思わず気を失いそうになった。
「…っ! 一体どうなさったの? この忙しいのにやめてくださらないこと? …よりによってオスカーの真似をするなんて。」
「あ〜、オスカーだと分かっていただけましたか〜。」
「分からない筈無いでしょうっ?」
 そんな妙な口ぶりを──と、ロザリアはいつも思っていた──するのは、あの守護聖しかいない。
 ロザリアの反応を見て、ルヴァは嬉しそうに、しかし本来の彼に似つかわしくない少し神経質な表情で笑った。
 が、その時ロザリアはその表情に気付かなかった。
「…えー。手短にとおっしゃったので〜。…さて〜、今の物真似で、なにかお気づきになりませんでした〜?」
「なにって…?」
ロザリアは、ちょっと考え込む。
「えー…。ちょっとわかりにくかったですかね…。」
 がっかりとしたその表情に、ロザリアは慌てた様子をみせる。この守護聖のずるい所は、こういう放って置けない雰囲気を前面に出す所だ。
「では〜、もうひとつヒントを差し上げましょうね〜。」
「なにかしら?」
 何故か少し頬を赤らめた地の守護聖に興味を惹かれて、ロザリアは彼をじっと見つめた。
 ルヴァがいそいそと…しかしゆっくりと執務机に歩み寄ってくる。
「ちょっと耳を貸してくださいよ〜。」
 言われてロザリアは少し身を傾けるように、身体を乗り出した。
「……あのですね〜。」
 その唇が、ふわりと耳に寄せられる。
 ロザリアは思わずどきりとして目を閉じた。
 耳元で、ルヴァがくすりと笑ったような気がした。
 美しいラインを描くその顎先に、ルヴァの指が添えられる。
 く、と顔の向きを変えられ、ロザリアが不審に思ったときには。
唇を奪われていた。
「…!! ……っ!?」
 昼間にするようなキスではない。ちょっとした間が置かれて、ロザリアが目を開けると、目の前には相変わらずのルヴァが、やはり少し頬を染めて笑っていた。
 ロザリアは、驚きと羞恥で少し潤んだ目を上げた。
「ど…どうなさったのっ?」
 思わず逃げを打つ腰を、慣れた様子で引き寄せてくるルヴァに、思わず書類の束を忘れる。
「え〜…いかがですか? 分かっていただけたでしょうか?」
 広い胸の中、耳元で囁かれた。
 ロザリアは混乱しながらも、上半身を反らしてルヴァを睨んだ。
「…こんなのでは、全然理解できませんわよっ…。」
 少し目尻の上がった、挑戦的な瞳。それはつい一年ほど前の、候補だった頃のロザリアだ。
「そうですか…?」
 その言葉に、ルヴァがもう1度顔を寄せてくる。
 避ける間もなく、更に深い口付けがロザリアの精神を攫う。
「ん…っ」
 突然の、いつもと違う噛みつくようなキスにどこか違和感を感じ初めながらも、どんどん夢中になっていく。
 真昼の執務室。
 誰に見られるかもわからない。
 周りに知られずこんな関係になってから、既に一年近く経つ。そんな中で初めての、地の守護聖らしからぬ行いだった。
「は…ぁ…」
 だが、長い口付けの後でもう1度抱きしめられた時には、もうすっかり身体から力が抜け、考える力もなくなっていた。
 そんなロザリアに、ルヴァはどこか悲しげに微笑み、またくちづける。
 軽く指先でほおを撫でられ、なんども繰り返す。
 何時の間にかロザリアのゆったりと長い髪は解かれ、ルヴァの指が髪を梳いている。
 思わず身体を預けていたロザリアだったが。
 ふと、その指の動きが止まって、
「…?」
 うっとりと閉じていた瞳を開けた。
 ルヴァが僅かに身体を離し、じっとロザリアを見つめている。
 そして、怪訝そうに自分を見上げたロザリアを、長い腕でもう1度抱き寄せた。
「どう、なさったの…?」
 そのいつもと違うルヴァの様子に、ロザリアは身を捩って身体を離し、視線を絡めた。
 そこにはいつになく真剣な表情をしたルヴァの眼差しがあった。
「…あなた、今日は変よ…?」
「…ロザリア…?」
「はい…?」
 言いにくいことなのか、それともいつものペースなのか、ルヴァは言葉をかみ締めるようにゆっくりと口を開いた。
「なにか私に言う事がありませんか〜…?」
 その細い瞳に湛えられた悲しげな気配にロザリアは少なからず驚き、戸惑った瞳でルヴァを見た。
「言う事…? …何ですの…?」
 全く覚えが無い、という調子で見返されて、ルヴァは軽く頬を掻いた。
「突然こんな時に何ですけど…。いえ、こんな時だからこそ聞くのですけど…。いえ、もっと早く聞きたかったのですが…どうも決心がつかなくて…。」
 ルヴァは、一瞬口篭もり、怪訝そうにしているロザリアをじっと見詰めた。
 それから意を決したよう尋ねた。
「…ロザリア…。今度の女王試験の目的は、一体何なんですか…?」
「え…?」
「言ってください…。まさか…。」
 身体を引こうとするロザリアに覆い被さるように、更にルヴァは身を寄せた。「まさかとは、思いますが…。」
 きつく、その身体を抱きしめる。
「女王交代、ではないですよね…?」
 サクリアの衰えは、感じない。それはどの守護聖に聞いても、同じだった。
 だが、衰えてもいない女王の、次代の候補を選ぶとは一体どう言うわけなのか。
 守護聖には分からない、何かがあるのか。
 女王補佐官は、女王自身に選ばれた、女王をを支える役目を持つ人間。故に、女王がその任務を全うし地上へ帰る時には、女王補佐官もまた、女王と共に地上へ戻る。
「あなたが…いなくなってしまったら…、…私は…。」
 一度も味わった事のないものに、憧れる事などない。けれど、一度その味を知ってしまったら、常に焦がれる。
 全く素直ではないこの少女に惹かれたのは、いつからだっただろうか?
 その気丈さという、言わば被らなければならなかった仮面の下に見え隠れする本質に気付いたときからだったか。
 それとも彼女の気持ちをはっきりとぶつけられ、困惑した中に、喜びをもった時からか。
 ルヴァは、火照った体と、その頬を、ロザリアに押しつけ、抱きしめる。
「短すぎます…! こんな…一年も経っていない…。まだ…早いです…。」
 切ない囁きが、耳を打つ。
「…あなたを…愛しているんです…。」
 ロザリアは、苦しいほどに抱きしめられて耳元で囁かれた言葉に、思わず目を見開いた。
 恥かしがり屋の地の守護聖の口から、これほどまでに、その言葉をはっきりと聞いた事などかつて一度もなかった。
 今日の似つかわしくない行動の原因はこれだったのかと、思うと同時に、頭の芯が、くらりと揺れた気がした。
「いなくなったり…しませんわ。」
 これほど切なげにささやかれた言葉に、一体誰が抗えるだろうか。ロザリアはアンジェリークとの約束を、一瞬忘れかけていた。「…だって、今度の女王は、別の宇宙の…。」
「別の、宇宙…?」
 尋ね返され、はっと口を噤む。女王アンジェリークとの約束が、一瞬だけ頭の隅を掠めた。
「言ってください。…どういうことですか?」
「………。」
「教えてくれないんですか?」
 不安げな声。
「………。」
 女王補佐官ロザリアにとって、女王アンジェリークはすでに絶対の存在に等しい。
 それは、この地の守護聖と比べられる性質のものではなかったけれど、答えを迷わせるには十分だった。
「どうしても?」
 そのルヴァの一言に、不安とは別の、苛立ちを感じてロザリアは驚いて顔を上げた。
 女王試験期間中も含め、この守護聖が『苛立つ』 『声を荒げる』などと言う事をした事は無かったし、もしくはその気配を感じさせた事も1度としてなかった。
 ロザリアは、自分のした事、言った事を改めて思い返した。それから、ゆっくり目を閉じ、そしてゆっくりと開いた。
「…違いますわ…。」
「え?」
 掠れた声に、ルヴァは耳をそばだてる。
「…それほど、秘密と言うわけでは、ないんですの…。」
「は?」
 聞き返すルヴァの視線の先で、ロザリアは、疲れたようにまた瞳を閉じた。
「ただ…驚かせるつもりでしたの。アンジェリークと、そう約束したのです…。」
 女王試験の目的を秘密にする事が、この守護聖にどんな想いを与える事になるか、考えても見なかった自分に呆れる。そして、言った。「…この世界の女王ではないんですの…。新宇宙が誕生すると、そういう報告があったのです。」
 ルヴァは驚いたように目を見開いた。
「では、今度の女王は、そちらの世界の…?」
 ルヴァの言葉に、ロザリアはおずおずと頷いた。
「でも、秘密ですわよ。」
 その割に、簡単に口を割ってしまったロザリアである。
「は、…ははは…。……そうでしたか〜。 …新宇宙、でしたか…。」
 気が抜けたように、笑うルヴァ。
「…ごめんなさい…。まさか、そんなに悩んでいるなんて…。」
 ロザリアは背伸びをして、慰めるように長身の守護聖の頬を両手で挟んだ。
 そしてそのまま手を伸ばし、その細い指先で、くい…と、ターバンの裾を引いた。
 巻いてたくし込んだだけの長い布は、簡単にほどけて、机の上に落ちる。
 蒼い髪が露になる。
「あなたって…たまにお莫迦さんだわ。」
 小さく囁いて、いとおしげにその蒼い髪を撫でる。
 怪訝そうな顔をした地の守護聖に、悪戯気な微笑を向けた。
「わかってらっしゃると思っていましたけれど……。…私も…貴方を愛していますのよ…?」
「ロザリア…。」
 ルヴァの唇が弧を描き、嬉しげにロザリアの手を取って、白い甲に口付けた。
 その僅かな仕種で、身体中に喜びが走る。
「私、いなくなったりしませんわ…。」
 ロザリアは、そのまま地の守護聖の腕の中へ身を預け、囁いた。その瞬間の、本当に嬉しげに笑ったルヴァの表情が、いとおしくて堪らず、ロザリアは、自分から地の守護聖の唇を奪っていた。
 そして、触れるだけの口付けが、どんどん深くなって行く。
 こうしてみると、もう随分長い間会っていなかったような気がした。
「……あなたはとても魅力的ですよ…。本当に。」
唇を離すと、ルヴァは囁いた。
「…分かってますわ。」
 つん、と顔を反らすロザリア。
 ルヴァはそれを見て、小さく笑った。それから、言いにくそうに、尋ねた。
「ええと…お仕事があるんでしょう?」
 ちらり、とルヴァは机の上に目を走らせる。ロザリアは一瞬、ルヴァの身体を押し返すべきかと考えたが、
「あの〜…でも、こうして会うのは、久しぶり…、ですよね?」
 という、遠慮がちなルヴァの言葉に、それも出来なくなってしまった。
「あなたって…。」
のほほん、と笑う地の守護聖と、机の上の書類の山を見比べて、ロザリアは諦めの溜息を付いた。

 そして、ブルーの執務室に、日が長く差し込み始めた頃。
「……随分長居してしまいましたね〜。」
 執務室の奥の扉が開いて、すっかりもとの姿に戻り、髪を結いなおしたロザリアと、少し済まなそうな顔をしたルヴァが出てきた。
「…もう、良いですわ。今日は途中から覚悟してましたもの。」
 それでも目の前の書類の山に、溜息を隠せない。
「でも、やっぱり本人に聞くのがいちばんでした〜。あんしんしましたよ〜。」
 にっこり笑うルヴァに、ロザリアは困ったような顔をして見せる。
「いいですこと? 今回の試験…、その目的については、他の守護聖さまたちにはぜっっっったいに、秘密ですわよ?」
「ええ、わかっています〜。…それに、アンジェリークの休暇についても考えてあげてくださいね〜。オスカーは大分参っている様子ですから〜。」
「会えないのは運と言うものですわ。あの子にはちゃんと毎日何時間かお休みをあげていますもの。」
 言ってから、ルヴァの悲しそうな顔に、口を噤む。
「…わかりましたわ…。もう…。」
 まるで小さな子供のように、ルヴァは女王アンジェリークを可愛がっているようであった。ロザリアは彼女が同じ年である事を、こののほほんとした地の守護聖に伝えてやりたかったが、無意味に思えて、溜息をつくに抑える。「 …近いうちに…、恒星が誕生する前に、1度アンジェリークにはお休みを上げましょう。それでいいでしょう?」
「ありがとうございます〜。ロザリア。」
 ほっとした様子のルヴァに手を伸ばし、背の高い彼のターバンのずれを直しながら、ロザリアは小さく呟いた。
「まあ、オスカーもきっと、あなたと同じことで考え込んでいるんでしょうから。…少しは安心させて上げませんとね。」
 その言葉に、ルヴァはうんうんと頷く。
「そのとおりですよ〜。女王交代……きっと違うだろうとは分かっていましたが、私でさえ貴女がもしも…とそう思ったら、気が気でなかったのですから。」
 さらりと吐かれた言葉の意味を悟り、ロザリアはさっと顔を朱に染めた。
「だったら普段から、そういう態度を見せて欲しいものですわ。…こんなにしないで。」
つん、と顎を逸らす。
「まったくです〜。」
 頬を赤らめたロザリアの様子に、ルヴァは微笑を漏らす。
── 彼女がこんな顔をするなんて、他の人には見せたくありませんね〜。
 その気持ちを知ってか知らずか、ロザリアは黙ったままのルヴァに、ちらりちらりと視線を走らせている。
 その様子が可愛らしくて、ルヴァは彼女を抱き寄せた。
「え〜。では、またしばらく会えない様子ですが…。お仕事頑張ってくださいね〜。」
「わ、…わかっていますわよ…。」
「それから、アンジェリークだけではなくて、貴女もちゃんとお休みをとるんですよ〜。」
 のほほんとそう囁く。
「それは出来ない相談ですわ。」
腕の中でつんと口をすぼめる。「アンジェリークの分はそのまま私に掛かってくるんですのよ? 貴方のお願いは矛盾しています。」
「…あ〜〜。そう言われてみれば、そうでした〜。」
 ルヴァはロザリアを腕に抱いたまま、考え込み始めてしまった。
「さあ、もう離してくださいな。…このままではアンジェのお休みも危ういですわよ?」
 するり…と、ルヴァの腕の中から抜け出す。
 ルヴァは何となく物足りない様子で自分の腕の中を眺めていたが、やがて頷くともう1度ロザリアに軽い口付けをして、貴方が心配ですね〜などと呟きながら帰っていった。
 試験が一段落したら、自分の部屋にお茶でも飲みに来るように、きつく言い渡してから。

 

 
- continue -

 

さて。なんと大人な関係?のルヴァ×ロザ。
私の中ではこういう二人です。
恋愛して、それを楽しんでいても、この二人なら
しっかり自分を保っていけるだろうということで、
一足お先にこう言う事に…。
今回、ルヴァの方はちょっと保ってませんでしたが…(笑)ご愛嬌。
さて、次回はまだ先になりそうです。
では、もう少しお待ち下さいね。
蒼太
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