06.王立研究院

女王試験が始まって、一週間が経とうとしていた。
 今日は、土の曜日である。勿論王立研究院で育成物の様子をみることと義務付けられた日であった。
 溜まった疲れが出てしまったのか、二人の候補を比べるならばかなり華奢なアンジェリークはいつもよりほんの少し寝坊したようで、レイチェルの待つ食堂には、いつまで経っても姿を現さない。一緒に研究院まで行ってあげてもいいかな、などと思っていたレイチェルだったが、更に少し待ってみたものの、結局一人で歩いていくことにした。
 そして、寮から約15分。
 スラリとした足をさっさと動かして、アンジェリークが歩くよりよっぽど早く、レイチェルは研究院に着いていた。
 研究院は、宮殿ほどではないがかなり大きな建物である。
 正面玄関は王朝風の彫刻が施された支柱で支えられ、まるで一昔前の建築物だが、そこには全宇宙の中に、ここにあるもの以上に高性能なものは、一つとしてない、と言うほどの天文台など、技術の最先端が納められている。
 レイチェルは一息つくと、重く白い扉を押し開いて中へ入っていった。
 ちょっと冷ややかな空気が、身体を包む。
 初日に来なかったので、初めて足を踏み入れるのだが、レイチェルの顔は既に知られているらしい。彼女の顔を見て頭を下げた受付の女性がいて、レイチェルは少し面映いような気分になりながら、そこを通りすぎ、いくつかの研究室の脇を抜け、更に奥へと入っていった。 
 計器がデータをプリントアウトする音や、ペンを走らせる音、そしてヴーンと低い、何かの器具が作動している音が、廊下まで聞こえてくる。どの部屋も硝子張りになっていて、足を止めればそこで何をしているのか、覗く事が出来る。
 レイチェルは、ふとその中の一室の前で、足を止めた。
 中では、エルンストと同じ正職員の制服を身に纏った人々が、忙しそうに立ち働いている。
 レイチェルは、その様子を少し複雑な思いで見た。
 ここに配属されると言う事は、全宇宙で最もハイクラスの頭脳を持っていると言う事。かく言うレイチェルも、女王候補に選ばれる前は、実はこの研究院を目標としていたのである。
 ところが、どう言う訳かこんな形でここに来る事になってしまった。
 なにか割りきれない気分になるのも仕方がない。
 だが、彼女はそんな思いを振りきるかのようにきびすを返すと、更に奥へ歩く。やがてレイチェルは大きな広間に出た。
 蒼い不定形のタイルが敷き詰められた室内。左手にあるガラス張りのブースの中で、ここでも何人か制服姿の人間達が忙しく立ち働いていたが、奥の扉の上には、これまでと違って、神鳥のマークが入っている。
 ここが、虚無の空間…レイチェルがルーティスと名付けた聖獣が待つ空間への前庭だ。
「ようこそいらっしゃいました、女王候補レイチェル。時空の扉を開きます。では、育成物の様子を見てきてください。」
 言われてレイチェルはじっと相手の顔を見た。
 見なれた顔である。
 と、いうより、長い事こっそり見てきた顔であった。
 そして、何度も会話をした事のある相手なのだが…。
「どうかしたのですか?」
 彼はレイチェルの様子に全く気付かぬ様子で、ただそう尋ねた。
 眼鏡を細い指先で上げる癖。
 一瞬見惚れ、それから慌ててつんと顎を逸らす。
「アリガト。じゃ、行くわ。」
 そう言って、促されるまま奥の扉を潜った。
 薄暗い廊下。
 レイチェルはそっと立ち止まった。後ろではまだ人の立ち働く気配がする。
 キーを叩く軽やかな音。それはレイチェルにとって、最も懐かしい音だった。
聖地。地上とは時の流れの違う場所。
── もう2度と会えないのかもしれないとまで思っていたのに…。
「女王試験…、…か…。」
 レイチェルはほっと溜息を付くと、ふるふると頭を振った。「もう…いいんだってば! …いかなきゃ。」
 そう一人呟くと、さらに奥へと歩いて行った。

 

 そこでレイチェルが体験したのは、目が回ってしまいそうなほどの不思議な感覚。 やがて落ちついて辺りを見まわすと、どこまでも続く一面の闇。レイチェルは初めて虚無の空間と言うものを体感していた。
 そのあとで、目の前にい現れた、青く淡く光るルーティスの姿。その姿を見て、レイチェルは我知らずほっとする。なにせ初めての経験。何が起きても対処できる自信はあったが、それを実行できるかどうかはわからなかったのだ。 
「なにも…ないのね。」
 風さえも吹かない。一体ここはなんなのだろう。
 自分が育成している謎の球体が、ルーティスの背後で鈍く光っている。
 無重力と言うより、身体が軽くなったから自分が浮いていると言う感触。その空間の全てを、まるで実際触れているかのように感じる事ができる。
「きゅ、きゅる?」
 小さな、しかししっかりした鳴き声で、ルーティスがその意思を伝えてきた。
 薄いブルーの姿態が、くるくると跳ねまわっている。
「そう、今は勝ってるからご機嫌イイんだ? …分かってるって! 勝つのは私、ってコトでしょ?」
 レイチェルはそのとき初めて、自分がルーティスと同化しているという感覚を強く味わっていた。誰にもその正体が知られていないという『球体』。レイチェルは、その中に自分が送ったさまざまな力が混在しているのを実感した。こうやって眺めてみると、球体は僅かに大きくなっているような気がする。
「きゅ、きゅるるん!」
 ルーティスが鳴く。
「闇? 闇の力が欲しいのね?」
「きゅうん!」
 ルーティスの心に直接響いてくる、それは肯定の意思。この意思が、地上の誰でもない、アンジェリークとレイチェルを選び出し、今の状況へと向かわせたのである。
 その姿は愛らしかったが、底知れぬ不思議を宿した、力の具象化であるのだ。
「分かったわ。」
 頷いて、レイチェルは辺りを見まわした。球体のほかには何も無い空間。そこに何が起こるのか、改めて疑問が起きる。
 女王陛下は球体の力が満ちると、一旦勝負がつくといった。だが、一旦と言ったからにはその先があるはずだった。
「…さあ、もう行くね? ルーティス…」
 この空間にいると、ゆったりと穏やかな気分になるのだったが、何故か怖くて、レイチェルは早々にここを出る事にした。きっと、自分以外に生命の気配がしなかったからだろう。 
 レイチェルが外の世界へ精神を集中させると、ルーティスとその世界は、急速に薄らいで行った。

 

 

 研究室に戻ってきたレイチェルを迎えたのは、アンジェリークと、そして彼女と会話をしているエルンストの姿だった。
「…時空の扉を通るときには、多少身体に負担が掛かるかと思われますが、一瞬の事ですので…。」
 どういうわけか、自分の時にはしなかった説明を、アンジェリークにはしているらしいエルンスト。そして彼を一生懸命見上げて、うんうん頷いているアンジェリーク。それに気付いたとき、レイチェルの胸の奥で、何かがカチンと音を立てた。
「アンジェリーク!」
 思わぬほど大きな声が出てしまう。その事に自分でも驚いたが、あえて冷静を装う。「おっそーい!! ワタシなんかもう見てきちゃったよ? アナタになんか絶対負けないんだからね!?」
 案の定、争う事に不向きであるらしい少女は、目を丸くして自分を見ていた。その表情に、少しだけ今の言葉を後悔する。
「レイチェル…。どうだった?」
尋ねられて、肩をすくめる。
「そうね…。ちょっとくらっとするけど、大したコトないよ。育成の方は、いまからアナタも見に行くんでしょ? …早くしなって。」
 そう言って。
 アンジェリークの肩を軽く押す。
 エルンストの視線にはわざと気付かないふりをした。
 扉の向こうに姿を消したアンジェリークの背中を見送り、レイチェルはきびすを返す。
── 何か言う事あるでしょ?
 蒼いタイルの上で、靴音が響く。
── まだ説明の途中だった、とか。
 もう部屋を出る。
── …お久しぶりですね、…とか。
 けれど結局、レイチェルの背中に掛けられる声はなく、そしてレイチェルも振りかえる事もなく、研究院を出た。

 

 空は、青く晴れ渡っていた。
 レイチェルは額に手をかざすと、その空をまぶしげに見上げた。
 そして、諦めとも嘆息ともつかない、女王試験始まって何度目かの溜息をつく。
 ちら、と研究院を振り返ってみはしたものの、中の気配は静まったままで、アンジェリークも出てくる様子は無い。レイチェルの実感としては、『虚無の空間』と外では、また時間の流れが違うようだったが、どちらの世界での時間がより早く流れているのか、と言うような事に付いては、エルンストのほうがきっと詳しいのだろう。
 レイチェルはゆっくりと木陰を歩き出した。
 レイチェルとエルンスト。彼らは同じ研究院の院生であった。
 学生時代、エルンストは宇宙生成学、レイチェルは宇宙科学と、専攻こそ違えど、殆ど隣り合わせと言っていいほど傍に教室があった。
 そして、 レイチェルが宇宙科学を専攻した理由。それは偏にその教室のならびにあったというのに。
 鈍感冷血男はいつまでたってもそれに気付かなかった。まだレイチェルが年端も行かぬ少女だったせいもあるだろうが…
 熱心に話しかけてくる少女に気付かないまま卒業し、そして秀才ぞろいの聖地の研究院へ行ってしまった。
 幾らレイチェルでも、聖地に行けるかどうかはその年の定員次第。そのままその空きを待っていたなら、レイチェルの恋は時間と言う壁に阻まれていたはずだった。
が、しかし。
 突然の女王候補試験。
 聖地に行けると聞いて、どれほど喜んだ事か。
 何百もある惑星の中に、何兆という人間が生まれる。
 その中で、自分が女王候補に選ばれるなどと、思う人間がいるだろうか。
 いや、いるまい。 だからこそ、間に合わない可能性が大きくても、彼女は必死で勉強していた。才能、と人は言うかもしれないが、それ以上の努力を彼女は重ねてきた。
 ただ、聖地へ行くため、聖地勤務の王立研究員になるために。
 彼に、会うためだけに。
── エルンストに。
 代わりに負わなければならない、どれほどの条件を天秤にかけても。
 レイチェルにとって、女王試験は何よりも嬉しい出来事だった。
 しかも、実際来て見れば、エルンストはその知識を買われ、今回の女王試験に大きく関わる任務を受け、毎週のように…いや、会おうと思えば毎日でも会える立場にいた。
── なのに。
  相手は全くレイチェルの気持ちに気付いていない。さっきのように顔を合わせても、エルンストから得られるのは、『女王候補に対する』挨拶だけ。
 とぼとぼと寮に向かって、歩き出す。
── 話しをすれば、喧嘩ばかりだし…。
 歩きながら彼女は、つい先日…試験が始まってすぐの出来事を思い出していた。

 

「もおぉぉっ! …我慢できない!  アナタってどうしてそうなのよ!? もうちょっと愛想よくしたらどう!?」
 昼下がり。王立図書館のしんと静まり返った館内に レイチェルの高い声が響いた。
「…私の仕事はこの研究を進めることであって、貴女に笑顔を見せる事ではありません。」
 それに答えるのは、落ちついた低いエルンストの声。手には分厚いファイルが納められていて、そのはレイチェルにちらりとも向けられず、ディスクの棚を一心に調べている。
 辺りの人間が、不審そうにこちらを見ているのがわかったが、レイチェルにはもう止められなかった。
「ちがうでショ!? ワタシが言ってるのはね、それが久しぶりに会った後輩への態度なの? ってコトよ!」
 初めの日から研究院を尋ねるのは気が引けて、でも我慢できなくて行ってみれば姿が無く、恥を忍んで図書館まで追いかけて来たというのに。
 胸を高鳴らせて話しかけた結果は、まったく知らない他人のような態度だった。
 その態度があまりにもクールだったから、自分ばかりが想っていた事を思い知らされてしまった。
 それを聞いて、エルンストは怪訝そうな顔をして見せた。
「貴女の言っている意味が、私には理解できません。私が貴女と親しいような顔をしては、迷惑なはずですが…?」
「それってどういうコト?」
 レイチェルは首を傾げる。
 その様子に溜息を付き、エルンストは、薄い眼鏡の縁を指先で軽く上げた。
「…今の貴女は女王候補です。自分から妙な噂の元を作る事は無いでしょう…。」
そして、辺りを見まわす。「ほら、見て御覧なさい。 このままでは明日にも私と貴女のどうしようもないデマが流れますよ。…聖地の人間は暇に飽きていますからね。」
 言われて、改めてレイチェルは回りを見た。
 とたんに低い書棚の向こうで引き込められる頭、あたま、頭。
 エルンストがもう1度溜息をついた。
「それに…私と貴女が個人的に親しかった覚えはありませんし…。」
 その言葉に、レイチェルは愕然とした。
「それは…そうだけど……。」
 上手く言葉が紡げずに、喘ぐ。
「ご理解頂けましたか? …では。まだ仕事がありますので。」
 そう言うと、彼はレイチェルに背を向けた。
 レイチェルはその場に取り残され、そして、かなり長い事立ちすくんだままでいた。

 

── 『親しかった覚えはありません』…か。
 部屋に戻り、ぱたんとベッドに倒れる。
「…どん底だわ……。」
 今朝感じていた軽い期待も裏切られ、もう泣き寝入りしてしまいたいような気分だった。
 確かになんの約束をした訳でもない。
 レイチェルが勝手に追い回していただけだ。その他大勢のなかの一人として。
 学生時代のエルンストは、その学力と、そして長身と容姿において右に出るものは無く、常にいくつかのファンクラブまであったほどだ。
 ただ、近付きすぎれば欝っとおしがられるとも言われていた。
 その中でレイチェルはただ一人、研究熱心な後輩として、他の誰よりも、やや、傍にいた筈だった。
 唯一問題だった年の差も、この僅かな時の流れの違いのせいで、ぐんと近付いた。これでなんの障害も無い。…筈だったが。
 その自信も優越感も、もろくも崩れ去った。
 きっと、エルンストの中では特に目に入る存在でもなかったのだろう。
「…会いたかった…。…なんて、言ってくれる訳なかったわね…。」
 聖地に来る前にはよく想像して楽しんでいた状況も、こうなっては虚しいだけだ。
「…………。」
 じっと、枕を抱えてうずくまる。
 そして、長い時間が経ち。
 レイチェルはがばりと顔を上げた。
「……やめたっ!!」
 髪を掻きあげベッドから降りる。「勝負はこれからよ! 幸いココには、ワタシより良い女なんて女王陛下とロザリア様だけだし、アンジェリークなんて目じゃないわ。だってエルンストは頭の良い女性が好みだし。…だったらこれから時間は幾らでもあるわ。女王にさえなれば。………絶対女王になってやる!!」
 レイチェルが女王になろうとする理由。アンジェリークを蹴落としてでも女王になろうと言う目的。それが、エルンスト。
「そうと決まったら食後には軽い運動。お風呂に入って磨きをかけるわ。見てらっしゃい! エルンスト! …参らせてあげるんだからネっ!!」
 そうして、決意を新たにしたレイチェルは、聖地特製メニューの為に、気負い込んで部屋を出ていった。

 

 
- continue -

 

さて、無理矢理過去を作り上げてしまいました…。
結構切ない恋好きなんですが、レイチェルは前向き。
アンジェリークは後ろむき…。(泣)
どちらにしても、これから展開させて行く予定です。
次は、ルヴァ×ロザ。
このカップリング好きなんですよね〜。
十八歳未満の方は、underバージョンでお楽しみ下さい。
蒼太
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