01.女王試験再び


ACT1

 あれから半年。アンジェリークはひんやりと静まりかえった空気の中、長く続く赤い絨毯の上に立っていた。
 ここは、謁見室前。
 目の前には、白地に金の荘厳な細工が施された大扉がある。
── この向こうに、女王陛下や、守護聖様たちがいるのね…。
 この半年の間に、徐々にその心を決め、女王候補として聖地に向かう決心をつけたはずだったが、いざこうして一人、この場に立つと、決意が揺らいでしまいそうで、堪らない気持ちになる。
 不安げな面持ちで考え込んでいたアンジェリークは、人の気配を感じて、ふと廊下の先へ目を向けた。
 一人の少女が颯爽と歩いてくる。
 ゆるいウエーブのかかった腰まで届く金の髪。浅黒く健康そうな肌に、スラリとした姿態。
 一目見た瞬間に、彼女がもう一人の女王候補だと、アンジェリークは気付いた。
 彼女はきびきびとアンジェリークに歩み寄る。
 そしてその薄紫のきつい瞳で、アンジェリークを上から下まで眺め回すこと、しばらく。
 アンジェリークはされるがままに立っていた。
 彼女は血統の良い猫のような瞳を輝かせ、軽くアンジェリークのほうへ屈み込んだ。その明紫の瞳は酷く自信に溢れている。
 そして、その形のよい口元が、動いた。
「…こんな冴えないコがワタシのライバル? 信じらんなーい!」
 アンジェリーク唖然として口をあけた。
「アナタ、名前は?」
 挑むように問い掛ける。
「えっ? あっ…。」
慌ててアンジェリークは答えた。「アンジェリーク、です…よろしくお願いします。」
「へえ? 女王陛下とおんなじナマエなの? …ワタシはレイチェル!」
長くウエーブを描く、淡い金の髪を髪を掻き揚げながら、レイチェルはやや探るようにアンジェリークを見降ろした。
「…ね、…あなた…。…ワタシに勝つ自信、ある?」
 突然のことにどう答えていいのか戸惑っていると、レイチェルは更に背を屈めてアンジェリークの顔を覗き込んで来た。
「あ、あの…」
「どうなの?」
 切れあがった瞳が、くりっと動く。
「えっと、あの…。 …自信、ないけど…。…でも、がんばるね。」
 少しうつむいたまま、しかし瞳を煌かせて答えるアンジェリークに、レイチェルは目を丸くする。
── なんて鈍い…というかおっとりしているというか。まあ、見せ掛けだけかもしれないけれど。
「そ、じゃあ手加減してあげるわ。」
 そうあっさりと言い放つ。
 相手のとげとげしさが幾分緩まったのを感じて、アンジェリークはほっと胸を撫で下ろした。
 だがレイチェルはそれきりアンジェリークの方を見もしない。
 アンジェリークは恐る恐るレイチェルに話しかけた。
「…ねえ、女王試験って、どんな事をするのかしら…? …レイチェルは、知ってる?」
 その言葉に、レイチェルは弾かれたように振り返る。
「おっどろいた〜、アナタ何も知らないのね? じゃあ、教えてあげる…」
 だが、レイチェルが話しかけたその時、二人の目の前の扉が、重々しい音を立て始めた。
 驚いて振りかえるアンジェリークの横で、小さな呟きが漏れる。
「……始まるわ……!」
 二人は徐々に開いていく扉へ、どちらからともなく向き直る。そしてレイチェルは小さく息を呑み、アンジェリークは緊張の面持ちで、女王試験への第一歩を踏み出した。

01.女王試験再び ACT2

時は少しだけ戻る。
 青で統一されたその部屋の中には、しっとりとした紫の髪と目を持った女王補佐官、ロザリアが立っていた。
 ここは、女王補佐官ロザリアの執務室。
 そしてその隣に居る、背中に大きな金の翼と、それから潤んだような翠の瞳を持った少女…この宇宙の女王、アンジェリーク。
 二人はいつも通りの明るく華やかな笑顔をたたえ、そこに控えた三人の見なれぬ男性達の前に向かっていた。
 一人は燃える赤銅色の髪を持ち、鋭い琥珀の瞳とまわりを圧倒する気迫を持った男性。
 もう一人は物憂げな藍色の髪を持ち、線の細い身体に険をふくんだ雰囲気を纏った青年。
 そして3人目は太陽に焼かれた髪と小麦の肌、その恵みを一身に受けたような穏やかさの滲むような少年。
 年令も、出生も、気質も違う3人だったが、そこにはどこか似通ったような雰囲気が流れていた。
 ロザリアに促され、女王アンジェリークは3人に向かってにっこりと微笑んだ。
「ようこそ、聖地へ。…あなた方を地上から、こんな場所へお呼びした理由に付いては、もうご存知ですね。」
 三人は、だまって目を伏せた。その誰の仕種にも隙が無い。
「ですがこの度の女王試験にあたって、私自らあなた方にご助力をお願いしたいと、お呼びしたの。…ヴィクトール。」
 鈴のような声で名を呼ばれ、一人目の男性が姿勢を正す。その体躯はがっしりと、並々ならぬ様子が伺える。
「あなたには『精神』の教官として、女王候補達を導いていただきたいと思います。」
「はっ。」
 短い返事は低く掠れている。だが不思議と誰の耳にもよく通った。
「セイラン。」
「はい。」
 まっすぐな蒼い髪を揺らし、青年は答えた。女王の前で、およそ緊張の感が無い。
「あなたには『感性』の教官として、二人を導いていただけますか?」
「…仰せのとおりに。」
 ゆったりとした返事。
「ティムカ。」
「はいっ。」
 呼ばれて少年はまっすぐにその瞳を上げた。
「あなたは『品位』の教官として、彼女達を導いてあげてください。」
「わかりました。」
 金のアンジェリークは、微笑んで三人を見渡した。
「皆さん、…この度の女王試験の目的については、まだ守護聖様たちにも知らせておりません。」
 その言葉に、三人とも困惑ぎみの表情を見せた。
 その三人にアンジェリークはかわいらしく微笑んで見せ、それから表情を引き締めた。
「今、女王試験の真意についておぼろげながらも知っているのは私とロザリア、それから王立研究院のエルンストだけ。私たちにもまだ、この先の事は明確にはわかっていないけれど、『新宇宙』は、新しい『エネルギー』と、それを保つための『バランス』を求めていると、エルンストは言っています。」
 三人は無言で頷いた。
 アンジェリークはゆっくりと3人を見た。
「……二人の女王候補たちをどうか、育ててあげてください。新しい宇宙を支えてなお、慈愛に満ちた女王に…。」


  女王との短い会見を済ませた三人の教官は、侍従の一人に導かれて隣室へ移った。ロザリアの執務室より少し見劣りするものの、繊細な細工の施された大きな窓のある、明るい部屋だった。
 初めての…謁見と、思いもよらなかった話しを聞かされた後の、独特の脱力感のなかで、三人それぞれ相手が緊張を解くのを感じた。
「さて、どうするかな。」
 その中で初めに口を開いたのが、ヴィクトールだった。置かれたソファに深く腰掛けている。
 立ったままの二人の視線がヴィクトールに向けられる。
「そうだね。」
短く答えたのは、セイラン。「…僕としては主星からの移動の疲れもあることだし、女王試験が始まるまでは表もふらついちゃいけないってことだし…部屋に戻れって言われたようなものだとおもうけど?」
 まわりくどい、とも嫌味とも言えるセイランの言いまわしに、ヴィクトールは気付かない。あっさりと頷いた。
「そうか。なら二人はそうするといい。俺は軍の仕事があるから、もう1度主星に戻らねばならん。済まないがしばらくお別れだ。」
 その言葉に、セイランが眉をしかめる。
「嫌だなぁ。こんな時まで仕事があるの?」
 ヴィクトールはその率直な言い方に、苦笑を向ける。
「…そうだな。」
 そして立ちあがった。「遅れたが、俺はヴィクトール。王立派遣軍の者だ。女王試験中、よろしく頼む。」
「そうだね。…僕はセイラン。…一応、絵なんか書いたりしてるよ。」
 その言葉を受け、もう一人の少年が言った。
「ティムカです。よろしくお願いします。」
 そして、口篭もる。「…白亜宮の惑星って…ご存知ですか?」
「ああ…。亜熱帯系の中惑星だな…。そこの出身なのか?」
 頷いたヴィクトールに、セイランは小さく笑った。
「出身…どころの話じゃないんじゃない? …この格好を見れば、さ。」
 明るいオレンジの貫頭衣にかけられた装飾に目をやる。それを受けてティムカは僅かに居たたまれない様子で微笑んだ。
「王族なのか?」
 ヴィクトールの言葉に、小さく頷く。
「…ええ。皇太子になります。」
「こんなところに居ていいの? そんな人がさ。」
 蒼い髪を掻き揚げて、セイランが言った。
 言葉に詰まって、ティムカがうつむく。
 セイランは肩をすくめた。
「ま、誰にも事情はあるさ。…僕にもね。余計な詮索とは思わないでくれるといいけど。」
「そうだな…。」
 ヴィクトールがわずか物憂げに相槌をうった。
「…ありがとうございます。」
 二人の気配りに気を取り直し、ティムカは微笑んだ。「…では、失礼して僕達は部屋へ行ってみましょう。ヴィクトールさんはお疲れなのに、ご苦労様です。」
「…いや…。」
 年若いティムカに気を使わせてしまったことに気づいたヴィクトールは、小さく礼をしてセイランのあとを追って出ていった少年の背中を感心しながら見送った。

 

 部屋の中に静けさが走る。
 そして、一人控えの間に残される形になったヴィクトール。
 やがて、彼は何気なく立ちあがり、そのままきびすを返して今出てきたばかりの謁見室の扉を潜った。
 そこには変わらずロザリアと金のアンジェリークがいる。
 二人は軽く頷いてヴィクトールを迎え入れた。
「ヴィクトール、参上しました。」
 軍で身につけた、女王への礼をする。胸元に掛けた神鳥が鈍く光る。
 ロザリアが進み出て、ヴィクトールに礼を返す。
「よく、来て下さいましたね。」
 感慨のこもった声が、ヴィクトールに掛かる。
「女王陛下の勅命とあらば。」
 堅苦しいヴィクトールの言葉に、一瞬補佐官室の空気が冷える。女王アンジェリークとロザリアは意味ありげに視線を交わし、それからアンジェリークが、小声で言った。
「もしかしたら…来ていただけないのではないかと、私たち、言っていたのです。」
「…来てくださって嬉しいわ。」
 ロザリアの声が重なる。
 ヴィクトールは無言で頷いただけだった。
 気まずい沈黙が流れるのを、3人共に止められない。やがて、アンジェリークがそれに耐えられなくなったように言った。
「まだ…あの事件を忘れることは出来ませんか?」
 ヴィクトールの頬が、心なしか引き攣る。
「…は…。」
 女王を目の前に、ヴィクトールの声はどちらとも取れない。 『事件』とは、言わずと知れた惑星ブエナの火山噴火のことだった。
「…ごめんなさいね。」
アンジェリークの口から、かすかに囁くような声が漏れた。「私に、もっと力があれば…宇宙のバランスを保てる、もっと大きな力さえあったら…。」
 先ほどの輝くような明るさを、一瞬にして曇らせ、いつのまにかほろほろと涙をこぼすアンジェリークを、ロザリアが支える。
 ヴィクトールは、驚いて顔を上げてしまった。
 こうしてみると女王とはいえ、小さな少女にしか見えない。宇宙の全ての力をもつ、唯一の人間とは、到底思えなかった。
 驚きにうっかり顔を上げてしまった自分に気付き、ヴィクトールはさっと目を伏せる。
「陛下。」
 良く通る掠れた声がアンジェリークの嗚咽を止める。ヴィクトールは、声を殺した。
「…この不肖、ヴィクトール…。あの事故については、すでに五年も前のこと。個人的な決着は既につけております。
…それにあれは自然災害ではなかった!」
 ヴィクトールの顔が苦々しげにゆがむ。
 惑星ブエナの火山爆発。それは王立研究院にも予測不可能だった出来事。
 確かに女王交代に際し、宇宙の安定が欠けていた事もその原因ではあった…だが。
 しかし、その活性化の原因はそもそも、持ち込まれた爆発物による小規模な爆発だった事が、あの事件の後で分かったのであった。
 事後の調査によって明らかにされたその事実を知ったとき、ヴィクトールの心は叫んだ。
── なぜ、なぜ止められなかった!? 俺がもっと管理を徹底していさえすれば…!!
 しかし、更なる真実がヴィクトールを襲うのは、そのすぐ後だった。
 表向きは自然災害と決着のついたあの事件のさなかに、殉職したと思われていた総司令官の存命、そして賄賂疑惑。
 網の目を潜って持ち込まれた爆発物の進入経路。
── 忘れたくても、忘れられない…。
 けれど五年の歳月が過ぎ去った今では、胸にめぐるさまざまな思いを心に秘める術が身に付いていた。
「…ですから、女王陛下の責任ではありません。陛下に置きましては、お気になさりませんよう…。」
 その言葉に偽りの響きなど毛の先ほども含まれていない事は、その場にいた誰もがわかっていた。だが、アンジェリークにとっても、やはり忘れがたい事件であった。
 それは女王試験が終わり、すぐの事。
 突然伝えられた事故の報告と、目の前に見せ付けられたその代償は、あまりにも大きかった。
 気を失いかけたアンジェリークを支えてくれる手が無かったなら、どうなっていただろう。
 気力で涙をおし留め、アンジェリークはしっかりと立ち、顔を伏せたままのヴィクトールに、言った。
「ヴィクトール…以前私達が会った、あの日のことを、覚えていますか?」
「は…。」

 

惑星ブエナの事故は、宇宙史上最大の災害だったといっても過言ではなかった。
 多くの死者がでたこの事件を、女王自身が視察に行ったと言うことは、それ自体、前代未聞の事件だった。
 しかも、女王交代間もなく、更に惑星移動と言う大役の一端を担った後での、多忙の身だった。
 廃墟となった惑星を、降り立つことも出来ずに、ただ船から眺める。今もその星に眠る幾つもの魂の為に、女王アンジェリークが祈りを捧げている。
 その脇に警護役の守護聖、炎のオスカーが立ち、金のアンジェリークを支えている。
 その光景を、ヴィクトールはさながら夢の中の出来事のように覚えていた。
 言い伝えでしか聞いたことが無い、本物の女王と守護聖。
 その彼が、「炎」をつかさどると聞いたとき、本当は掴みかかりそうだった。
 それをしなかったのは、全ての気力も体力も、一掴みも残っていなかったから。
 生き残ったのは僅か。その中に自分も入っていた。
「ヴィクトール…ですね?」
 祈りを終わって振り返った女王の顔は、心なしか今よりも痩せていた。
「今回は、本当に…あなたのおかげで、沢山の人が救われました。私からのお礼を、うけて頂けますか?」
 青白い肌。憂いを含んだ目。
 そんな様子にさえ打ちのめされる。
 なぜもっと早く来てくれなかったんだ。あなたならどうとでも出来ただろうに。
 見つめるだけで、返事をせずにいると、女王は悲しげに微笑んだ。
 炎の守護聖オスカーが、女王の肩を引く。
「陛下、彼は疲れているようです。…お分かりですか?」
 女王は声を出さずにただ、頷いた。
 引かれるままに、離れて行く。
 現実ではない、と感じた。では、何処からが夢だったのか。できるなら、全てが夢であって欲しい。
 が、女王は振り返って、もう一言を付け加えたのだ。
「あなたの傷は、私よりも深く、苦しいもなのですね…。」
思わず顔を上げたヴィクトールに、儚げに微笑む。「…でも、希望を捨てないで。きっと、いつか癒される時が…。」 
 その言葉は、いつまでもヴィクトールの耳に残っていた。

 

「あの日の言葉…まだ、忘れずに居てくれましたか?」
「はい。」
 ヴィクトールは、はっきりと頷く。あの言葉が気休めだった。そんな日は来ないと分かっていても。
「…ありがとう。」
 金のアンジェリークは、最後にそう呟くと、ロザリアに後を任せ、奥へ引き下がって行った。
 五年前と同じ姿で。


ACT.2 女王候補寮にて


「はぁ〜〜っ! さすがのワタシも、緊張しちゃったよ〜!」
 レイチェルが、大きく伸びをした。
 ここは、特別寮。アンジェリークの部屋。
 アンジェリークはロザリアに連れられ、聖地の中を一通りめぐって帰ってきた。
 聖地は広く、歩いていてはとても回りきれない。
 ロザリアとアンジェリークは御者付きの馬車に乗り、宮殿から研究院、学芸館、果ては占いの館まで足を伸ばし、それぞれの役割を教えられた。
 しかし、それら全てを殆ど駆け足で回ったにも関わらず、寮へ付いたときには既に日が落ち、もう一人の女王候補であるレイチェルは、食事を済ませていた。
 少しはぐらかされたような気分になって、一人食堂のテーブルについたアンジェリークだったが。

「ワタシとアナタの部屋って、どこもかしこも全部一緒なの?」
 まるでアンジェリークが部屋に戻るのを待ち構えていたかのように、そう言いながらレイチェルが半ば強引に入ってきたのが、既に2時間は前のことになる。
 テーブルの上には、アンジェリークが部屋付きの小さなキッチンで入れた紅茶とレイチェルが一旦部屋へ戻って取ってきた、「高級なんだから」というお菓子。
「全然緊張してるようには見えなかった。レイチェルって、凄いね。」
 口調はきついものの、もともと気のよいレイチェルと、おっとりもののアンジェリーク。年の近い二人の話が弾むのに、そう時間は要らなかった。
「でしょ? ワタシ、本番に強いんだ〜♪」
 アンジェリークの感嘆に気を良くして、レイチェルが笑う。気が強いという印象は変わらないが、かなり世話好きの気さくなタイプであるらしかった。
「特にテストの時はね。実力もあるけど、落ちつきって大事だもん。」
つんと顎を逸らして澄ました様子は、やはり同年なのだと思わせる。
「でも、守護聖様たちって、ホントに美形ばっかだね。」
 今夜は、初めて守護聖達と会った、記念すべき日である。
 二人とも今だ興奮覚めやらずと言った風情で、今夜ばかりは何度か話が横道にそれても、戻ってくるのはこの話題だった。
「そうね、凄く素敵な人ばかり。」
 何度目かの相槌を打ちながら、アンジェリークはそっと嘆息する。
 本で読んで知ってはいたが、実際に見たその瞬間の迫力は、どんなに実力のある文筆家でさえも、書き表すことはできないだろう。 アンジェリークには守護聖達の各々の個性が、その身体を取り巻くオーラとなり謁見の間に立ち昇るかのように見えた。
 色彩豊かな髪や瞳。彼らの誰もがスラリと姿勢良く、凛としてしている。
 「…でも、厳しそうネ。今日はほんのちょっとしか会わなかったけど、明日からは一対一でお話するんでしょ?」
 レイチェルの言葉に、アンジェリークはちいさく溜息を漏らす。それこそがアンジェリークの悩みだった。 男性と言えば、父親と近所の小さな子供しか知らない。女子高に上がるまでも、女の子しかいない環境で育ってきたのだ。
「緊張するね。」
 アンジェリークの思いを込めた一言は、レイチェルには軽く聞こえたようだった。
「ま、王立研究員きっての秀才と呼ばれたこのワタシだもの。相手がアナタみたいなコだったら、この勝負は勝ったようなものだわ。」
言いながら、カップを置く。「さて…と、明日にそなえてそろそろ寝ましょう? この紅茶、なかなかだったよ、ごちそうさま。」
 軽く微笑んで見せるその瞳には、今朝のような険の強さはもう見あたらない。
「うん。また明日ね。」
 答えながらアンジェリークは素直に頷いて、レイチェルを戸口まで見送った。
 ドアが閉められ、軽い足音が去って行く。
 切り替えの早さと言うか、あっさりと帰っていってしまったのが名残惜しくて、アンジェリークはしばしそこにたたずむ。
 アンジェリークには西の端の部屋、レイチェルには東の端の部屋が、今日与えられた。
 彼女の部屋へ行くにも、寮の食事をとるにも、独立した作りになっているこの部屋からは、1度外に出なければならない。
 そして、レイチェルが帰ってしまい、しんと静まり返った室内に一人残されると、夜も更けた事を嫌でも思い出させられる。
 アンジェリークは一人の寂しさを紛らわすかのように、落ちついて見ることも出来ずに居たその部屋を、改めて探検してみることにした。
 暖色系の小物や布で統一された、こじんまりした部屋。アンジェリークの趣味を何処から知ったのか、かわいらしいクッションやベッドカバーがかけられ、古めかしい蓄音機の置かれた鏡台や、大きなぬいぐるみまである。
 今朝運ばれてきた荷物は、まだ解かれないまま。
 ひとつだけ口が開いているのは、家から持って来た紅茶を取り出したせい。
 くん…と鼻をうごめかすと、懐かしい家の香りがした。
 まだ1日も過ぎていないのに、アンジェリークは少しホームシックになりかけていたのかもしれない。
 そっと、ベッドに腰を下ろし、荷物を探る。
 取り出したのは、家族の写真。
 立ちあがって、衝立を起こし鏡台に置く。
 眼鏡を掛けた、学者然とした男性が右に。優しそうな笑顔。
 栗色の髪の、おっとりとした雰囲気の女性が左に。ほんわりと笑いかけている。
 しばらくそれを眺め、ふとアンジェリークは窓に歩みより、ピンナップボードを脇へ除けるとカーテンを開け、そっとその縁に手を掛けて、押した。
 ほわっと暖かな空気が流れ込む。
聖地での初めての夜。
 月明かりにうっすらと寮の裏庭が見える。遠くに宮殿の白い壁がぼんやりと浮かんでいる。どうやら霧が出てきているようだった。
 中に入りこそしなかったが、宮殿には女王の住居と、守護聖達の執務室があるはずだった。
 しばらくそこから外を眺め、やがてアンジェリークはふるると震えて窓を閉めた。温暖な聖地と言っても、夜は流石に冷える。
「明日からは…試験が始まるんだもん…。 …頑張らなくっちゃ!!」
 アンジェリークは二人で飲んだカップを片付けると、シャワーを浴びにドアの向こうへ消えた。

 

 

 そのころ、女王をはじめ、九人の守護聖達(既に眠っているものもあったが。)や教官達も、それぞれの部屋で今度の女王試験について、思いを巡らせていた。
ヴィクトールも、その中の一人である。
 教官として聖地に呼ばれ、形だけは軍から出向命令が出ているものの、未だにヴィクトールの毎日はせわしい。謁見の終わった後で、地上にいる数人の部下達に連絡を取った後、学芸官の裏手にある私室に戻ると、既に日は深く落ちていた。
 早速重い執務用の服を脱ぎ、用意された食事をとり、一息つき、 それからしばらくして戻ってきたその赤煉瓦色の髪は、しっとりと濡れていた。
 薄暗く照明を落とした部屋のテーブルには、何処で知られたのか、彼の好んで飲む琥珀の酒が置かれている。
 余り姿を見せる事は無いが、彼にも何人か執務官が付けられたようだ。風呂から上がるとしつらえられていたその支度に、ヴィクトールは思わず眉をひそめる。
── 参ったな。
 軽く、濡れた髪を掻く。今までプライベートな場所では誰の世話にもあったことが無いだけに、変に居心地が悪かった。
 深く腰掛けたソファの柔らかさにも、部屋の豪華さにもまだ慣れる事ができずに居る。
 明日になったら余り構わなくていいと伝えよう。そう考えながら、それでも用意されたグラスを手に取り、ヴィクトールは今日起きた出来事をゆっくりと思い返しはじめた。
 それは彼の昔からの習慣である。
 ヴィクトールの脳裏に、昼間出会った二人の少女の影が過る。
── あの二人のどちらかが、次の宇宙の女王となるのか。
 この試験の真の意味について、資質の指導役であるヴィクトール、セイラン、ティムカの3人、そしてそれを研究しているエルンストの4人は、既に知らされていた。
 エリューシオンとフェリシア。二つの大陸を育てた際に発見されたと言う、虚無の空間。そこに出現した謎の球体。
 全ての力が満ちたとき、あの空間に宇宙が現れるはずなのだが…。
── レイチェルとアンジェリーク…と、言ったか?
 一人は自信に満ちた目で、颯爽と歩いた。
 もう一人は、…なんと表現したらいいのか。
 ぼんやりしているわけではない。かといって緊張しすぎて周りが目に入らないと言うわけでもないらしかった。
 その後一人だけ学芸館に連れてこられたのは、あのアンジェリークという少女だけだった。
 聖地に付いて何も知らない様子で、丸い目をきょとんとさせていたが…。
 ヴィクトールの手の平が、そっと上げられ、額を…抑える。
 テーブルに置かれた瞳と同じ淡い琥珀の液体の中に、赤銅色の前髪を下ろした自分が映っていた。
 そうして長い前髪を下ろすと、いつもの重圧感が無くなるのか、いつもよりかなり若く、気さくな雰囲気に変わる。だがヴィクトールがこの姿を見せた事があるのは、ほんの一握りの人間だけだった。
 グラスの中の氷が小さな音を立てる。 
 その人間達も、僅かを除き、もう居ない。
── あの少女は…この傷を見た…のか?
 見た筈だ。これほどの傷なのだから、気がつかぬはずが無い。
…だが。
── あの目。
 同情、嫌悪、そのどちらも浮かばなかった。
── 良く、分からん。
 人間について、そして女性について知らないわけではない。しかし、ヴィクトールが既に忘れてしまったあの年令は、もう何を考えているのかさえ予想できないのだった。
 とにかく、学芸館が開いてから全てが始まる。
 今後の学習の手順を考えておかねばならない、と薄らと考えながら、ヴィクトールは飲みかけのグラスを傾けて、ほっと吐息を漏らす。
 あたりはシン…と静まり返っている。
 軍では夜でも必ず何かの物音がした。いつも誰かが起きて警備に当たっているせいか、それとも離着陸を繰り返す地上機や離陸用小型宇宙船のエア音なのか。既に慣れてしまって気にも止めていなかったが、こんな状況に置かれて初めて、いままでどんなにうるさい場所にいたか思い知らされる。
 軍では、上層部にいたヴィクトール。それは奇しくもあの「事故」のおかげで『悲劇の英雄』と呼ばれるようになったせいだったが、たとえ階級がどれほど上がっても、将軍でもない限り、狭い基地の中で住む場所は、他よりは多少広いだろうと思われる程度の部屋だった。
 狭くて堅いベッドに前述の通りの騒音。歩哨の交代の掛け声。 
 それでも独身の一人暮しにはなんの不自由もない。10代から軍に居た身だ、多少飽きのくるものではあるが、食堂に行きさえすれば食べるものもあるし、その変わり無い味にも慣れている。
 それが、今はこんな部屋に居る。
 ヴィクトールは思わずソファのクッションを確かめて、溜息をついた。
 だがある種の守護聖や、彼等に仕える人間たちがこの部屋を見たなら、大方が「なんて質素な!」もしくは「地味な。」と言ったかもしれない。それほどこの部屋は実用一点張りの作りをしていた。
 部屋の中にはなんの飾りも見て取れない。そしてまだ余裕のある本棚。どこからそれを知ったのか、その棚にある本が確かに自分好みのもので、それだけに既に読んだものが圧倒的であることを見て取tったヴィクトールは、ふと頷く。
「…明日は、図書館にでも行ってみるか。」
 今日から本格的に試験が始まる事もあって、軍も明日からはヴィクトールとの連絡を控えるつもりで居るらしい。
 そう言い渡され、いつまでそれが続くかわからないが、ここ数年の多忙を忘れるいい機会かもしれないと、ヴィクトールは苦笑いをしたものだ。
 そして今日何度目かの軽い溜息をついて、手に持ったグラスにもう5杯目のウィスキーを注いだ。
 多忙だったのは、自分からそれを望んだから。
 いつからか、酒を飲まなければ眠れなくなった。それでもほんの一杯かニ杯。
 グラスの中に映る歪んだ顔、その前髪で隠れた傷跡。
 けれど今日は少し、心を乱される日だった。そのせいか、つい酒が進んでしまう。
 「せめて、これくらいはな…。」
 ヴィクトールは、そんな自分が『精神』を教える立場だと言うことに、一人自嘲気味の笑いを漏らし、また一口、琥珀の酒を口に含むのだった。

- continue -

第1話です。いかがでしたか? まだちょっと暗いですね〜。
ところでウチのレイチェルさんは、初めっからかなり性格がいいんですよ。
ロザリアも然り。
ヴィクトールの過去は勝手に作りましたが、これからどうなっていくやら…。
では、また!
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