== ライセンス ==       カプサイシン様 


 

― 1 ―

 私にとって2度目の女王選出が終わり、この聖地は再び平和な、そして代わり映えのしない日々をくり返しています。 …そう、表面上は…
 256代女王アンジェリークの提案で、今までより比較的自由に聖地と外界の行き来が出来るようになった事が大きな変化と言えるでしょうか。

 

  あの日…。

 

 

 

「星々の新宇宙移動に伴う様々な問題も一通りの落ち着きを見せました。この時をもって宇宙の移動の終了を宣言します」
凛とした声でロザリアが告げました。 「皆様ごくろうさまでした。こちらの宇宙はまだ若く、私の力もいまだ至らず皆様に助けを求める事も多いでしょうが、そのときは協力をお願いいたします」

 

 そう言った陛下は、慈愛と威厳に満ちてまさに至高の存在そのものでした。

 

「守護聖一同、陛下の御心のままに…」
 ジュリアスがわずかに頭を垂れ作法に乗っ取った礼を返します。 ジュリアスにとってはこれが一番の自然体なのでしょう。
 ゆっくりとそのジュリアスに近づいた陛下は…その背中を…ポンと叩いたのです。
「もう、ジュリアス。格式ばったことは終わったの…これからみんなでお茶会よ」
「は、しかし私はまだ執務が…」
「『陛下の御心のままに』でしょ。ほらほら…」
 敬称が外れた。 そのことがここまで力関係の変化をもたらす物なのでしょうか。
 あのジュリアスが諦めのため息混じりに、半ば強引に陛下に引きずられて茶会のテーブルにつかされてしまいました。 それぞれ好みの飲み物を前に会話を楽しむ…つもりではいたのです。 ジュリアスの眉間の深い皺とへの字に引き結んだままの口元さえなければ…
 私はどうすればへの字口のままエスプレッソが飲めるのか今でも疑問です。 早々にカップを空にしたジュリアスが立ち上がりました。
「それでは私は先に失礼しよう、皆の者も執務に差し障らぬよう散会するように」
 射抜くような視線の先にはクラヴィスがいました。 誰に一番この言葉を聞かせたかったのかは明確です。 当のクラヴィスはといえば、融け残った砂糖で遊ぶかのようにアイリッシュカフェのグラスを弄び、珍しく笑みを浮かべていました。
「クラヴィス、そなた…何を笑う」
「…お前のその不機嫌な顔に…陛下が困っておられる…守護聖首座ともあろう者が…不忠な事だ…」
はっとしてジュリアスは陛下を見ました。
「…あ…あのね、ジュリアス。私、困ってるとか、そんなじゃなくてね…」
 チラリとロザリアを見た陛下のその顔は女王候補の時のまま… ロザリアの表情も、なぜだか試験の時に戻ってしまったようです。
「陛下は皆様に何かご提案があるとのことです」
「あーロザリアずるいわ。ロザリアだって『面白いかもしれないわね』って賛成したでしょ」
「言い出したのは陛下ですわ」
 ぷっと膨らませた頬で抗議する陛下とツンとすまして上品に紅茶を飲むロザリアは…年相応で大変微笑ましいものでした。
「オメーら、全っ然変わってねーなー」
「ふふふ…でも僕そのほうが嬉しいな」
「何言ってるんだ二人とも、陛下もロザリアも…その…前よりずっと綺麗にならせられて…あれ?御キレイにおなりになられて…」
「あ〜、美しくなられた…でいいと思いますよ〜。ランディ後で敬語の使い方について書いてある本を届けてあげますね〜」
「本当にお二人は美しくなられたと思います。日毎に輝きが増す…とでも形容したらいいのでしょうか…」
「そうそう。二人とも内面の美しさがどんどん増しているからねー。それが外見にも滲み出してきてるのさ」
「まったく、その美しさは俺の心をまよわせる…熱い情熱でその美しさに艶を…」
「オスカー!」
 ゼフェルの一言をきっかけとして和みはじめたその場の雰囲気が、ジュリアスの凍りつくような声でまた元に戻ってしまいました。
「…少しは学べ…」
 ボソリと呟くクラヴィスを無視して陛下に向き直ったジュリアス。
「陛下自らのご提案とあれば、このジュリアス全力をもって遂行いたします」
「約束よ」
「御心のままに」
 タンポポの花のように無邪気に微笑む陛下とあくまでも生真面目なジュリアス。
 その様子を見ていたクラヴィスの眉が片方わずかに上がり、普段の無表情が一瞬崩れましたが、事の成り行きを傍観する姿勢をくずしませんでした。
「守護聖の皆様が自由に外界に出かけられるようにしようと思うの」
「…恐れながら陛下。今一度…」
「うふっ、皆様が、自由に、外へ、行ける、ようにするの」
ジュリアスのパニックを起こしているだろう思考回路に言い聞かせるように、一言づつ区切って陛下は宣言しました。
「そのような事は、出来ません!」
「あら、どうして?」
「外とは時の速さが違います。そして我ら守護聖が司る力は…外界の人々に対して影響が大きすぎます」
「知っているわ」
「そして我らにとっても、とりわけ年若い者にとっては…」
「自分だけ時の流れに取り残される現実は辛い?」
「…御意」
「それって逃げているだけじゃない。それに、今だって外へ行く人は行っているわ。そうでしょ」
「……!」
 ジュリアスの凍りつくような視線がオスカーとゼフェルの上に落ちました。 オスカーは視線をジュリアスと合わせないよう下を向いてしまいました。 ピンと伸ばした背中には冷たい汗が流れていたにちがいありません。 ゼフェルは椅子の背に体を預け高々と足を組み、ニヤリと片頬だけに笑いを浮かべています。
 『ゴチャゴチャ言うなら、いつだって守護聖を辞めてやる』 その表情は雄弁にそう語っていますが…最近ではちゃんと逃れる事の出来ない運命(さだめ)を受け入れ始めたようです。
「『視察以外、外へ行ったことはありません』って言い切れるのはジュリアスだけよ」
「そう…なのですか」
 陛下の言葉は少なからぬ衝撃をジュリアスに与えたようです。
「ええ、皆様、陛下が作られる障壁の少しでもスキのある場所を探されたり、門番の衛兵を口説き落としたり、涙ぐましい努力をなさっていらっしゃいますわ」
 ロザリアの言葉がさらに追い討ちをかけました。 ショックから立ち直ったジュリアスの視線は北極圏に吹き荒れるブリザードのようでした。
「それでね、みんながそんなに聖地を抜け出す為に努力をしているなら、いっそのこと自由にしちゃって、その努力に使っていた力を執務に使ってもらおうと思うの」
「…しかし、外界で何か事故にでも巻き込まれたら…」
「今だって聖地を脱け出す人がいる限りその危険は同じよ。それに皆様もう大人でしょう、だったら自己責任って理解してるわよね」
「完全な自由ですか〜・・・ふぅ・・・一番厳しいルールでしょうね〜」
 うっかり感想をもらした私などはジュリアスに睨まれて永久凍土に封印されたような気分を味わうことができました。
「それにね、多分これは守護聖のみんなの…特にジュリアス、あなたの為になると思うの」
「私の為・・・」
「あなたとクラヴィスは、小さな子供の時から聖地で暮していたでしょう。・・・なんて言ったらいいのかしら・・・温室育ち…じゃなくって…えーっと・・・無菌培養…これも違うわ…」
「どちらかといえば世俗の些細な事柄に疎くていらっしゃいますわ」
「ロザリア。ナイスフォロー…つまり、いずれ守護聖の任を無事勤め上げてから外で暮してゆくのに大変よ。今から少しずつ世俗の些細な事に免疫を付けて欲しいのよ」
「ジュリアス。陛下は守護聖の在位が長いが故に退任後の人生が不幸にならぬようにとお考えなのです」
 そうジュリアスに告げたロザリアは、慈母のごとき笑みを浮かべていましたが・・・あの瞳の少し悪戯っぽい輝きは・・・私にクラッカーをプレゼントしてくれた時に少し似ています。
「陛下がそのような先の事までお考えだったとは…このジュリアス考えが及びませんでした…誠に汗顔の至り」
「堅苦しいことは抜きよ。じゃ、ジュリアス前向きに検討してみてね」
「はっ!」
 頭を下げたジュリアスには見えていなかったでしょうが・・・陛下がそっとロザリアに向かってVサインを出したのを私は見逃しませんでした。 そして、それを見たロザリアが澄ました顔で紅茶を飲み干した事も… クラヴィスが先ほど言ったようにジュリアスはもう少し学習が必要かも知れません…色々な意味でね。

 

 

 そんな事があって、手続きは煩雑である程度の制約はありますが私達守護聖は自由に外界と行き来が出来るようになりました。
 オリヴィエは「そっと抜け出すあのスリルが楽しみの一つでもあったのよね〜」 などと残念そうでしたが、結構楽しそうにショッピングに出かけています。
 リュミエールの出かける先はコンサートホールが多いようです。 「やはり、臨場感が違います」と何とも幸せそうに微笑んでいました。
 私が密かに心配していたゼフェルもランディやマルセルと一緒に行動するか、王立研究院の精密機械部門以外は行かないようです。 聖地へ来たばかりのころ盛り場へ出入りしていたのは…彼なりにこの聖地に閉塞感を感じていたのでしようか。 自由に外と行き来が出来るようになったとたん「あそこへは行く気が失せた」と…いい傾向です、うんうん。
 クラヴィスとオスカーは…「クラヴィスとオスカーです」としか言いようがありません。 何も変わっていないんです。
 ジュリアスは、陛下のご意志だからと律義に毎週日の曜日に外へでかけています。 どんな場所へ行ったのか「馬を見てきた」と…耳に赤鉛筆が挟んであったのはなぜだったんでしょうねぇ… 私ですか?私も楽しくすごしています。
 先日は、とうとう自分の釣り上げたスズキでパイ包みを作って食べる事が出来ました。
 正直に言っちゃえば、まだスズキサイズまで育っていなくって釣り人の間では「フッコ」と呼ばれる大きさなんですけどね。 魚種は硬骨魚網スズキ目スズキ科、学名はLateolabrax japonics 立派にスズキでした。 それにゆっくりと図書館や書店・古書店巡りに時間を使えるようになったのも嬉しい変化です。 この制度改正は陛下の大英断だったと思っていたんです。 一月ほど前、ロザリアが執務室のドアをノックするまでは…

 

 

 

 

― 2 ―


 

 

 

 あの土の曜日、私は早々に執務を終え外界との時差表と目的地の潮路表 を前に明日の釣行の出発時間を計算していました。 実に楽しい時間で…目標があると執務もはかどりますねぇ。なんて思ったりもしていました。 ノックの音に気がついてロザリアを執務室に招き入れた時も鼻歌交じりだったかもしれません。
 ですから、彼女の危険な瞳の輝きを見落としていたのです。
「お仕事は?もう終わりですの?」
「はい、終わりました。あ〜お茶でもご一緒にいかがですか?」
「ええ、ぜひご一緒させてくださいませ」
 私は柔らかに、ほころんだ口元に見惚れてしまいました… 窓の外では小鳥が鳴き交わし、目の前にはお茶。 そして、テーブルの向こう側には美しき補佐官殿… これで胸のときめきを覚えない男がいるでしょうか。
「…あの…ルヴァ…わたくし…あなたにお願いがありますの…明日の日の曜日…」
 ロザリアが言葉を止めました。 私は心臓が喉元までせりあがって来たような気がしました。
 こ、こ、これは…もしかすると、もしかしますよ〜 もしそうなら…魚には一週間待って貰って…いえ、いえ…ず〜〜〜〜っと待たせておきましょう…
「…え〜明日がどうかしましたか〜」
 …あぁ〜ホッとしました…声が裏返らずにすみました。
「…明日…わたくしに…あなたの車を貸してください」
「…はい?」
「あなたの自動車を貸してくださいと申しましたの…」
「…な、なぜ私に…第一、私は車を持って」
「『いないんですよ〜〜〜』なんて誤魔化さないで下さいますわね。ちゃんと知っていますわ」
 …その…つまり…私達が外へ出かける際の幾つかある制約の中の1つに「外界における交通手段は自らこれを運転しない」とあるのです。
 ゼフェルのエアバイクやランディの自転車利用を禁じる為の物なんですが…交通事故の心配や護衛の都合もありますし… だけど…釣り場に黒塗りのリムジンで乗りつけるなんて…それに、私が釣りをしている間ただ待っているだけなんて、運転する人にも悪いですし、私もゆっくり楽しめません。
 ですから…ね…主星の、とある都市郊外に住んでいる『ルヴァ・某』は自動車を保有していますが、『地の守護聖ルヴァ』は自動車を持っていないはずなんです。 ・・・ロザリアに私が車を持っている事を知られてしまったんですねぇ・・・
「・・・どうして私の車なんですか〜?どこか連れて行って欲しい所があるとか…それとも、やはり『運転は禁止ですわ』って言いたくてここに来たんですか?」
 我ながら不機嫌な声でした。 こちらに非がある事はわかってますから、さすがに大人げ無いとは思いましたよ。
 でもね、ロザリアはニマッ(あの顔は絶対ニッコリなんて形容できません)っと笑ったんです。
「オスカーの車は真紅のスポーツタイプでオリヴィエの車はピンクのキャデラック・・・目立ちすぎますわ。それにわたくしの免許はAT車限定ですの」
 わたくしの免許?ロザリアはそう言いましたよね。
「…!あなたが運転するんですか〜!?そっそれより運転免許持ってるんですか〜!!いつ?・・・どこで免許を?」
「・・・秘密ですわ」
いつ、どこでと言う質問は薔薇の笑顔でかわされてしまいました。
「私がいやだといったら・・・どうします?」
「こうしますわ」
 ロザリアはどうしたと思いますか?窓をあけて
「ジュリアス。もう、執務は終わりましたの?」
 そこに通りかかったジュリアスを呼び止めたのです。
「ロザ、ロザリア・・・何を・・・」
 おた付く私を横目で見ながら、ロザリアはジュリアスをお茶に誘いました。
「誘いは嬉しいが陛下とお茶をいただいて、御前を辞してきた所だ。もう少し執務の残りもある」
 幸いジュリアスは誘いを断ってくれました。 それにしても、いいタイミングでジュリアスが通りかかったものです。 …ん…陛下とお茶…良すぎるタイミング…
「ロザリア、あなたは、もしかして陛下と…」
「女王と補佐官は切っても切れない関係ですもの」
 あぁ…やっぱり… 車を貸す事を断ったら、オスカーとオリヴィエの所有する車の事も含めてジュリアスに報告する。
「オスカーとオリヴィエにも、ルヴァが自動車を貸してくれなかったから、ジュリアスに報告したと申しますわ」
 そんな脅迫めいたロザリアの言葉に私は「…わかりました」としか言えませんでした。 そのかわり、運転免許はきちんと確認しました。
 写真の写りが悪いとロザリアは嫌がったのですが、なかなかどうして、やはり元が美人だと写真もそれなりに…もちろん本人の美しさの一割も表現できていませんが綺麗に写っていました。 問題は、免許を取った日付です。
 取れたてピチピチ、新鮮この上なし・・・車を貸す条件に「私も同乗させる事」をその場で付け加えました。

 

 

 それからしばらくは、まさに天国と地獄が背中合わせでした。
「運転用にこの服にしましたの・・・」
 そう言ったロザリアの服装は、珍しくパンツスーツで、パットで強調された肩巾と対照的に細いウエスト・・・かっちり仕立ててあるのに思わず不埒な想像をしてしまいそうなぐらい見事に彼女の魅力を引き出していました。
 さして広くない車内で彼女と二人、聖地の誰も知らないだろうロザリアの服、秘密のドライブ、私が座るのは当然、助手席 。
 初心者マークも付けてあるし、一番左の車線を制限時速で走れば特に問題は無いでしょう。 何となく、人生がほの甘く薔薇色になったような気がしました。
 そんな気分も車が走り出すまで。
「どうして、ここでスピードを落とすんです!」
「そう教習所で習いましたわ」
「今、後ろの車追突しそうでしたよ…実際に上り坂の頂上でスピードを落とす車なんてありませんよ〜」

 

「右折や左折をするときは、あらかじめハンドルを切っておくんです!」
「・・・そうですの?」
「ダメです!この道は一方通行!」
「えっ?」
「標識ありましたよ〜」
「気が付きませんでしたわ」

 

「車線変更するときは、サイドミラーを見てください!」
「わたくし見ましたわ」
「見てません!バイクを引っ掛ける所でした!」

 

「黄色いラインなのにあの車は車線変更しましたわ!」 「この交差点は転回禁止のはずですわ!」 「どうしてこの場所に駐車している車がありますの!」
 ロザリアもなんだかイライラしてきたようです。 一時間も走ると車内はギスギスした雰囲気に変わりました。
「ロザリア・・・左に寄せて車を止めて下さい。そう、そこのパーキングエリアです」
 二人とも無言のまま車を降り、なんとなく歩き、最初に見付けた喫茶店に入りました。

 

 

 入り口のドアにつけてあったベルがカランと鳴り、私たちは店内にいたお客さんの注目を集めました。
 自分がいる喫茶店に誰かが入って来た時には、特に待ち人がなくてもそちらの方を見てしまうものです。 そして普通はそれだけですが、ロザリアは店内の…特に男性の…視線を集めてしまいました。 あ・・・あそこの席のカップル、ロザリアに見とれていた男性の足を女性が蹴飛ばしています。 オーダーを取りに来たウエイターまで彼女に見とれています。
「え〜っと・・・帰りは私が運転します。いいですね」
「どうして?」
「・・・ん〜〜そのほうがいいと思うからです」
「わたくしの運転ではいけませんの」
 私の返事次第で泣き出すか怒り出すか決めるといいたげにロザリアが見つめています。 そんなに切なげな顔で見つめられたら・・・
 私はテーブルに置かれたロザリアの手を取り、そして、親指と人差し指の間を軽く押えました。
あぅ・・・
 わわっ!なんて色っぽい声を出すんですか・・・また注目を浴びてしまいました。
「ロザリア、あなたは気が付いていないでしょうけど、すごく肩に力が入ってますよ。ですから、今日はここまでにしましょう。それからもう少し流れに乗って走るようにした方がいいですよ。ここまで走ってくる途中に後ろの車に急ブレーキをかけさせたのが3回、バイクを引っ掛けそうになったのが1回、車線の左に寄りすぎて並走していた車に接触しそうになったのが2回・・・」
 ロザリアは俯いてしまいました。 ただでさえ周りの注意を引いているのに・・・ これじゃあ私が彼女を虐めているみたいじゃないですか…
 私は冷たい視線の集中砲火を浴びているみたいでした。
 私だって、助手席で足を踏ん張って歯を食いしばり、冷や汗が背中を伝うのを何度も我慢しているんですよ〜
 コトリとロザリアの前に置かれた紅茶とカシャンと私の前に置かれたコーヒーがその場の雰囲気を見事に表していました。
「・・・その・・・ね・・・教習所で習った通りには行きませんよ。道路を走っている車が全部、規則通りに走ったら、きっと大渋滞になりますよ…慣れればきっと・・・あなたの運転センスはそんなに悪いほうじゃないですよ」
「本当にそう思われます?嬉しいですわ」
 それから、しばらく私はいい気分でした。
 彼女ほどの美人が私の言葉一つで一喜一憂し(どんな会話をしているのか聞き取れませんからね)、席を立ってからレジまで私の半歩後ろを歩いてくれるんです。
 レジの向こう側のウエイターの『こんな美人がこんな奴と・・・俺は面白くないぜ…』的な態度も、そこはかとなく自尊心をくすぐられて・・・「男冥利に尽きる」ってきっとこんな気分なんでしょうね。

 

 そんな気分もロザリアが運転席に座るまででした。
「・・・あの、ロザリア・・・帰りもあなたが運転をするんですか〜」
「もちろんですわ。運転は慣れだとおっしゃったじゃありませんか」
「確かにいいましたが・・・ウインカー!発進する時はウインカーを出してっ!」
・・・その日の夕食は(シェフには申し訳ない事をしました)ほとんど喉を通りませんでした。 ロザリアは別れる時「明日もよろしくお願いします」・・・そう言ったんです。
 毎日ロザリアが私の執務室のドアをノックします。 執務の終了時間が近づくと胃がシクシクと痛み始めます。
「ルヴァ、今日もお願いします」
 そう言って艶やかに微笑む顔を見ても …ふ…う…なんだか深く重い溜息が出るのです。

 

 

 

 

 

 

― 3 ―


 

 

 

 月の曜日から土の曜日までは毎日1時間づつ、日の曜日は高速を利用して少し遠出をする事に、いつのまにかなっていました。
 今日は、たまたま街で見かけた
「花筏の咲く頃・・・想いがかなう」
 そんなキャッチコピーと湧き出す泉の写真、女性の横顔がレイアウトされた一枚の観光ポスターに引かれて地方の小都市へ行くことになりました。
 そのポスターに印刷されていた「流水花祭」の日付が今日だったのです。
 ロザリアの運転もこの一ヶ月で上達し、右左折の時、少々もたつくだけになりました。 こうして高速道路を真っ直ぐ走っている時にはお喋りを楽しむ余裕も出来ました。
「ルヴァ、花筏ってどんな花かご存知?」
「え〜、ミズキ科の落葉低木樹ですね。古くはこの木の中心部、髄(ずい)を灯芯に利用したりしたそうです。この木は花の咲き方がちょっと変わってましてね〜葉の中心に花が咲くんです。緑色の小さな花が幾つか集まった花房が葉っぱの上にちょこんと乗っているように見えるんです。そんなところから花筏と名前が付いたようです」
「それでは『流水花祭』は?」
「それなんですよ〜・・・ポスターを見てからずっと考えていたんですけど・・・う〜ん・・・」
 何も思い出せません。初めて聞いた言葉です。 私たちの車の横を一台の車が追い越してゆきました。
 ・・・あ・・・同じ車種で同じ色ですね〜・・・ぼんやりとそう思ったとたん ヴァン・・・・エンジン音が変わり背中が座席に押し付けられました。 ロザリアがアクセルを踏み込んだのです。
「ど、どうしました!ロザリア!」
「・・・悔しいの」
「えっ?!」
「今の車、車種も色も同じでしたわ。その車に追い越されたのが悔しいわ」
ち、ちょっと待ってください・・・速度計・・・ひゃく・・・150km〜〜!!

 

 幸い暴走は10分ほどでしたが・・・
「あなたの負けず嫌いって、こんな時にも発揮される物だったんですね。初めて気付きましたよ〜」
この性格・・・運転に向いてないんじゃ・・・でも、これ以外はとにかく規則通りの運転をしてますし・・・
「まぁ!あの車の運転手。火が付いたままの煙草を窓から捨てましたわ!」
「あ〜あれはきっと・・・車を買うときに値切ったんで灰皿を付けて貰えなかったんでしょう」
「そうでしたの・・・それにしても危険ですわね」
・・・私は冗談のつもりだったのですが・・・本気にしたようですね。 気が付くまでそのままにして置きましょう、さっき怖い思いをしたささやかな仕返しです。

 

 

 高速を降りた場所は、美しい裾野を引いた山の近くでした。
 その山に積もった雪がゆっくりと、何十年もかけて地中を通り湧き出す泉が小さな町のそこここにあり、豊かな水に恵まれた町です。 町の外れにある一番大きな泉のそばに祠が祭ってあり、「流水花祭」と染め抜かれた幟が何本か立てられていました。
 場所は間違いではないと思いますが、人影はまばらでした。 その祠から少し先にある町営駐車場に車を止め、そこにいた人に話を聞いて見ました。
「あの〜ポスターを見てきたんですけど・・・『流水花祭』は・・・」
「えー!あんなポスターで・・・」
 相手のほうが驚いていました。 この人は町役場の観光課の人で、『流水花祭』は今年、初めて開催されるらしいんです。
 前町長が提案した催しで、本来はもっと積極的にPRをするはずだったのですが、その町長が汚職事件に巻き込まれてリコール。企画は宙ぶらりん。 ポスターだけは刷り上っていたので、もったいないし、とりあえず貼ってみた。
「ま、主催が町役場になってるから、こうして俺が駐車場の番をしているって訳」
「えっと、つまりは町起こし事業の一環なんですか・・・」
「そ、だけど全部デタラメって訳じゃないぜ。あの泉は戦国時代、別れ別れになっていた恋人が再開して、そん時、喜びの涙が地面に落ちて泉が湧き出したって話だ」
 あとは、ほらよくあるでしょう。 あの公園でデートしたカップルは必ず別れる。とか、あの木の下で告白すると必ずゴールインできるとか、そのレベルで「泉に花筏の花を浮かべ見えなくなるまで沈まなかったら恋が成就する」そんな話がこの泉にはあるのだそうです。
「だからカップル限定、駐車料金無料。とりあえず葉っぱを流して来いよ」
 よく言えばおおらか、悪く言えばいいかげんな祭りのようですねぇ

 

 

 

 泉の底では白砂が柔らかな新緑を通ってきた光と踊っていました。
 泉の近くに立つ花筏の木から、花が乗った葉を取り、ロザリアに一枚、私が一枚。 そっと泉に浮かべました。
 泉から流れ出る小川は、ほんの5メートルほどしかその場所から見えませんが、小さな段差があったり、流れが渦を巻いている場所があったり変化に富んでいます。
「はは…なんとも無邪気なものですね」
「そうですわね」
 そう答えたロザリアは胸の前で手を組み真剣な目で花の行方を追っています。 誰を想っているのでしょう…私だったら…嬉しいんですけどね。
 少しは自惚れてもいいでしょうか? あなたが、ここにこうしているのは…自動車を借りる為じゃなく私の為だと…それとも車の為なんでしょうかねぇ… 私の流した花は、渦に掴まって同じ場所でゆっくり回っています。
 ロザリアの流した花は、とっくに流れていったのに…
「ルヴァ、帰りましょうか」
「あ〜、はい。そうしましょう」
後ろ髪を惹かれる思いでしたが、帰ることにします。 「ロザリア、道が悪いです。手を…」
 ロザリアに手を貸そうと振り返った私は未練がましく同じ場所にとどまっている花を見ていました。
 …えっ?…こんな偶然ってあるんですねぇ…
 ロザリアの手が、差し出した私の手に触れたとたん、その花は渦を抜け 一直線に流れに乗り、あっと言うまに視界から消えてゆきました。 ゆっくりと小川に沿って林の中の道を駐車場へと帰ります。
 もう、道は平らになっていましたが、ほっそりとした手を離すのが惜しいような気がして手は繋いだままでした。 ロザリアも嫌がりませんでした。
「…どうして…」
「…?」
「どうしてあなたは車を運転しようって思ったんですか?」
「車の運転が楽しそうでしたの。思い通りに車を走らせるのって楽しい物ですわね」
 フフフ…微笑むロザリアの瞳に危険な輝きがありました。 『そろそろ、ひとりで車の運転をしても大丈夫です。』 今日はロザリアにそう言うつもりでした… そろそろ自分用の車を買うように進めても見るつもりでした。
 もう少し様子を見たほうがいいかも知れません。 今日のあの暴走を思い出すと… それに事故は慣れた頃に起きますから…一人で運転させるのは、心配で、心配で… だからと言って他の誰かと一緒にドライブするロザリアの姿は… 思い切ってロザリアに聞いて見ましょうか。

 

「ロザリア。ずっと、私と同じ車に乗って同じ景色を見ませんか?」

 

 その笑顔はYESと思っていいのでしょうか…

 

 

 

 

 

 決めました。私が車を買い換えます。 次の日の曜日の行く先が決まりました。 二人で車を選びに行きましょう。
 どうせ、車庫入れに失敗してバックミラーは傷ついているし、左前のバンパーはカーブで大回りしてぶつけた後があります。
 ボディの右には高速の料金所で右に寄りすぎて縁石で擦った後もついちゃいました。 後ろのバンパーも電信柱とぶつかって窪んでます。
 今度は助手席にもエアバックが付いた安全性の高い車を選んで… 運転は…

 

 出来れば私がしたいのですけど…ね。

 


ルヴァロザ創作小説サイト「縁側でお茶」のカプサイシン様が「くり茶々やほんぽ」
オープン記念に書いてくださった、やたら蒼太好みの渋いヴィクトール様でございます!
『本気なのか?アンジェリーク』この台詞からあとは、全て蒼太のツボに…。
これをちょちょいと書いてしまうカプ様が…羨ましいやら悔しいやら
有難うございました、カプ様!!
頂き日 2001.07.23
* この創作の著作権は、カプサイシン様のものです。

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