ザールブルグの飛翔亭


「ルーウェンじゃない! 一体こんなところでどうしたの?」
 カスターニェの港、船首像でマリーに会った。
 別れて十年近く経つはずだってのに、一体こいつは何をどうして暮らしてたんだか、あの頃のまま。
 いや……またちょっと大きくなってるか? なんてちらっと胸元に目が行っちまったのは、友達だからって言ったって、あんな格好してるマリーのほうが悪いよな。
 いまやアカデミーの伝説と化したそのマリーは、どうやらこの栗色の髪の女の子、エリーちゃんとやらに雇われているらしい。
 『あの』マリーがねぇ。
 とっても頼りにしているんです。と何の疑いもなく微笑んだエリーちゃんを見下ろして、俺はちょっと不思議な気分だった。
 爆弾娘マリー。彼女の通ったあとには草木一本残らない。俺なんか一緒に冒険……じゃなかった、採取だった…してて、血まみれのこうもりをわしづかみしてる所見てるから、しみじみ分かってる。
 でもそんなマリーが人に雇われるようになったんだと思うと、ホントに時間を感じた。
―― ザールブルグか……。
 飛翔亭のワインが恋しくなった。



 カウンターの隅に座った青い目をした兄ちゃんが、さっきから俺をにらみつけてる気がしてるけど。
 同じテーブルに座ったマリーと、それから、カスターニェで俺を雇ってくれたエリー。地元を離れたくないと言った女の子を解雇したばかりだったらしく、冒険者を探していた所だったんだ、とそう言った。そして旅は順調で、エリーと名前を呼び捨てにするようになるくらいには彼女とも打ち解けて、こうしてなつかしのザールブルグに戻ってくることができた俺。
 酒場のディオのニヤっとした笑いに出迎えられて、かなり嬉しかった。
 『戻って来た』という風に思えるなんて、考えても見なかったけれど。
 俺が戻るべきはあの草原の家だけだ……なんて思ってたんだけどなぁ。
「じゃあ、ルーウェンさんはこのままザールブルグに?」
「ああ、君に雇ってもらって大分路銀もたまったけど、折角戻ってきたんだ。少しは楽しみたいだろ」
 俺は懐かしいブラウワインを一口。それから飛翔亭を見渡した。
 飛翔亭も、変わった。
 『あの』クーゲルがねぇ。
 無口なところは相変わらずの様子で、グラスを拭いている。
 一体どういうわけで二人が仲良くなったのか、俺には分からないけど。
 まぁ、いいことさ。食事の味は変わってないし。
「エリー」
 …? あの青い目の男がテーブル脇にやってきて、エリーの名を呼んだ。薄暗がりで分からなかった彼の鎧は青く、俺にとっても見慣れたものだった。
「へぇ。エリー、聖騎士と知り合いなのか?」
 ますますマリーみたいな子だな。
 エンデルクは今もまだ騎士隊長としてこの町を守っているんだと、道中エリーから聞かされた。そんなエンデルクをマリーは顎で使っていたが、まっさかエリーまで?
 なんて思ったのは、フラムだのメガクラフトだので敵をバッタバタなぎ倒していくエリーを見ちまったからだろう。
 青い目の男は、ますますきつい目で俺を見た。何だよ若造? やる気か?
 だが、エリーは彼の視線に気づかないのか、彼の名を呼ぶと笑って立ち上がった。
「あっ、ダグラス! 久しぶり!!」
 ダグラスと呼ばれた彼は、仏頂面のまま顎をしゃくって、エリーを店の隅に呼び出していった。エリーが何の警戒心も抱いていないところを見れば、きっと悪いやつじゃないんだろう。もともとこういう目つきのやつなのかな。
 少し心配だった俺は二人の背中を目で追って、カウンターの隅に並ぶのを見届けてから、手元のワインと眼の前のマリーに意識を戻した。
 もっと気になることがあったから。
「で? マリー」
「でって何よ」
「あんたは何してたんだ? この何年か」
 旅の間も、はぐらかされて答えの帰ってこなかったこの問いに、ワインをゆっくりあおったマリーは肩をすくめた。
「だ~か~らぁ、いろいろよ、いろいろ」
「その色々の中身を聞いてんだよ俺は」
 ちょっとは、心配してたんだぞ。
 ……ほら、あのクライスとか言う男とはどうなったんだよ。
 気になるだろ。友達としてはさ。
「あんたこそ何してたのよ。すっかり弱っちくなっちゃって。アタシがあんなに鍛えてやったってのに」
もうちょっとで口からワインを噴出すところだった。「今まではエリーの前だったから黙っててあげたけど、ちょっとひどいんじゃないの」
 俺の名誉のために言いたいことがひとつ。
 俺が弱くなったんじゃない。アンタたちが強くなりすぎてるんだよ。
 一体どこの冒険者が、ウォルフの群れを一撃でしとめる? どこの冒険者が峠越えを無傷でやってのける?
 ああそうさ。俺は役ただずだったよ。なんてったって、ごく普通のごく常識的な護衛の仕事しかしてなかったんだ。レベルが上がるわけないだろ。
 旅が終わってエリーから賃金もらえたのが不思議なくらいだ。
「あのな……、マリー」
 今後ちくちく釘を刺され続けることになりそうな予感がしたから、その件についてはとことん話し合っておこう…とテーブルに身を乗り出した、そのとき。
 店の隅で話をしていたエリーと、ダグラスとかいう男の声が高くなった。
 ディオの眉が上がり、店の客がそちらを向く。
 どうやら、エリーがダグラスに一方的に絡まれているみたいで、俺はグラスを置いて席を立とうとした。
「ちょっと、ルーウェン」
 マリーのとがめるような声は聞こえてなかった。大丈夫大丈夫、いくらなんでもそこまで腕は落ちてないよ。
 ところが。
 俺がエリーとダグラスとやらの間に割って入る前に。
 俺と二人の間に、というか俺の眼の前は、何か真っ白いものでさえぎられた。
 突然のことに訳が分からず、ぼんやりしている間に、ディオの声がした。
「二人とも、痴話喧嘩なら外でやってくれ」
 なんだ。そういう事か。
 踏み出しかけた足を留め、眼の前の白いのに指をかけて右に避けた。
 今ではもう、それが店で踊っていた踊り子の、白い扇の影だと分かっていた。
 どかした扇の向こうで、浅黒い肌の彼女が、唇の端を上げて魅惑的に微笑んだ。
―― どういたしまして。
 そう言った感じがした。
 そしてテーブルに戻った俺に、マリーはもう一度肩をすくめ、チーズの切れ端を頬張った。
「言ってくれたらよかったのに」
「あたしも知らなかったもん」
 エリーとダグラスは、常連の客から、からかいの野次を受けながら頬を染め、そそくさと店を出て行った。
 俺はさっきの話を再びする気力を失って、テーブルに肘を付いた。
 暖かい店の雰囲気。
 俺を止めた踊り子が、楽隊の音にあわせて踊っている。浅黒い肌にオレンジ色の明かりが落ちて、そのしなやかな体やステップを踏む床にいくつも影を落として。
 肘をついたまま、すこし見惚れた。
 旅芸人は、その技だけで身を立てることができる技術を持っているが、多分彼女はその中でも突出している。芸事にあんまり詳しくない俺でも、なんとなくいいと分かるんだから、そういうもんなんだろう。
「なんか……年取ったなぁ」
「いきなり何よ」
 眉をしかめてマリーが言った。
「あんたのことじゃないよ。俺がさ」
 若い頃なら絶対に、こんな気分にはならなっただろうにさ。
 ああいった技を身に着けるのに、どれくらいかかったのだろうか、とか、どれくらいの旅をしてきたんだろうか、とか、そういう時間の感覚が、想像するだけではなく、肌で分かるようになってきた。
 冒険者としての成長ではなく、人間として年を取った俺は、時間の長さと速さを知りつつある。
 でもな。
 マリー。あんたに流れた時間ってのは、どうもやっぱり俺には感じられないよ。
 今まで何をやってきたのか、これまでどう過ごして来たのか。
 俺とあんたは、違う流れにいるって事なんだろう。
 そしてあんたとクライスは、同じ流れにいるんだろう。
 そのとき、飛翔亭の思い木の扉が開いて、赤いマントの男が飛び込んできた。がっしりとした体格の背の高い角刈りの男。
「マリー! ルーウェン! 噂は本当だったんだな!」
「ハレッシュ」
 ありがたいことに、マリーだけじゃなく俺のこともわざわざ出迎えてくれるやつが、また一人この街にいてくれた。
 気のいい大男は当たり前の様に俺達のテーブルに着き、俺達と同じワインを注文して、大きく笑った。そして着くなり俺に向かって言いやがった。
「よう、なんかおっさん臭くなったな、ルーウェン。といっても……まだまだ童顔だけどな」
「言うなよ」
 結構これで気にしてるんだからさ。からかいの一声に眉をしかめると、ハレッシュは大笑いして、口元と目元に笑い皺を作った。
 それからハレッシュは、マリーの顔を覗き込み、つま先から頭の先までまじまじと眺めて、一言。
「変わってないな、マリー。この街を出てから一体何してたんだ?」

 ほら見ろ、マリー。
 彼女が俺に向かってした、あののらりくらりの受け答えに翻弄されるハレッシュを横目に、俺はあの踊り子に目を戻した。
 あんたのことはいい友達だと思っているけど。
 やっぱりあんたはすこし変わってる。
 俺に理解できるのは、俺と同じ流れにいる人間なんだろ。
 あんたのことは好きだけど。
 あんたと一緒に生きていく自分は想像できなかった。
 
「……年取ったなぁ」
「そんなにか?」
 自分の顔を撫で回したハレッシュに、俺は軽く笑った。
「違うよ。俺のこと」
 こんな風にすっかり割り切ってる自分に気づいちゃったからさ。
「何言ってんだ、俺より若いやつが」
 もう出来上がりかけてるハレッシュにドンと背を叩かれて、むせこむ俺。
「さっきから年だ、年だって言ってんの。……あのね、ルーウェン、年を取ったことは弱くなった言い訳にはならないのよ?」
「ちが………」
 違う、そんなことじゃなくて、と言いかけた俺を見るハレッシュの目が冷たい。
「そうなのか?」
「そうなのよ、聞いてよハレッシュ、ルーウェンったらさぁ、帰りの道中に………」
「その話はやめてくれ、マリー!!」
 耳をそばだててるほかの客たちの噂が、これから数ヶ月はここで生活していこうっていう俺の評判をどう変えていくか、あんたにだって分かるだろ。
 ハレッシュはからかいのウインクを俺にして、マリーを促す。
 この野郎、いい根性してるよ。




こうして飛翔亭の夜はふけていく。
 そうだな。とりあえず今夜は朝まで飲んで、とりあえず明日は宿を探して……。
 とりあえず、とりあえず。
 
 ……とりあえず、いつまでここに居ようかなぁ。



<END>



じ…実はマリアトでは掟破りの不人気カップリング、ルーウェン×マリーが
好きだったのですよ。でもルーウェン兄さんにはロマージュ姉さんが、今は一番。
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