チョコレート(大)


── う~ん。どんなのにしたらいいのかな…。
 アトリエの大鍋で、先日頼まれたミスティカティの材料を煮詰めながら、エリーは考えていた。
 このザールブルグにやってきてからもう2年。その間に色々な事があったけれど、ようやくこの町のしきたり、風俗、文化…そして、風習に慣れ始めてきたところだ。
 そして、明日はヴァレンタインディ。エリーの本当の故郷であるロブソン村では無かった風習ではあるけれど、それは「女の子から男の子に、男の子から女の子に、感謝や愛情を伝える日」である。
 では、勿論エリーだって、日ごろお世話になっている人々に、感謝の気持ちを伝えなければならない。
 去年は初めてだったから、酒場の踊り子ロマージュたちと一緒に、チョコの量産をし、誰にも等しく同じく、チョコを配った。
 男性のお得意さんが沢山居るロマージュは、『大鍋使えて助かっちゃったわ。来年もヨロシクね』なんて嬉しそうにしていたけれど、エリーも初めてのチョコ菓子作りを一緒に出来たのは楽しく嬉しい事だった。
 でも、今年は違う。というか違う事をしなければならない。それは、エリーの親友アイゼルが昨日突然こんな事を言い出したからだ。
「ダメよエリー。だれかれ構わずチョコを上げるなんて、軽く見られちゃうわ」
「えっ? でも私そういう風に聞いたよ?」
 アカデミーの廊下を歩きながら、エリーは驚いたようにアイゼルを見た。
「本当のヴァレンタインって言うのは本当に特別な男の子に、気持ちを伝える為にあるのよ。たくさんの人にじゃないの。」
 教科書を胸に抱き、アイゼルはさも当たり前のように言った。
「う~ん、そうだったのかぁ…でもそう言われると、誰に上げたらいいのか困っちゃうなぁ…」
 エリーは小首をかしげる。悩むくらいなら誰にもあげなければいいのだが、ザールブルグでは必ずせねばならないことだと思い込んでいる故思いつきもしない。
「だから今年はだれかれ構わず配っちゃダメ。…特にノルディスにはあげちゃダメ」
「へっ? 何、アイゼル? 聞こえなかったよ」
「いいから! わかったわね!? 特別な人にだけあげるのよ!!」
 次の授業のチャイムが鳴り始め、アイゼルは最後にもう一度釘を刺しつつ、あっという間に隣の教室に姿を消してしまった。
「…でも、もう材料買っちゃったんだよね……アイゼルも、もっと早く言ってくれたらよかったのに」
 そんな事を思い出しながら、エリーはちょっと欝な目をして後ろを振り返った。
 アトリエの床に蹲り、いつもなら調合をしている妖精さんたちが、今日は何よりも優先して、大量のチョコを削っていた。
 酒場の二人にフレア、ロマージュにハレッシュ、武器屋のオヤジやアカデミーの皆…全員に配るつもりで居たからこんなに沢山買ってきたのに。
「おね~さ~ん。いつまで削っていればいいの?」
 妖精の一人が悲しそうな目をして顔を上げた。目の前には大好物のチョコレート。なのに雇い主はひとかけらも食べていいと言ってくれないのだ。正にこの世の生き地獄。エリーの目を盗んでぱくついている妖精だって居たのだが、彼女に声を掛けたこの子は酷く真面目な性質なので、盗み食いなど思いつかなかったらしい。
「うーん……」
と、その時エリーは妙案を思いつき、ぽんと手を打ってかの茶妖精を手招いた。「あのね、いい事思いついたからちょっとこっちに来て」
 トコトコと近づいていく茶妖精。その時彼はエリーの目に宿る恐ろしい光に気付いていなかった。
「…型を取るなら何がいいのかな…やっぱりロウ…だよね。でも途中で動かれるとずれちゃうから……時の石版を使って……」
「おねーさん、僕何すればいいの?」
 茶妖精は、新しい仕事がもらえると思って、目を輝かせていた。

 

「ダ~グ~ラ~ス~!!」
 次の日。城門前の大通りを、まっすぐ自分の方に駆けて来るオレンジ色の人影に気付くと、聖騎士ダグラス・マクレインは思わず胸を高鳴らせた。
 彼は決して女性からの人気が無い男ではなかったし、こういう風習を大喜びする性質でもなかったけれど。今年は別格だ。
 一昨日、わざわざアカデミーから遠回りまでして、あのアイゼルとか言う生意気娘がここにやってきて言ったのだ。
『エリーに、今年は本命チョコしか作らないように言っといたのよ。感謝してよね』
 何で俺にそんな事言ってくるんだとか、大きなお世話だとか言い返す前に、自分の気持ちがバレて居たのか!? とフリーズ状態に陥っている間にアイゼルは姿を消してしまうし、それから2日間、エリーとチョコのことを考えるとやきもきしてしまうし……。
 あんまりイライラしたもんだから、自分でアトリエを尋ね、誰に渡すか問い詰めてやろうかと思ったくらいだ。
 でも結局そんな事が出来るわけも無い。エリーが誰にチョコを渡そうと、それはエリーが決める事で。尋ねに行って、「なんでダグラスがそんな事気にするの?」なんてあの天然な笑顔で尋ね返されたら、ダメージは計り知れない。
 そんな訳で、今日は朝からエリーが来るか来ないか、想像しては浮かれたり落ち込んだりしていたのである。
「お勤めご苦労様」
 息を切らせて城門前に到着したエリーの姿に、門番小屋からからかいの声が上がるが、ダグラスは顔を赤らめながらもそれを無視して、エリーを見下ろし、内心小躍りしそうなのは押さえ込んで、ぶっきらぼうに尋ねた。
「何の用だよ」
「へへ~」
 だがエリーは気にもとめずに、後ろに引っ張っていた台車を地面に置いた。
「……なんだ? それ」
 エリーに気を取られ、台車の存在どころかそれを押すのを手伝っていた茶妖精に気付かずに居たダグラスは、不審そうに尋ねた。
 台車の上には、布をかけられた何か大きなものが乗っており、茶妖精はダグラスを見上げ、今にも泣きそうな目をして首を横に振っていた。
 エリーはもったいぶるように布に手を掛けた。そして、もうすっごいんだから。とダグラスに向って微笑み……
「じゃじゃ~ん! みて! 今年のヴァレンタインチョコだよ!!」
 布の払われた台車の上には。
 等身大の。
 妖精の形をした。
 でっかいチョコが乗っていた。
「おい…おまえ…これ……」
「固めるのとか、型取るのに苦労したんだよ~。あ、ちなみに型になってくれたのは、この茶妖精のピックル君です~!」
 妖精は、いつダグラスに『莫迦かお前等はッ!』と怒鳴られるかと怯えて、エリーの膝裏に隠れようとする。
「おま…おまえ……」
 頭を抱えたダグラスと同じように、門番小屋からも辺りを歩いていた人々の中からも、絶句のムードが漂った。
「何かね、アイゼルが今年のチョコは一人にしか上げちゃダメだって。でも私、去年と同じ量のチョコをもう買っちゃってたし…。コレ作ってもまだ余るくらいあったんだよ。それは皆で食べちゃったけど」
 皆というのは、多分妖精たちのことなんだろう。
「ダグラスにあげるね。去年のチョコレート、一番喜んでくれたの、ダグラスだったもん」
 去年の礼をどう言ったかなど、もう覚えていない。多分無愛想に『サンキューな』と言った位だったと思ったが。
 エリーには、それ以上の気持ちも伝わっていたらしい。
 ただ、それがどんな種類の気持ちなのか、というのは伝わっては居なかったみたいだけれど。
「……分った。ありがとよ」
 急に肩の力が抜けて、ダグラスは笑った。
「じゃ、私はもう行くね。依頼の期限がもう直ぐなんだ」
「おう。気ぃつけて帰れよ」
 妖精の手を引いて戻っていくエリーの後姿。
 三々五々散っていくギャラリーたち。
 そして残された妖精チョコ。
 その表情は、時の石版で固められる一瞬前の恐怖を反映しているのか、泣きそうな顔つきであった。
「──コレを、食えって?」
 まるで、『助けてください。食べないで下さい』…そう言っているかのような……。
 チョコは形や大きさじゃなく、愛情と食べやすさだ。
 折角のエリーのヴァレンタインチョコを皆で分けて食べる気にはなれず、一応ソレを寮まで持って帰ってきたダグラスは。
 テーブルの上を占拠した泣きそうな妖精チョコを目の前に、心底そう思ったのであった。
 


<END>



蒼太
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