五月祭 4




「ねぇ……ねえったら、ダグラス!」
 袖を引かれて我に返った。
 気づけば市場の中端まで歩いて、もう少しで祭りの会場から出てしまうところだったと気づいて振り返ると、そこには見慣れない恰好のエリーがいて、丸いアーモンド色の目で自分を見上げてくる。
「もうお店の前過ぎちゃうよ? どれ食べるの?」
 ダグラスはそんなエリーをうらめしそうに眺め下ろした。
── こんな格好しやがって。
 聞けばロブソン村の祭りの日用の衣装らしいが、どうも古臭いのは否めない。
 ただ、ダグラスが眉をしかめるのは、そんな古い恰好をしたエリーと歩くのが嫌なわけでも恥ずかしいわけでは勿論なくて。むしろ。
「ねぇ、ダグラス?」
 不思議そうなエリーの顔から、つい、胸元に自然に目が落ちる。
 白く薄い鎖骨が丸見えになっていて、普段は全く目立たたない胸が強調されていて。
── 目のやり場に困る。
 きっと村祭りは、ダグラスの故郷でそうだったように、婿や嫁選びの場所でもあったんだろう。
 工房に入って、一瞬エリーだと分からずに、ついからかってしまった。
 大体、いつもぼさぼさの髪がきれいに編まれていて、体のシルエットまで変わって。
 そんなことを思って口ごもっていたら、エリーが言った。
『でもロルフは可愛いって言ってくれたし、そんなにひどくないよね?』
 なんて、こいつは。
── 莫迦。
 ん? と小首を傾げて自分を見上げてくるエリーに、ため息を一つ。
── こいつは、莫迦だ。
 男が自分をどう見るかなんてさっぱりわかってねぇ。
 20歳にもなって、錬金術で頭がいっぱいで。
 さっきからこいつを振り返って見る男の視線にも気づいていない。
── 大体、あいつ。
 黒髪の、生意気そうな若い男。自分より一つか二つ年下だろうか。
 覚えている。去年の聖騎士登用試験で自分が落とした男だ。数日付け回された記憶もある。
 あれがクラッケンブルグへのエリーの護衛だと分かった瞬間、警戒心しか起こらなかった。
 それに何より。
『可愛いだろ』
 なんで分からないんだ? というようなあの表情。
 わかってるよ。
 髪も、目も、唇も。
 見慣れない恰好をしていたからと言って何が変わる訳でもない。
 だから、わかっているから、見惚れたことを誤魔化しただけで。
 ロルフはエリーから依頼品を受け取ると、何でもない顔をして工房を出て行ったが、ダグラスはその後ろ姿が扉の外に消えるや、エリーの腕をむんずと掴 んで工房を出た。
 あの場所に出入りするのは自分だけじゃない。エリーは錬金術士で、あの工房には、冒険者も、踊り子も、貴族も、学生も、様々な人間が出入りする。
── 二人きりになるな、って何度も言ってんのに。
 ダグラスの言葉はいつもエリーの耳を素通りしてしまう。
 一方、エリーはといえば、ダグラスの不機嫌にも、ロルフの一言にもまったく動じていない様子で、ダグラスの隣できょろきょろとあたりを見回しながら歩いている。
「あ、あれおいしそうだよ。ジャム入りドーナツだって。何のジャムかな?」
 指さしながらダグラスを見上げて、ひどく嬉しそうに、にこり、と笑った。
「お前は本当に食いもんに弱いよな」
 エリーの笑顔につられて周りを見渡したダグラスは、ようやく屋台から漂う甘い匂いや、肉の焼ける香ばしい匂いに気づいた。
「そんなこと言って。ダグラスだってまだ何も食べてないんでしょ? ああ、あれもおいしそう、焼アーモンドのいい匂い」
 もうそちらへ歩きだしたエリーの背中に、ダグラスは諦めた様にため息をつく。
── こいつ自身は色気より食い気、か。
「よし、今日はお前の好きなもん全部買ってやる。どんどん食え」
「ほんと!? やったー!」
 子供のようにはしゃぐエリーの顔を見て、ダグラスの眉間からようやく皺が消えた。



 5月のザールブルグは白アスパラの味がとてもいい。
 ビールも美味だし、ソーセージはいつでも絶品だ。固い丸パンも酸味があって生ハムや白身魚のフライをはさんだサンドイッチに合う。
 季節は春のちょうど真ん中で、日差しの温かさと涼しい風が心地よい。だから祭りの中心から少し離れた場所にある噴水の周りには様々な人々が思い思いに腰掛けて、屋台の食事を食べたりくつろいだりしていた。
 ダグラスとエリーも、その中に溶け込むように座っている。
 いつもなら、聖騎士隊の蒼い鎧や、錬金術士のオレンジ色の衣装で、どうしても目立つ二人だが、今日は誰の目も引かない。むしろ、周りから見れば、仲睦まじく一つのパンを分け合って食べるような、そんな普通の街で見かける若いカップルに見えただろう。
「ふあー……おなか、いっぱい……」
 穏やかな日差しと祭りの喧騒の中で、満足げにお腹を撫でたエリーを見て、ダグラスは苦笑する。
「食い過ぎなんだよ」
「そんなことないよ。みんなダグラスと半分こだったでしょ?」
「ってことは、お前男並みに食ってるってことになるんだぞ」
 あ、そうか。と笑っているエリーをからかっていると、市場の真ん中から音楽が聞こえてきた。
「ダンス、始まったみたいだね」
 子供たちのダンスの掛け声と、それに合わせた観客たちの手拍子が上がっている。
 しばらくその音に耳を傾けていた二人だったが、エリーの体がうずうずと小刻みに揺れているのを知って、ダグラスが言った。
「見に行くか?」
 ロブソン村はザールブルグから馬車で3日ほどの距離だ。祭りの音楽も催しも、そんなに変わらないに違いない。見たいのだろうと先に立ち上がったが、エリーはうん、とうなづいたくせにぐずぐずしている。
「どうした? 腹が重くて立ち上がれねぇのか?」
 からかうと、エリーはぶるぶると首を横に振ってから、それから……
「あの……」
 顔を伏せたまま、何かぼそぼそと言ったが、周りの音で聞こえない。
「なんだよ」
 聞き返しても顔を上げようとしない。ダグラスが屈み込むと、
「じゃあ、…………で、くれる?」
 一層聞き取りにくい声で言う。
「あん?」
 なんだよと言ったら、エリーがぱっと顔を上げた。
「…手、繋いでくれる?」
「なっ…! ば、莫迦何言って、おま…」
 思わず体を起こして一歩後ずさるほど驚いたが、エリーは下を向いたまま、早口で答える。
「だ、だってデートなんでしょ? 周りの人はみんな手、繋いでるよ?」
「周りって……」
 視線を巡らせると、確かにあちらこちらで手をつなぐ……どころか、腕を組んで寄りかかりながら歩いていたり。ダグラスとしては今まで目の端にも入っていなかった光景が、気づけばあちこちで繰り広げられている。
 エリーは、ちら……とそんなダグラスを窺うように見た。
 相当焦っているらしく、今にも『無理だ』と逃げ出してしまいそうだ。
── だって…。
『ダグラス様とお付き合いしているって嘘を……』
── 嘘じゃない。
 昨日、ロテルに投げかけられた言葉が、今更思い出された。なぜ彼女があんなことを言ったのか、エリーには分からなかったけれどでも、恋人同士じゃなければ手は繋いだりしないはずだ。
 けれど、自分で言いだしておきながら、ダグラスがこんな場所で手など繋いでくれるとは、到底思えなかった。二人きりか、もしくは誰の目にも止まらない場所でなら、ありうるかもしれないが……。
「え、っと……あの、やっぱりいいや!」
 ダグラスを困らせたいわけではかったエリーは、さっと腰を上げ、お尻についた埃を払って、さっさと歩き出す。うつむいたまま、なんてことを言ったのかと頬が熱かった。……が。
「あそこに行くまでの間だけだぞ」
 頭の上から声がした。
 そして、腕組みしていた手が解かれて、落ちた視線の先に掌が差し出される。
「ダグラス……?」
 思わず顔を上げて顔を見ると、ダグラスはあらぬ方向を見つめて、耳を赤くしていた。
 くすぐったさと、うれしさで、一瞬動けなかった。
── うわぁ…。
 まじまじ見つめてしまったダグラスの手は大きくて、指の節が長くて、剣の稽古でかさついて見えた。
 どきどきしながら、それでも、エリーはおそるおそる手を差し伸べる。
 あと少しで、指先が触れる。
 なんだか恥ずかしくて、きゅっと目を閉じそうになった……その時。

「はは〜ん」

 二人のすぐそばで、声がして。
 振り返るとそこには、銀色の髪と褐色の肌。
「ふふ、見てたわよ、ダグラス、エリーちゃん」
 笑いとからかいを含んだ台詞に、二人ともぱっと手を引く。
「ロ、ロマージュ」
「ロマージュさん」
 慌てて何もなかったふりをする二人を眺めて、ロマージュは嬉しそうに笑う。
「仲が良くっていいわねぇ」
 さらりと銀の髪を掻き上げて、腕輪が光る。うっすらと額に汗を掻いているのをみて、そういえば踊り子たちの商いは、祭りの時こそ盛んだったな、などと思っていたら、二人とも逃げる暇を無くした。
「こ、ここで何してるんですか? ロマージュさん」
「私? 私は少し前まで舞台で踊ってたのよ。ほら、お祭りのメイン会場でこの後、五月祭の女王のイベントをするでしょう? その前座の盛り上げ役よ」
 あそこのね、と指さす方向にも、もう一つの人だかりがすでにできている。
「毎年の事だけど、すごい人出よ。朝から並んで席を取ってる人もいるみたいだし」
「へぇ……」
 エリーもダグラスも、今まで五月祭は任務明けで寝入っていたり、採取や依頼中だったりと、まともに見たことがない。そんなにも盛り上がるのか、とそちらを眺めた時だった。
「おーい! そこの、そこのひと!」
 そんな人垣を掻き分けて、一人の金髪の若者がこちらに走ってくる。
「?」
 ダグラスたち三人は顔を見合わせて、その、妙に息を切らせた人物が、まっすぐ自分たちの元にたどり着くのを待った。どうやら誰の顔見知りでもないらしい。
「すみません、突然で申し訳ないんですが、あの、コンテスト会場のほうで急病人が出て。倒れて……」
「えっ」
 目を丸くするエリーとロマージュの横で、ダグラスは顔を引き締める。
「騎士隊には連絡したか?」
「あっ? あ、はい。もうすでに。でもまだ運び手がいなくて」
「俺が行く。どこだ?」
「私もいきます」
 倒れた人間の症状によっては、作り置きのアイテムが役立つかもしれない、そう思ってエリーが言うと、若者は酷く喜んだ様子でうなづいた。
「じゃあ私は病人を運べるように、人をどけておくわ」
 ロマージュが言い、若者も含めた4人は、急いで会場へと走りだした。


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2013.12.21.

 


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