レターブック 4


SIDE.Elie


 ザハ・ヴァイストへの遠征は、まったくの失敗に終わってしまった。
 蛇の髪を持った女形のモンスターに一撃でやられ、めぼしいアイテムも採取できずに黒熊亭に戻ってみれば、他の護衛から戻っていたハレッシュから、知らない土地で準備不足だといさめられてしまった。
「少しは休めたのかい?」
 それでも次の朝、疲れのとれた体を起こして階下に降りると、ハレッシュはいつもの優しい笑顔を見せてエリーを迎えてくれた。カウンターの向こうには 宿泊客の朝食の支度に忙しいフレアがいて、一瞬ここが飛翔亭なのではないかと思ってしまう。
「はい、だいぶ。それにここに戻る間はロルフが助けてくれましたし」
 モンスターとの戦いは杖の力を借りる間もなく決してしまい、気づけば砂漠に倒れ伏していたエリーだったが、ロルフはそんなエリーを背負ってオアシスまで戻ってくれた。
 それを後からロマージュに聞かされたエリーは、礼を言いにロルフの部屋を訪ねたが、彼は敵に歯が立た無かった事がひどく不愉快だったらしく、エリーにまで当り散らしてきそうな気配だったので、さっさと退散することにした。
 それでも翌日もその翌日も、黙ってエリーの分まで荷を負い、行きよりも随分ゆっくり歩いてくれた様に思う。
「彼は腕が立つみたいだね」
 そんなことを思いだしていたエリーは、ハレッシュの問いにはっとして頷く。
「はい。頼りになりますよ。ロルフとロマージュさんが一緒じゃなかったら、無傷で戻れなかったと思いますし」
「なら良かった。……悪いがまだ君の護衛には付けそうになくてね。予定が入っていなければぜひ一緒に行きたいところだったんだが。」
 フレアも心配していてね、と言うハレッシュのその言い方に、ずっと、フレア『さん』と呼んでいた記憶があるエリーはまだ慣れなくて、聞くたびになんとなく照れてしまう。
 こうしてカウンターにいる間も、時々ハレッシュとフレアが視線を交わしているのが分かる。
 以前よりずっと二人の距離が近いような気がして、傍にいるとくすぐったい気がしてしまうのだ。
「あら、早かったのね」
 後ろからの声に振り返ると、ロマージュが気怠げな様子で階段を下りてくるところだった。
「ロマージュさん。おはようございます」
「あら、二人だけ? ロルフはまだ起きてこないのかしら」
 カウンターに並んで腰掛け、ちょうど戻って来たフレアにサラダとお水をお願い、と頼む。
「ロルフならもう外で剣の稽古をしていたよ」
「ふぅん、ダグラスといい、あの子といい、真面目ねぇ」
 あなたもほら、何か食べなさいと言われて、エリーは軽い食事を頼み、フレアがそれを手際よく準備する手元を見るともなしに見ていた。
「ダグラスと言えば、エリーがこうして急に来たことも驚いたけど、ダグラスと一緒じゃない事も驚かされたよ」
 ハレッシュにしてみれば、二人はセットで一つというような存在だ。
 特にこんな長旅に同行していないのを知って、喧嘩でもしたのかとつい尋ねてしまったほどだ。
「そうよねぇ。ダグラスったらいつでもエリー、エリーってうるさいくらいだものね」
「ロ、ロマージュさん!」
「ははは……」
 ハレッシュの大柄な体から漏れる笑い声に、フレアが微笑みながらプレートを出してくる。
「はい、エリーちゃん。チーズオムレツとハッシュポテト。ベーグルはロマージュさんも少しお腹に入れてね」
 添えられたトマトのスープは温かく、気温の高いこの国でも朝はほっとする飲み物だ。
「なんだか、こうしてるとザールブルグにいるみたいな気分になっちゃいますね」
 何気なく言った言葉に、フレアの細い指先がふと止まる。
── あ。
 エリーは一瞬で自分の失敗を悟り、視線を彷徨わせると、皺のある目元を緩めたハレッシュがただ微笑んで、そうだね、と言った。
「おい、あんたら」
 不意に、背後から声を掛けられて、しんとしていた一同は一斉に振り返る。
 と、声をかけたロルフのほうは、ぎょっとして半歩下がった。
「な、なんだよ……食事を終えたら採取の打ち合わせだって言ったのはあんたらだろ?」
稽古の汗を拭きながらそう言い、彼はふんと鼻を鳴らすと剣を置き、宿泊客のいなくなった丸テーブルに腰掛けた。 


「一番近くて往復13日、ですか」
 テーブルに広げたドムハイドの地図はまだ新しく、ハレッシュはその上を太い指でたどって見せる。
「そう。ここがその 『リズィ・フィス』。聞いた話じゃ周りを林に囲まれた泉があるそうだから、ザールブルグで言うならへーベル湖みたいな場所だと思う。あとは南西にあるオアシスも人が良く行き来するから、道は悪くないかな」
「何日くらいかかります?」
「ここも13日はかかるな」
更にハレッシュは地図の北西を差して、言った。「こっちも15日ってとこだ。鉱山跡でね。『シュバイトの丘』と言うんだが、どうも閉山した理由はモンスターらしい。気を付けるに越したことはないな」
「どこも遠いですね……」
 地図に目を落としながら悩むエリーが実の所気にしているのは護衛費だ。途中で金ぷにを倒して多少は潤ったものの、帰りの道中を考えると護衛二人を連れて訪れることができるのはせいぜい後一か所だろう。
「どうせなら、遠い方がいい、かな……なかなか来られない国だし」
 ぽつりとつぶやくエリーに、ロマージュが少しだけ眉を曇らせる。
「鉱山跡ねぇ。……モンスターの強さはどれくらいなの?」
「聞いた話じゃ、手ごわいって事だが」
 ハレッシュも腕を組み、3人の顔を渋い顔で見返す。
 それを値踏みと取ったか、ずっと黙っていたロルフが顔を上げた。
「俺じゃ力不足か?」
 年上のハレッシュに挑むような調子で尋ねる。
「ん? ああ、いや……君の事は良く知らないし、モンスターのほうもね、噂しか聞いていないからどうも慎重になるんだ」
 ハレッシュにとって錬金術士の護衛は、通常の護衛とはずいぶん違うものだ。
 普通なら危険な場所は全力で通り過ぎ、モンスターとの交戦も徹底的に避ける。
 しかしそのモンスターそのものを素材とみなす錬金術士は、真向からそれに立ち向かおうとするし、あまつさえ、何日もその場所に逗留しよ うとする。
『カゴがいっぱいになるまで絶対動かない』
 と言う金髪の錬金術士の顔を想いだし、一層渋い顔になってしまったハレッシュを、どう思ったのかロルフが立ち上がった。
「どうせ俺は砂漠の女王に一発でのされるような腕しかないしな」
「ロルフ?」
「ちょっと、放っておきなさいよエリーちゃん」
 つられて立ち上がったエリーを見上げてロマージュが制したが、エリーは怒った顔をして扉を開け出て行くロルフを追って外に出た。
 




SIDE.Dagllas


「エルフ、ですか?」
 エンデルクの執務室は、いつも整理整頓されていて、無駄なものがない。
 書類整理に追われているはずなのに不思議だと、ダグラスは自分の机を思い出して考える。
「そうだ」
 エンデルクは頷いてダグラスに一通の書類を差し出した。
 一歩近づきその書類を受け取ったダグラスはさっと目を走らせる。

 東の大地
 エルフ急増
 
 そんな言葉が飛び込んで来て、ずっと続いている通行禁止令を思い出す。
「またですか。先日討伐隊が出て、一通りやってやったはずですが」
 秋の討伐以前から、東の大地ではエルフが盛んに出没していた。しかし、ダグラスを含むいくつかの小隊が、討伐隊を組んであたりを一掃したにもかかわらず、エルフたちは東の大地だけでなくザールブルグ周辺にまで、年を明けぬうちに戻っていると報告があった。
「これで3度目だが」
エンデルクはダグラスの意見を求める様に、彼を見上げた。「原因は分かるな?」
「例の結界石ですか」
 幾度となく議論された話題をダグラスは口にする。
「宮廷魔術師のイェーナーの調査結果によると、あれはまだこの国にアカデミーもなかった頃、とある錬金術士が調合したものであるらしい。アカデミーにも問い合わせたが、はっきりとしたことは分かっていない」
 シグザール王国に東を囲うその結界は、マリーが壊した一つを要として成り立っていたらしい。ダグラスもエリーからそれとなく聞き出したところ、通常の結界石は、相手の攻撃を2.3回 無効化するのがせいぜいの代物で、ずっと魔を退け続ける能力はないという。
「同じものがすぐ手に入る可能性は薄い。哨戒の回数を増やすよう隊の編成を変えていく」
「はい」
 小隊長であるダグラスは、短く答えてうなづく。
 この2か月は、ダグラスの隊だけでなくほかの小隊もほとんど休まずに街をでている。
 エンデルクがダグラスをエリーの護衛に着かせなかったのは、それが理由の一つでもあった。
 が、今回一人だけ呼び出されたことを不思議に思い、ダグラスは姿勢を正して立ったまま、エンデルクに問いかけた。
「それで自分は何を?」
「マリーが街に帰ってきたと報告を受けた」
 グラマラスな姿態に金髪、一見美人で動けば爆弾のマリーの動向は、騎士隊により逐一エンデルクへ報告されている。
 今回も彼女が大門をくぐった瞬間に、エンデルクの元へ連絡が来たようだ。
「騎士隊からの依頼を伝えに行ってくれ。依頼品は…結界石だ」
 アカデミーにも話は通してある、とエンデルクは言った。


 久しぶりに街に出たダグラスは、冷たい空気を一つ吸い込むと、職人通りではなく飛翔亭へ足を向けた。
 夜になれば明かりが灯り、にぎやかになる飛翔亭も、まだ朝に近いこの時間はひっそりと静まり返っている。が、ダグラスが重い木の扉を開けて中に入る と、案の定カウンターには宿泊客に混じって朝食と共にワインを嗜むマリーの姿があった。
 先にダグラスの姿に気づいたディオが顔を上げた。
「ダグラス、しばらくぶりだな」
「よぉ」
 マリーはそれを聞いてものんびりと食事を続けていたが、ダグラスが隣に腰掛けると、ようやく気付いたように振り返った。
「朝酒かよ」
 ダグラスの渋い顔をちらと見て、マリーはワイングラスを回して見せる。
「寝酒。さっき帰って来たんだもん」
「知ってる。それにしても随分かかったじゃねぇか。出てったのは確か…9月だったよな?」
 討伐隊が出ていく前に、カスターニェへ旅立ったと記憶している。
 そのせいでエリーが妙なプレッシャーを負ったことも。
「こっちは寒いよねぇ~。もうちょっとあったかくなってから戻ったらよかったかな」
 のんびりした口調に、ダグラスは呆れてつい腕を組み、マリーに向き直った。
「どんだけ留守にする気だよ。仕事しろ、仕事」
「採取だって仕事だもーん」
 ダグラスと視線を合わせず、ぱくりとチーズを一口。
 とてもエリーと10歳違いとは思えないその横顔に、ダグラスはため息をつくと、改めて身を乗り出し尋ねた。
「まあいい。……ところで急ぎで頼みたいものがあるんだ。できるか?」
「ん~……」
性急なものの言い方に、マリーは金の髪に手を埋め、空になったワイングラスをディオに差し出す。「お代わり。ダグラスのおごりでね」
「なんでだよ!」
 ディオはにやりと笑って新しいボトルの栓を抜く。
「だぁーって、今帰ってきたばっかりだもん。仕事なんてする気になると思う?」
「それと俺があんたの飲み代出すのとどう関係があるんだよ」
「渋いわねぇ、稼いでるんでしょ?」
「それも関係ねぇだろ」
 開けられたばかりのワインの芳香まで一息に飲むように、マリーはグラスを傾けて喉を鳴らし、俺にも頼むと悔し気にグラスを求めるダグラスへ向き 直った。
「で、急ぎの依頼ってなんなの?」
「結界石だ」
「結界石~? フラムとかじゃないの?」
つまんない、というように髪を掻き上げ、空になったグラスをカウンターに置く。「別に作れなくはないけど。ちょうど材料もそろってるしね」
 ダグラスは懐から一通の封書を取り出すと、マリーに差し出す。
「これが依頼書だ。報酬も書いてあるからとりあえず読んでくれ」
「ふーん、エンデルクからじゃない。珍しい」
 表書きの筆跡だけでそう判断すると、マリーは封を切って目を細めた。
「……できそうか?」
 不意にマリーが真剣そうな顔つきになったのを見て、ダグラスは身を乗り出す。
「ん~~~……」
「なぁ」
「おかわり」
 開いた手にグラスを押し付けられ、ダグラスはため息とともに「俺のおごりで」とディオに言う。
 マリーはしばらく蒼い目を彷徨わせていたが、なみなみと注がれたワインを飲み干し、さ、と立ち上がった。
「おい。どこへ……」
「工房。帰って寝るね」
 カウンターに銀貨を数枚置き、慌ててマリーの跡を追うダグラスに、マリーは入口の戸を開けながら笑って振り返った。
「これに似たものなら作れる……っていうか似た感じにはなるよ。でもまぁ、少し時間は必要だけど」


 





- continue -






2013.11.15.




蒼太
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