「やあ来たね。ダグラス、エリー」
翌日。
王宮に呼び出された二人を待っていたのは、ほかならぬブレドルフ王その人で、後ろにはエンデルクがいつものように控え、私室の丸テーブルの上には山積みの書類らしきもの。
「お呼びですか」
居住まいを正したダグラスの隣に、エリーがちょこんと立っている。
目を細めてその姿を眺め、ブレドルフは二人に座るよう促すと、山になった書類を二人に見せる様エンデルクに伝えた。
「これはね、昨日のうちに騎士隊に届けられた手紙の一部だよ。読んでご覧」
ダグラスとエリーは不思議そうに目を合わせて、各々それを手に取った。
そして目を通す。
『錬金術士の参加は反則だ』
『あんな華奢な女性に本気を出すのはどうかと思う』
『公衆の面前で女性を抱きしめるダグラス様は見たくなかった』
『騎士隊はどんな教育をしているのか』
「こ……これっ…は?」
何通かに目を通しただけで、青くなったダグラスが目を上げ、エリーは同じくその隣で目を白黒視させている。過激なものにはもっと目をつぶりたくなるようなものもあったからだ。
「いや、毎年誰が勝とうと、これくらいの手紙は来るんだけどね」
ブレドルフは暢気な口調で言い、一枚の手紙を取ると、ちらと中身に目を通す。「こういうのもあった。ほら。『痴話喧嘩ならよそでやれ』」
とたんに目の前の二人が、耳まで赤く染まったのを見て、にこりと笑う。
「責任、取ってくれるよね?」
ふ、と深い笑顔を見せて、ブレドルフはテーブルに肘をつき、二人が返事をする前に、手を組んで言った。「エンデルク」
顔色一つ変えずに傍にたたずんでいたエンデルクが、軽くうなづく。
そして、まずエリーに向かってよい声で言った。
「エルフィール・トラウム。君には隣国ドムハイド王国に行ってもらいたい」
「えっ…ドムハイド…ですか?」
意外過ぎる言葉に、エリーは驚き目を丸くする。
ブレドルフはその反応に、少しだけ表情を引き締め、うなづいた。
「そうなんだ。君も知っての通り、かつてドムハイドとザールブルグは敵同士だった。それは知っているね?」
「はい。……ええと、私が生まれる前の話、ですよね。でも知っています」
ロマージュやルーウェン。あまり話したがらないが、ディオやクーゲルから漏れ聞いたことがある。
「僕はね、今後ドムハイドとの国交をより深く親しいものにしていきたい。けれど、今のザールブルグの人たちは、まだあの戦を忘れていない人が多いし、長い事国交が断たれていた為に、本当はドムハイドがどんな国なのか、どんな人間が住んでどう暮らしているかを知らない」
そこで。と一つ息を付き、薄蒼の瞳はエリーに向けて光った。
「戦争を知らない君たちのような若い世代…それも、いろいろな国や土地を見て回ったことのある人間……つまり、君やマリーのような錬金術士に、まずかの国との交流を担ってほしいんだ」
「私や……マリーさんに、ですか?」
思わず目を丸くしたエリーに、ブレドルフが微笑む。
「無論、無理にとは言わないよ。でもねぇ、錬金術には様々な材料が必要なんだろう? ドムハイドはここより温暖な土地だ。こちらとは植生が随分違うだろうし、珍しいものがたくさんあると思うよ?」
エリーの心が一気に動いたのを感じたのか、ブレドルフは更に言った。
「交流といっても、むずかしいことじゃない。ただ君たちがあちらで見聞きしたこと感じたことを、素直に皆に伝えてほしいんだ。その逆もね。それに急ぎじゃなくていい。気が向いたときに行ったらいいよ。ただ、ね……」
一度言葉を区切ったブレドルフを、不思議そうにエリーが見ると、彼はわざとらしく深く深く息を吐いた。「この手紙の様子だと…しばらくザールブルグにはいないほうが、いい気がするなぁ……僕は」
「……っ行きます! すぐ! 明日からでも!!」
はいっ、と挙手する勢いでうなづいたエリーの隣で、ダグラスがようやく言葉を発した。
「じゃあ、俺はエリーの護衛ですか?」
「いや。違う」
答えたのはエンデルクだ。「ダグラス、お前は街に残るように。エリーとは行動を共にしてはならない」
「……っ?」
てっきりいつものように許可されるものと思い込んでいたダグラスは、思わず聞き返しそうになり、しかしそれを抑える。
「言っただろう、ドムハイドとザールブルグは戦争状態にあったんだ。その蒼い鎧を着てエリーを護衛するには少し早いと思うよ」
落ち着いた様子のブレドルフの言葉に、なら鎧を変えて、と言いかけたダグラスを、エンデルクが制す。
「お前にはお前の任務がある。ここはエリーと、エリーの選ぶ護衛に任せるように」
「しかし……」
さすがに一言返そうとしたダグラスを、ブレドルフは目で制した。
「お仕置きだよ、ダグラス。今回の件は君が悪い」
「……なっ…?」
ダグラスは思わず柄悪く口答えそうになって相手が王だと思いだし、かろうじて抑える。「……ん、でですかっ」
「女性を泣かせるのは良くない。どんな理由があろうとも、ね」
「俺はっ! ……泣かせて、なんて……」
今回は、怒らせはしたが泣かせてはいない筈、と小さくつぶやく。
が、ブレドルフは軽く手を振り、手紙を差した。
「エリーだけじゃないよ。何通の手紙に涙の跡があった事か。少なくとも一人はこの僕の目の前で切なげに涙をこぼされた。この目で見たんだ。確かだね」
冗談めかして言われたブレドルフの言葉を、ダグラスは信じはしなかったが、エリーは、ちらと自分を見たブレドルフの視線で、分かった気がして……微かに瞳を揺らす。
「……どうしても、だめですか」
「許可しない」
エンデルクの動じぬ返答にダグラスは、ぐ、と言葉を詰まらせるしかなかった。
「じゃあ、行ってくるから」
新年があけて、数日後。
シグザール城門前。
ぐっと冷え込んだ夜から、朝日が差し始めた広場には急に霧が立ち込めはじめ。
警備に着いたダグラスとエリー、もう一人の門番以外はほとんど人影もない。
年末に引き受けていた依頼をこなし、妖精たちに採取の指示を出したエリーは、旅支度を整え終えて背に負っていた。
「大丈夫か? 忘れもんないか?」
「うん。大丈夫だと思うよ。首ももういいし、それに今回はちゃんと護衛もつけたから。ロマージュさんと、もう一人。南に詳しい冒険者さんを飛翔亭から紹介されたの」
「飛翔亭から? ……なら、まあ、大丈夫なんだろうが」
ルーウェンじゃないのか? と心配そうに自分を見降ろすダグラスに、エリーは、ルーウェンさんは違う護衛に付いたから、とだけ言って、それからこれ、と紙袋を渡す。
「アイゼルから材料を分けてもらって作ったんだ。レターブック」
「…………?」
「手紙、書いてね」
不審そうなダグラスに、一言。
とたんにダグラスは大きく首を横に振り、うっかり受け取ってしまった紙袋を、エリーの手に押し返そうとしてきた。
「冗談だろ!? 俺が手紙なんか書くと思うのか!?」
「書くの! 書かなくちゃ絶交するから!!」
それでなくても2か月以上は離れ離れになるのだから、それだけで絶交中と言えば絶交中なのだ。
昨夜、エリーはふと、今まで採取の度に当たり前の様に離れていた時間を、寂しいと思った。
妖精の森へ行くたったあれだけの時間に、どれだけダグラスと話したいと思ったか。
だからエリーは、ダグラスが返そうとする紙袋を、絶対に受け取るまいと両手を後ろに回して拒否する。
そんなエリーに、例のあの『謝ってよね』の頑固さを見たダグラスは、少しだけ抵抗を続けたが、やがて、ため息をついて袋を小脇に抱えた。
「……気が向いたらだぞ」
「っ! ……うん!」
ぱっと笑顔を見せるエリーの顔を見降ろして、焦ったダグラスは念を押す。
「本当に、気が向いたらだからな。もしかしたら、一度も気が向かないかもしれないし」
実家にすら一通の手紙も出したことがないのだ。
筆不精と言えばそうかもしれない。けれど、顔も見ないで言葉を伝えるなんて、ダグラスには向いていない。
「一通くらいは出してよ。書置きが長くなったと思ったらいいでしょ?」
書置きなら確かに残した覚えがあって、痛いところを突かれたダグラスは黙り込む。
「何、書けばいいんだよ」
「何でも。ザールブルグで見たこととか感じたこととか、私に伝えるみたいに書いて?」
渋い顔をしたダグラスに、エリーは諦めた顔をして付け足す。「……その日食べたものでもいいよ」
「ああ」
なるほどと言う顔に、エリーは唇を尖らせ、それから、イタズラを思いついて言った。
「好き……とか、愛してる、とか、書いてもいいよ」
「っ……莫っ……莫迦野郎!」
一瞬で耳元を朱に染めたダグラスに、エリーも恥ずかしくなって、ぱっと視線をそらす。
はぁ、というため息が聞こえて、ちらと見上げれば、ダグラスは赤くなった耳元に触れながら、言った。
「まぁ……気を付けて行けよ。往復するだけで一か月以上はかかるんだし、お前の事だから空手で帰る気はないんだろうからな」
「うん。ちょっと頑張ってくるよ。あ、マリーさんが戻ってきたらよろしくね」
腕組みをしたダグラスは、鼻を軽く鳴らして答える。
「お前よりあの人のほうが帰りが遅いかもしれないな」
「まさかぁ! ……うん、まさか、ね」
疑うような顔に、ダグラスは苦笑して、エリーの頭の輪っかの中に手を入れ、くしゃりと頭を撫でた。
「遅れるぞ! 行って来い!」
とん、と押し出されるように。
街の大門のほうへ促される。
エリーは照れたように笑うと、頷き、少し歩き出して。
「行ってきます!」
立ち止まって振り返り、ダグラスに手を振った。
- END -
2013.02.02.
珍しく、言い訳じみた後書きを。
今回のは、妖精の指輪から続くといえば続く話。
いつの間にか過保護になったダグラスの話と言うか、意地っ張りなエリーの話というか。
ただ痴話喧嘩させたかっただけと言うか。
エリーはなかなか怒らない子なので、苦労したし、ダグラスもエリーの仕事を邪魔するような事をするだろうか、と思いつつ、書いたり直したり。
ようやく少し、納得できる形になりました。
最後まで、武闘大会でエリーを勝たせるかどうか悩んだけれど。
悔しがるダグラスも見てみたいw
時間軸的には、5年目ですから、
ダグラス 23歳、エリー 19歳ですが。
マイスターランクに行っていたらまだ学生ですけど、このエリーはもうプロとしてお仕事しているので。
もうそろそろ色んな事に責任もプレッシャーも感じ始める大人ですよ。という……ことも。伝わってたら幸い。
以下アニスネタバレなので、それでもよろしければ。
アニスでは、ダグラスをだいぶ長い間雇えないのです。
雇えるようになるのは、マリーかエリーがある国に一度行ってから。
なので、どうしてもダグラス以外を雇用して冒険に出なくちゃいけない時期というのがあります。
そしてエリーは割と強いので、近くの森くらいなら余裕で一人で行けるステータスです。
雇えないのはさみしいけど、ネタ的にはなんておいしい時期を作ってくれたのか。
シナリオ作ってくださった方に感謝!
蒼太
2013.02.02.
2019.06.10.加筆修正