喧嘩 3




 ダグラスは飛翔亭から工房までの石畳の道を、荒々しい足取りで歩いていた。
『最近、騎士隊の若い子が直接工房に出入りしてアイテムを注文しているみたいだわ。騎士隊だけじゃなく、冒険者もちらほらいるみたいね。エリーの工房のアイテムは質がいいし値段も安いし、ありがたい存在なのよ』
── 何やってんだ、あいつ。俺がちょっと目を離しただけで……。
 軽いワインを飲んだだけなのに、酔いが回っている気がする。
── 大体、妖精の森に行ってたんじゃないのかよ。調合してる暇があるなら……なんで俺んとこに来ない?
 その角を曲がれば工房、という小道。
 腹を立てている自分を自覚しながら曲がり角を曲がる。
 と、その眼に飛び込んできたのは、工房前の街灯の下で、重い扉を開けて出てきた若い騎士と、それを見送りに出て来たらしいエリーの姿。
 夜はすっかり更けて、とてもじゃないけれど男と二人きりになる時間じゃない。
 陰になって分からないが、遠目に淡い金髪をした男が、エリーに身をかがめ何かを言い、エリーはなぜかはにかんで。
 その男の後ろ姿が見えなくなるまで、工房の扉の前で佇んで見送っていた。
 ダグラスは黙って、足音を殺してその後ろ姿に近づく。
 騎士隊の男が本気を出したら、まとった鎧の音さえ消せるのだ。
「おい」
「ひゃあっ!!」
 突然の声に飛び上がったエリーが振り返るや、ダグラスはその細腰を掴んで、工房の中に引きいれた。
 相手がダグラスと知ったエリーは、ぽかんと口を開け、それからその口を引き結んだ。
「な、何しに来たの?」
 そんな強い台詞が出てしまったのは勿論、昼間の女性が気になっていたからであったし、その上追いかけても来なかったダグラスのせいなのだけれど。
「お前こそ何してたんだよ。こんな遅くに」
 呼気に含まれたアルコールの香りがエリーの鼻に届く。
「何って……調合だけど」
 でもダグラスには関係ないでしょと、意地を張るつもりで顔を上げる。
 が、目が合った瞬間の、厳しい顔に息を呑んだ。
「今の、誰だよ」
「誰……?」
「さっきの男」
 いつの間にか壁際に追い詰められ、扉は扉自身の重さで閉まっていく。工房はまだ竈の火が燃えランプも灯され充分に明るいのに、両脇に付いたダグラスの腕と、体の陰で目の前が暗い。
「あ、あれは…あれ…」
「誤魔化すのか?」
 答えようとしたエリーの鼻先に、ダグラスの鷲鼻がくっつきそうなほど傍に。
 喧嘩の最中だというのにどきりとして身が震える。これはキスをするときの距離。けれど。
「こんな夜更けに男と会うなんて、危ねぇと思わないのか」
 その言葉に眉を潜めた。
 ダグラスは何を言っているのだろう。
 いぶかしげにしたのが顔に出たか、ダグラスがエリーに言って聞かせる様に言葉を繋ぐ。
「何されても文句はいえねぇんだぜ?」
 ダグラスにとっては、この時間に工房の前で、あんなふうにエリーと別れるのは自分だけでなければいけないのだ。あんな顔をエリーにさせるのも、後ろ姿を見送られるのも。
 そこまで言われれば、さすがにエリーも、ダグラスが妙な勘繰りをしているのが分かる。
 途端に顔が赤くなっていくのが分かった。ダグラスは……あんなことをエリーがダグラス以外に許すとでも思っているのだろうか。
「酔ってるでしょ!」
 怒りもあってその腕の間からすり抜けようと身をひねる。
「酔ってねぇよ、幸福のワインくらいで」
 だがダグラスの腕がその動きを追いかけて、エリーの細い手首をつかみ、逆に壁に押し付けた。エリーは両腕を壁に張り付けられる格好になって、丸い目の光を強くしてダグラスを睨み上げる。
「そんな顔して心当たりでもあんのか?」
「離して!」
「逃げられるもんなら逃げてみろよ」

 『別れたって噂が流れてるらしいですよ』

 部下のアロイスの言葉が今になって急に脳裏をかすめた。もちろんダグラスはエリーと別れたつもりなど毛の先程もない。でも、エリーは?
 そう思った瞬間、エリーの手首を縫いとめていた腕に、微かに力が入った。でもそれは、エリーにとっては強すぎるほどに強い力だったらしく。
「痛っ、あ!」
 いつもだったら顔をゆがめる前に、離していたはずだ。
 大体ここには、本当は話をしに来ただけだったのに。
「やめて、ダグラス……やだ!」
 鼻先をもっと近づけて……キスをしようとしたら顔を背けて拒まれた。
 いつものように恥ずかしがって避けるのではなく、その顎先が震えている。
── 俺が、怖いのか?
 その事実に愕然とした。驚いて、焦って。
「おい、エリー……」 
 腕の力を込めたまま、その顔をもう一度覗き込もうと身をかがめる。その動きをどう取ったのか。
「やだ!」
 手ひどい本気の拒絶の声に、はっと手を緩めた瞬間、腕の隙間から驚くほど素早くエリーが消えた。
 いや。
 自分の身を守るように胸元に手を組み、ずるずると壁に背を這わせて、床に座りこんだだけだ。
 ダグラスをへの字口で見上げながら。
「エリー……」
 こんなつもりじゃなかった。酔っていたから。
 そんな言い訳はいくらでもできた。
 でも。
 エリーは唇を噛むようにして、今にも泣き出しそうな顔をし、腕を自分の足に巻きつけるように顔を伏せた。
── こんな顔させたのは、俺、か?
 その事に衝撃を受ける。
 壁にエリーを押さえつけた瞬間の、あのどうしようもない衝動は、嘘じゃない。
 エリーの非力さを知っていて、どうとでもできる、と思った。
「………っ!」
 息をつめ、後ずさる。
 そしてそのまま工房を飛び出した。




 ダグラスの足音が遠ざかっていくのを、うつむいたまま聞き。
 しばらくしてエリーはのろのろと立ち上がり、火が消えてすっかり冷え込んだ工房の中を見回した。
 妖精は採取に出かけていて、端にはマリーから送られてきた様々な材料が山積みになっている。
「…………」
 昼、ダグラスと飛翔亭で会った後にした調合は、すべて失敗して産業廃棄物になり床に転がっている。
 精製には集中力が必要なのだから当たり前で、昼間見た女性の姿が頭から離れないエリーにとっては、さっきの依頼がギリギリで仕上がったのが、奇跡に思えた。
「ただの、お客さんなのに……」
 空になったフラスコを片づけて、明日の準備を始める。
 手を動かしていたほうが何も考えずに済みそうだったのに、なんだかいつの間にか視界がぼやけて何も見えない。
「自分だって、女の人と居たくせに……」
 一方的に責められて、一方的に怒鳴られて、強引にキスされそうになって。
 せめてひとつは避けたくて、顔を背けた。
 まだ痛む手首を見れば、うっすらと赤く染まっていて、ダグラスの力の強さを知る。
『何されても……』
 確かに、あの力で押さえつけられたら、もがいても全力で押し返そうとしても、何もできないだろう。ダグラスだって少しは加減したはずだから、ダグラス以外の騎士や冒険者に同じことをされたら、きっともっと何もできないんだとはっきり理解した。けれど、なんだかそれが悔しくて、さみしくて、つらくて。
── ダグラスはいつも強引だけど……
「ちょっとくらい、話聞いて、よぉ」
 暗い工房の中で一人ぽつんといると、いつまででも泣いていられそうだった。
 だから、ぐいと袖で涙を拭くと、エリーはマントと帽子とポシェットを手に取った。
 遅い時間だが、まだ今なら飛翔亭が開いてるだろう。
 誰かと会って話をしたかった。今の自分の、このもやもやした気持ちを聞いてくれる人に会いたかった。
 本当はそのもやもやの原因であるその人と会えば、きっと一番いいのだけれど。




「ダグラス様? 今日はどうなさったんですか?」
 フロレットは、ここ数日と同じように、朝から王宮に自分を迎えにやってきたダグラスを見た時、嬉しさにほころんでいた自分の頬が、僅かにこわばったのを感じた。
 それ程ダグラスの顔は険しくて、顔色も悪く見えたからだ。
 ダグラスの部下だという二人もどこかぴりぴりとした雰囲気だったが、フロレットが困った顔をしていると、そのうちの一人、アロイスと名乗る銀髪の騎士が何も言わず微笑んでくれた。
 それで少しだけ勇気が湧いて、フロレットは椅子に座ったままダグラスを気遣うようにもう一度声をかけた。
「あの……体調がお悪いようでしたら、今日は……」
「いや」
ダグラスが思った以上に短く鋭く答えてきた。「行きましょう。馬車は表に回してあります。今日はどちらに?」
「ええ、……あの、そうですね……」
 フロレットは腰まである亜麻色の髪に思わず手を寄せる。躊躇うとき、恐れているとき、この癖がつい出てしまい、父親にも母親にも叱られるときがある。
 曰く、もっと貴族らしく、誰にも弱みを見せずに、凛としていなさいと。
 それを思い出し、一つ息をついて背筋を伸ばした。
「明日はいよいよ武闘大会ですね。会場にはもう市が建って賑やかなのだと聞いています。ですから、そちらが見てみたいのです」
 言うと、ちらりとダグラスが眉を寄せ、フロレットはまた少し怯え、視線を床に向けそうになる。
 けれどダグラスはただ、分かりましたと頷いて、部下の一人に御者へ馬車の向きを変えておくようにと伝えに行かせた。
 その間、フロレットは黙ってダグラスの横顔を見る。
── あの武闘大会から、もう一年も経つのですね。
 去年の武闘大会。
 ダグラスがエンデルクを破ったあの大会を、フロレットも父親と共に見ていた。血なまぐさいもの、荒っぽいことも好まないフロレットとしては断りたかったのだけれど、一緒に来るんだと言い切られたら断れなかった。
 そして、決勝戦。
 父親から聞かされた話では、今年もエンデルクが優勝だろうと、この先もずっとそうだろうと聞かされていた。なのに、おされていた若い騎士がそれを跳ね返したのを見た時、その姿に見惚れた。
 市井の人々が彼に押し寄せて、笑い、騒ぎ、にぎやかに紙ふぶきが散って、それが蒼い鎧にも赤っぽい黒髪にも舞い、その時から、フロレットにとってダグラスは忘れられない存在になった。
 今回、父親がダグラスをフロレットの護衛に付けると聞いたとき、耳を疑った。まさかの気持ちに我知らず胸が高鳴って、本当に自分を迎えに来たときには、気を失いそうになったし、父親が付けてくれた侍女が隣で何か言ったような気がしたのも耳に入らなかった。
「用意ができたそうです。行きましょう」
 物思いにふけっていたフロレットの前に、蒼い手甲を付けた手が差し出される。
 フロレットはその手に手を重ね、立ち上がり歩き出した。
 右足を少し引きずりながら。

- continue -

2013.01.27.

 


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