妖精の腕輪 2


「いたぞ!」
 昼でも薄暗い森の中、木立に隠れて、男が3人走っていく。
 その先の茂みの中で、ぶるぶると震えていた小さな人影は、男の言葉に飛び上がった。
── 見つかっちゃった、見つかっちゃった!
 もう少しで、自分の良く知る場所に出られると思ったのに。
 足には自信があったが、追ってくる人数が思いのほか多く、囲い込まれててしまったのだ。
 背中に背負った白い袋も重い。
 それもそのはず。
 売り切るはずだったアイテムがたっぷり中に入ったままなのだから。
── どうしてこうなっちゃったのかなぁ
 心の中でつぶやいてはみたものの、理由ははっきりしているのだ。
『妖精の腕輪』
 袋の中に放りこんできたアイテムは、実の所、追いかけてくる盗賊のアジトから盗んできたもの。いいや、盗む……ではなく、取り返すと言ったほうがいいか。
 だってこれはもともと自分たち妖精族の持ち物であって人間が持つためのものじゃない。もし、持てる人間がいたとすればそれは、妖精族が腕輪に値すると判断した者にのみ。
 だから、小さな人影……アイテム売りのパテットは、いつものように腕輪を目標に妖精の森を出た。腕輪が導いてくれるものだから、いつもと違う方向に向かっていることに何の疑問も抱かなかったのがいけないと言えばいけなかった。
 けれど、たどり着いたのはエリーの工房とは似ても似つかぬ洞窟の入り口。
 中からは何か、動物の毛皮をうまく鞣せずに腐らせたようなにおい。
 それから、男達の太い声。
 もちろん妖精族の長老や、あのエリーが腕輪をこんなところにいる男たちに渡すはずがない。
 きっと何か手違いがあったのだろうと、パテットは思った。
 だから、後でたっぷり褒めてもらっていいと思うけれど、パテットは一人果敢に盗賊たちに立ち向かった。
 簡単に言えば、出払ったところにさっと忍び込んで、さっと腕輪を取って逃げた。
 採るのは得意だし、人間が妖精の素早さに付いてこられるとも思えなかったから。
 ところがどういう手違いか逃げる途中にうっかり見つかって、撒くにまけない状態に陥っている。
 最初はパテットもそんなに焦ってもいなかった。結局相手は人間なのだ。少しばかり走れば遠くまで逃げられる。と思ったのだが。
── ああ、またあの音だ。
 遠くから聞こえるのは竹笛の音。パテットも錬金術士の工房に出入りするお手伝い妖精の一人だ。あれが疾風の竹笛だということはすぐに分かった。盗賊は盗賊らしく、どこかからそれを盗んできて使っているのだろう。これではなかなか逃げ切るのも難しい。
── 困ったなぁ。
 眉を落としてアイテム袋を肩にかけ直し、茂みから飛び出して、声と反対の方向に駆けだした。
「あっ、あいつまたちょろちょろと!」
「いいから捕まえろ! ありゃ妖精ってやつだ。売ればかなりの高値になるぞ」
 後ろからの声に、パテットは漸く、狙われているのはこのアイテム袋ではなく、自分自身と気づいてすくみ上った。
 慌てて次の茂みの中に逃げ込み、そのまま突っ切る。
 しかし、追っ手もさるもので、茂みの向こうに先回りして腕を広げていた。
「わあっ!」
 足に力を込めてスピードを殺し、男の脇をすり抜ける。
 ところが。
 次の茂みを抜けて目にしたものは。
 大きな馬の前足。
 ぶつかりそうになってもう一度方向転換。
 でも。
 ここにも、あそこにも!
 そう思った瞬間に、襟をつかまれて高々と持ち上げられてしまった。
「やめて! 離して!」
「こら、暴れんなっ、おとなしくしろ!」
 暴れるパテットの耳元で、男の声がした。ギュッと目をつむって、森を想う。
── このまま売られちゃうのかな。もう森には帰れないのかな。
 けれどそんなパテットの前で男たちはせわしなく言葉をかけあう。
「隊長! 相手はどうやら盗賊のようです」
「数は?」
「目視した限りでは5名ほど。広がっていて多くはありません。我々に気づいたようです。追います。隊長はその子供を」
「分かった。後から行く」
 どうやら、何かが違うようだ……と恐る恐る目を開けると、蒼い鎧をまとった騎士たちが、馬を駆って木立の奥へと姿を消していくのが見えた。
「おい、大丈夫かお前」
 どうやら、盗賊につかまったわけではないらしいと気づいて顔を上げる。赤味がかった黒色の髪をした若い男が、自分を猫の子のように吊り上げていた。
「あれ? お前妖精か。どこのガキかと思ったら……」
 掴まれた襟のせいでのどが詰まって、目が回りそうだった。
 男はその場に残った数人の男たちと同じく蒼い鎧を着ていたが、一人だけ少しばかりその鎧が豪華だ。どこかで見たことがあるなぁとパテットは思う。
── あ、ザールブルグの騎士隊だ。
 エリーの工房に行くときに、大通りや大門のそばで何度か見かけたことがある。ということは、少なくとも敵ではない……はずだ。
「隊長、妖精…ですか?」
「ああ、お前らは見たことねぇのか。結構その辺うろちょろしてるぜ?」
 言葉と一緒に、地面に下ろされほっとする。
「逃がしてしまっていいんですか?」
「ん? ああ。まぁそのうち勝手に森に帰るだろ。なぁ?」
 隊長と呼ばれた若い男に急に話しかけられ、パテットはびっくりしてその男の顔をまじまじと見上げた。人間を見分けるのは苦手だけれど、こうして助けられたからにはよく覚えて長老に報告しなければ。
 男はそれ以上パテットに構う気はないらしく、馬に乗ったままパテットを見降ろした。
「あいつらは俺たちが捕まえとく。が、気を付けろよ、この辺は盗賊の住処が多いからな。お前なんか売られて薬の材料にされちまうぞ。」
── クスリの、材料!?
 目を回しそうになるパテットをよそに、隊長と呼ばれた男は、いたずら気に笑って馬首を返したが、ふとパテットを振り返った。
「おい、お前……森に帰るなら、悪いが一つ頼んでいいか?」
「?」
 不思議に思って見上げると、男はパテットにあることを伝えてきた。
 パテットは、恩返しのつもりでそれを妖精族の長に伝え、しっかり守ることになる。





「どうやらただの盗賊だったようですね。人数も僅かでしたし」
 ダグラスが先行した部下に追いついた時にはもう、森の中の開けた場所で、後ろ手に縄をかけられ座らされる格好で、5人の盗賊がうつむきがちに固まっていた。
 ダグラスは馬を寄せると、上から彼らを見降ろし、報告に寄ってきたアロイスに尋ねた。
「いったいこんなとこで何してたんだ?」
「妖精を捕まえようとしてたとか、訳の分からないこと言ってますよ」
 呆れたような返事に真顔でうなづき、ダグラスは馬を下りる。アロイスは当たり前のようにその手綱を受け取り部下に託す。
「……で? お前らのアジトってのはどこだ?」
ダグラスは屈みこんで、笑顔のまま、中の一人の目を覗き込んだ。「どうせこの辺荒らして集めたもん貯め込んでんだろ? ……どこに隠してんのか教えてくんねぇかな?」
 すると、声をかけられた一人は、つられた様に薄笑いを浮かべてダグラスを見上げた。
「へへ…勘弁してくださいよ、隊長さん。俺らはただ、隣村に荷を運ぶ途中だっただけで」
「へぇ? 隣村ってのはどこだ? この辺で言えばオッペンハイムあたりか?」
「そうなりますね」
 瞬間、ダグラスは男の胸倉を掴み上げ顔を寄せた。
「オッペンハイムはザールブルグの北の街だろうが。盗賊なら盗賊らしく、多少の地理は頭に入れとけ」
 見た目が若いダグラスを甘く見る気配があった盗賊は、ひっと短く息を呑んで体を縮ませる。それを見たダグラスは、どうやら盗賊としては小物の様だと思った。しかし、それこそおかしい。小物なら小物らしく、自分の縄張りで仕事をすればいいものを。
「アロイス」
「はい」
 眉を寄せて振り返ったダグラスの前に、アロイスが一歩出る。
「締め上げといてくれ」
「かしこまりました」
 涼しい顔をしてアロイスはダグラスと入れ替わりに5人まとめて立ち上がらせる。
 それを尻目にダグラスは部下を集め、他に仲間が逃げていないか、残った半数の部下と連絡を取り、男たちの足跡をたどるよう指示した。
── それにしても……
 この辺りは、エアフォルクの塔を恐れて、近寄る者がほとんどいない。村らしきものもないし、街道もない。盗賊稼業で生きていけそうにもないのだが。
「どっちにしても報告しねぇと」
 といっても、明日はザールブルグに戻る日だ。
 アロイスにボロボロにされた盗賊を連れたまま、道中を行くことになりそうだった。

 



そして10月30日。
 この日は毎年、ザールブルグの収穫祭の日だ。
 エリーは出来上がったばかりのアルテナの水を数本紙袋に入れて小道を急ぐ。すれ違う人の流れは街の中心にある広場へと向かっていて、広場からは陽気な音楽といい匂いが漂ってきていた。
 今日は町中が浮き立つような気配に包まれている。
「帰ってくるのよ、……から、早く…!」
「騎士隊……楽しみ……」
 耳に入ってくる若い女性の声。
 秋の討伐隊の面々が、もうすぐもどるのだ。
 街をぐるりと取り囲む城壁の向こうで一度隊列を整えた騎士団は、帰りついた順に祭りでにぎわう広場を抜けて凱旋してくる。街の人々は、蒼い鎧の騎士たちを慕い、王はバルコニーに姿を見せてそれを迎える。祭りの一番盛り上がる場面だ。
── 早く、工房に戻ろう。
 凱旋が終ると騎士たちは皆思い思いに街にでて、家族の待つ家や、通いなれた酒場に行く。もしくは、恋人の所に戻る。だから今日は夜になっても町は華やかで、にぎやかで、温かい。
 でも、小隊長になってからのダグラスは、隊を解散してからもあれこれと仕事があるようで、そんな街の賑やかさも落ち着いた頃になってからしか、エリーの元には来られない。
 だから、屋台や飛翔亭の食事の代わりに、何か作っておいてあげたい。
── ダグラスが帰ってきたら、いろいろ、ちょっと困ることもあるけど。
 ひと月前、ダグラスが討伐隊に行く前にエリーに書き置いた手紙には、『マリーより早く戻るから』と書かれていた。どうもダグラスはマリーが苦手なようだけれど、エリーから見ればいっそ仲良さげに見える。まだ出会って一年ほどなのに、じゃれあっている姿などは姉弟のようだ。
「あんまり、見た目は似てないんだけどなぁ」
 年齢的なものかなと思いながら、飛翔亭に入り、いつものように納品を済ませる。新しい依頼を受けて、いつもより賑やかな市場に立ち寄る。
 そこで新鮮な野菜と果物を買って、ワインも一本。
「あ。これ……祝福の麦」
 夏に収穫された麦の中でも、最後に刈り取られたものを、アルテナ教会で祝福したものが祝福の麦だ。
 アカデミーの売店でも売っていることがあるが、一般的には今日のような祭りの日の食事に使われるもので、それはロブソン村でも変わらない。
── これで何か作ろう。
 水に浸してサラダに使えばぷちぷちした触感が楽しめるし、スコーンを焼いてもいい。
 エリーは良く吟味したうえで買った一束を、苦労して腕に抱えた。
「買い過ぎちゃったかなぁ」
 重くなった買い物籠を肘にかけ、さあ工房に帰ろうとしたとき。
 広場からの歓声に目を向ければ、騎士隊がちょうど戻って来たところだった。
 踊り子や娼婦たちが前に出て華やかに染め抜いた布を振る。
 その向こうに馬に乗った蒼い鎧。
── ダグラスも帰って来たかな?
 つられるように人垣に近づいたけれど、両手いっぱいの荷物では人をかき分けてまで前に出るわけにはいかなくて、一生懸命背を伸ばしたところだった。
「あっ、ダグラス様よ! 副隊長のアロイス様もいらっしゃるわ!」
 女性の声がして振り返ると、少し薄汚れた様子のダグラスが隊列の中程をやってくる。
 愛想よく周囲に向かって手を振り返す銀髪の男とは違い、遠目にも仏頂面のダグラスを見て、つい笑いが漏れた。
 と、偶然のように、目が合った。
 少し驚いたように目を見張るダグラスに、お帰りなさいと片手を上げ手を振ろうとしたら、買い物籠からはみ出た野菜が零れ落ちそうになって慌てる。
「わっ、ごめんなさい!」
 慌てた拍子に隣の男の人にぶつかりそうになって、謝っているうちにダグラスは通り過ぎて行ってしまった。
── でも、今回も無事でよかった。
 帰って来ると信じていても、怪我もなさそうな様子にほっとする。それに久しぶりに顔を見て。
── 私、へん、かも。
 騎士隊を囲む輪から抜け出しながら、胸元を抑える。
 たった一月だけなのに。
 ひと月離れるなんて、いつもの事なのに。
 安心したんだからもう、こんなにドキドキしなくていいはずなのに。
 なぜだか鼓動がうるさい。

 このままダグラスに会ったら、どうなってしまうんだろう。






- continue -




2012.12.21.




蒼太
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