欲。




 その日は朝から、子供みたいな男に付け回されて、俺もちょっとイラついていたんだと思う。
 王室広報を配って歩きながら、幾度かまいてやろうとしたが、タイミングの悪いことに、そんな時ばかり、ロマージュやらアイゼルやらに呼び止められて。
── 付けるならもっとうまく隠れろってんだ。
 ちらちらと目の端に入ってくるその男……は、男と言うにはまだ若く見えた。
 豊かな黒髪を真ん中で分けて、その下からしっかりとした眉が時折こちらをにらんでくる。
 くすんだ銀の鎧は、値打ちものかもしれないが男の体には少しあっていないように見え、それから赤いマントもだいぶ年季が入っていた。
── どっかで見た気がするけどな。
 誰だったか思い出せないが、自分にいい感情を持っているとは到底思えない。
 去年あたりから、いわれのない理由で言いがかりをつけられたり、腕試しの男にいきなり勝負を挑まれたりと、実のところ忙しい。
── あいつも、そんなもんだろ。
 気配からしてそう判断しながら、最後の巡回場所である職人通りに足を運んだ。
 もちろん、職人通りが最後じゃなくちゃいけない理由なんてないけれど、多少、自分の好きにしたっていいはずだ。
 ただ、そこにエリーがいたのはたまたまだった、というだけで。
「ダグラス!」
 工房を訪ねるまでもなかった。俺がエリーに気づくのと同じくらい早く、向こうから歩いてきたエリーが笑顔で手を振ってくる。どこかに行った帰りなのか、籠はしょっていなかったが、手に例の木の杖を持っていた。
 工房の前を通り過ぎて、小走りにこちらに駆けよってきたのを見て、つい、警戒を緩めて足が止める。
「よお、依頼の帰りか?」
「ええ? なんでわかったの?」
エリーはアーモンド色の目を丸くさせながらも、ポシェットに手を置いて笑った。「そうなんだ。開店して一か月経ったけど、だんだん材料も手に入るようになってきたし、簡単なものから引き受けて行こうと思って」
 エリーの工房を尋ねると、壁には依頼書が張ってある。
 ポシェットの中には同じものが入っているのだろう。
「まぁ、無理しないようにやれよ。急にどこかに付き合えって言われても、明日から討伐隊だからな」
 苛立っていた心がなんとなく落ち着くのを感じながら、立ち話を続ける。
 エリーは顎を上げて、一生懸命俺を見上げながらうなづいた。
「ありがたいよ。実は火薬系の材料が不足してたんだ。だからヴィラント山にいきたくて」
 やけに嬉しげな鼻先をつまんでやりたくなるのを抑えて、俺は腕を組んだ。
「知ってるぞ。明日からロマージュとアイゼルとお前で温泉に入りに行くらしいじゃねぇか」
 それを言うと、エリーは目を丸くして、それから誤魔化すように頬を掻いた。
「だって……。安全に温泉に入れるなんて、一年に二度しかないもの。ねぇ、ダグラスはヴィラント山のほうに行くの? それとも別のところ?」
「ああ、俺は南の担当で、エアフォルクの塔に近い方だから、違うな」
 なんでだ? と尋ねると、エリーはえへへ、と屈託なく笑って、これっぽっちも照れずにこういった。
「だって、一緒に温泉いけるじゃない?」
 それを聞いた後、俺の動きが止まってしまったのは、『いけるじゃない』 と言う台詞を、『入れるじゃない』 という台詞に脳内変換しそうになったせいだ。
── いや、それはないだろ。
 いつものように目を細めて笑っているエリ―の顔を見て、ため息が出た。
「? どうしたの?」
「別に…なんでもねぇ。……そういや、マリーはどうした? 一緒に行かないのか?」
「行かないよ。マリーさんは昨日からカスターニェに行ったから」
 さらりと言われて、耳を疑う。
「はぁ? カスターニェ? お前一人に工房任せてか?」
「うん。もちろん。どうして?」
 二人でやっていく予定の工房と聞いた気がするが……本人たちが良ければそれでいいんだろう。もともと、エリー一人でやっていたわけだし。
「……まぁ、そのほうが俺も安心できるといえば、できるけどな」
「何が?」
 見上げてくる頭を、ぽんと叩いて、別に、と言った。
── けど、あれか……マリーの奴いないのか……。
 エリーの顔をじっと眺め下ろしながら、こっそりと思う。
 エリーがアカデミーを卒業してから、あっという間に一か月が過ぎた。
 何事もなく。
 そう、『何事』もなく。
 最初の数日こそ、エリーも自分も顔を合わせるたびに照れたりそっぽを向いたりとしていたが、あっという間に普段通りに戻ってしまった。さらに各々の仕事が忙しいせいもあって、二人きりで会う時間もなければ、こうして話していても、色気の「い」の字もない。
 正直、このまま明日から一か月、討伐隊に出かけるっていうのは……どうかと思う。
「エリー、あのな……」
 俺はエリーの頭から手を離すと、自分の耳元にやって、軽く耳に触れながら、言った。
 さすがに、正面から目を見て言うのは憚られそうだったから、視線を逸らしつつ、だ。
「討伐隊の前日ってのは、早じまいになるんだが……」
「? うん」
 俺がこれから何を言おうとしているかなど、露ほども知らずに、エリーは機嫌よく微笑んでいる。少しは察してほしいと思うが、こいつは時々妙に鈍いところがあるから、きっと無理だろう。
「今夜は……お前んとこ行ってもいいか?」
「うん、いいよ」
エリーは頷いて嬉しそうに笑った。「今日はベルグラドいものグラタンにしようと思ってたんだ。ダグラス、グラタン好きだよね?」
── ……そう来ると思ったよ。
 大きなため息をついた俺を見たエリーは、グラタン嫌いだっけ? シチューに変更してもいいよ、などと言う。
「……グラタンのままでいい。けどな……」
 と、俺は背をかがめた。エリーの栗色の髪が唇に触れそうなほど近く。
 それから。一言。

『そのあと、どうする気だ?』

 囁いてから体を起こして様子を見ていると、エリーは不思議そうな顔をして俺を見上げて………だいぶしばらくたってから、一瞬で頬に朱を昇らせた。
「そっ、そっ…そ、そのあと? って?」
 しどろもどろになりながら、後ずさろうとするのを見て、遮るために一歩踏み出す。
「分からねぇとはいわせねぇぞ。言っとくけどな、エリー、こっちはお前の店が落ち着くまで、大人しく待ってたつもりだぜ?」
── なんてな。ホントは邪魔がいなくなるのを待ってたんだけどな。
 逃げようとしたエリーの顔を覗き込むと、エリーは真っ赤な顔をしたままで、うろたえた目を俺に向けてきたが、開き直ったのか、腰に手を当てて、可愛い顔をして俺を見上げてくる。
「わ、私そんなの知らないもん! ダグラスだって、任務で忙しいって……」
 と、後ろで乱れた気配。
── そういや、妙なやつが付けてきてたんだったな。
 ち、と一つ舌打ちして、エリーをすぐそばの路地へと、半ば抱え込むようにして引き入れる。
 エリーは俺の強引さに驚いたのか、小さく悲鳴を上げた。
「任務は任務。だろ。 ……忙しくったって、工房には顔だしてただろうが」
 いつもマリーがいて、邪魔されてばっかりだったけどな。
 壁にエリーを追いこんで、両脇を腕でふさぐ。
「確かに…っ、そう、だけど……」
 これまでは、夜になれば二人きりの工房だったのが、今じゃろくにキスもできない。
 そう考えた瞬間。目の前にあったのは、その本人の、ふっくらとした唇で。
 つい。
 まぁ、魔が差した、というやつだ。
 もしくは、禁断症状。
「っん……っ…!」
 苦しげなエリーの息遣い。
 唇に触れる柔らかさをむさぼる。
 薄目を開けて様子を見れば、初めこそ逃げようとしていたエリーだったが、徐々に力が抜けて、体をこちらに預けて……くるはず、だったんだが。
 ふいに、目の端を何かがよぎった。
 一瞬、奴かと振り返りそうになった。が、違うと気づいた瞬間には、頭に結構な鈍痛。
「っ……痛ってぇ!!」
 目から火が出る。とはこのことだ。
 蹲りながらも、目を上げれば、壁に張り付くようにして逃げようとするエリーの手に例の杖。
 最近、平手打ちやら殴られるやら、ツイてねぇ。
 エリーはその杖を構えたまま、叫んだ。
「ダグラスの、莫迦っ! もう、嫌いっ!」
 涙目になりながら、踵を返して路地の向こうへ逃げていく。
「つつ…あいつ、本気で殴りやがった」
 痛む頭をさすりながら、何とか立ち上がれば。
 ずっと後をつけてきた例の男が、ぽかんとした顔でこちらを見ていて、俺と視線が合うと、慌てて背中をむけて、逃げようとする。
「おい」
 情けないところを見られたのも含めて、少しどすを効かせてて声をかけると、そいつはビクリと立ち止まった。
……今のは、だれにも話すなよ」
── 俺はともかく、エリーに妙な噂が立つのは困る。
 聖騎士を一発でノしたとか。
 どこかの錬金術師みたいな、そんな噂が立ったら、次の武道大会のシード確実だ。
 微かにうなづいてから逃げて行った男の背中を見送ってから、エリーが逃げて行った方向に目をやる。
 どうせ今頃、工房に逃げ込んで鍵でもかけてるところだろう。
「……嫌い、ね」
 とっさに口から出たんだろうが、言われたほうは結構傷つくもんだぜ?
 俺は、足元に散らばった残りわずかの王室広報を拾い上げて、埃を払った。

 とりあえず、コイツを全部やっつけて。
 王宮に報告に行って。
 それから、工房に行こう。


 嫌いなんて言葉、一晩かけて撤回させてやる。

 
 


- END -


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