卒業 6   Over15.






 まだ、パーティで流れていた曲が、耳元でかかっている気がする。
 ふわふわとした、不思議な感覚に包まれて、エリーはダグラスの背に揺られていた。
「……お前、飲みすぎだぞ」
「うん…わかってる。……でも、しあーわせ…」
 アカデミーのパーティは盛況に終わった。
 パーティでは、自分たちのダンスを終えたアイゼルとノルディスが、ダンスなんて聞いていないと言うダグラスと、ダンスなんて踊ったことがないとエリーをフロアの中央に引っ張りだし、ホールドの形を作るのさえ照れくさくてぎこちない二人の尻を叩いた。
 挙句、足を踏んだり踏まれたりしながら踊る二人を見て、アイゼルは騎士隊も形無しだと言い、ノルディスは初めてならそんなものだと慰めてくれた。
 でもそんな二人の雰囲気は温かくて柔らかくて。
 エリーは、もっともっと仲良くなってくれたらいいのになぁ、と思う。
「……気持ちいい…」
 夜風が頬をなでる。
 アカデミーのパーティが終ると、エリーはアイゼルとノルディスを連れて飛翔亭に戻り、飛翔亭では、二次会という名の酒盛りが行われ、アカデミー生の二人までそれに巻き込まれての大騒ぎになった。
 それで、今の状態に陥っている。
── でも、幸せ。
 そう思ったら、口に出た。
「あ〜…幸せ〜…」
 ダグラスは背中のエリーのそんな様子にからかうように言う。
「お前、さっきからそればっかりだな」
「だって、ほんとに幸せなんだもん」
 ダグラスの首に回した手には、小さなピンクの花束と、それから脱いだドレスと靴、アクセサリーの入った袋。エリーは元のオレンジ色のワンピース姿に戻っている。
「フレアさんのチーズケーキがあったからか?」
 からかうように尋ねると、エリーは耳元でうぅうん、と首を振る。
「全部なの。卒業式も、ドレスも、飛翔亭のみんなの事も、アイゼルとノルディスの事も」
 ダグラスの耳元で、エリーがふわふわとした口調で言う。その髪に挿したままの花の香りがかすかに届く。
「良かったな」
 歩きながら、ぽん、と抱えた尻をたたいてやると、軽い拳が頭を叩き返してくる。
「莫迦、ダグラス、えっち!」
「スキンシップだろ」
 しれっと言うと、うー、と軽い唸り声と一緒に、また体を背中に凭せ掛けてくるエリー。
 もし鎧を着ていなければ、随分背負い甲斐があっただろうと思う。
 それからしばらくは、背中のエリーが静かで。
 寝てしまったのかと思いながら、工房の前に着いた。
「ほら、着いたぞ、いい加減降りろ」
「うーん……やだ」
 背負った時には恥ずかしがって暴れたくせに、今になってわがままを言う。
「降りろって、ほら」
 腿のあたりを支えていた手を離したら、力の抜けたエリーがずり落ちた。
 工房の壁に体を預けて、ふわふわしている様子のエリーの手から、花束と紙袋と、それからポーチから出した鍵を受け取り、開けてやる。
「妖精がいないんだから、きっちり自分で鍵かけてくれよ」
 腕をつかんで工房に放りこんでやりながら、言う。
 エリーはうつむいたまま、何度かうなづいたように見えた。
── こんな、酔っぱらってくれちゃなぁ……
 頭を軽く掻いて、二階まで連れて行くかどうか悩むが、それは、止したほうがいいように思えた。そうするには、今日のエリーはちょっと魅力的過ぎる。
 たとえば、抱き合うような距離で踊った時にちらりと見えた胸元とか。
 普段見えない二の腕とか。
「しゃんとしろよ、エリー」
「ふにゃ…」
 と、エリーの体が傾く。咄嗟に支えた腕の中に、とん、と入り込んでくる小さな体。
 それだけではなく、腰に回される腕。
 一瞬、動きが止まってしまった。
「……なん……」
引きはがそうとして肩を掴むが、エリーは一層強く腰に抱きついてきて離れない。「おい、酔っ払い。離れろよ」
 声をかけても、ぶるぶると首を横に振る。
 ダグラスはため息を一つついて、壁に背を寄りかからせた。
 当然エリーも一緒に、ダグラスの胸元に寄りかかる。離れる気配はまるでない。
 ダグラスは、エリーの後ろ頭をざくざくと撫でると、仕方なさそうにつぶやいた。
「……しゃあねぇな」
 理性を総動員して、エリーの肩と膝裏に腕を通して体を抱きかかえる。
 いつも思うが、驚くほど軽い。
 こうして腕の中にすっぽり入ってしまうほどなのだから、当たり前かもしれないが。
 がらんとした工房を横切り、階段を上る。
 妖精のいない工房はしんと静かで、外の音もしない。
 腕に抱いたエリーは、肩口に頭を預けて大人しくしている。吐息も聞こえないほど。
── 聞こえない……?
 階段の途中で足を止める。
「エリー…?」 
 声をかけると、腕の中でエリーが身じろぎする……ふりをした。
 ダグラスは、今自分が想像したことが、自分にとって都合が良すぎる気がして、急に跳ねだした心臓を落ち着かせようとする。
 だが、腕の中のエリーを見るうち、心拍数はそれ以上に上がって。
 知らぬうち、囁くように尋ねた。
「……お前、もしかして……酔ってないだろ」
 腕の中のエリーが、びく、と震える。
 が、顔は上げようとしない。
 相変わらず、息は押し殺したように聞こえない。
 階段を昇り切るためのあと数段。
 やがて、ようやくエリーが顔を上げた。
 窓から差してくる月光が、その白い顔を浮かび上がらせ、零れ落ちそうに潤んだ目とハの字に落ちた眉をダグラスに見せる。
 そしてエリーはアーモンド色の瞳を、迷うように揺らめかせ。
 唇を、何か言いたげに二、三度開いて。
「ダグラス……あのね……」
ようやく、意を決したように声を発した。「……私、アカデミー、卒業……した、よ……?」
 聞き取れないほどの小さな声。
 その、途切れ途切れに発せられた言葉は、数秒の間をおいて、ダグラスに届き。
 エリーが、ぎゅっとダグラスの首元に、抱きついてくる。
 顔が見えない。
 今きっと、火が出るほど赤い顔をしているはずなのに。
 そして自分も。


 残っていた階段をどう昇ったのか覚えていない。
 気付いたらエリーを、ベッドの上で組み伏せ、唇を重ねていた。
「ぅ、ん……」
 体の下に、エリーの細い体がある。
 信じられない思いだった。
 どうにかなってしまいそうなほど、エリーが欲しかった。
 あとほんの少しなら我慢できる気がしていたのに。
 今ではそれが信じられない。
 一秒も待てない気がした。
「あ……、ダグラス…重…い」
 深いキスの合間に、エリーが鳴くような声で囁く。
「…っ…悪い」
 鎧を着たままだった自分にようやく気付いて、ダグラスは身を起こす。
 こうして体が離れたほうが、なぜか気恥ずかしい気がしてならない。
 エリーも同じく思っているようで、そそくさと、ベッドの端に逃げてしまった。
 ぱちん、とマント留めを外す。
 重い鎧を脱ぎ終えて、すべてを床に落とすと、ダグラスはベッドを軋ませて、エリーの隣に戻る。
 エリーは緊張した顔をしていたが、ダグラスがその首筋に唇をうずめると、微かにくすぐったそうな声を漏らした。
 このまま押し倒したい、と思っていたとき。
「ダグラス、今日のパーティ、ね」
 こわばった体を動かして、エリーがダグラスの首に腕をかけ抱きしめ返しながら、耳元で言った。「ほんとは、もしドレスがあっても行かなつもりだったの」
 ダグラスは驚いて動きを止め、顔を上げる。
 エリーの顔が間近にあった。
「……じゃあ……」
「違うの。行きたくなかったんじゃなくて、行きたかったよ。でも…ダグラス、ああいうの苦手かなって思ってて…だから、飛翔亭でお祝いしてくれるってダグラスが言ってくれた時、すごく嬉しかったの」
 ダグラスらしいなぁって。
 と、首に回した手に、きゅっと力を込め、抱きつく。
「ダグラスは、すごく優しい。時々びっくりしちゃうくらい。……すごく強いのに、どうしてだろ」
 まったく酔っていないわけではないらしいエリーの声も吐息も、耳元に熱い。
「強いとか…は、関係ないだろ…」
 照れくささも、エリーの体温に煽られているのもあって、つい突き放すような物言いをしてしまうが、エリーは首を振って言った。
「分からないけど…でも、……そういうダグラスが好きなの」
 大好きなの……などと、好きな女に耳元で囁かれて、理性を保てる男がいたとしたら、お目にかかりたい。と、ダグラスは思った。
「俺も…だ」
 何が、とは言えなかった。好きだという言葉はいつも、喉に引っかかるように出にくくて、けれど、エリーが嬉しげに笑ったので。
 多分、通じたのだろうと思い。
 もう一度唇を重ねると、エリーの細い体をゆっくりとベッドに横たえた。










 工房の二階。
 三角屋根の窓から漏れる明かりはまだ薄暗い、夜明け前の光だ。
 だがダグラスは、音を立てずにベッドから出ると、手早く服と鎧を付け直し、まだ深い眠りについているエリーを振り返った。
 寝顔はまだあどけなさまで残している気がして、昨夜のことが夢だったと言われても信じてしまいそうだったが……体に残る感覚のほうは、本物だった。
 まだ信じられない気がする。
 エリーが卒業したら、とは思っていたが、なにせ、相手はエリーだから。
 どこかまだ幼くて。
 こんな……色恋ごとには無縁そうな。
 それが。
 今、エリーの胸元には昨夜自分が付けた跡が散っているし、耳にはエリーの声が残っている。それにつられて昨夜の出来事を克明に思い出しそうになって、慌てて首を振る。
 ベッドにかがみこみ、額に落ちたアーモンド色の髪を掻きあげ、ブランケットを白い肩まで覆うように掛けると、エリーが身じろいだ。
「エリー」
そっと声をかけてみる。
「う…ん、……ダグ…ラス」
 名を呼んでくるので起きたのかと思えば、また深い寝息。
 思わず眉を落として、屈みこんでいた体を起こした。
── 書置き、しとくか。
 目が覚めるまで一緒に居てやりたかったが、今日は任務がある。
 かといって起こすのも忍びない。
 滅多に入ったことのないエリーの私室を見回して、机の上に紙とペンを見つける。
『悪いが、騎士隊に戻る』
 短く書いてから、これではあんまりかと付け加える。
『今日は無理するな。夜また来る ──ダグラス』
 そして、我知らず、ぐずぐずとしている自分に気づいた。
 結局、起きたエリーの顔が見たいのはこっちのほうなのだ。
 苦笑して、再びベッドに近づく。
「エリー…。エリー、起きろ」
「あ、うー…あと、ちょっと。あと少し、だけ…」
「起きないと、また襲うぞ」
 ベッドの端に腰掛け、かがみこむようにして耳元でささやいた。
 ついでに、ちょっとは耳たぶをかじったかもしれないが。
「んー…? ……、あ、あっ… っわ!」
 ひゅ、と短い息を吸い込んで、丸いたれ目がパッチリ開く。
 一瞬、何がどうなっているのかわからない顔をしたエリーは、目の焦点をダグラスに合わせるや、見事なまでにぱぁっと全身を薄桃色に染めた。
「……ダ…ダグ、ラス……」
 ブランケットで口元まで隠しながら、身をすくませて囁くように言う。
 ダグラスは目を細め、その目元に口づけた。
「悪いな、起こして。 ……もう、行くから」
 さらりとした髪の中に手を入れると、くすぐったそうに目を細め、赤くなったままこくりと頷いたのがわかった。
 ダグラスは、エリーがたくし上げたブランケットに指をかけ、引き下げる。
 ふっくらした唇に唇を重ねて軽く吸う。
 我慢できるギリギリまでそれを繰り返して、ようやく離すと、いつの間にかエリーがダグラスにしがみついていた。
 きちんと理性を保つつもりが、これではベッドに逆戻りしたくなる。
 だから、エリーの額をつんとついて、体を離した。
「……大丈夫か?」
 尋ねると、何を聞かれたのか分からなかったのか、不審そうな顔をしたけれど、そのうち恥ずかしそうにこくんとうなづいた。
 そんな態度をされると、いつもならぽんぽんと出てくる軽口の応酬も、できない。
 ふ、と笑って頭をなで、立ち上がる。
 剣とマントを付けていると、後ろから声がした。
「いってらっしゃい」
 薄暗い中でも、目を丸くしたのがわかったのか、エリーは照れたようにブランケットを引き上げた。
「……行ってくる」
 それから、そうだった。
 まだ言っていないあの一言。
「昨日になっちまったが……卒業、おめでとう。エリー」
 面と向かってが照れくさくて、なかなか言い出せなかった一言。
 だが、エリーの頭が一段下がり、それからあげられて。
「えへへ……嬉しい。一番うれしい、かな」
 最高の笑顔。それにうれし涙がくっついてきたのを見て、してやられた気分になる。
「夜、また来るから」
 書置きしたはずの言葉を言わずにはいられなくて伝えると、何を思ったのか、エリーは固まってしまい。
「莫迦、そんなに無理させねぇよ。……飯、食いに行くだけだ」
 こちらが気恥ずかしくなって、慌てて付け足す。
 それだけで済ませられるか、本当の所は自信がなかったが。
「あ、う……うん。わかった…」
 赤くなった頬を抑えて言うエリーが可愛くて、ダグラスは足早にベッドに戻る。
「え…何?」
 その勢いに驚いたエリーが目を丸くするが、ダグラスはエリーの額にかかる素直な前髪をかきあげて、素早くキスをした。
 エリーがぽかんとしているうちに、階段を駆け下りる。
 体を重ねる事よりも。
 その一つのキスのほうが、ずっと気恥ずかしくてならない。
 工房を出たダグラスの前に、街はもう明け方の光につよく照らし出されていて。
「やべえ…遅刻だ」
 赤い三角屋根の小窓を一瞬振り返ってから、ダグラスは、慌てて城への道を走り出した。

- END -

2012.05.19.


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