卒業 5







 それより少し前。
 パーティ会場に入ったエリーは、人ごみの中に二人の友人の姿を見ると、隣のダグラスを忘れて走り寄っていた。
「エリーじゃないの。……まぁ、そのドレス」
 エリーに気付いたアイゼルが、口にしていたグラスから唇を離して酷く嬉しそうに笑った。
 それはもちろん、あきらめかけていた親友の登場によるものだったが、すぐにその色をかえて、感心したように微笑んだ。
 エリーは薄い色合いのオレンジのドレスを着ていた。肩先にしつこすぎないフリルがついて、ほっそりした二の腕を強調していたし、すとんとしたシルエットは今年流行のものだ。だが他の女生徒たちが着ているドレスにも似ていて、ちょうど会場で浮いてもいない。何よりとてもよく似合っていた。
「これね、ダグラスが用意してくれてたの。すごくきれいでしょ?」
 嬉しくて、新しい服を買ってもらった子供のころのように、アイゼルに背を伸ばして見せるエリーを見て、ほっとする。それから、連れであるはずの聖騎士の姿を探してエリーの後ろを見るが、どうやらエリーときたら、ダグラスを入口に放ってきてしまっているらしい。護衛よろしく入口の壁に寄りかかって周囲に目をやっているのが見えた。
 いつも通りのその姿を見て、アイゼルは、これが二人の距離感なのかしら、と思う。
 アイゼルはエリーに向き直ると、顎先に指をあて、にこりと笑った。
「シンプルだけどいい品だわ。あなたにとっても似合ってる」
 そう言うアイゼル自身は、濃い目のピンクに華奢な銀の縁縫いを施してあるドレスを着ている。胸元には瞳と同じ碧のペンダントを付けており、そのどちらも落ち着いた美しさを醸し出していた。
「アイゼルもノルディスも恰好いいね。びっくりしちゃった!」
 エリーの言葉に、アイゼルは改めて自分のパートナーをちらりと見やる。
 彼ももちろんいつもの白いマントを脱いでおり、今日はウイングカラーの白シャツに灰色のパリッとしたベストを着ている。手首に留めたカフスがずいぶん大人っぽく見えたし、エスコートの仕方もいつもどおりに完璧で、アイゼルにとっては動揺させられることばかりだ。
 だが、そんなこととは思ってもいないだろうノルディスは、いつもの調子でエリーに微笑みかけた。
「ありがとう、君のもよく似合ってるよ、エリー。パーティに来られてよかったね」
 ノルディスがそう言うと、エリーはやはり嬉しそうにうなづく。
「うん。まさか来られるとは思わなかったよ。みんながね、いろいろ用意してくれたの。ドレスもそうだけど、ネックレスも……あ、この靴は飛翔亭のディオさんたちから」
 言うなり、ひょいとドレスの裾を捲り、足元を見せた。
「わぁ!」
 膝のあたりまで見せそうな勢いに、ノルディスはとっさに目を逸らし、アイゼルは慌ててエリーの手をドレスの裾から離させる。
「お莫迦さん、何してるの! はしたない」
「み、見てもらおうと思って……」
「そんな見せ方ありますか」
 ちょっとした騒ぎに周囲が振り返る中、ノルディスはほっと肩の力を抜く。見慣れないドレスを着た彼女は、とても綺麗に見えたけれど、どんな格好をしていても、エリーはエリーで中身は変わらない。
「あ、エリーじゃない!」
 騒ぎでこちらに気づいたのだろう。ノルディスたちを囲むように、同じクラスの女生徒たちが集まってきて、あっという間に小さな社交場が出来上がる。彼女たちはエリーに向かって、遅かったのね、とか、このドレス素敵ねとか、ノルディスが聞く限り、同じような会話が繰り返し。
「ところでエリーのパートナーはどこ?」
 そう尋ねた。
 言われてエリーもノルディスも辺りを見回す。
「あっちにいるわよ」
 アイゼル言葉にその視線の先を追えば、この会場では十二分に目立つ聖騎士の鎧を着たダグラスが、入口あたりで完全に遠巻きにされた状態のまま、壁に寄りかかっていた。
「エリー、ダメだよ。パートナーを放ってきたら」
 こんなカジュアルなパーティでも、パートナーからこんなに離れる人間はそういない。場に慣れていない様子のエリーを助けようと、ノルディスは一応忠告する。
 だがエリーがそれにこたえる前に、アイゼルの視線の先を追ってダグラスを見つけた同級生たちが騒ぎ出した。
「あの人がもしかして、噂のダグラス・マクレイン?」
「私、去年の武闘大会見に行ったわ。聖騎士の鎧、初めてこんなに近くで見る」
「やだ。遠目に見たことはあるけど、近くでも結構格好いいし…素敵じゃない?」
「ねえエリー。あの聖騎士様とお付き合いしてるってほんと?」
 口々に、一斉にされた質問に、エリーは目を白黒させて。
「ダ…ダグラスって有名なの?」
 しどろもどろに尋ねるの見て、ノルディスは苦笑し、アイゼルは呆れたようにして軽く目を見かわす。
「ちがうわよ。少なくともアカデミーの中では、有名なのはあなたの方。ダグラスはあなたのおまけよ」
 アイゼルがエリーに説明している。
 フラウ・シュトライトを倒して。
 アカデミーの生徒の立場で聖騎士を護衛を雇っているという噂があれば、有名にならなくて何になるのか。
 キョトンとしているエリーを見ながら、ノルディスはそれがエリーのいいところで、ダグラスが彼女を好きになる訳なのだろうと、微かに思う。ノルディスにとっても、エリー独特の価値観は、とても新鮮で重要だった。調合で思い込んでいたり考え込んで前に進まなくなったときに、不思議とヒントをくれる。
「エリー、ちょっと」
同級生の一人が、話の輪からエリーを引っ張り出したのはそんな時だった。「見てよ、あそこであなたのパートナーのほうをちらちら見てるの、ヘルミーナ先生のクラスのロテルよ」
 ロテルは、ふわりとした金髪の巻き毛を自慢にしている貴族の娘だ。
 ノルディスの耳にも、彼女が錬金術を学ぶのは、自分に箔をつけて、いいところに嫁ぐためだと言っていたのが聞こえてきたことがあり、アイゼルも彼女の事はちっとも好きになれない、とこぼしていたことを知っている。
 ロテルはダグラスの傍で、ほかの女の子たちと固まってくすくす笑いながら様子をうかがっていた。彼女たちにもパートナーはいるはずなのだが、傍にその姿が見当たらない。
「気を付けなさい。ダグラスはああ見えて聖騎士なんだから、変な女が寄ってきてもおかしくないのよ?」
 アイゼルが言うと、エリーの周りにいた生徒たちは、こぞってアイゼルの味方をする。
「ロテルったらアカデミーで一番お金持ちのヨーケルとパートナー組んでたはずよ」
「あの雄鶏みたいな顔の? 絶対ロテルの好みじゃないでしょ」
「早くこっちに連れてきなさいよ。ロテルったら…あの人がエリーのパートナーだって分かっててるはずよ。時々厭味っぽくエリーの事聞いてくるもの」
 それが、アカデミーの寮生でもないくせに首席を取ったり、イングリドからもいろいろと目をかけられているエリーへの嫉妬からだということは、エリー以外は良く知っている。
 少しの興味も含めて、同級生たちがやんやと言う中、エリーはテーブルの上の食事を物色しているダグラスの後ろ姿と、輪になって固まっているロテルという少女を見て、ちょっと首を振った。
「うーん、あの子が? ちっともそんな気がしないけど……」
 エリーがそう言い終わる前に。
 ロテルはふいにダグラスに近づき、腕に手を置いた。
 エリーからみても魅力的な笑顔を見せて。
 だがエリーより先に、エリーの後ろから非難の声が上がって。
 びっくりしたエリーだったが、そのままダグラスにロテルが寄り添おうとしているのを見て、思わず名前を呼んだ。
「だ……ダグラス!」
 その声の大きさに自分でもびっくりする。
 ノルディスも、アイゼルも驚いたような顔をしてエリーを見る。
 すると、何でもない顔をしてダグラスがこちらを振り返った。ロテルに何か言い残すと、ひょいひょいと人ごみを渡ってこちらにやって来る。
 聖騎士の鎧は否応にも目立って、人がダグラスを振り返り、ダグラスが傍に着くころには、うらやましげな声や驚きの声がそこここから上がっていた。
 エリーは、その人垣の向こうで、ロテルが自分を睨む視線に気づいたが、それ以上にほっとしてダグラスを見上げる。
「なんだよ。もういいのか? 悪いが俺は錬金術の話なんか分からねぇぞ」
 鎧をまとった者が近くに立った時の威圧感と。
 その、口の悪さ。
 エリーがダグラスを友人たちに紹介しようと振り返った時には、彼女たちはびっくりした顔でダグラスを見上げていた。
「ん? ああ、エリーの友達か?」
 腕組みしたまま、睨み下ろされた、と感じたらしい。
 気圧された友人たちは、二言三言、あいさつらしき言葉を発すると、そそくさと逃げて行った。
「……なんだ、ありゃ」
 笑いをかみ殺すノルディスとアイゼルを振り返り、髪を掻く。
 エリーはそんな友人たちの反応に驚いて、それからダグラスを睨みあげた。
「ダメでしょダグラス! もっと優しい顔してよ。みんないなくなっちゃったじゃない」
 腰に手を当てる姿に、とうとう二人は笑いだす。
 笑いながら、ノルディスは目を細めた。
 嫉妬、という言葉に無縁そうに見えるエリーなのに。
 こんなところは普通の女の子なのだなと。
「……あ」
 ノルディスは、流れてくる音楽の変わったことに気づいて顔を上げた。
 舞台にいる楽隊が、曲調を変えたのだ。アップテンポの華やかな曲から、優雅なゆったりとした曲へ。
「じゃあアイゼル、踊ろうか」
 ノルディスは自分のパートナーへ手を差し出す。
 蒼碧の瞳が、一瞬揺らいでそれから微笑む。
 ほっそりと白い、柔らかな手が自分の手に乗る。礼儀にかなった、正しいやり方で。
『あなたが好きなのよ』
 そう言われたのは、もう一年も前の事だ。
 その気持ちを受け取れずに、断ってしまったのももう、一年前の事。
 どんなに傷付けただろうかと思う。
 でもあの時は、恋愛に夢中になる自分など想像もできず、アイゼルの、泣いたらしい目元の腫れややつれた様子を見た時は心が痛んだ。
 けれど、アイゼルの真剣な眼差しを、半端な気持ちで受け取る気にはなれなかった。
「…あの二人、いい雰囲気で良かったわね」
 踊りながら、ちらちらとエリーとダグラスを見やる仕草には、あの時の切羽詰ったような様子はまるでない。
 何事もなかったかのように振舞う内に、いつの間にか元通りになった二人の関係。
 けれど、ふとした瞬間に目が合った時。
 言葉を交わしている何気ない時。
 今こうして、手を取った時……。
 アイゼルのほっそりした手が、何でもないふりができずに、震えて固くなる。
 フロアの端でなにやら言い合っているエリーとダグラスが、視界の隅に入る。喧嘩をしながらもいつも仲が良くて、お互いを大事にしているのが分かる、そんな関係。
 以前はわからなかったけれど、今は羨ましく思えるときがある。
 自分にとって、異性を『好きだ』という感情は、薄いベールの向こう側にあり、アイゼルと一緒に居ても、その賢さや潔さ、女性としてのしとやかさを感じることはあるが、それ以上の気持ちはまだない。
 けれどもし、この先自分が誰かを好きになって、一生一緒に居ようと思うなら、それは……アイゼルなのかもしれない、と、最近はそう思う。
── 君は、まだ僕に嫉妬したり、してくれるんだろうか……。
  伏せられた長い睫を見下ろして、ノルディスはアイゼルの手を握る手に微かに力を込めた。








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2000-01-01

 


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