卒業 4







 辺りに薄闇が迫るころ。
 ダグラスは聖騎士の鎧姿のまま、飛翔亭に向かって走っていた。
── 遅刻か?
 傾いた夕日は、そろそろ城壁の陰に隠れそうになっている。
 全力疾走する騎士隊の男を見て、人々が何事かと驚いた目で追うが、その右手に掴んだものが、剣でなく花束だと気づくと、笑顔を見せていつもの生活に戻る。
 花など、買った試しがなかった。
 こんなに気恥ずかしいものはない、と思いながらも手にしたが、それでもエリーがこれを喜ぶかもしれない…いや、多分きっと喜ぶだろうと思うと、何とかなった。
 ダグラスが飛翔亭の前に駆けつけると、中からは微かに笑い声が聞こえてきた。
 飛び込もうとして……珍しく扉の前で、くしゃくしゃになった髪をざっと整え、肩からかかるマントの位置を直す。それから。
「……っわりぃ! 遅れた!!」
 『本日貸切』の札のかかった木の扉を勢いよく開く。
 そして真っ先にエリーの姿を探して……一瞬、どこにいるのかわからずに視線をさまよわせた……が。
 目を見張って動きを止めた。
「あ……ダグラス」
 エリーが振り返るのは、カウンターのいつもの席。
 周りにいるのも、いつもの面子。
 でも。
「ぽかんとしてないで入りなさいな」
 ロマージュがくすくすと笑う。どう? という顔をして。
 エリーは。
 淡いオレンジ色のドレスを着て、ちょこんと椅子に腰かけていた。
 マントが無いせいなのか、いつも以上にほっそりしたシルエット。
 腿の上に、二の腕まで露わになった手を置いて、所在無げに見える。
 別人のようだった。
 それでも、こちらを見てぱっと笑ったら、花が咲くように明るさが増し、それがいつものエリーだと知る。
「……あ」
 はっと我に帰って、驚いたことを顔に出さないようにと思いながら、中に入った。
「遅刻も遅刻だな。もう食い終っちまったぜ?」
 ディオが呆れた様に言う。確かにカウンターの上は、食べ終えた皿や飲みかけのグラスが並んでいる。
 ダグラスが近づくと、ほろ酔い加減のハレッシュがダグラスのためにエリーの隣を開けてくれた。けれど、その席に着くより先に、フレアが困ったように言う。
「ダグラス君の分は取ってあるけど……でももう時間ね」
 ダグラスはその言葉に、自分がなぜこんなに急いで走ってきたのかを思い出した。
 大事な事なのに、一瞬忘れてしまうほど、驚いたせいもある。
「エリー」
 ダグラスは短く名前を呼ぶと、いつもとはやはり違って見える女性の前に、照れくささを押し殺して立った。
 エリーが不思議そうな顔をしてダグラスを見上げてくる。
 近くで見ると、エリーは薄く化粧していて、ふっくらした小さな唇にも紅が引かれている。
 頬が上気している様子を見ると、酒でも飲んだのだろう。
「あ、あの…ダグラス、これ……このドレス」
 何か言いかけたのを遮って、持っていた花束をぐいと突き出す。
「これ、やるから」
 薄いピンクの……何かわからないが小さな花束。何がいいのかわからなくて、花屋まかせにしたくなったけれど、店先で目についたこの花が、似合うと思ったから買ってきた。
「わ…あ。 ……ありがと! ダグラス!」
 嬉しそうに両手を伸ばし、それを受け取るエリー。鼻先に持って行って香りを楽しむ様子を見てほっとしたが、周りのギャラリーがとにもかくにも大騒ぎで茶化すのには口はヘの字に曲がりそうになる。
 が、怒鳴りつけるのを我慢して、エリーに言った。
「じゃ、行くぞ」
「え…? ……どこに?」
 ぽかん……として顔を見上げてくる様子に、頭を掻く。
「莫迦。アカデミーに行くんだろうが」
「えっ……」
 いつものように二の腕をつかんで立ち上がらせようとして、素肌の感覚に一瞬どきりとする。が、慣れない恰好のせいか、エリーがふらついて。
「ダグラスはレディーの扱いをもう少し学んだほうがいいな」
 ハレッシュに言われてしまった。フレアはカウンターの中から笑って、エリーちゃんの今日の靴はかかとが高いからゆっくり動いてあげてね。とダグラスに言う。
 ダグラスは、エリーの腕からぱっと手を離し、立ちあがったエリーのおでこをちょんと指で突いた。からかわずにはいられなかったからだ。
「だってよ。足くじくなよ。折角の靴が泣くぞ」
「頑張るもん!」
 靴のせいか、エリーの顔がいつもよりわずかに近い。
 『いつも』と服が違うだけで、こんなにもいろいろと変わるところがあるものなのか。
 エリーはアカデミーへ行くと言い出したダグラスの言動に驚いたようだったが、それを理解すると、小さな花束を持っていくか、自分の着替えはどうするか、と、慌てている。
「焦らないで、ちょっと待って。そのお花、とってもきれいね」
 フレアがそんなエリーを見かねて、お花を貸して頂戴、と言い、腕組みして待つダグラスの前で、花を数本抜き取り、エリーの髪と胸元に飾った。
「ほら、これでいいわ。とっても」
 ね、というように周りを見回すと、飛翔亭の誰もがうなづいて、エリーの頬が嬉しげに緩む。
── こういうの、喜ぶんだな……。
 チーズケーキを前にしたときの笑顔にはちょっと勝てないかもしれないが、ダグラスは、その笑顔を見てアイゼルの忠告に感謝した。
 といっても、アイゼルと別れた後が大変だった。
 ダグラスにドレスの良し悪しなどわかるわけがない。
 それに、エリーの体のサイズも。
 悩んだ末に、海鳥の巣の一件で新しくエリーのオレンジ色の服を新調しているという事を思い出したのだ。そこなら、エリーのドレスを作ってくれるはずだと。
 だが紹介された店は随分入りにくそうな外観で、店の前でうろついていた時にやってきたのがシアだ。
 顔を見たことは数度あったが、マリーの友人だというその女性は、ダグラスから事情を聴きだし、ドレスが一週間後に必要だと言うとひどく驚いた顔をしたが、何とかしてくれると言ってくれた。
 自分が選んだらどうなっていたかわからない。エリーの様子を見て、頼んでおいてよかったとほっとする。後で聞いたtところによれば、だいぶ突貫作業だったようだし。
「もう、いいか?」
 褒められて、にこにこしているエリーに尋ねる。
 うん。と振り返った時の笑顔に、してやられそうになって目を逸らす。
 また、からかわれて。
 今度こそ、『うるせぇ!』と怒鳴ってから店を出た。






 アカデミーの講堂は、卒業式の式場から、パーティ会場に早変わりしていた。
 といっても、在学生が手作りで飾り付けたリボンやら花、それから壁際に、どう見ても錬金術で作ったと思われる食べ物。飲み物。立食パーティ式らしいが、努力の跡が垣間見える。
 舞台の上では雇われ楽隊が弦楽器を奏でている。
 エリーを連れて会場に入った瞬間、アカデミー生ってこんなにいたのかとダグラスは驚いたが、エリーはきょろきょろとあたりを見回すと、人ごみの中に友人の姿を見つけて、あっという間にダグラスの隣から駆け出した。
「アイゼル! ノルディス!」
 ダグラスは、一人残されて苦笑する。
 元気いっぱいに走る姿は、ドレス姿でもワンピ―スでも変わらない。
 仲間のもとに駆け寄ると、嬉しそうに抱きつかれ、囲まれていた。
── 結構人気あるんだな。
 学生のパーティのせいか、女同士男同士で固まって話が盛り上がっているのがちらほら見える。どうやらエスコート必須の格式ばった様子もなさそうな事にほっとして、入口の脇の壁にそのまま寄りかかった。
── とりあえず、まぁそんなに遅刻もしなかったみてぇだしな。
 マリーの事件……本当は海鳥の巣事件なのだが、通し名がマリー事件になってしまった例の城門破壊のせいで、見回りの時間が長引いてしまった。
 だが、エリーの事は十分驚かすことができたらしくて、にんまりとする。
 飛翔亭からアカデミーまでの道すがら、エリーはダグラスに向かって、どうかな? と言ってくるりと一回りしてドレスを見せ、きれいに笑ったし。
 ほんとは行きたかったんだ、と素直に言って腕に抱きついてきたのも。
 正直……可愛く、て。
「……っ…」
 その腕に感じた感触を思い出し、いろいろと想像しそうになった自分の髪を掻く。
 それから気を逸らすために改めて周りを見渡した。
 パーティといえば宮廷の警護、のイメージしかないダグラスにとっては、アカデミーのパーティはもの珍しかった。
 胸元の空きすぎたドレスを着たオバサンも、きつすぎる香水の匂いもしない。よく考えればみんなダグラスよりも4つ年下なのだ。……マリーのように留年していなければ。
 それに漂う香りはどちらかというと、薬品…? いや、ミスティカだと気づくとつい笑ってしまって。
 声に出ていたらしく、そばにいた女生徒の集団がこちらを見ているのを見て、ふいとその場を離れた。
「お?」
ふと、テーブルの上に乗せられた丸い木の実に気づく。「これ……月の実か?」
 あの苦くて不味くて、食べられないはずの。
「よくご存じですね。でも、違いますよ。似せて作ってあるだけ」
 ふいに声をかけられて、ダグラスが振り返ると、そこには笑みを湛えて立っている、多分ここの生徒だろう女性が一人立っていた。
 というのも、エリーと同じ年にしては、随分大人びて見えたからだ。金色の巻き毛を肩まで垂らしている。エリーよりも背が高く、青いドレスを着ているその女性は、さっきダグラスが一人笑いしてしまった時に隣にいた女生徒たちの中の一人……だった気がする。
「あー。じゃあ、食えるんだな?」
 普段なら確認などしないが、話しかけられた都合上、一応聞き返す。
「もちろん。砂糖と卵と小麦粉で出来てますから」
「ふーん」
 空きっ腹に何か詰めておこうと、ダグラスはそれを口に頬りこんだが、びっくりするほどの甘さに口元を抑えた。
 すると、女生徒がくすくすと笑う。
「それ、みんなびっくりするんです。砂糖の塊みたいでしょ」
 分かっているなら早く言え、とダグラスは言いたかったが。
 彼女の手が自分の腕にすっと触れると、口をつぐんだ。
「私、あなたの事知ってます。聖騎士隊の…ダグラスさんでしょ?」
「あ……?」
 昨年の武闘大会からこっち、知らない人間に声をかけられることが多くなったが、よもやアカデミー生が自分を知っているとは思わなかった。
「聖騎士なのに、エリーの護衛をやってるって、一部のアカデミー生の間ではちょっと有名なんです」
 腕に寄せられていた手が、するりと絡む。
 ダグラスの不機嫌そうな眉の寄せ方には気づいていないらしい。
 さらに一歩、その体が近付く。
「それで…私も今度、外に採取に出ようと思ってるんですけど、その護衛を……」
 話を最後まで聞くか、聞かないか。
「ダグラス!」
 人ごみの中から結構大きな声で呼ばれて、ダグラスは振り返る。
 オレンジのドレスを着たエリーが、こちらを見ていた。
 なぜか、怒ったような顔をしていたが。
「悪いな」
短く言って腕を解く。「呼んでるから行くぜ? 護衛なら街に出て、飛翔亭ってとこで探すといい」
 ぽかんとした顔の彼女を残し、ダグラスは人を避けてエリーのほうへ歩いて行った。



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2000-01-01

 


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