卒業 2





 卒業式まであと一週間を切った日のこと。
 工房の扉をたたく音に、エリーは調合鍋を洗っていた手を止め扉を開けに出て、そこに立っていた珍しい人物に驚いた。
「シアさん?」
 シアとは、ザールブルグに来たばかりのころ、通りかかったアルテナ教会で、結婚式を挙げているのを見てからの付き合いだ。きれいな花嫁さんだな、とは思ったけれど、まさか通りかかっただけの自分の工房に彼女が訪れてくるとは思っていなかったし、ましてやマリーの親友で、エリキシル剤を作るきっかけになった人とは知らずにいた。
 幾度か話をしに立ち寄ってくれてはいたが、最近マリーがこちらに戻ってからは、さらに良く遊びに来るようになっていたので、今まで以上に親しみがわいていた。
「こんにちは、エリーちゃん」
少し年上のこの茶色い髪の女性は、エリーを見ると微笑んで挨拶をした。「もし工房がまだそんなに忙しくなかったら、ちょっとお願いがあるのだけど、いいかしら?」
 丁寧な言い回しに、いつもだったら二つ返事でうなづくのだが、今日ばかりはすまなそうな顔になって首を横に振る。
「ごめんなさい、シアさん。今は工房がこの通りで……依頼なら、あと二週間くらい待っていただけませんか? そうしたら新しい機材も搬入されるし」
 すると、シアはちがうのよ、というように軽く手を上げる。
「アイテムの依頼ではないの。私のお買い物にちょっと付き合ってほしいだけなの」
「お買い物、ですか? 私とでいいんでしょうか。マリーさんならあと 一週間もすれば採取から帰ってくると思うんですけど…」
 不思議そうに小首をかしげるエリーを見て、シアは眉を落として笑う。
「残念だけどマリーはお買い物の相手にはならないわ」
 小さく肩をすくめて笑う姿は、年上のはずなのにかわいらしくも見える。
 その言葉にも納得できる気がして、エリーは素直にうなづいた。
「それなら…もちろん私は大丈夫ですよ。どこに行くんですか?」
「夏物の服を仕立てにいくのよ。良ければ見立ててもらえないかしら」
 エリーはそれを聞くと、今度こそ慌てて手を横に振って言った。
「私、シアさんみたいに素敵な服の見立てなんて、したことないです」
 シアの服は、人妻らしく派手さはないが、飽きのこないデザインで色合いもいい。フレアたちにはセンスがいいと評判なのだ。
 するとシアは笑って頷く。
「いいのよ。ほら……今まではずっと依頼で忙しそうだったでしょう? だから、こうして誘おうとずっと思っていたのだけど、できなかったの。マリーのお話も聞いてみたいし、エリーちゃんともたくさんお話して、もっと仲良くなりたいと思っていたのよ」
 ね、と微笑まれると、エリーもつい心が動く。
 シアは畳み掛ける様に言った。
「服は口実なの。今日は旦那様がお家にいなくて。お買い物ついでにいろいろおしゃべりができたら嬉しいわ。……できれば夕食も一緒にどうかしら。私のお家でよければ」 
 そこまで聞いて、エリーはシアの急な申し出の裏にある心遣いを知る。
 マリーがこんなことを頼んだとは思えないが、シアにエリーの事を少しは話したのかもしれない。
 それに…と、エリーは思った。
 考えてみれば、ザールブルグに来て4年。買い物と言えば食材や錬金術の材料、少しの家具ぐらいしか買ったことがない。市場に行くのは好きだけれど、何かのついでぐらいにしか回ったことがないのだ。一度ゆっくり行ってみたいと思っていた。
 だから、ためらいはあったが、うなづいた。
「じゃあ、行きましょうか」
 するとシアは嬉しそうに笑っていい、さっそくというように工房を出る。エリーはシアの、ふんわりした仕草とは裏腹に、きびきびとした動きにつられてふらりとついて行った。




 ザールブルグの上区は、職人通りや中央市場とは雰囲気ががらりと変わる。
 家々はほとんど広い庭を持ち、大きな門と、時には門番までいるような住宅街だ。
 そしてその住宅街と、城の間には、下町の市場とは違う、美しい煉瓦造りの店舗を構えた店が何軒も並んだ一角がある。いわゆる、王室ご用達という店々だ。
 てっきり簡単な買い物かと思っていたエリーは、時折、ガラスの向こうに見える色鮮やかな生地や菓子につられて足を止めそうになりながら、シアの後を慌ててついて行った。
 背筋をしゃんと伸ばしたシアは、おっとりしているようなのに、案外歩くのが早い。
「何か欲しいもの、あったかしら?」
 同じようにウィンドウの向こうを眺めて、そう尋ねる。
「どれも素敵です。お母さんに買ってあげたいな」
 並んでいる内のどれを送っても、きっと喜ぶに違いない。
 ガラスの櫛、花柄のエプロン、絹の手袋。
── でも、ロブソン村じゃ使う機会がないなぁ。
 それでも、ケーキ屋の前ではばっちり足を止めてしまった。
── こんなお店あったんだ…どれどれ、チーズケーキのお値段は…
「!!」
 一切れに目玉が飛び出そうな金額がついている。
 気づかずに先を行くシアの後ろに追いつきながら、あのチーズケーキは一生食べる機会がないに違いないと思う。でも、どれくらいおいしいのだろう。
 そんなエリーに気づいているのかいないのか、シアはにこりと笑うとエリーに頷いて、表通りから一本路地を入った。
 ひんやりとした空気。
 人が二人すれ違えるかどうかのその路地に、小さな看板を掲げた、間口の狭い店が一軒だけ構えられていた。
 他の店のように中が見えるようになっていなくて、エリーは少しひるむが、シアは物おじせず、扉を軽く押した。すると
「いらっしゃいませ」
 重い木の扉は、それを支えるためだけの店員がいるらしい。勝手に開いて、エリーたちを迎え入れる。
 おそるおそる足を踏み入れたエリーは、薄暗かった路地とは対照的に、さっと天井から洩れてくる光と、それを明るく反射させる白い壁で、思った以上に明るい店内に目を細めた。
── わぁ、明るい……
 きょろきょろしているエリーの様子をほほえましく見ていたシアのもとに、支配人らしき男性が寄ってきた。
「いらっしゃいませ、エンバッハ様。ようこそおいで下さいました。本日はどのように…?」
 丁寧な物腰に、今度はそちらに驚く。
 エリーも宮殿に出入りはしたが、出会うのは武骨な騎士か気さくすぎる王くらいだ。貴族やその周辺の人々とのかかわったことはない。
「夏の服を仕立てる予定なの」
 シアが微笑んで言うと、支配人はうなづいて軽く礼をする。
「承知いたしました、エンバッハ様。ご連絡頂いております」
 するとすぐさま他の店員が、シアとエリーが腰を下ろすための椅子とテーブルを用意する。
「ただ今、ご用意してあります生地と鏡をお持ちしますのでお待ちください」
「ええ」
 シアは軽くうなづくと、おっかなびっくりふかふかの椅子に腰かけようとしているエリーに向かって呼びかけた。
「エリーちゃん。来てくれるかしら?」
「はいっ?」
 飛び上がるようにしたエリーを手招いて、シアはエリーを運ばれてきた大鏡の前に立たせた。
「あのね、エリーちゃんと私、肌の色合いがとても似ているの。だから、あなたに生地を合わせて見立てたいのよ」
 そういわれて、エリーはようやく納得して、笑顔でうなづいた。
 つまり、着せ替え人形のようなものなのだろう。
── 錬金術のアイテムでそう言ったものが作りだせたら、子供に喜んでもらえるかもしれないね。
 あまり縁のなさそうな世界だけに、いろいろと見ておこう、と思う。
 この輝く壁の材料も、椅子のふかふかしたクッションも、今まで知らなかった。
「エンバッハ様。生地をお持ちいたしました」
 シアはあらためて椅子に腰掛け、運ばれてきたミスティカティの香りを嗅いでいたが、エリーの脇に積み上げられる生地の山を見て、嬉しそうに支配人にうなづいて見せる。
 それに触れさせてもらって、エリーは驚いた顔をした。国宝虫の糸で織った布よりもはるかに軽くて柔らかくて滑らかだ。
「すごい……こんな布初めてです」
 その表情を見ながら、シアは昔マリーをこの店に連れてきたときのことを思い出していた。
 エリーのように大人しくしてくれてはいなかったが、生地の質に目を丸くしていたものだ。
 田舎風の赤いベストを着たエリーに、支配人は微笑んでうなづく。
「お目が高い。こちらは東方で織られておりますシルケンという布地でございます」
 ほかにも次々と出されてくる布地を手にとっては、質問を繰り返していたエリーは、やがてはっとしてシアを振り返った。
「ごめんなさい。シアさんのお買い物なのに」
「いいのよ。でも、そろそろ選びましょうか」
 エリーはうなづくと、鏡の前に立ち直し、今度こそ次々と運ばれてくる布地を体にあてがわれながら、新しく思いついたレシピの事を忘れないよう、何度も心の中で繰り返していた。



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2000-01-01

 


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