緑のとびら 5  Over15.





 フローダがくぐり戸から逃げようとしているのを知ったエリーは、思わず藁から身を乗り出していた。
 ダグラスは、フローダとアルクだけは逃がしたくないと言っていた。だから、証拠としてエリーの服を着せて連れて行くのだと。
── だったら、あの人は逃がしちゃいけない。
 そう思ったら、考えるより先に体が動いていた。
 藁の間から体を伸ばし、せめてダグラスに聞こえる様にと、叫ぶ。
「ダグラス! あそこ!!」
 エリーの声にダグラスが振り返り、その蒼い瞳がエリーを見て、大きく見開かれた。…否。
 『エリーの後ろを見て』 だ。
 両脇に影が差した。と、思った次の瞬間、体ごと抱きすくめられて持ち上げられる。
「きゃあっ!」
 暴れたけれど、そのまま中庭に連れ出されてしまった。
「エリー!」
 ダグラスは、途中で店の男を一人切り伏せて、こちらに駆け寄ってこようとする。
 エリーは体をひねって逃れようとし、自分をとらえているのが誰かを知った。
── この人…。
 一階のカウンターにいた男だ。
 つまり。
 『海鳥の巣』の首領、アルク。
 彼は腰から抜いたナイフをエリーののど元に突きつけた。
「………!」
 あと数歩で手が届くところで、ダグラスの足が止める。
 その気配に気づいたルーウェンもエリーの姿を認め、倒しかかっていた男の剣を受け止めたまま、こちらに視線を送っている。
「フローダ!」
アルクはエリーの耳元で叫んだ。「歩いて逃げる気か? 馬鹿! 戸を開けたら厩から馬を出してこい」
 怒鳴りつけられたフローダは飛び上がるようにして戸を開けると、大きく開き…そしてまたすぐ閉じ首を振ってアルクを振り返った。
「ダメだよ、外は騎士隊でいっぱいだ」
「だからこの女を連れて行くんだろうが、早くしろ!」
 言われてフローダは恐る恐る戸を開け放ち、外に向かって一言、二言何か叫んだ。
 騎士隊は入ってこない。
 アルクの顔が優越感にゆがむ。
 それから、ダグラスとルーウェンのほうを振り返り、中庭に倒れ伏してうめき声をあげる男たちをちらりと眺めて、言った。
「ずいぶんやってくれたな」
 その声に、倒れた人間に対する気遣いなどなかった。ただ、自分の持ち物が傷つけられたことに腹を立てているような口調だった。
 厩出てきたフローダは、そこから一番いい馬を出してきた。つまりダグラスの馬を。
 アルクはそれを横目に見ると、いぶかしげに眉を顰めたが、そのままダグラス達を振り返って言った。
「獲物を置いて下がれ。あっちの壁際までだ」
 ダグラスは怒りをあらわにアルクを睨みつけたが、エリーをちらりと見ると地面に剣を下ろした。ルーウェンも同じく、両手を上げて、じり…と後退しはじめたが、傍にいた男に腹を殴られ、地面に転がる。
 二人のそんな様子をからかうような声が周りから上がるが、アルクにひと睨みされると、すっと息をひそめて脇に下がった。
 エリーはどうにもならない足を引きずり、何とかもがこうとしたが、それを察したルーウェンの声が飛ぶ。
「エリーちゃん、抵抗するな!」
「そうだ、抵抗するなよお嬢ちゃん。ちょっと色気は足りないが、手をかけりゃいい女になりそうだ。ここから出ても可愛がってやる」
 アルクは一時エリーにナイフを突きつけながら、フローダに手伝わせて馬に乗せると、自分もその後ろに飛び乗った。
 そのまま馬首を回し、くぐり戸に向ける。
 エリーは馬の背に乗せられたまま、ダグラスを振り返る。目が合う。
 蒼い瞳が怒りに燃えていた。
 一瞬の隙も見逃さぬように。
 と、フローダがアルクを見上げ、その足に触れた。
「お頭! あたしは!?」
「三人も乗れるか。勝手に逃げろ」
 言い放たれた言葉に、フローダがその赤い唇をぽかんと開けたのが見えた。
 そのまま手綱を引く、そして馬は歩き出す……。
「じょ……冗談じゃないよ……こんなとこに置いてく気かい? あの男はあたしが関わってるの知ってるんだよ? 外にゃ騎士隊がうじゃうじゃいる。下手すりゃ縛り首じゃないか」
 フローダはあいまいな笑みを浮かべて、歩き出した馬の横腹に添い歩きながらアルクに訴えた。
「知るか」
 男は短く答えた。
「この……!」
 エリーはその瞬間の、まるで別人のようなフローダの横顔を見た。
 目を見開き、汗で髪を頬に張り付かせて。
 爆発の明かりに照らされて光ったのは、彼女が腿から引き抜いたナイフ。
 アルクの腿に、深々と突き刺さる。
「………!」
 声にならない声を上げて、アルクが左手で傷口を抑え。エリーの喉元に押し付けていたナイフをはずした。
 エリーはとっさに馬にうつぶせになったが。
 アルクの右手がきつく馬の手綱を引く。
 馬は急な動きに頭をぐいと右に傾け、前足を高く宙に、後ろ足で立ち上がる。
「エリー! しがみつけ!!」
 ダグラスの声が飛ぶ。
 エリーは馬のたてがみに顔を押し付ける様にして、必死に首にしがみついた…が…。
 しがみついていられたのはわずか数瞬の間で。
 ふわり…と体が宙に浮く。
── あ……。
 馬のたてがみがなびいて散る。
 空が目に入る。
 月が丸い。
 全てがスローモーションだった。

── お ち る 。

「エリー!!」
 ダグラスの声。
 あんなに必死な声を初めて聞いた、とエリーは思った。
 そして、エリーはぎゅっと目を閉じる。
 次に来るはずの衝撃に備えて。
 だが。
 いつまで経ってもそれはやってこなかった。
「…………あ…れ?」
 代わりに。
 目の前にダグラスの顔。
 何の音も聞こえなくなっていた耳に、あたりの喧騒が再び聞こえ始める。
 騎士隊がくぐり戸から駆け込んでくる。鎧のぶつかり合う音。
 フローダの叫び声。
 ダグラスの腕の中から、目だけを周囲に向ければ、すぐそばに、アルクを押さえつけるルーウェンの姿があった。
「エリー……」
 間一髪でエリーを抱きとめたダグラスは、息を吐いて、その体を抱きしめる。
「じっとしてろって言っただろ……莫迦野郎……」



 腕を後ろに縛り上げられ、中庭に並んで座らされているのは、『海鳥の巣』のメンバーたち。
 明け始めた朝の光の下で、皆うなだれ肩を落としている中、首領のアルクだけが顔を上げて空を睨んでいた。
 その周りを走り回っているのは、騎士隊の部下たち。
 まだ店の中に隠れている──隠れられるほど原型をとどめているとは言えなかったが──者がいないか確認していたり、外に逃げ出したものを連れ戻したりしていた。
「……とりあえず、よくやったと褒めておこう」
そこから少し離れた場所で、エンデルクがダグラスに言った。「だが、少々やりすぎたようだな」
 半壊した建物を見上げつぶやく。
 ダグラスは顔を上げて、エンデルクの顔を見た。
「お言葉ですが……これは俺たちがやったんじゃありません、マリーです」
 マリーは。
 ダグラスが間一髪でエリーを抱きとめ、ルーウェンが首領を地面に押さえつけたところで、のんびりと庭に出てきた。
 片手に店の酒、片手に拳ほどのフラムを持って。
 そして言ったのだ。
『あたしの幸福のワイン、盗んだのはあんたね?』
 その後、そのフラムをアルクの口に突っ込もうとするのをルーウェンに止められ、騎士隊とルーウェンに羽交い絞めにされ連れて行かれた。

 ルーウェンによればどうやら、ザールブルグの街に海鳥の巣の一派が押し入ったらしい。
 その時盗み取られたものの中に、マリーが楽しみにしていた熟成ワインがあった。
 マリーはエンデルクの静止を振り切って──その姿が見えてもいなかったかもしれないが──爆弾片手に賊を追い回し…ザールブルグの城壁に大穴をあけ…そして、街道の一つを不通にした。
 ルーウェンはといえば、東の村落からザールブルグに戻る道中で、その光景を目撃し…そのままマリー付きとなってしまったようだ。
 その後、騎士隊は二重の意味で緊急の検問を張って街道筋を抑えたが、マリーが陣の先頭に立ち、そして、ダグラスからの一方を受けるや、真っ先に飛び出して……今に至る。

「……わかっている。ただ、お前たちがもう少し素早く抜け出していたら、被害は最小限……いや、ごく僅かでも抑えられただろうと思うとな」
 ダグラスは、エンデルクが彼にしては珍しく小さなため息をついたのを見て、この黒髪の騎士のここ数日の苦労を思った。
 エンデルクは、庭の隅にいるエリーを見やった。ダグラスのマントを羽織って騎士隊の隊員たちに囲まれ、庭に下りる石段に腰掛けている。
 コーヒーを手にし丸くなっているが、マントの下はパジャマ姿で靴もない。
 なんとかしてやらなくてはと思っていると、エンデルクが真面目な顔をして言った。
「仲がいいのはいいことだが、時と場所を考えるべきだったな」
 ちら、と見たのはダグラスの左の頬に残るエリーの平手打ちの跡。
「何もしてません!」
 本当に『何も』『まったく』か、と言われれば後ろ暗いことがあるだけに、つい大声で答えてしまい、庭にいる騎士の数人がこちらを不審げに振り返って見た。
 ダグラスは口元を抑えて続ける。
「エリーがあの恰好なのは……」
「それもわかっている。証人はあそこだ」
 今もフローダは、エリーの服を着たまま、庭の隅に座りこんでいる。
 黒髪を肩のあたりでバッサリと切ったのは殊勝だったが、白々と夜の明け始めた空の下では、化粧をしていない肌と、疲れた様子があわれに思えた。
── とてもエリーの代わりはできねぇな。
 ダグラスはそう思ったが、エンデルクは彼女をちらりと見やると言った。
「言い逃れはできまい…まぁ、する気もなさそうだが。……エリーの服だが、後で工房に届けさせよう。無論、新調してな……それから…」
何か言いかけて、そして、口をつぐむ。「まぁ、ザールブルグに戻ってからにしよう。今は彼女も休ませなくては」
 行ってやれ、と言われて頭を下げ、エンデルクの前を辞す。
 エリーは部屋から持ち出したアイテム袋を重ねて、その脇に腰を下ろしていた。
 近づくと、隊員たちが気を使って脇に退く。
「大丈夫か?」
 階段に腰掛けたエリーの隣に、腰を下ろす。
 エリーはコーヒーの入ったカップを手にして身を丸めていたが、ダグラスを見ると、少し疲れた様ににこ…と笑った。
「うん。ちょっとびっくりしてくらくらしてたけど。もう大丈夫」
「巻き込んで悪かったな」
 馬から落ちた時か、頬に着いた泥を拭ってやると、エリーは照れくさそうに身を引いた。
「ううぅん。私こそ……なんだか足引っ張っちゃってごめんね」
 怒られた? とエンデルクのほうをちらりと見やって尋ねてきたが、ダグラスは軽く首を横に振るだけにして、エリーの頭をぽんぽんと撫でる。
「……ダグラスは、最初からわかってたの?」
 不思議そうな顔で尋ねられ、首を横に振る。
「最初じゃねぇ。女の機嫌とってこの店に入ってからだ。あの頬の傷は、手配書に乗ってたやつに似てたからな」
「いつ…騎士隊と連絡取ってたの?」
「飯を買いに外に出た時だよ。こういう時は治安が荒れる。近くを見回り部隊がうろついてるのはわかってたから、商人の小者を捕まえて、伝言頼んだんだ」
 その代り、戻るのが遅くなった。
 そしてエリーが襲われているのを見たわけだが。
── 口約束を信じるなんて、俺もまだ甘ぇ……。
 アルクのことだ、もし事が終った後にダグラスが乗り込んでも、知らないふりを決め込んだだろう。
「怖い思いさせたな」
「ううん、ちょっと面白かったよ」
 にこ…と笑うエリーのせいで、少しは救われる。
「寒くねぇか?」
 ザールブルグ周辺でも、朝夕は冷える。エリーは体に巻いたマントを引き寄せて、足を少し擦り合わせるようにすると、うなづいた。
「今は平気。でも後で靴と服が欲しいな」
 分かった、とダグラスはうなづいて、隊に合流しようと腰を上げたが。
 目の前を行く騎士隊の馬に、視界を遮られて足を止めた。
 その向こうを、うしろ手を縛られた男たちが引き立てられていく。
「おい」
声に目を上げる。首領のアルクがこちらを見ていた。「してやられたよ」
 鼻を鳴らして答えると、アルクは黒い瞳に笑みを浮かべて、言った。
「お前の馬を見た時気づいた……聖騎士ダグラス・マクレイン。それから…」
 アルクの視線がダグラスの横にいるエリーに向けられる。
 ダグラスは彼女をアルクの視線から隠すように一歩左に寄る。
 アルクはそれを見ていやらしく笑った。
「覚えておくぞ」
 頬の傷が、顔を一層ゆがませる。
 昨夜カウンターで見た時のような、妙な明るさを持って。
「ダグラス……」
 通り過ぎていく人の列を眺めていると、後ろからエリーの不安そうな声がした。
「大丈夫だ。心配すんな」
 海鳥の巣が今までにしたことを考えると、首領のアレクは縛り首になるだろう。
 自分たちの前に姿を現すことはもうないはずだ。
 騎士隊にはさまれてくぐり戸を抜けていくアレクの背中を見送り、ダグラスはそう思った。




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