緑のとびら 3  Over15






 ダグラスは物音を立てないように気を付けながら、ベッドに立てかけておいた剣をベルトに差し、身支度を整え終えると、窓際に寄った。
 この部屋に着いたとき開けておいた手ごわそうな窓は、エリーの仕業でしっかりと閉じてしまっている。窓の桟を拳で軽く叩いてそれを緩ませ、カタン……とほんの僅かの音を立てて押し開けば、夏の夜風が頬をかすめた。
 ダグラスは身を乗り出して、中庭と、念のために左右の部屋を覗き見る。
 どの窓の明かりも灯ったままだったが、人の気配があったほうが返って都合がいい。
「よし。エリー…こっち来い」
 差し伸べた手に、これも支度を終えたエリーが答えて、握り返す。
 むろん、下着姿──ではなくて。
 村で着ていた、例の丈の長いワンピースのような薄黄色のパジャマだ。
 ダグラスはその体を抱いて、窓枠に乗せた。
「いいか? 降りたらじっとしてろよ」
 無言でこくんとうなづく。表情は硬いが、怖がってはいなそうだった。



 あの時。
 厩にいたダグラスにフローダが声をかけてきて、言った。
「あんた、あの娘の護衛かなんか? あれはちょっといいトコの子なわけ?」
 フローダは肩を厩の柱に寄りかからせて、だが厩の匂いに顔をしかめて中に入ってこようとはしなかった。面倒くささを感じたダグラスは、まとめていた藁をどけ外に出ようとしたが、入口をふさぐようにして止められる。
「ねぇ…どうなの? あんた随分若そうに見えるけど、ホントは結構腕が立つでしょ。だとしたら護衛料だってばかになんないわ。それに、あの宿代。…あんな大金出すなんて、びっくりしちゃった」
 莫迦ねぇ、ここは街の高級娼館じゃないんだよ、と言われて、ダグラスはフローダに顔を向け、微かに眉を上げた。
「だとしたら、どうなんだ?」
「護衛代、いくらもらってんのかなぁ、なんて思って。……教えてくれたら、私、その倍はあんたに払ってあげられるかもしれないよ」
「……何か、いい話があるってわけだ」
 尋ね返すと、フローダは身を乗り出して身を乗り出してきた。
「それは、まだ言えないけどね。……ただちょっと、あんたが部屋に戻るのを遅らせてくれたら、まずは銀200、そのままあんたにあげるわ」
 ダグラスは一瞬眉を寄せ、無言でフローダの横をすり抜ける。
「ちょっと! 気に入らないなら口でいいなよ。護衛なんかやってんだ。なんか訳ありなんだろ? 悪い話じゃないじゃないか」
 フローダは外に出たダグラスを追ってきた。彼女が止めてくるのを待っていたダグラスが振り返ると、彼女は作ったような笑顔のまま言った。
「ね…。銀200がダメなら250。しかも事が終ったらもっと儲けが出る。それも分けてあげるからさ」
 自慢の黒髪なのか、項にほつれた毛先を指でいじりながら、赤い唇が弧を描く。
「うまい話にゃ飛びつくなってのが俺の家の家訓だ」
冷たくあしらってから、もう一度のチャンスを。「……ま、詳しく聞かせてもらえるなら、外に飯を食いに出てやってもいいけどな?」
 フローダはその答えが気に入ったようだった。ダグラスの首に両手をかけて、唇を彼女らしくゆがめる。
「若いのにいい口叩くじゃないか。……ほんとはダメだけど、あんたには特別に話してやるから、食事が終ったらあたしの部屋においでよ。今晩はあんただけにしておいてやるからさ」
 間近に香水の香り。
 ダグラスは顔をそむける代わりに、笑ってやった。
 その時だったかもしれない。窓を勢いよく閉める音がしたのは。
 だが、駆け引きの最中で窓を見上げるわけにはいかなかった。
「話が先だろ? あんたの部屋に行くかどうかは、その後決める。」
 フローダは、つまらなさげにダグラスの首から腕を外すと、言った。
「ちょっと顔がいいとすぐこれだよ。えり好みできるのは今のうちなんだよ?」
それでも、フローダは話し出した。「まぁ、お聞き……」



 曰く、エリーはこのままフローダ達が預かる、と言う。
 そしてエリーの両親へ──この時にはすでに、きっと田舎の牧場主か商人の娘だと思い込んでいたが──娘をお預かりした旨の手紙を送り、いくらかの料金をいただき。
 もちろん家に帰す気はない。
 足がつかぬように他の娼館へ売り払うと。
「今日のうちに客の一人も取れば、おとなしくなるさ」
 何でもない顔をして言った頬を、思い切り張ってやりたくなったが、ぐっと堪えて耳を掻く。
「それじゃ俺の護衛の仕事の信用が落ちるんだがな」
 聖騎士でいるだけではきっと知らなかっただろう知識がダグラスにはあった。
 ルーウェンやハレッシュの仕草を思い出しながら、なるべくそう見える様にふるまう。
「あら、あんたはここでずっと暮らしたらいいじゃない。運び屋でもやっとくれよ」
 ダグラスは黙って首を横に振った。
 フローダはなお、彼を説得しようとあれやこれやと条件を出してきたが。
 やがて、呆れたように言った。
「じゃあ、どうしたらいいっていうのさ。……ここまで喋っちまったし…あたしはあんまり頭が良くないからね。アルクに相談しなくちゃならないよ」
「アルクも仲間か?」
「当たり前だろ。でなけりゃどこにあの娘を閉じ込めとくんだい。近くじゃ騎士隊がうろうろしてんだよ?」
フローダは馬鹿にしたような顔をして言った。
「どこに入れとくつもりだったんだ?」
 さりげなく尋ねると、フローダは面倒くさそうに手を振って言った。
「どこだっていいのさ。酒蔵でも、貯蔵庫でも。他の妓女(こ)たちの目に付かなきゃね。あたしたちはいつだってそうしてるんだから」
 で、どうするんだい? アルクの所へ一緒に行くかい? そう聞かれて、ダグラスは鼻を鳴らした。
「あんたは随分あいつをひいきしてるんだな」
 なるべくそれが、若い男の口に聞こえる様にと呟く。
 案の定フローダは気をよくして。
「仲間どころか頭だよ。この辺り一帯の……あんた、護衛稼業始めて間もないんだっけ? 海鳥の巣って賊のことは、聞いたことない?」
「ああ……」
ダグラスは今度こそ本当の笑顔を見せて、フローダに笑いかけた。「聞いたことないな。出来れば紹介してくれよ。……今後のために」



 『海鳥の巣』は依然からザールブルグ周辺で噂になっていた盗賊団のうちの一つだ。ここ数年、ザールブルグでは組織的な盗みや誘拐事件が多発しており、その犯行のうちの多くが海鳥の巣の仕業だと言われてきた。
 手掛かりは首領の似姿と噂される、出所のはっきりしない絵が一枚だけ。
 根城も明らかになっていなかった。


 ダグラスはフローダの取次ぎで、一階のカウンターの裏の小部屋に通された。
 そこにはアルクと、他の数人の男がおり、アルクだけがテーブルの隅に腰かけていた。
「あんたが、アルクか?」
 自分の柄の悪さはある程度自覚していたが、実際にアルクを前にしたときには、聖騎士だと見破られやしないかと、内心ひやひやしていた。というのも、武闘大会には賭け屋も出るし、その掛け屋の元締めは大概その手の人間が関わっている。中にはダグラスの顔を見知っているともいえなかったからだ。
 だがアルクも、配下の者も、目の前の年若い男が騎士隊の一人だと気づきはしなかったようだった。
「よぉ。おつかれさん」
 アルクは気軽な調子で手を上げた。
 こうしてみると、まだ40代も前半の男だ。
 三白眼気味の、小さな黒い瞳がこちらを値踏みするように見ている。
 頬を縦に走る傷がその若さを補うように、蝋燭の明かりに浮かび上がっていた。
「なんだか、いいお話を持ってきてくれたみてぇじゃねえか」
「ああ」
 ダグラスは短く答えると、腕を組んで扉に寄りかかった。
 アルクは取次のフローダが言ったような話を、ダグラスが自ら口軽く話し出すと思ったのだろう。少し待っていたが、何も言いださないのを見て、肩をすくめた。
「そう警戒すんなよ。おめえ、今の護衛稼業にゃ飽き飽きだって話だったな」
 ダグラスが無言でうなづくと、アルクは部下の持ってきたビールを一口すする。
「確かに護衛なんざ気を使う上に儲かりもしねぇ。……仲間に入りたいんだって? 『運送屋』の」
 その言葉にわずかに耳をぴくりとさせながらも、ダグラスはふいと目を逸らした。
 するとアルクは、喉の奥でくっくと笑って、それからもう少し大きな笑い声をあげる。
「ああ、いいよ。わかったよ。…あの莫迦女が口すべらしたんだろ? 運送屋にゃぁ入る気ねぇよな。……だが、うちは『運送屋』だ。おめえも仲間になるんなら、そう思っとけ」
 念には念を、だ。と、そう言いながら、ダグラスに椅子を勧め、指を鳴らしてもう一つビールを運ばせた。促されるままに椅子に腰掛けると、背後の扉にはもう一人の男が立って、入口をふさいだ。
「あれの事だが、お前にいい案があるってのはほんとか」
 エリーを差して言っていることはすぐにわかった。
 ダグラスはうなづくと、ビールには手を付けずに、頷いた。
「ああ。フローダから話を持ちかけられてね。俺なりに少しばかり考えてみた」
 それは、夜半までエリーの身を危険に晒さず、かつ 『海鳥の巣』の寝首をかくための案。
 もちろん一言もそんな言葉は口にせず、ダグラスはアルクに言った。
「まず、俺は護衛稼業をやめる気はねぇ。あれはあれで、いい稼ぎになるからな」
それを聞いた瞬間、アルクの右手が何かしらの合図を出そうとしたのを見て、ダグラスが目で制する。「焦らずに聞けよ。……まず、俺はとある筋からの紹介で、いつも、ちょっといいとこのお嬢さんを護衛してる。商人や、農場主の娘や息子が大半だ。」
 アルクは目を細め、手を下ろした。
 ダグラスは微かに乾いた唇を舐めないようにと、心がける。
「送り先は大体ザールブルグの街の城門までだ。門番に客の名前を言って、きっちり到着させたと証明できたら俺の仕事は終わる」
 その仕事も騎士隊のものだ。どの国でも門の出入りには必ずあるチェック機能。
 口を挟んでくるかと思ったが、アルクは黙って聞いていた。
 軽薄そうに見えても、頭は切れるらしい。
「送るときにはこの街道を通ることもあるし、そうじゃねぇ時だってあるが、あんたらの仲間は、大体どこにでもいるんだろ?」
「ああ……」
アルクは興味なさそうな様子をしながらも、うなづいた。「『支店』ならたくさんあるぜ。南にも北にもな」
「じゃあ俺が、『良い荷物』を運ぶ時には必ずその『支店』とやらに立ち寄ってやるよ」
 年に2回が限度だろうけどな、と言って笑ってやった。
 本当は、『支店』の場所すべて知りたかったが、今聞けば怪しまれるだけだろう。
 アルクは視線を宙に向け、ビールを飲みながらただ、のんびりしているように見えた。
 緊張するまいと思っても、肩に力が入る。
「……その案には、よかねぇとこが一つあるな」
ふいにダグラスを視線を合わせ、アルクが言った。「『荷物』を『支店』に落っことしてってもらうのはいいが、おめえは送り先で荷物をなくしましたって言うのか?」
「荷物は届けるさ」
── かかった。
 ダグラスは自分の口端が自然に口端が上がるのを感じた。
「あんたに分からないはずがねぇ。俺は別の荷物を届けりゃいいんだ。…似たようなやつをな。後で間違いだって分かったって、俺はちゃんと城門までいって、きっちりサインしてくんだから……あとは、ザールブルグの騎士隊が、見当違いの所を探したらいい」
 ダグラスの笑顔が移ったように…アルクの唇が上がる。
「二度も三度もできるもんじゃねぇぞ」
「三度やったら護衛は引退するさ」
「いい頃合いだ」
 頷くと、アルクは飲みかけのビールを置いて立ち上がった。
 ダグラスの脇を通って、店に戻ろうとする。
「報酬は」
すれ違いざま、ダグラスは大きめの声を上げた。「……折半。それから運んだ荷物が女なら……最初は俺だ」
 それを聞くと、アルクが立ち止まり、ダグラスの横顔を見て苦笑いする。
「おいおい…欲張るなよ。 報酬はせいぜい7:3だ。それに生娘じゃなけりゃ価値が下がる」
「6:4だ。…フローダから聞いてるぜ。今日客を取らせる気でいたんだろ」
 今度こそ呆れたような顔をして、アルクが笑った。
「最初に気づいとくべきだった。おめぇはだいぶ駆け引きがうまい」
 銀250が駆け引き上手とはとても思えなかったが、ダグラスは口端を上げた。
「脱がせた服は外に出しといてやるよ。誰かに適当に着せといてくれ。薄暗いうちにザールブルグにつくように、夜半にゃ出ていくからな。あんたはそれを見届けてくれ」
 ダグラスの言葉にアルクは笑って手を振って出て行った。

- continue -

2012.05.07.

 


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