隣村まで家畜の治療に行った帰りだという神父は、二人がカンテラをなくしたと聞くと、エリーの家まで同行しようと言ってくれた。
「ちょうど通り道だからね」
エリーが喜んで頷いたのは明かりのせいだけではないだろう。
ダグラスはそれを見ると馬を降り、馬上を神父に譲って自分は手綱を取る。
エリーの後ろに乗った神父は、ロバとは違うその高さに慣れない様子で目を白黒とさせていたが、やがてこれはいいねと嬉しそうに頷いた。
「ところで、こんな時間までどうしたんだね」
「実は、森で足をくじいちゃって。それでダグラスが探しに来てくれたんです」
それを聞くと、オイゲン神父はにこにこと笑って言った。
「それは随分、アウレールさんに信頼されているみたいだね」
「うーん、お父さん今ごろ、すごく心配してると思うけど」
叱られるかなぁ、と肩を落としたエリーに、神父は首を振って、ダグラスを見た。
「違う、違う。ダグラス君が信頼されているという意味だよ。なにせ、アウレールさんの子煩悩は有名だから」
自分の名前に思わず馬上を振り仰ぐくと、オイゲン神父は穏やかに笑っている。
「昔からアウレールさんは、エルフィール君をかわいがっていてね。どこに行くにも一緒に連れて歩いていたし、目に入れても痛くないと言っていたが…そうかそうか。その役目も君に譲る時が来たんだね」
その言葉に、ダグラスとエリーはさっと目を合わせ、それから照れくささに目を逸らしたが、それすらオイゲン神父にとっては初々しい仕草に見えたらしい。笑顔を深めて二人を見る。
ダグラスは手綱を取り直して、前を向いた。
昼間直した牧柵が右手に見えた。アウレールは心配をしているだろうか。家まではあとほんの少しだ、と、そんな、なんの構えももしていないときだった。
「時に、二人はいつごろ村に越してくるんだね? 昨日見た時には、他に何の荷物も持っていなかったようだが」
神父の不意な言葉に、ダグラスもエリーも不思議そうにして振り返った。
エリーは首をかしげて彼に尋ね返す。
「オイゲン先生。それってどういうことですか?」
エリーに尋ねられ、オイゲンは驚いたような困ったような顔をした。
「いやはや、まだ秘密だったのかな。…うーん、私はってっきり…」
ダグラスが見守る中で、彼は少し考え込むと、やがて深くため息をついた。
「お父さん! お母さん!」
痛めた足を半ば引きずるようにして家に飛び込んだエリーを、エリーネは、驚いた顔をして迎えた。
「おまえ、どこまでいってたの。心配したのよ。お父さんがもう少しで後を…」
馬をつないで、一歩遅れて入ったダグラスは、食卓に着く前に倒れそうになるエリーを支えて、椅子に座らせる。
「怪我したの? まぁ、こんな時間まで外にいるからよ」
「お母さん」
足の様子を見ようとしたエリーネを止め、エリーは言った。
「お父さんは? お話があるの」
と、その言葉が終らぬうちに、外套を着たアウレールが奥から出てきて、エリーを見て口を開きかけた。が…。
「お父さん、私が村に戻ってくると思ってたって、ほんとう? …錬金術のお店が開ける様に、工房を建ててくれるつもりだったって……」
オイゲン神父は、大まかだが、そのようなことをエリーに話した。
つまり、アウレールがエリーのためにと小屋を一つ新しく建てるための材料を集めていたこと、それを知っていたオイゲン神父が、ダグラスと共に帰ってきたエリーを見て、きっとこちらで二人で暮らすつもりなのだと……婚約したのだろうと早とちりをして、幾人かの村人にそれを伝えてしまったこと。
「エリー…」
アウレールは、外套を脱ぐとそれを椅子の背に掛け、エリーの前に座った。「そのことだが…」
「私、手紙に書いたよね? ザールブルグでお店を開きますって」
それから、自分の言葉で思い至ったように、つぶやいた。「……もしかして、手紙にあったプレゼントって……」
しん……と場が静まる。
ダグラスは、ただ一歩下がって三人の様子を見ていた。
「エリー、お父さんはね」
エリーネが、重く口を閉じた夫の代わりをしようと、エリーの隣に腰を下ろす。
エリーは困惑したような、傷ついたような顔をして、ゆっくり視線を母親に向けた。
「あなたから、誕生日の後で手紙……ザールブルグに残って、自分の店を開くつもりだと手紙が来るまで、まだ、あなたが15歳のままのように思っていたの。……それは、お母さんもよ。もしかしたら、エリーがさみしがって帰ってくるかもしれない、独り立ちはまだ無理かもしれない、だったらこっそり準備して、驚かせてやろうか…って」
「そんな…でも…」
エリーの言葉を遮るように、エリーネは軽く首を横に振る。
「あなたが決めた通りでいいのよ。このことは本当に黙っておくつもりだったの。だって、帰ってきたらあなたは19歳で。立派に仕事の話をして。……もう、こんなアクセサリーが似合うようになっていて」
手を伸ばしてエリーの耳元に光る青い涙型のイヤリングをちょんとつついた。
そして、軽く振り返るようにしてダグラスを見る。
「お父さんとおんなじくらい頼りになる人も見つけてたわ」
エリーは頭を巡らせ、後ろに立ったダグラスを見上げ、それから向かいに座る父親に目をやった。
アウレールは指で鼻先を軽く掻き、エリーとダグラスに微笑んだ。
ダグラスはそこに、エリーを同じ癖を見つけて、不思議な気持ちになった。
エリーは少し泣きべそをかいていたかもしれないが、ダグラスからはよく見ることができなかった。
そしてアウレールのこげ茶の瞳が、ダグラスを見る。
さみしそうで、満足そうな、そんな目の色だった。
翌日、早朝。
ザールブルグから持ってきたアイテム袋には、代わりの野菜やハーブが詰め込まれ、エリーの採取籠はこちらでしか取れないさまざまな材料が入れられ馬の背に振り分けてあった。
アウレールはとっくに支度の済んだダグラスと一緒にいたが、エリーネは、まだ荷物をかき回そうとしているエリーのそばに、やきもきしたように立っている。
「忘れ物、ない?」
「うーん…何かありそう」
「無理しないでまた後にしなさい。足、痛いんでしょ?」
昨夜、エリーの足首がひどく腫れていることを知るや否や、アウレールもエリーネも、大騒ぎで娘の足首に取り掛かった。
キンセンカやヒソップなどのハーブで手際よく湿布をするのを見て、なるほどエリーの錬金術の基礎はもしかしたらここにあるのかもしれないと感心していたが、その材料を手渡され、エリーの面倒を見る様にと言われた時には、どれがどれなのかさっぱり分からなくなっていて、うろたえたところを随分笑われてしまった。
やがて支度の整ったエリーをダグラスが抱き上げ、馬の背にのせる。
アウレールは黙って傍に立っていたが、穏やかに微笑んだままだ。
多分彼の言いたいことは全部、エリーネが言ってくれているのだろう。
「また来るね」
馬の背から身を乗り出すようにしてエリーが言うと、アウレールもエリーネも、笑顔で頷いた。僅か3日に満たない娘の帰還は、短すぎてはいただろうが、心配の種は、いくら傍にいても尽きないのだからとアウレールは言った。
「気を付けていきなさいよ。あっちは物騒なんでしょ?」
両手を胸の前で組んで、心配そうなエリーネを見おろし、エリーは笑う。
「大丈夫だよ。私も結構強いんだから」
「捻挫してて何言うの」
怒ったような困ったような顔をしたエリーネに、エリーは愛想笑いを一つ。
「また来ます」
ダグラスは庭の柵から出るまで馬の手綱を取っていたが、やがてそう短く言って、エリーの後ろに飛び乗る。
その時、
「娘の事を、よろしく頼むよ」
一瞬、ダグラスは目を丸くしたが。
「……はい」
しっかりと頷くと、アウレールは嬉しそうに微笑んだ。
アウレールたちに見送られて、村を出る。
途中、教会の前を通ったが、朝が早いせいか、近くには誰もいない。
エリーはダグラスの手を借りて、馬を下りると、来た時と同じようにアルテナに祈り、高台へと向かった。昇り切った先で、村を見下ろした時、二人はもう庭にはいなかった。
「……さみしいか?」
腕の中のエリーに尋ねると、ふるふると首を横に振ったが、さみしくないとは言わなかった。
ダグラスは村を見下ろしながら、昨夜のことを思い出していた。
両親の心遣いを知ったエリーが迷うのではないかと、一瞬思った自分。
そして、ザールブルグに戻ると、言い切ったエリー。
エリーの気持ちのどこかには、今もこの村で暮らしたいという気持ちがあるに違いない。
エリーはロブソン村を愛していたし、村の人々にも愛されている。
そして、エリーの両親もエリーを愛している。
だがエリーは、アウレール達の気持ちを知ってなお、ここに残るとは一言も言わなかった。
すまないとも言わなかった。
ダグラスが、故郷を出てきたときと同じように。
それは、家族に対してだけ許される、わがままの一つ。
次に帰ってきたとき、エリーは新しい羊小屋が建っているのを見るはずだ。
「さて……ザールブルグに帰るか!」
わざと明るく言うと、エリーはダグラスを見上げて、にこ…と笑う。
「うん。きっとみんなが待ってるね」
「土産物をな」
にやりと笑ってダグラスは言い、エリーの笑い声がそれに続く。
ダグラスはゆっくり馬の首を返し、ザールブルグへの道を、戻りはじめた。
- END -
2012.5.4.
里帰り話でした。
蒼太