Sunflower 6





「あら? エリーは一緒じゃなかったの?」
 納屋に手押し車と木槌を片づけていた二人に、エリーネが声をかけてきたころには、もう太陽が西の山にかかりかけていた。
 窓から差し込む光も少しずつ薄暗くなっている。
「どうした? まだ帰ってないのか?」
 アウレールが尋ねると、エリーネは顎先に手を当てて考え込む顔をした。
「ハンナちゃんのお家でおしゃべりしてるのかしら?」
「ランタンを持って出てないだろう。今夜は満月だが、念のため迎えに行くか」
 エリーネにバスケットを手渡しながら、アウレールが額の汗を拭くのをみて、ダグラスが申し出る。
「俺が行きます。馬もあるし…明かりを貸してもらえますか?」
 モンスターも出ないし、心配はいらないという二人に断りを入れ、マントを羽織るとダグラスは森へ急いだ。途中、教えられたとおりの道を行き、ハンナの家を目指したが、薄闇の中、左右に目を配ることも忘れなかった。
 エリーの行く先に心当たりがあったからだ。
── あいつ、採取に夢中になってるな。
 本来なら、午後は材料集めに出る予定だった。それに、エリーにとってこの森は素材の宝庫だろう。いつも採取に付き合っているダグラスにも、見覚えのある草が生えている。そしてダグラスはエリーが夢中になると時間を完全に忘れてしまうことを知っていた。
 だが、薄暗い中でエリーの姿は見つからず、とうとうハンナの家につく。
 石造りの家の裏には、炭焼きの煙突が立っていて、重い木の扉が閉まっていたが、中からは明かりが漏れている。
 エリーが中にいることを期待して、ドアをノックした。
「はーい」
 出てきたのは、昨日の少女。
 ダグラスの顔を見るなり不思議そうな顔をして、尋ねた。
「ダグラスさん。こんばんは。…何か忘れ物?」
 ダグラスが眉をひそめると、ハンナが少し居心地悪そうに言葉を継いだ。
「エリーちゃんならもうしばらく前に帰ったはずなんだけど……その、お兄ちゃんが送って行くって」
 ハンナの言うところを借りれば、もう帰ってから一時間以上たっているという。
 ダグラスは短く礼を言うと、ハンナの家から飛び出した。
 当てはない。
 それに確信もない。
 だが、ダグラスは馬に飛び乗ると、今来た道を戻らずに、さらに森の奥へと続く小道を走り出した。




「ハフナー、やめて!」
 白と灰色の森の中、聞こえた声に飛び出した先には、地面に半ば倒れるような格好のエリーと、そのエリーの体を抱きすくめるあの男の姿があった。
「……っ…」
 瞬間、かっと頭に血が上る。
 真際まで馬を寄せると、飛び降りた勢いのまま、ハフナーの後襟をつかんで、思い切り引き起こした。
 襟でのどを詰まらせ、ぐ、と低い声がしたのは気のせいではあるまい。
「……ダグラス!」
 エリーが安堵の声で自分の名を呼ぶ。暗い中でも、瞳が潤んでいるのがわかった。
 そんなエリーをちらりと見やって、無事であることを確認すると、ダグラスはすぐさま振り返り、バランスを崩しながらも自分に殴りかかろうとするハフナーの腕をかいくぐる。
「……!」
 息を呑む声は、エリーのものか、ハフナーのものか。
 耳元を拳がかすめる音がし、ダグラスは掌を広げて、ハフナーの厚い胸板に叩きつけ…そのまま、体重を乗せて地面に突き下ろした。
「ぐ…っ…」
 衝撃に漏れる低い音。
 森の柔らかな土の上に叩きつけられた、ハフナーの体。
「ダグラス!」
 先程とは違う、驚くような声に、振り返らずに言った。
「黙って見てろ」
 ハフナーは何とか立ち上がろうとしながら、咳き込んだ。
「っ…なんでここに…」
「知らなくていい。早く立てよ。相手してやる」
自分から漏れる殺気を自分で感じる。「こんなことなら最初からぶん殴っておいてやればよかったぜ」 
 フラウ・シュトライトを倒す男の殺気を向けられ、気圧されないはずがない。
 ハフナーは怯えの色を浮かべたが、その怯えが何からくるのかまではわからなかった。
 そして、ダグラスに見下ろされるまま、腰を抜かすほど弱くもなかった。
「聖騎士が一般人に手ぇ出していいのかよ…」
「殴ってねぇだろ」
掌を開けたり閉じたりして、ダグラスは笑い返す。「ちょっと押しただけだ」
 と、ゆっくりと立ち上がろうとしていたハフナーが、その低い体勢から急な動きで、ダグラスの下半身を狙う。
 両手を広げて、その足を掬おうと。
「馬鹿、甘いんだよ」
 ダグラスが引いたのは、片足だけ、それで半身がひねられる。
 それだけで、ハフナーは目標を見失い、前のめりになってバランスを崩した。
 ダグラスは勢いのついたハフナーの襟足をつかんで、そのまま前に引き倒す。
 ハフナーは受け身をとれぬままに地面に転がるしかない。
「っ……くそ!」
 鼻先に付いた泥をこすると、もう一度立ち上がる。そして、また倒される。
 幾度それを繰り返しただろうか。
 いつしか、肩で息をつくハフナーと、涼しい顔をしたダグラスが向き合っていた。
「もうおしまいか?」
 腕を組んだダグラスは、ぼろぼろになったハフナーを見て笑う。
 といっても、すっかり暗くなった森の中では、それはよく伝わらなかったかもしれないが。
「……なんでだよ」
「何がだよ」
「エリーは…なんでお前みたいなの…」
 言われてダグラスは片眉をあげた。
「知るか」
 そんなことは考えたこともなかった。
「俺のほうが前からエリーを知ってる」
「そうかよ」
闇の中でも強い視線を受け止めて、いなす。「お前が、エリーの何を知ってるって? こいつがザールブルグでどんな風に暮らしてるか、考えたことがあるか? 大事にしてるものは? 嫌いなものは? 好きなものは? 錬金術にどれだけ打ち込んでるか……知ってんのかよ?」
 返事はなかった。
 黙って立ち尽くすハフナーを一瞥すると、ダグラスは彼に背を向けた。
 座りこんだままのエリーのそばに膝をつき、抱き起そうとして、小さな悲鳴を聞きつける。
── 足、ひねったのか。
 道理で止めに入ってこなかったはずだ。
 そっと自分の体に身を寄せてきたエリーを、自分の片腕の中に引きこむと、ダグラスは言った。
「おめぇは何も知らねぇ。いや…知ってる『だけ』だ。理解はしてねぇんだよ……こいつは、お前が思ってるより根性あるぞ」
 横抱きに抱き上げながら言った言葉は、女性に対するものとは到底思えない台詞で、エリーは目を丸くしたが、立ち尽くしていたハフナーの喉からは思わず笑いが漏れた。
「………勝負に、ならない」
 つぶやいた言葉は、降参の旗印だった。







 借りてきたはずのランタンをどこかで落としたらしいことは、しばらくしてから気づいた。
 馬の背に横抱きに乗せたエリーが、昇り始めた月明かりを頼りに、行く先を指し示す。
 それ以外は、自分の胸元に寄りかかるようにして、黙ったままだ。
 ダグラスも。
「………向日葵って、夜も咲いてるんだな」
 ようやく口を開いたのは、森を抜け、向日葵畑の縁に出たころだった。
 満月の下、閉じない花が連なって咲いている。
 顔を上げて、星空を見上げて。
 エリーに似ているな、と思いながら、向日葵の畝を抜けていく。
「ダグラス……」
やがてエリーの口から出たのは、謝罪の言葉だった。「ごめんね、ダグラスの言った通りだった。心配かけて、ごめんね」
「………」
 黙ったままのダグラスが、怒っていると思ったのか、腕の中でこわばる。
「……怒ってる?」
「怒ってねえよ。自分が許せないだけだ」
 そう伝えると、エリーは困惑した気配をにじませた。
 ダグラスは一つため息をつき、伝える。
「お前を一人で行かせたのは俺の責任だからな」
「でも……」
「黙ってろ」
 すん…と鼻を鳴らす気配がしたが、黙って前を向く。
「………来てくれて、ありがと」
「ああ」
 短く答えると、エリーの腕が、するりと自分の腰に回ってきて。
 頬を胸元に摺り寄せられた。
「ダグラス……大好き」
 答えるべきか、否か。
 迷うように口をもごもごとさせていると、エリーが後ろでくすりと笑った。
「ダグラス」
「…なんだよ」
 ちらりと視線だけで見やると、エリーが胸元から顔を上げて、ダグラスと目を合わせて、いたずら気に笑った。
「汗のにおい」
「悪かったな!」
 うつむいたエリーのくすくす笑っていたが、胸元から顔を離そうとしない。
 ダグラスは片手を離して、エリーの頭をなでてやると、ほっとしたように体の力を抜いてきた。
 何もなくてよかったと思う。
 もし、なにかあったら、一生自分を許せないだろう。
「あれ…?」
 だいぶ家に近づいたころ。ふと、エリーが声を上げた。
 視線の先を見ると、カンテラの明かりが揺れて動いている。
「アウレールさんじゃないか?」
 エリーを探しに出たのだろうかと、馬首を回して近づいた。
 だが予想に反して、村への小道を歩いていたのは教会のオイゲン神父だった。



- continue -

2012.5.3.

 


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