Sunflower 5


 ダグラスと別れた後、一人向日葵畑を抜けたエリーは、村はずれの森に入っていた。
 今までの刺すような太陽の光が遮られて、急にすっと涼しくなる。
 背中にかいた汗も引いて、心地いい。
── コケとか、キノコとか、何かつかえそうなものがあるといいな。
 ちらちらと周りを見回しながらも、足を緩めることはない。
── 帰りにしよう。炭がどれくらいもらえるかわからないし。
 籠に入らないと困るし それに、ハンナが首を長くして待っているだろう。
 明るい金髪と、その笑顔を思い出して、小さく笑う。
「ハンナがお嫁さんかぁ」
 エリーの覚えている限りでは、ハンナはまだ13歳になったばかりの少女だった。自分だって15歳だったけれど、ハンナは背も自分の胸元程しかなかったのに、あんなに大きくなって。
 4年というのは、思ったよりも長い。
 久しぶりに会った父と母も、村の様子も、そんなに変わっていなかったけれど、同じ年ごろのハンナやハフナーを見ると月日を感じる。
「楽しみだなぁ。きれいなお嫁さんになるんだろうな」
 どんな花嫁になるのだろう。
 花嫁衣裳も、きっと素敵だろう。
「……いいなぁ」
 思わずつぶやき。
 と、同時にダグラスの、昨日の言葉をふいに思い出してしまった。
『早いとは思わねぇけどな』
「わぁ!」
 誰もいない森の中、小さく叫んでしまって、そんな自分に戸惑う。
 大体、あの後おでこを弾かれたのだった。
 色気がないとも言われたし。
 それからエリーは、ついでにダグラスの縫い物云々の台詞を思い出し、やっぱり頑丈に縫うことにしよう、とため息をついた。






 午後遅く、昨日と同じくらいの涼しい風が吹き渡るようになったころ、新しい柵が出来上がり、ダグラスとアウレールは空になった手押し車と昼食のバスケットを抱えて家に向かっていた。
 左の頬を照らす太陽はまだ暑さを残していたが、汗が冷えていくのが心地いい。
「今日は悪かったね」
もう少しで家にたどり着くというところで、アウレールが言った。「まさか一日手伝わせることになるとは思わなかったんだが…でもとても助かった」
「故郷でも、やってましたから」
 短く答えると、アウレールが興味深そうに尋ねてきた。
「故郷…カリエル王国、だったかな。どんな国だい?」
 尋ねられたダグラスは、少し考え込み、答える。
「何にもないところです。寒くて…一年中山に雪が残ってて」
それから、これではあんまりかと思い、つけ足す。「飼っているのはヤギのほうが多いです。採れるのは耐寒性のベルグラドいもとか…それから作る酒とか。強いやつです。寒いから、飲んで体を温めるんです」
「帰るつもりは?」
 不意に尋ねられて、一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。
「ないです。家は、妹がいるし…俺は、騎士になるって決めて出てきましたから」
 それを聞くと、アウレールは何か考えている様子で、しばらく黙り込み、それからぽつりと尋ねてきた。
「カリエルが、好きかい?」
「はい」
 どんなところが? とか、なぜか、と言われたら、うまく答えられなかったかもしれない。
 カリエルからザールブルグに出てもう7年。
 あそこにいることが当たり前に感じて、故郷はもう遠いが、嫌いになるはずがない。
「この村は?」
 一瞬何を聞かれたかわからなかったが、意味に思い当たると、うなづいた。
「好きです。作物も土壌も豊かだし…気候もいいし…いろんなものがあって恵まれてる」
「エリーの生まれた村だしね」
 付け加えられて、思わず振り向くと、案の定、アウレールが笑っていた。この物静かな人にからかわれたのだと思うと、やけに照れくさくなった。
「エリーはここが好きですよ。ザールブルグからここに戻るまで、やたら…その、嬉しそうで。…当たり前ですが」
 照れ隠しに早口で言う。
 道具の入った手押し車を押すダグラスと隣合わせに歩きながら、アウレールは笑いを含んだまま、言った。
「そうか……あんまり長いこと帰ってこなかったから、心配してたんだけどね」
「気持ちがくじけるから、って言ってたことはあります」
 そういうことは、きっと手紙には書かないのだろう。
 ダグラスはアウレールの言葉に、もう少し何か言わなければと思うが、うまく言葉にできなかった。
「エリーが、流行病にやられたことは知ってる?」
「はい」
 急に話題を変えられて、不思議に思いながらもうなづいた。
「ひどい熱が出てね。その夜が乗り越えられなかったら、命がないといわれたよ」
 一日中口数がすくなかったアウレールが語りだす。
「この村には、医者がいなくてね。遠くへ医者を呼びにやったが、村中が病にやられていると聞いて、怖気づいて誰一人やってこなかった」
 その声に滲む悔しさが、ダグラスにも伝わってきた。
「あの晩私は熱に苦しむあの子のそばを離れて、教会に行った。アルテナ様に祈って、どうか助けて下さいとお祈りしたよ…祈ることしかできなかったんだ。」
 その光景が思い浮かぶようで、黙ったまま耳を傾ける。
「私の他にも、同じように祈りに来ている村人が沢山いた。誰もが思っていたよ。自分の命と引き換えに、大事な相手を助けてください、とね」
ため息をついて、一瞬言葉をとぎらせた。「……アルテナ様は私の命をお取りにはならなかった。かわりに、あの錬金術士の少女がやってきて…村中の人を助けて行った」
「……マリー…」
 ダグラスのつぶやきに、アウレールが深くうなづいた。
 マリーがエリーを助けたことは、ダグラスも知っている。
 だがアウレールの話を聞いて、マリーがエリーを助けなければ、出会うことすらなかったのだということを、いつにも増して、体の芯が冷えるような気持ちで感じた。
「ダグラス君……エリーは、ザールブルグで良い錬金術士になっているかな?」
 その声に、期待もさみしさも混じっているのを知り、また、良い錬金術士とはなんなのか、ダグラスにはわからなくて、すぐに答えることができなかった。
 だが、その脳裏を、今までにあったさまざまな光景がよぎる。
 ダグラスは一つ大きくうなづいて、答えた。
「はい。あいつ……エルフィールはきっと、夢を叶えます」
 日の傾きがほんの僅かに変わり、アウレールが微笑んでいた。
「アウレールさん」
 ダグラスは、ここに来たもう一つの目的を、今アウレールに伝えるべきだと思った。
 そして、彼の目をまっすぐに見た。

「俺は、エルフィールに結婚の申し込みをします。あいつがアカデミーを卒業して、俺が次の武闘大会で優勝したら……そうすることを、許してもらえますか?」







「あれ……もう、こんな時間?」
 採取の手元が見づらくなってきてようやく、エリーは顔を上げて空を見上げた。
 木々の隙間から見える空が、薄暗い。
「そろそろ帰ろっか、ダグ…」
 後ろを振り返って、同行者に声をかけようとして、それがいつもの相手ではなく、退屈そうに木に寄りかかり、よそを向いている背の高い若者だと気づいて、言い直す。
「ハフナー」
 声をかけると彼はぱっと振り向き、まるで退屈などしていなかったというように、エリーに向かって微笑んだ。
「終わった? 随分かかるんだな」
 笑顔はよかったが、言葉の端に急かす雰囲気を感じて、エリーはすまなそうに眉を落とす。
「ごめんね待たせて。でも、一人で来られたのに」
 もらった炭は麻袋に包んで籠に入っている。今は、途中で見つけた苔を集めて、とりあえず炭の上に平らに敷き詰め、さらに木の実を少し集めたところだ。
「だって、重いだろ、これじゃ」
 脇から手を伸ばし、ぱっと籠を持ち上げる。
 傾き、中から木の実が零れ落ちそうになるのを、エリーが慌てて受け止めた。
「これが錬金術の材料になるなんて、不思議だよな」
 肩に担いだ籠をしょい直し、ハフナーはエリーを見下ろして言う。
「材料になるとまだ決まったわけじゃないけど…でも、有力候補かな」
 錬金術を学ぶ前には、目にも留めなかった植物が、今は目につくようになった。
 エリーは先を行くハフナーに追いついて、隣を歩きだす。
「ふーん」
 うなづく様子は、ダグラスと少し似ていて、エリーはついくすりと笑う。
「ハフナーもダグラスとおんなじだね」
「……あいつもこうやって、お前の採取とやらに付き合うってこと?」
 不機嫌な様子に気づかず、エリーはうなづいて、空をちらりと見上げる。急がなくては完全に日が暮れてしまいそうだ。
「錬金術にはあんまり興味がなさそうなところとかね。…あ、でも…ダグラスは絶対籠なんて持ってくれないかな」
 重いのにと言っても、手がふさがってはいけないからと、最初のころに断られた。
 思い出し笑いをすると、ハフナーがため息をついて言った。
「なんだ、あんまり優しくはないんだな」
「ちが…」
 そういう意味ではないと言おうとしたが、ハフナーがそれを遮るように続ける。
「言葉だって乱暴だし、あれでホントに騎士かよ。ああ、喧嘩にも乗ってこねぇくらいだから、ほんとは弱いとか?」
 ダグラスとエリーがフラウ・シュトライトを倒したことや、ダグラスが去年の武闘大会の優勝者であることは、この村の人間はほとんど知らない。特にハフナーはしばらくこの村を離れていた。エリーの手紙もあまりよくは読んでいないのだろう。
 それにもし知っていたとしても、武闘大会の規模などわからないし、説明したところで想像もつかないはずだ。エリー自身だって、ザールブルグに行くまで、聖騎士の存在すら知らなかったのだから。
「大体、聖騎士って言ったって、城の門番なんだろ? 先がどうなるかわからないよな」
 ハフナーの言葉には、いくらかの虚勢が混じっていたが、エリーは言葉の端々に混じった棘のほうに気を取られて、それに気づかなかった。
「なんでそんなこと言うの? ダグラスはちゃんとした騎士だよ。頼りになるし、強いんだから」
 眉根を寄せて自分を見上げるエリーを、小馬鹿にしたような顔をしてハフナーが見下ろす。
「何がちゃんとした騎士だよ。お前、本当はだまされてるんじゃないのか?」
 二人ともいつの間にか歩みを止めて、向き合って立っていた。
「そんなことないよ。ハフナーはダグラスの事何にも知らないでしょ? なのにどうしてそんなひどいこと言うの? 昨日だって…」
「お前こそ、俺の気持ちは昨日言ったはずだろ。 …なんだって今、あいつの話なんかするんだよ!」
 その剣幕に、エリーはびっくりして目を丸くした。
 そうだ。
 好きだ、と。
 自分は言われたのだった。
 思わず押し黙ったエリーに、語気をやや弱めて、ハフナーは彼なりに優しくエリーに話しかける。
「お前はこのまま村に残るんだろ。医者かなんかならともかく…錬金術なんて、この村じゃ需要がないぞ。だったら、俺と店を開こう。お前、商売してたんだろ? 俺の事手伝えるじゃないか」
 エリーは思わず睨むように顔を上げた。
「そんなの……!」
 が、自分の肩にハフナーの手がかかったのを感じ、 びくりと震えて固まった。
 見上げたエリーの視線の、ごく近い先に、ハフナーの瞳があった。
「俺と結婚しよう。俺もあと1年したら、職人見習いじゃなくなる。だから…」
 その言葉は。
 昨日よりも重く感じたけれど。
 決して、彼から聞きたい言葉じゃない、とエリーははっきりそう感じた。
 力任せに引き寄せられる。
 抱きこまれたその腕は、エリーのよく知ったものではない。
 ダグラスの。強引だけれど、優しくて、頼りになるあの腕の中ではなかった。
「……っや…!」
 思わず身をよじって、その腕の中から逃げた。
「エリー!」
 後ろからの声に振り返らず、元来たほうへ駆け出す。
 薄暗い森は、いつの間にか色を失って、白と黒の世界だった。
── ひどいよ…。
 何をひどいと思うのか。
 押し付けられた一方的な想いか。
 錬金術に対する言葉か。
 少なくとも幼馴染として信頼していただけに、裏切られたような感覚がエリーの心中を占める。
「エリー! 危ないぞ!」
 後ろからの声。
 思ったより近い。
 振り返ろうとした瞬間、着慣れない丈の長いワンピースの裾が足元にまとわりつき、エリーの脚をもつれさせた。
「あっ……」
短く叫んだ次の瞬間には、突き出した木の根に足を取られて、転んでいた。「いたた…」
 膝をしたたかに打ったことと、とっさいかばおうとした手首が痛む。が、怪我は大したことがなさそうだった。
 だが。
 次の瞬間、追いついてきたハフナーに強引に上半身を引き起こされと、左の足首が悲鳴を上げた。
「っ……!」
 痛みにエリーの顔がゆがむ。
 だがハフナーはそれには気づかずに、エリーを腕に抱きしめた。
 呼吸が苦しくなるほど強く。
 両手で押し返そうとしても、逃げられない。
「ハフナー、やめて!」
 今度は、身をよじっても逃げられない。
 自分のふがいなさに涙が浮かべると、ハフナーの腕が少しだけ緩んだ……否。
「エリー…」
 唇にかかる吐息。
「……ダグラス!」
 ダグラスが心配していた通りだったと、後悔した。
 きつく目を閉じた目から、ぽろりと涙がこぼれた。





- continue -



2012.5.1.



蒼太
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