Sunflower 3




 二人の声も、気配も、まったく感じられなくなってから、ダグラスは一つ深く息を吐き、ようやくエリーを自分の腕の中から解放し、そして、ちらりと後ろを振り返った。
 丘にはその向こうから夕日が差し始めていたが。その景色の中にあの二人の姿はなかった。
 きっといろいろと思うところがあるのだろう、エリーが隣で赤くなったり青くなったりしている。
 ダグラスはそんな彼女の傍に立ったまま、後からふつふつと沸いてくる怒りに、やっぱり一発くらいはやんわり殴ってやればよかったかもしれない、などと考えていて。
「ダグラス」
 一度呼ばれたことに気づかずに、腕組みをしたまま難しい顔をしていたらしい。
「怒ってるの?」
「は?」
 エリーの声にはっとして顔を向けると、心配そうな顔をして、こちらを見ていた。
「ああ…なんだよ、お前が謝ることじゃねぇだろ」
 謝られると余計に腹が立ちそうで、遮るが。
「だって…私、びっくりしちゃって…何もできなくて」
 それはそうだろう。
 プロポーズ、されたのだから。
 先程感じた、得体のしれない憤りが、再び胸を占める。
「……なんなんだよ、あいつ」
 エリーが悪いわけじゃない、と知っていても。声が低くなる。
 ダグラスの不機嫌には慣れているはずのエリーが、少しびくついて様子で説明し始めた。
「えっと、ハフナーは…幼馴染だよ。意地悪なところがあったけど、でも、あんなに失礼な事言う人じゃなかったのに…」
 かばう言葉に、ダグラスの眉が上がる。
「へぇ…お前、あれを失礼とは思ったわけだ」
── あんな、突然の。
 止める間もなかった。
 あの一瞬に感じたのは、憤りではなくて、嫉妬だと、今ならわかる。
 それが顔に出るかと思うと、エリーの顔が見られずに、腕組みしたままそっぽを向いた。
 すると、エリーが珍しく腹ただしそうに声を上げ、言った。
「それはそうだよ! だって、ダグラスの事、なんにも知らないのに…」
エリーは手を前に組んだまま、ダグラスを見上げる。「ダグラスは怖がられることはあっても、誰かに敬われたり、おだてられたりしたことなんかないもんね?」
「……はぁ!?」
── ……お前、なぁ……。
 ダグラスの心の中では、ため息の洪水。
 エリーはそれに気づかず、一生懸命、自分の言葉に間違いはないというようにじっとダグラスを見上げてくる。
「……莫迦…」
── 俺が腹立てたのはそこじゃねぇよ。
 ハフナーという男の、勝手な思い込み。
「え?」
 きょとんとしたエリーの顔を見ると肩から力が抜け、腕を解いて尋ねた。
「俺のことはどうだっていいんだよ。……それよりお前、さっきのどうすんだよ? その…返事は」
 プロポーズ、という言葉を言いたくなくて、誤魔化すように尋ねると、エリーは少しぼんやりとした後で、ああ、と頷く。
「ああ…あれ…。あれは返事も何も…。きっと冗談だから大丈夫。ハフナーって昔からああなの。私を驚かせたり意地悪するのが楽しいんだよ」
 けろりとした様子を見て、ダグラスは思わず呆れたた。
 あの、真剣な目をこいつは見なかったのか?
 それとも、誤魔化しているのか。
 先を歩き出したエリーの後ろから、声をかける。
「意地悪の域かよ…」
「そうだよ。私、小さいころからずいぶん泣かされたんだから」
 私が遊んでた積木とか、やめてって言ってるのに、何度も壊されたりして。と、エリーは憤慨した様子で言った。
「は……はは…」
 隣に並んで歩きながら、ダグラスはほんのわずかだが、ハフナーという青年に同情しかけた。
 そして、僅かばかりの……いや、かなりの優越感。
 思わずにやついていると、エリーがダグラスの横顔を見上げていた。
「……ヤキモチ、妬いてくれたの?」
「ばっ……! 妬いたりするか!」
 図星をさされて、思わず声が大きくなる。
 エリーはびっくりした顔をしてから、ふふ、と笑って何気なく続けた。
「そうだよねぇ。だって私、ダグラスと……」
 言いかけて、ふ、と言葉をとぎらせ。
 不審に思ったダグラスがエリーを見下ろすと、隣でなぜか赤くなっていた。
「どうしたんだよ」
「あっ、えっ?」
びくりと振り返ったエリーは、じっと見つめるダグラスの視線に耐えきれなくなったように、うつむいて…それから言った。「あの…さっきのことだけど…」
 あいつの事か? と、ダグラスは思わず身構える。
 だが、エリーが口にしたのは、まったく別の事だった。
「きっとあれ、たぶん、うちのお母さんだと思うの。お母さん、はやとちりだから……ごめんね。びっくりしたでしょ?」
「はぁ……?」
 訳が分からない、という顔をしたのだろう。
 エリーがずいぶんともじもじとしているのが分かった。エリーはダグラスの表情を見て、説明不足だったと思ったのだろうか、ごく小さな声で、『あの……婚約者、って…』と言った。
── そっちか!
 時々、エリーの思考回路がわからなくなる。
 しかし、どこでどんなふうに婚約者などと伝わったのか。
 エリーは知らないという。
 誰かの勘違いなのだろうと思っているのに、それを改めてエリーの口から聞くだけで、耳が熱い。 
「あ、ああ……あれか。…いや、まぁ、別にあれは…」
ちらとエリーを見やると、負けず劣らず赤い顔をしていた。「……気にしてねぇけど……」
 後ろ頭に手をやって、がりがりと掻き、それから丘の下に目をやると、そこにはもう人影がない。日もいつの間にか傾いてきていて、空が白みがかってきていた。
「ちょっと、ほら、その……気が早いよね、お母さんったら…」
 丘を下りながら、エリーは早口に、むかしからそうなの、早とちりで村を騒がして…と付け足す。ダグラスはそれを話半分に聞きながら、一緒に丘を下る。
「別に…気が早いとはおもわねぇけどな……」
「えっ…?」
 隣を歩いていたはずのエリーの足が止まって、ふと我に返る。
 真赤な顔をしたエリーと目が合い、口を滑らせたことに気づいた。
「…っ…」
 どうしたらいいか、考える前に手が出て。
 エリーの額を指先ではじいていた。
「さっきのハンナとかいうのは、もう嫁に行くんだろ? お前ももうちょっと色気つけないとな!」
「なっ…ダグラスの莫迦!」
 振り上げられた拳を避ける様に走り出すと、エリーが追いかけてくる。
 そしてダグラスにぶつかるようにしてから、先に丘を駆け下りだした。
「おい、あぶねぇぞ!」
 結構な勢いに目を丸くすると、エリーはもっと嬉しげにして振り返り、それから風になびく髪を抑える。
「あっ、そうだー! アイゼル達に向日葵の種、頼まれてたのに…採ってくるの忘れちゃった。また、明日こようねー!」
 風に負けないように叫ぶエリーに、ダグラスは思わず微笑んだ。
 




夜が来た。
 ダグラスはエリーの寝室で、ベッドに腰掛け、開け放った窓から外を眺めている。
 と、いって、エリーがここにいるわけではない。
 田舎の小さな家だ。客用の寝室などなく、エリーは両親の寝室にいて、親子三人水入らずの時間を過ごしている。
「涼しいな…」
 窓から冷えた風が入ってきた。ロブソン村はザールブルグよりもわずかに南に位置する。だからもっと蒸し暑いものだと思っていたが、遮るものがないだけに、風がよく通るのだ。
 部屋には、エリーがここを出た時にはまだ随分幼かったのだろう、ぬいぐるみが数体置かれていて、むかし使ったのだろう、本が数冊立てかけられたままの小さな机もある。
── なんだか、妙な感じがするな。
 夜の穏やかな食卓を思い出して、考える。
 エリーゼは、二人のことを根ほり葉ほりするのを止められたか、何か言いたげな顔をしながらも我慢しているようだったが、アウレールも、それから少し落ち着いた様子のエリーも、まるで何年も前からそうしていたように、ダグラスを加えてテーブルを囲んでいた。
 ダグラスはごろりとベッドに横になると、窓から星空が見えた。驚くほど沢山の星に、自分の故郷も思い出す。
 昼間の、あのハフナーという男は気にならないでもない。
 実際、事あるごとに顔がちらつく。昼間の場面も。
 自信たっぷりに見えると良く言われる。だが、絶対の自信を持てることなどごく僅かしかないのだ。

 コンコン

 ドアをノックする音に、考えをとぎらせベッドから起き上がると細くドアが開いて、ランプの明かりを持ったエリーが中を覗き込んできた。
「もう寝てる?」
「起きてる」
 ドアの隙間からエリーが滑り込んできて、ランプの明かりがふわりと部屋に広がる。
 エリーは薄黄色の柔らかそうな、丈の長いワンピースのようなパジャマを着ていて、肩に薄いショールをかけていた。というのに、それが案外体の線がわかるものだから、ダグラスは思わず目を逸らして言った。
「お前、そんな恰好して」
「大丈夫だよ。今日はそんなに寒くないから。それよりダグラス、ベッド狭くない?」
 ダグラスはいいや、と答えてから、顔を逸らしたまま尋ねた。
「そうじゃなくて……アウレールさんに言ってから来たのか?」
「うん? うん、言ったよ」
 ベッドサイドテーブルにランプを置き、エリーは開け放しの窓枠に手を置いた。背を伸ばして空を見上げる後ろ姿。そのけろりとした様子に、多分、エリーの父が察しただろうことを感じて、ダグラスはひそかにため息をつく。
 昼間はエリーの鈍感さに乾杯だと思ったが、それが自分に対してもとなると、その後ろ姿にも、少し恨みがましい視線を送ってしまう。
「星、すごくきれいだねぇ。見た?」
「見た」
 短く答えると、あきらめてベッドから立ち上がりエリーと同じ窓辺に立つ。
 ザールブルグではほんの隙間にしか見えない空が、大きく広がっていた。
「ケントニスに向かう船からの星もすごかったが…俺は、こっちのほうがいいな」
 そういうと、エリーは嬉しそうに笑って、うなづく。
「私もここの星空が好き。船の上の星空は、ちょっと怖いくらいだったから」
「足元が揺れるしな」
 うんざりした感じが伝わったのか、エリーが声を上げて笑った。
 片頬だけがランプの明かりに照らされて、なめらかな肌に影を落とす。
 指先でそっと触れると、エリーは視線を上げ、それから黙って目を閉じた。
 昼間し損ねたキスをする。
 ほんの軽くだけ。
 重ねた唇が離れると、エリーは目を開けくすぐったそうに笑った。
「あのね、さっきお母さんに聞かれたよ。ダグラスとは、もう手をつないだの? って」
「手…って…おい…」
 ちょっと待て、そのレベルなのかよ、とダグラスが思わず声を漏らすと、エリーは堪えられないように肩を揺らして、続ける。
「手、つないだことないよ、って言ったの。だって、ダグラス私の手、握ってくれたことないし…ザールブルグに帰っても、絶対手をつないで歩くなんてしてくれないでしょ?」
 言われてみれば、護衛の最中に腕をつかんだことや、肩を抱いたことがあっても、手を握ったことはなかったかもしれない。
「そしたら、お母さん、びっくりして。手ぐらい握ってもらいなさいって。お父さんは、…なんだか、笑ってた」
 ほんの小さな声で、それ以上のことは、してるのにね。と、悪びれもなく言う。
── それ以上って、なんだ。
 その言葉から想像される内容は、エリーと自分では全く違うのを知っているが、おかげで我慢が効かなくなりそうだった。
 だから。
「手、出せよ」
 ほら、と自分の手を差し出す。
 不思議そうなエリーの手を、救い上げる様にしてとる。
「ダグラス…?」
 いつもより華奢に、柔らかく感じた。
「明日になったら、こうしてもらったって、言え」
 指を絡めるように。
 エリーの視線を感じながら。
 握った手の甲をそのまま口元に持っていきながら、目を合わせる。口づける。
 口づけた瞬間、エリーの手が動揺を露わに震えたが、ダグラスはそれを無視した。
 本当は。
 明日になったらエリーが両親の顔まともに見られないくらいのことをしてやりたい。
 こらえきれずに細い指先を噛んだ瞬間、エリーが飛び上がって、小さな悲鳴を上げた。
 手を引き抜かれる前に、ぱっと離す。
「さっさと戻って寝ろよ。風邪ひく前に」
 窓枠に凭れて、余裕ぶって笑って見せる。
 からかわれたと知ったエリーは、ダグラスに向かって舌をだし、ランプを取って出て行った。
 見送ってからのダグラスが、くしゃりと髪を掻いたのは知らずに。


- continue -

2012.4.30.

 


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