ロブソン村からの手紙 1




『エリー 19歳の誕生日おめでとう
 これは私たちからの贈り物だよ』

6月のザールブルグ。
18日の日食の日、ダグラスと共に近くの森へ出かけようとしていたエリーの元へ届いたのは、遠く離れたロブソン村に住む、両親からの手紙だった。


「へぇ。それ、結構似合うぜ」
 エリーの耳に光るのが、いつもの緑の丸いピアスではなく、薄いブルーの涙型のイヤリングに変わっているのに気づいたのは、意外にもダグラスだった。
「絶対気づかないと思ったのに」
 ちょっと照れくさそうに、エリーは言って、採取かごに魔法の草を摘んでは入れている。
 森の中は薄暗かったが、ダグラスがランプを掲げて行く先を照らしてくれるので、採取するのに問題はない。
「お父さんたちからの誕生日プレゼントなんだ。あ、それでね。今度の試験が終わったら、お友達を連れて帰ってきたら? ってこれと一緒の手紙に書いてあったんだ」
 アカデミーのコンテストまで、あと一ヶ月半。エリーは割と暢気にしているが、アカデミーの大半の生徒は、卒業制作とコンテストとで、殺伐としている。
「アカデミー、どうすんだよ」
「コンテストが終わったら、全教科が自由登校になるんだ。4年生だし、みんな進路を決めなくちゃ」
 あ、うに! と言いながら、エリーはイガイガを指先で慎重につまんで、これも籠に放り込む。最近、採取はすべて妖精任せにして、工房に閉じこもりきりだったから、たとえ日食でも外の空気が美味しいらしい。
 ダグラスは、そんなエリーの後ろ姿を見ながら、苦笑する。
 いつまで経ってもどこか子供こどもしたエリーから目が離せない。
 いや、そう思うのは、彼女が自分にとってかけがえのない人間だからだろうか。
「進路って…お前はザールブルグに残るんだよな?」
 何度も訊ねたことのある問いを、妙に心配になってもう一度聞くと、エリーはうん、と頷いて笑った。
「もうちょっと勉強したいし…工房を借りて今みたいにお店を続けたいなって思ってるけど」
「暢気だな……」
 だがその暢気さに救われた気がして、ダグラスはエリーの顔を眺めた。
 数年前よりは、少し面長になって、女らしくなったな、と思う。
 けれどどこかのんびりしたその性格は変わらない。
「まぁ、なんかあったら俺に言えよ。引越しくらい手伝ってやるから」
 ホント?と自分を見てくるエリーの頭を、ダグラスはくしゃりと撫でてやった。
 エリーは満足そうに笑った後、ドンケルハイド探しに戻る。
「それでね、ダグラス」
そして何気なく、脈絡もなく、言った。「ダグラスも一緒にロブソン村に行かない?」
 言われた意味が、しばらく分からなかった。
 いや、そのものは理解できたが、それを言うエリーの心境が理解できなかった。
「お、おまえ、それ……」
 エリーももう卒業だ。
 この先どうするか、自分の中ではもうずいぶん前から考えてはいた。
 だが大体そういったことは、二人でじっくり時間をかけて相談してからの話で……
「アイゼルとノルディスも誘うつもりなんだ。あの二人、田舎暮らししたことがないから、私がお話しするとめずらしがるんだ。それに、なんだか最近いい感じなんだよ」
── あいつらもかよ。
 ほっとしたような勿体ないような気分で肩を落としたダグラスに、エリーは全く気づかない。
「あ! ドンケルハイド、あった〜!」
 嬉しそうな様子に、ため息をついた。


 けれど、それがきっかけでダグラスは思い悩むようになった。
── あいつ、俺のことをどう思ってるんだ?
 恋人同士なのは間違いない。
 そのうち、カリエルに連れて行こうとは思っていた。
 ただ、その「そのうち」がいつなのか、具体的な事など考えても見なかった。ダグラスから見たエリーは、どこか幼さを残して可愛い、が、大人の女、という感じもしない。
 ロブソン村へ軽い気持ちで誘ってくるのもその証拠だ。
── 親に、俺を『友達の一人』って紹介しそうだな、あいつ。
 照れくさがってやりかねない、とため息が出た。
 ロブソン村行きの返事はまだ保留にしてあったが、それを思うと気がめいる。
 ダグラスにとって、エリーの故郷へ行くことは、エリーが思うのとは違う意味合いを持っていた。
 エリーの中での『この先』に、自分はどう織り込まれているのだろう。



「卒業したらどうする気なの?」
 エリーはアイゼルの部屋で、午後のお茶をしながら、彼女から厳しく問い詰められていた。
「えっと…錬金術のお店を開こうかなって思ってるんだけど……」
「具体的には? どこで? どんな風に? 何年かけて? 資金はいくら?」
「うーん……」
 うっすらと希望がないわけでもないのだが、エリーはそれをなかなか口に出来ずに、押されるままに冷や汗をかく。
「卒業したらあの工房はもう使えないのよ? 住むところも決めて、工房に出来るような場所を探さなくちゃいけないじゃない。そんな物件はなかなかないのよ」
「アイゼル……やけに詳しいんだねぇ」
 感嘆を含んだ声に、アイゼルは慌ててそっぽを向く。
「ま、まあね…少しは知ってるわ。少しだけね」
それに、とエリーに向き直る。「あの聖騎士との事はどうなってるの。ダグラスは何も言ってこないの?」
 ダグラスとエリーが付き合っていることは、アイゼルももちろん知っている。
「うん…別に…? 特に、なにも」
「何も? 一言も?」
 卒業まであと2ヶ月もないのに、とアイゼルは紅茶を飲みかけた手を止める。
「ロブソン村に行くのは、考えとく、って言われただけ」
「まぁ、あきれた」
 あの朴念仁は、この子の人生の大事な分かれ道を一体なんだと思っているのだろう。
 アイゼルは、ダグラスのことをそう深く知っているわけではないが、多少の物事は考えられる人間だと思っていた。それに、エリーを大事にしているのは端から見ても良く分かる。
「どうしよう、お父さんたちに会いたくないのかなぁ」
 エリーはがっかりと肩を落としてつぶやく。
「……贅沢な悩みで羨ましいわ」
「? 贅沢って?」
 きょとんとした様子に、アイゼルはため息をついた。
「まぁ、いざとなったら無理やりにでも連れて行くことね。そうしないと何も進展しないわよ。……さ、お茶のおかわりはいかが?」


 そして、しとしとと雨の降る6月が終わり、快晴の7月がやってきた。
 工房に篭っていたエリーの手には……紆余曲折あったが……漸く、深紅の輝きを放つ結晶が包まれている。
「……やったぁ……」
 息をつめて完成を見守っていたエリーと、工房の妖精たちの間からため息が漏れる。
 外の光が入らないように、カーテンが締め切ってあったにもかかわらず、賢者の石はキラキラと光っていた。
「これで、きっと卒業できるよ」
 イングリドに叱られ、アイゼルにお尻を叩かれ、ダグラスに守られて。
── 4年も、経ったんだなあ……。
 酷く実感がわいてきて、感動で涙がにじむ。
 おねぇさん、泣いてるの? 泣いてるねぇ、などという声に、エリーは笑って涙を拭いた。
「さ、お祝いしよっか! ダグラスも呼ばなくちゃ!!」
 エリーが工房に篭っている間に、ダグラスの誕生日も過ぎてしまった。
 去年は一緒に過ごせたが、今年は…といったエリーの言葉に、ダグラスはすんなり頷いて、構わないからと言ってくれた。
「調合が終わったら、一緒にお祝いするって言ったんだもん」
 失敗したらお祝いどころではなかったが、ダグラスはそんなことは少しも考えなかったらしい。自信たっぷりの彼らしい応援の仕方だな、とエリーは思う。
 数日振りに開けたカーテンの外から、青空が見えた。


「ダグラス、23歳のお誕生日、おめでとう」
「おう、お前は無事卒業できそうで、おめでとう」
 軽くグラスを合わせた中には、熟成させた幸福のワイン。
 しばらく何も置くところがなくなっていた作業机も、工房も、昼間のうちにダグラスが手伝いに来て片付けてくれた。
 机の上には十分に熟成した幸福のワイン。ダグラスが一番喜ぶと思って、半年以上前から準備して隠しておいたものだ。
 それからこちらも熟成したシャリオチーズ。あとは軽い食事に、ダグラスが買ってきたチーズケーキなどが載っている。久しぶりに広くなった床で、妖精たちもくつろいでご馳走を食べていた。
「できそう、じゃなくて、できるもん!」
「おー。そうかそうか、そうだった」
 ダグラスはワインの香りと味に、幸せそうに笑い、部屋に漂うのんびりした雰囲気にくつろいでいたが、ふと訊ねた。
「そういえば、お前工房の件、どうなった? 大体目星が着いたのか?」
 するとエリーは、オリーブの実を砕いて混ぜたチーズを幸せそうにぱくつきながら、言った。
「ん? まだ決めてないよ」
「はぁ?」
 ダグラスの驚きの声に逆に驚いて、エリーはフォークを持ったまま固まる。
「卒業まであと2ヶ月ないだろ? ここから引越しするのに2,3日かかるとして、その半月前には引越し先も決めなきゃいけないだろ」
「はは…アイゼルと同じこと言うね、ダグラス」
 でも、まだコンテストもあるし、そんなこと考えられないかな…と小さくつぶやいていると、ダグラスの呆れ声がする。
「エリー、しっかりしろよ。お前錬金術師として独り立ちするつもりなんだろ?」
「だって、今日賢者の石が出来上がったばっかりだもん。まだ何も考えられないよ」
 ダグラスは呆れて肩の力が抜けてしまう。
「お前……このままいくと、ザールブルグの街中で野営することになるぞ」
「まさかぁ」
 エリーは暢気そうに笑ったが、しばらく思いふけった後に、ちょっといたずら気な顔をして、ダグラスを見た。
「じゃあ、その時はダグラスのお部屋に泊めてもらうよ」
「ばっ…!」
 ワインを吹きそうになって、ダグラスは思わず口をぬぐう。
 嘘だよ、とエリーのほうが赤くなって、笑った。
「ね、ところでダグラス」
「ん?」
 二本目のワインをあけると、ほのかな果実の香りが再び広がる。
「この間の話、どうなったのかな」
「この間?」
 ワインに気をとられながら聞き返す。
「ロブソン村に一緒に行く? っていう話」
 思わず、手が止まった。
 行きたくないわけではない。しかし、今行くべきものなのだろうか。
── 俺も、人のこと言えねぇな……
 エリーと同じで、先のことはとりあえずエリーが卒業してから考えよう、としていた自分に気づく。
「う、ああ…」
 思わず言葉を濁してしまった。
 それがいけなかったらしい。
「……ダグラスは、私のお家の人と、会いたくないの?」
 いつもより低いエリーの声。
「いや、会いたくないなんてこと、ねぇけど…」
 語尾が自然と小さくなる。
 と、エリーは先ほどまで浮かべていた笑顔を引っ込め、代わりに何ともいえない顔をしてダグラスを見た。
「行きたくないんだ。興味ないんだ」
「ば…、莫っ迦、行きたくないなんて言ってねぇだろ。ただ、今すぐって訳には…」
 途端に、エリーの表情が一変する。
 へにゃりと眉を落とし、小さく口を開けて。
 アーモンド色の大きな瞳が、一度に潤んだ。
「おい、酔ってるのかよ。エリー」
 こいつ、泣き上戸だったか? とダグラスは慌てて手を伸ばす。
 だが、部屋に高い音が響いた。
 エリーがダグラスの手を、手で打ち払ったのだ。
「っ…ってぇ」
 いつもの冗談ではなく、力の篭ったその仕草に、驚いてエリーを見つめる。
 なぜそんなにエリーが怒るのか、さっぱり分からなかった。
 友達の一人、として行くなら、今じゃなくてもいいはずだ。
「ダグラスの莫迦! もう知らない!」
ぎゅっと拳を握って、エリーが立ち上がる。「莫迦、莫迦莫迦! もう帰って!」
 あっけにとられたダグラスを残して、エリーは二階に駆け上がり、その後いくら呼んでも降りてこなかった。




「あー、そりゃあれだろ。期待されてるんだろ」
 宿舎に帰って、何の気なしに同僚に話したら、あれよあれよという間に、人だかりが出来た。
「期待って…何をだよ」
 エリーの工房で食べ損ねた夕食の変わりに、宿舎の味気ない料理をつつきながら、ダグラスは肘を突いたまま言った。
「彼女、あと2ヶ月で卒業なんだろ? もちろんアレだよ、プ ロ ポ − ズ」
 言葉を区切って、聞かされた。
 思わず、机の上に突っ伏しそうになる。
「嘘だろ…エリーがか?」
「お前、まだ言ってなかったのかよ。付き合ってもう1年以上経つんだろ?」
 開放的な南の国と違って、まだまだ交際=結婚のイメージの強いこの辺りでは、一年は長いほうだ。
「一年半だよ」
からかわれそうになって、自分から言葉をつなぐ。「卒業するまで待ってただけだ」
── そうだ、考えてなかったわけじゃない。
 おぼろげながら、将来の希望も持っている。
 ただ、それをエリーに伝えてもいいものか、それが今だと思えないでいただけだ。
「あいつ…ちょっと普通の女と違うからな……」
 錬金術に身を投じて、一心にその道を極めようとしている。特に去年、ケントニスからマリーを連れて帰ってきてからは、あの賢者の石以外にも、さまざまなアイテムを作り出しているようだ。
「莫迦言え、女なんてみんなおんなじだよ。抱きしめてキスしたら、ころっと機嫌を直すさ」
「そうかな……」
 上の空のダグラスを、これ以上からかっても面白くないと思ったのか、それとも他に予定があるのか、同僚たちは皆行ってしまった。
「卒業…か」
まだもう少し先のことかと思っていたが、後手に回ってしまったかな…とダグラスはうっすらと思った。

  

 その頃、エリーは工房の二階のベッドに横になったまま、窓の外に昇る月を見上げて、何回目かのため息をついていた
 窓を開けるとまだ肌寒い夜でも、こうしてカーテンだけを開けておけば星空が見える。
 ただし、隣の家の屋根に半分隠れてしまうけれど。
── ロブソン村は、星がきれいだったなぁ。
 エリーはため息をついて、指先に触れた両親からの手紙を、もう一度開いた。

『親愛なるエリーへ

 元気でやっているかな?
 この春羊が3匹生まれて、お父さんとお母さんは、
 いつもより少し忙しいけれど、とても元気だ。

 手紙をありがとう。
 元気な様子が伝わってきて安心するよ。
 どうやら無事卒業もできそうだって?

 そしてエリー 19歳の誕生日おめでとう
 中に入っているイヤリングは、私たちからの贈り物だよ
 お前ももう年頃だしね。
 もう何年も会っていないせいで、お前がまだ小さい子供のように思えて仕方ない。
 お母さんにそういったら、もうこれが似合う年になってると言われてしまったよ。

 アカデミーは8月になると、お休みになるんだってね。
 よければお友達を連れて帰っておいで。

 もう一つ、素敵な誕生日プレゼントを用意してあるんだ。
 帰ってきたらきっと驚くからね。

                                           父より    』


「お父さんに…ダグラスを紹介したかったのにな……」
 父からの手紙は、エリーに郷愁の念を起こさせるのに十分で、エリーはほぅ…とため息をつく。
 エリーは、父にダグラスを見て欲しかっただけなのだ。
 もちろん、見せたら何か聞かれるに決まっている。それは恥ずかしいけれど、本当のことなのだから、伝えなくちゃいけない。
 父が、ダグラスを知ってくれている、それだけで十分なのだ。
 ロブソン村には、卒業するまでは帰らないと決めていた。
 カスターニェどころか、東の台地よりもずっと近いけれど、帰ったら甘えてしまうと、自分でも分かっていたから。
 この4年に起きたことは、時間のある限り、丹念に手紙に綴って出したけれど、言葉だけでは伝わらないものが沢山ある。
 彼がどんな人なのか、伝えたかった。
 そして、ダグラスにもエリーは伝えたいことが沢山あった。
 ロブソン村の朝の、空気の爽やかさ、羊やヤギの鳴き声。
 ミルクは美味しいし、水も澄んでいる。
 それから空の青さ。山の美しさ。
── 帰りたいなぁ……。
 エリーは枕に顔をうずめると、そのまま眠りに落ちてしまった。



- continue -




 

2012.3.5

 


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