風邪


ダグラスが、熱を出しました。



「武闘大会が終わって気が抜けたんじゃないか?」
 依頼品を理由にダグラスを訪ねたエリーは、ダウンしたダグラスに変わって冬空の下城門に立たされた騎士隊の隊員に、そういわれた。
「あいつ、気合入ってたからなぁ。まさかホントに優勝するとは思ってなかったけど」
 城門の左を守る騎士からも、屈託無い様子で声を掛けられる。
「それで、ダグラスは?」
 ああ、と彼は頷いて、宿舎を指差した。
「うんうん唸って寝てるよ。今朝の飯も食いに降りてこなかったから、大分重症じゃないかな」
「エリーちゃんも思うところがあるだろうけど、見に行ってやってよ。今なら弱ってるから日頃の恨みを晴らせるよ」
 思うところ、や、日頃の恨み、の意味は全く分からなかったけれど、エリーは頷いて、ダグラスの部屋を目指し歩き始めた。




 その頃、ダグラスは自室のベッドで咳き込んでいた。
 風邪を引いた訳は分かってる。
 先日エリーにフラれて冷たいシャワーを浴びたせいだ。
 フラれたといっても、全体的にフラれたのではなく、一部フラれたわけだが。
 風邪の原因はよーく分かっているだけに、この寒気と頭痛と喉の痛みと間接の痛みは、自業自得の自己管理不足といわざるを得なくて、熱いため息をつきく。
 寝返りするだけで苦痛だった。
 こんな風邪を引いたのは、カリエルにいた、まだ10歳にもなっていなかった頃だろうか。
 あの時は家族がいて、かわるがわるにダグラスの面倒を見てくれた。
 小さかった妹さえも、心配して何度も部屋を訪れてきたものだ。
 だが、ここはザールブルグの聖騎士隊寄宿舎。
 がさつな男とむさくるしい男はいても、愛は無い。
 いや……一部、アレな愛はあるが、アレは個人的にはごめんだと思っている。
── ああ、やべぇ…天井が回る…。
 騎士の情けだ、とか言って、ベッドサイドにおいていかれた薬は、いつが消費期限だったのか分からないようなシロモノで、とても飲もうと思えない。
 かと言って隊専属の医者に診てもらおうにも、とりあえず着替えて、階下に下りて、城へ出向いて…と思うと、うんざりした。
 だったら来てもらえばいいとは言っても、そのためには他の騎士たちが戻ってくるのを捕まえて、頼んでとなるのも面倒だ。
 とはいえ、そろそろ何か口にしないと、回復するものもしなくなる。
 水すら飲んでいなかった自分に気づき、ダグラスはふらつく身体を無理に起こして立ち上がった。
 そこへ。
 ドアをノックする音が聞こえて、それが騎士隊の誰かと思ったダグラスは、丁度いいとばかりに扉を開けた。
「ダグラス? あれ? 具合悪いって聞いたんだけど…起きられるの?」
「あ……エリー」
 どうしてここに、と言う前に、視界が白くなった。



「わあ!」
 扉を開けるや否や、自分の上に倒れこんできたダグラスの身体を避けきれず、押しつぶされそうになって、エリーはかろうじて入り口の柱に背中を預け、それを支えた。
 途中の市場で買ってきた荷物がダグラスの代わりに床に落ち、入っていた卵に気をとられるが、どうしようもない。
「ダグラス? ね、ダグラス」
「う…」
 かろうじて意識はあるようだ。
「ベッド! とりあえずベッドに行こう、ね?」
 ダグラスの意識がはっきりしていたら、きっと小躍りして喜んだであろうエリーの台詞も、今のダグラスには届かない。
 エリーはダグラスの腕を自分の肩にかけ、一回り以上大きな身体を、何とか支えて歩き出した。
 ダグラスもかろうじて歩く。でなければエリーにはとても支えられない。
 そしてようやくベッドにたどり着いたエリーは、ほとんど一緒に倒れこむようにして、ダグラスをベッドに戻した。
「はぁ……重かった…」
 肩までブランケットを上げて掛け、ダグラスの顔を覗き込む。
 汗で張り付いた前髪に、閉じたままの目。
 いつもの蒼い目が見えないだけで、なんだか別人のように見えた。
「……水、くれ」
「あ、うん!」
 あわてて踵を返し、簡易キッチンに向かう。
 宿舎の個室には、キッチンもあるしシャワーもある。聖騎士であるダグラスの部屋は、ただの騎士隊員の部屋より、これでも大分上等だ。
 エリーは近くにあったコップをとって、水道の蛇口をひねった。
 冬の、冷えた水がコップに注がれる。
「はい…飲める?」
 ベッドの脇に戻って、膝を着き、ダグラスの顔を覗き込む。
 ダグラスはうっすら目を開けて頷く。
 片肘をついて何とか半身を起こし、エリーの差し出したコップを受け取って一気に飲み干すのを見て、エリーは更にもう一杯の水を汲んで差し出した。
 それも一息に飲み干すと、ダグラスはベッドに沈む。
 そして目を閉じたまま言った。
「エリー…風邪、移るから、帰れ」
「だめ、こんなダグラス放っておけないよ」
 きっぱりといって、額に手を当てる。
 驚くほど熱くて、エリーはあわてて立ち上がる。
「……帰るのか?」
── 今、『帰れ』って言ったくせに。
 そんな頼りなげな口調と、そんな顔をして言うものだから、エリーの心臓はどきりと跳ねてしまう。
「ううん。今、冷えたタオル作るから、待っててね」
 工房から持ってきた布を絞って、しっかり水気を切る。
 他の布は、もっと冷えるようにと浸しておいた。
「どう? …きもちいい?」
 ダグラスの元に戻り、額にそれを置きながら小声で訊ねる。
「ああ…」
 低くかすれる声。
「ほんとは汗かいたの、着替えたほうが良いんだけどな……」
 独り言をつぶやき、部屋を見渡す。
 ベッド、ベッドサイドテーブル、小さな食卓、そして幅広の低いチェスト。
── あそこかな?
 チェストの上には、家族の肖像画がいくつかと、帯剣用のベルトが載せられ、脇には普段着の時のダグラスが身につけている剣が立てかけられていた。
 エリーは何気なく屈み込んで引き出しを開ける。
 と。
── わあ!
 思わずそのまま閉めた。
 いつものハイネックが入っているとばかり思い込んで開けたそこには、下着類も並んでいたからだ。
 勝手に開けてよかったのかと思ったのはその後で、そっとダグラスのほうを振り返ったが、彼は無反応で横たわっている。
── そ、そうだよね、当たり前だよね。大体、下着だって着替えなくちゃいけないんだし!
 エリーは一人で慌てて、戸惑って、それから適当に見繕った服とタオルを数枚引っ張り出した。シーツの代えはなさそうだったが、どちらにしてもダグラスが寝たままでは取り替えられない。
 それらを持ってベッドサイドに戻ると、ダグラスに声をかける。
「ねぇ、着替えられる?」
「……あ?」
 反応が鈍いのを見て、エリーはサイドテーブルに服を置き、タオルを長細く畳んだ。
「今はちょっと無理そうだね。…ちょっとだけ、ごめんね?」
 エリーはひょいとダグラスの毛布を剥いで、着ていたシャツの腹を捲る。
「!?」
 ダグラスが驚く間も無い。エリーはあっという間にダグラスの腹から胸にかけて、折ったタオルを押し込んだ。
「はい、反対向いてー」
 暢気な声で、エリーはダグラスの肩を押し、向こう側を向かせる。
 そして同じように背中にもタオルを押し込む。
「これでいいね」
 子供の頃、エリーもこうしてタオルを入れてもらった。着替えることが出来ない時は、これだけでずいぶんさっぱりしたものだ。
 なすがままにされたダグラスの混乱は、エリーには分からない。
「今度起きられたら着替えようね」
 タオルのせいで寝苦しさが楽になったのか、すぐにダグラスの身体から力が抜ける。
 呼吸はまだ短く浅かったが、少しほっとして、エリーは次に腰につけたポシェットの中を探り、黄色い小瓶を取りだした。
「ごめんね、リペアミンしか在庫がなかったの。…これで、少し楽になるといいんだけど…」
 持ってきた小さなスプーンに一杯で、普段なら十分な効き目がある薬だ。
 でも今のダグラスを見ていると、エリーは不安で一杯になった。
── 特効薬、作っておけばよかった…
 いつ何時、こういうことが訪れるかは分からないのだ。
 熱にうなされる苦しさを知っているエリーは、ダグラスの唇にスプーンを当てて飲ませようとする。が、意識が遠のいているのか、薬と認識しなかったのか、受け付けない。
「ね、飲まないと」
 声を掛けるが反応が無い。
 悩んだ末に、エリーはそれを自分の口に含んだ。
 そして、そっとダグラスのそれに押し当てる。
 苦味しかない、決して美味しいとはいえないその味が、全く違うものに感じたのはなぜだろう。
「………」
 ダグラスの喉が鳴るのを感じて、エリーはそっと唇を離し、寝顔を覗き込む。
── 気づいて、ないよね。
 くすぐったいような照れたような顔をして、エリーはしばらくダグラスの呼吸を確かめていたが、やがて少し落ち着いたようだと判断して、立ち上がった。
 扉の側に落ちたままの紙袋を拾い上げると、中を確認した。卵は一つ割れてしまっていたが、あとは無事だ。
 消えたままの暖炉から、熾き火を掻き起こし、火を入れる。
 今の今まで部屋の寒さに気づかなかった自分に、本当はだいぶ動転していたらしいことに気づいた。



 人の気配がする。
 どこか懐かしい気配。
 台所の音と匂い。支度しているのは母…か?
 うっすらと目を開けて、その姿を確認しようとしたダグラスは、ぼんやりと見えてきたオレンジ色の影が自分の母ではないことに気づくと、はっと目を開けた。
「エリー」
「あ、起きた?」
 身体を起こした拍子に、額から何かが落ちる。ぬらした布だと気づいて、それから朦朧としていた意識がかなりはっきりしてきたのを知った。
「今ね、卵のリゾットが出来るよ。汗かいただろうから、お塩強めにしたからね」
 お皿はこれかな? と言いながら、辺りを探す後姿をまじまじと見る。
 いつからエリーがいたのか、全く覚えていなかった。
 暖炉には赤々と火が燃えている。
 室内が暖かいのは、エリーが火を入れてくれたおかげか。
「起きられるなら、先に着替えたら? そこに置いておいたから」
 驚いているダグラスの様子には気づかずに、手が離せないのか、視線でベッドサイドを示す。確かにそこには着替えが一式置かれていた。…下着まで。
「あ、ああ…」
 混乱しながらも起き上がり、言われたとおりに服を脱ぐ。
 と、ここからもタオルが落ちてきて、ダグラスは首をひねった。
── 何だこれ。
 おぼろげな記憶をたどる。
『ちょっとだけ、ごめんね?』
 不意にエリーの声を思い出し、なぜか耳が熱くなる。
 別に、何か悪いことをされたわけではないのだが、やけに照れくさい。
「完成! ほら美味しそうにできー…きゃあ!」
 悲鳴を聞いて顔を上げると、鍋を手にしたまま、エリーがこちらを見ている。
 それが、自分の裸を見たせいだと知ると、ダグラスは慌てた。
「莫迦、お前が着替えろって言ったんだろ!」
「言ったけど!」
 エリーはくるりと向こうを向き、ダグラスはさっさと着替えてしまおうとして、大分身体も楽になっているのに気づいた。
 と、同時に、口の中に残る苦味。
「お前、俺に何か飲ませたか?」
「あ……あ、うん。……リペアミン」
 歯切れの悪い言い方に、首をかしげるが、追求するほど体力が回復していない。
「ありがとよ。だいぶ楽だ」
 ベッドの端に座ったまま、エリーの用意した厚めの生地のタートルネックに腕を通す。
「……着替え、終わった?」
 後ろを向いたままのエリーが訊ねてくる。ダグラスはああ、と頷いて、脱いだ服をまとめると、ベッドの足元に放り投げた。
── 後でやりゃいいだろ。
 本来なら、片付いていないのが気になるほうだ。だが、今はどうにもできない。
 すると、片付いていないのが気にならないらしいエリーが、湯気を立てた皿を持って戻ってきた。
「あ、寝てないとダメだよ」
「寝てたら食えねぇだろ。…何だっけ、卵のリゾット?」
「うん。リペアミンは体力を取り戻すだけの薬だから、風邪は食べてやっつけないとね」
 にこ…と笑って、エリーが皿を渡してくる。
 柔らかな黄色い粒が、やわらかく煮えて盛り付けてあった。
 塩味が効いた、と言うとおり、一口目が驚くほど美味い。
「……美味しい? 食べられる?」
 心配そうに顔を覗き込んでくるエリーに、ダグラスは頷いた。
 あとは無言で食べ続ける。思えば、夕べから何も食べていなかったのだ。
「美味かった」
 最後の一口を食べ終えるまで一言も話さなかったのに、エリーは側にいて待っていた。
「良かった…」
 美味しくて、なのか、食べられるようになって、の意味なのかは分からなかったが、エリーの笑顔は分かりやすかった。
「おかわりは…流石にしないほうがいいね。身体がびっくりしちゃうから」
「なんだか、やけに手際がいいんだな」
 寝ててね、と肩を押され、ベッドに戻りながらエリーの背中に尋ねる。
「うん。私、何年か前に一杯看病してもらったから」
 例の流行病の時のことか、と気づく。
 横になったまま、皿を洗うエリーの後姿を見て、もしマリーがいなったら、エリーも今ここにはいなかったのかもしれない、と、ふと思った。
「残りはここにおいておくからね。あっためて食べられるように…それから…こっちは私が洗濯してくるから……」
 落とした服を拾おうとベッドの側にかがみこんだエリーの腕を、思わず取る。
 アーモンド色の目を丸くして、エリーの顔が目の前にあった。
「もうちょっと、居ろよ」
 思わず口から出た言葉は、エリーから相応の反応を引き出した。
 エリーの柔らかな頬があっと言う間に朱に染まるのを見て、自分の唇の端が上がるのを感じる。
「嘘だよ。風邪がうつるから、早く帰れ」
 手を離して、とん、と突き放す。
 エリーは洗濯物を抱えてぱっと立ち上がり、赤い顔をしたまま言った。
「ダグラスは、言うことがいつも逆!」
 あまのじゃく、と舌を出すエリーを見て、ダグラスは軽く笑い声を立てた。




<END>






王道の「風邪」ネタです。カップリング好きな二次創作サイトなら必ずあるよ!
ここからは小ネタがしばらく続きます。

迷ったんですが…
ザールブルグには上下水道が、ある!
と言うことにしておいてください。

井戸水を使うのは、きんきんに冷えたものを作りたいとか、冷やしたいとか、
井戸水じゃないとダメなアイテムだとか、そんな時だけ。

何処の家にもキッチンはあって、トイレもシャワーも、個人の趣味でバスタブもあって。
流しからちゃんと水を捨てられる、ということで。
ガスはね…やっぱり無い方向で。

日常を書くのはこれがはじめてだったんだなと気づかされました。

2012.3.3.
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