エリーたちが長い旅を経てザールブルグに戻ってきたのは、出発してから3ヶ月近く経った、10月最後のある日の夜のことだった。
「マリー!」
帰還報告をしに飛翔亭に寄った3人を出迎えたのは、ディオ・クーゲル・ハレッシュ・ルーウェンの4人。誰もが驚きの表情を隠せずに、けろりとした顔でカウンターに座ったマリーを、呆然と見ていた。
「あんたの噂は伝わってきてたよ。大分派手にやってるみたいだな」
一番最初に口を開いたのは、ディオ。
ハレッシュもルーウェンもそれに加わり、すぐにクーゲルがグラスを揃えて、酒盛りが始まる。
ダグラスとエリーはあっけに取られてその様子を見ていた。
「これじゃ、夕食にはありつけそうにねぇな」
頬を掻いてエリーを見下ろし、ダグラスは言った。
「うーん、私もこれから工房でご飯作るのはつらいなぁ…」
シャリオチーズでも残っていたらかじろうか、と思っていると、ダグラスが言った。
「しかたねぇ。この格好でも入れてくれそうなトコ行くぞ……つってもこれじゃ、屋台くらいしかねぇか」
上から下まで埃だらけの二人だ。
しゃれたレストランには入れそうにない。
かと言って工房に戻って風呂に入ったらもう動きたくなくなるだろう。
エリーは頷き、ダグラスとともに飛翔亭を出ようとした。
「ちょっと待ってくれよ!」
と、後ろから呼び止められ、二人は振り返る。
「ロマージュは? 一緒じゃなかったのか?」
いつもの明るい笑顔を見せて、たずねてきたのはルーウェンだった。
グラス片手に、エリー達と一緒に出たはずの『もう一人』の姿を探す。
「ロマージュなら向こうに残ったぜ」
「故郷に戻るって言ってました」
そう伝えた瞬間、ルーウェンの表情が強張る。
そのあまりの変わりように、エリーは心配になって声を掛けた。
「ルーウェンさん…? どうしたんですか?」
「あ…、いや…」
エリーの表情に気づくと、ルーウェンは無理に笑った。「気にしないでくれ。そうか…教えてくれてありがとう」
「行くぞ、エリー」
空腹の限界なのか、ダグラスがエリーをせかす。
エリーはルーウェンの様子を気にしながらも、飛翔亭を出た。
11月のザールブルグは静かで、いつもだったら討伐隊が出た後を狙い、どんどん採取に出ていたエリーにとって、慣れないものだった。
工房には、時折マリーや他の冒険者たちが依頼にやってくる。
だが、妖精たちが作っておいてくれたストックでほとんど間に合うため、長居をせずにあっという間に帰ってしまう。
ダグラスも、ほとんど顔を見せない。
エリーがとある調合にかかりきりになっているのを知っているからだ。
「ふー…やっと出来た」
ここ数日工房にこもって作っていたのは、『虹色の聖水』。
一つのアイテムにこんなに日数がかかるのは初めてだ。
硬いコメートを砕き、調合するのに手間がかかった。
今、エリーは『賢者の石』を作ろうとしている。
とはいえ材料を揃えるだけで1月以上かかるのだ。
それを知って、エリーは一つ一つの材料を何度か調合して効力を高め、よりよいものが出来るようにと考えて材料を多めに準備し、実際に賢者の石に取り掛かるのは来年にしようと考えていた。
マリーと出会って、エリーには新たな目標が出来た。
錬金術をもっと学ぶこと。
それを人のために使うこと。
だがそれを実行するためにはまず、イングリドを納得させるようなアイテムを作り上げ、無事にアカデミーを卒業しなければならない。
今までと違う意識の持ち方になったせいかプレッシャーもあるが、合間に依頼をこなし、新しく仕入れた参考書から見知らぬアイテムを作り出すのも、丁度いい息抜きになっていた。
ただ……
気になることが二つ。
一つは、ルーウェンのことだ。
エリーたちがザールブルグに戻ってきてしばらく経った日、工房の扉を叩く音に妖精が扉を開けると、そこにはルーウェンが立っていた。
「あれ? ルーウェンさん。この間の依頼の品ですか?」
酔い止めの薬とメガフラムが、棚の上にある。
「そうなんだ。悪いんだけど、待ちきれなくて取りに来たよ」
いつもの様子で入ってきた時には気づかなかったが、依頼品を渡そうと彼を見て、エリーは彼が深草色のマントの肩に、護衛に付く時に何時もかけている、布袋を持っているのに気づいた。
「これから護衛ですか?」
代金を受け取りながらたずねる。すると彼は、少し困ったような顔をして笑った。
「ロマージュから聞いてるかい?」
不思議そうなエリーの表情に気づくと、ルーウェンはそうかと笑って続けた。「ずっと探してる人がいてね。飛翔亭に情報を集めて欲しいって依頼してたんだ。……いい情報が入ったから行って来るつもりだよ」
「そうなんですか…」
するとこのアイテムは、旅の合間に使う予定なのだろうか。
そう考えながらも、ルーウェンの様子がいつもと違う気がして、じっと見上げる。
その視線に気づいたルーウェンは、あの、暖かい笑顔を見せてエリーを見返し、言った。
「もしかしたら、ザールブルグにはもう戻らないかもしれない」
「え?」
驚きに声を上げるエリーの頭を、ルーウェンはくしゃりと撫でて笑う。
「元々君の護衛でくっついて戻った街だしね。もう少し、外を歩き回ってみるよ」
暖かい手の平が離れると、やけに寂しい気がして、エリーはとっさにルーウェンのマントの端を掴んだ。
「戻ってきますよね?」
出会ってから、まだ一年と少し。でも、ルーウェンが飛翔亭にいない風景など、もう考えられなかった。
何も答えないルーウェンの笑顔に、エリーはマントを握った手を離すしかなかった。
そしてもう一つ気になっているのは、アイゼルのことだ。
「最近、アイゼルはどうしてるの?」
帰った次の日に工房に来たイングリドから、そう訊ねられたのは、冒険ばかりしていると錬金術がおろそかになる、と凄い剣幕で叱られた後だった。
「姿をみかけないのよ。ま、彼女はヘルミーナの生徒ですから、私の授業はほんの少ししか出席しませんけどね……工房に顔を出したら、先日頼まれた参考書が見つかったと伝えて頂戴」
エリーは困った顔をして首をかしげる。
「あの、アイゼルは私がザールブルグに戻ってること知らないと思います。この間帰ってきてからまだ一度も会ってないし……」
「あら。そんなはずは無いわ。私の耳にもあなたの噂が届いたくらいですからね」
まぁいいわ、とイングリドは自分で納得して工房を出て行った。
アイゼルと夏祭りの話をしたのはもう3ヶ月も前だ。
あの後どうなったのだろうかと思いながら、エリーはアイゼルの部屋を訪ねた。
「アイゼルー。私だよ」
はじめは留守かと思った。だが、帰ろうとしたエリーが廊下を戻り始めたとき、後ろで小さくドアノブの回る音がして、薄く扉が開いた。
「エリーなの? ……どうぞ、入って」
カーテンを閉め切った薄暗い部屋。
ただ事ではない雰囲気を感じ取って、エリーは恐る恐る足を踏み入れる。
「早かったじゃない。もっと遅く来るかと思ったわ」
後ろを向いて紅茶を入れるアイゼルの顔は、エリーからあまりよく見えなかったが、いつもなら丁寧に梳かれた髪も、乱れることのなかった服も、どこかボロボロになっている。
「……どうしたの? アイゼル」
「昨日まで採取に出てたのよ。それで、今まで寝ていたの」
「採取? アイゼルが!? 一人で!?」
エリーが無理やりにアイゼルを連れ出すことはあっても、彼女が自発的に街の外に出るなど聞いたことがなくて、エリーは驚いて渡されたカップを取り落としそうになった。
「そうよ。おかしい?」
何食わぬ顔をして、アイゼルは締め切ったカーテンを開けた。
面やつれしている、とエリーはすぐに気づく。
ふっくらと手入の良かった肌はかさ付いて、少しこけた頬にはいつもの赤みが無い。
「卒業制作に取り掛かりたかったのだけど……必要な材料がアカデミーにはなかったのよ。だから、冒険者を連れて外に出たの」
向かいの椅子に腰掛けて、アイゼルは紅茶を一口啜る。
「大変……だったねぇ」
「あなたほどじゃないわ。まさか3ヶ月も帰ってこないなんて。アカデミーの4年生は、誰もかれも、卒業制作に奔走してるわよ。……後10ヶ月あると思うか、後10ヶ月しかないと思うか、二つに分かれてるわ」
あなたはどっちかしらね? と軽くにらまれる。
「う…うん……」
釘を刺されて眉を落としながらも、カップ越しにアイゼルの顔色を伺う。
顔色はさえないが、口調も態度もいつものアイゼルのように見えた……が。
「あの…そういえば、ノルディスのことなんだけど」
エリーが恐る恐るその名を口にすると、アイゼルは、口元に持って行きかけたカップを止めて、押し黙った。
「ええと……あの後、どうなったのかな、なんて……」
なるべく軽い調子で訊ねたエリーを、アイゼルはその藍緑の瞳でじっと見つめると、一言、短く言った。
「ふられたわよ」
紅茶を口にし、ぱっくりと口を開けたエリーに、自嘲気味に笑って見せる。
「『今の僕には、錬金術が一番大事だ』って。『君が嫌いなんじゃない、僕に今そういう余裕が無いだけなんだ』って……」
「あ……あの、アイゼル……」
どう言葉をかけたらいいものか分からずに、ただおろおろするエリーを見て、アイゼルはカップを置いた。
「振られた、っていうのとはまた、違うかもしれないわね。……大分落ち込んだけど、今は平気よ」
唇の端を少し上げ、アイゼルは窓の外に目をやる。
アカデミーの中庭に行き来している生徒たちを見ながら、言葉を続けた。
「だって、ノルディスは私が嫌いなわけじゃないんですから。だったら私も、今は錬金術に力を尽くすつもり」
その時には、ノルディスにそう伝えることは出来なかったけど、と言う。
「アイゼル……」
「だから採取に出たのよ。私、最高のものを作ってみせるわ。ノルディスにもあなたにも負けないくらいのものをね」
外からの光に、アイゼルの横顔が凛と引き締まって見えた。
後日、エリーがアカデミーでノルディスに会った時。
それとなくアイゼルの様子を聞かれたエリーが、その時の事を伝えると、ノルディスは少し驚いた顔をしてから、分かった、ありがとうと言った。
たったそれだけだったけれど、笑顔以外をあまり見せないノルディスの頬が、少し染まっているのをエリーは見た。
だから、心配しながらもちょっと安心している。
たぶんいつか、この二人はうまく行く。
エリーは根拠の無い自信を持って、アカデミーを後にした。
<END>
話と話の間のクッション的な話。
色気はゼロ
ダグラスいなくて済みません。
次回はいよいよ武闘大会ですよ。
ではまた。
2012.3.3.