カスターニェ ~ ケントニス 2


『ここで待ってろ』
 けれど、深夜近くなった今も、ダグラスは戻らずにいる。
「私がぼんやりしてたから…」
 ベッドの上に座り、エリーは手をきつく握って、うつむいている。
 あの場所から動こうとしないエリーを、ロマージュが無理やりに宿まで連れ戻した時にはもう、夕食の時間を過ぎていた。
 ロマージュはエリーの隣に腰掛け、その肩を抱く。
「それはもう言わないの」
 戻らないダグラスを探しに外に出ようとするエリーを何とか押しとどめて、ロマージュは何度目かの会話を繰り返す。
 不安そうに、エリーは口元に手を持っていき、ロマージュに尋ねた。
「でも、あの人って馬車の護衛だった人ですよね? …すごく強かったらどうしよう」
 エリーの陽と風の杖を奪って逃げた男には、エリー自身も見覚えがあった。
 ザールブルグからの馬車の護衛の男だ。
 きっと、エリーが杖を使って敵をなぎ倒すのを見て、エリー自身ではなく杖に力があると思い込んだのだろう。
 もし使いこなせなくても、先端に填まった紅玉は、なかなか価値のあるものだ。エリーは知らなかったが、ロマージュはそちらを心配していた。
「もし、追いかけて行った先に、悪い人たちがいっぱいいたら」
 悪い想像ばかりが頭をよぎって、エリーは唇をかみしめる。
「だいじょうぶよ。ダグラスは強いんでしょ? あなたに信用されていないと思ったら、彼は怒るわよ」
「そう…なんですけど、でも…」
「でも、はもう止して、ほら、少し休みなさい?」
 長旅で疲れているはずのエリーだったが、気が張っているらしく、いくら言い聞かせても横たわろうともしない。これも何度目かの言葉だったが、エリーは小さく首を横に振って黙り込んだ。
 ふぅ、とロマージュが息をつく。
「エリーちゃんをこんなに心配させるなんて、ダグラスは失格ねぇ」
「え…」
 エリーが顔を上げたのを見て、ロマージュは微笑む。
「男はね、女の子を不安にさせちゃいけないのよ。一瞬でもね。今、エリーちゃんが不安だっていうなら、それはダグラスの努力不足なの」
「そんなこと…」
 言いつのろうとしたエリーを留めて、ロマージュが柔らかく続ける。
「そういうものよ。ダグラスはもっと強くならなくちゃ。きっとダグラスもそう思ってるわ。エリーちゃんにはいつも笑っていてほしい、って。だって、好きなら当然でしょう?」
 肩を離すと、エリーの顔を覗き込み、ロマージュはつん、とエリーの鼻先をつついた。
「嘘だと思うなら、本人に聞いてごらんなさい?」
「本人…?」
 何を言われているのかわからずに鼻を抑えたエリーを置いて、ロマージュは立ち上がり、部屋の扉を内側に引いた。
「あ……」
 そこに、罰が悪そうに立っていたのは、青い聖騎士の鎧姿のままのダグラス。
 片手に、ひどく不釣り合いなかわいらしい杖を持って立っている。
「ね。無事だったでしょう?」
ロマージュはにこりと笑うと、ダグラスの脇をすり抜ける。「さて、少し飲んでこようかしら。リクエストがあったら踊ってくるから、戻りは遅くなるわよ」
 ぱちんと音がしそうな、きれいなウインクを一つダグラスに送ると、軽い足取りで階下へ降りて行ってしまった。
 残された二人の間に、何とも言えない沈黙が落ちる。
 ダグラスは敷居から一歩も入ってこない。
「あの…中に入ったら?」
「とってきてやったぜ」
 二人同時にしゃべりだしたことにお互い気づき、思わず顔を見合わせる。
「あ、ありがとう」
「じゃあ、邪魔する」
 またもかみ合わない二言目。
 今度は無視して、ダグラスはエリーの前に立った。
「ほらよ」
ぽんと投げて寄越されたのは、ダグラスの片腕にも満たない長さの、羽と紅玉で装飾された杖。「あの野郎、結構しぶとく逃げやがってな。隠れ場所を突き止めて、自警団に突きだすまでちょっと時間食っちまった」
 どさりと、隣に腰を下ろす。
「……心配したよ」
「知ってる。さっき聞いてた。扉の外で。…ったく、寝てりゃよかったのに」
 赤味がかった黒髪をくしゃりと掻く様子に、エリーは杖を抱きしめて、もう一度強い調子で言った。
「心配したんだから」
「けどなお前、その杖がなけりゃ…」
 駆け出しの冒険者とまではいかないが、身が守れないだろう、といいかけて、軽く睨みつけてくる視線に気づいて、黙る。
「帰ってこないかと思って、すごく、心配したんだから」
「……悪かったよ」
 エリーの言葉は、ダグラスが謝るか、エリーが納得するまで何度も繰り返されるだろう。それを知っていて、簡単にその言葉を口にする。
「悪かったなんて思ってないくせに」
 いつだって、ダグラスは自分がやることが正しいと思っている。
 だから、一人で泥棒を追いかけて行ってしまう。
 そして何食わぬ顔をして戻ってくるのだ。
 3年前の自分だったら、感嘆するばかりで心配などしなかっただろうが、今は違う。
「じゃあ、どう言ったらいいんだよ」
「杖なんて、よかったのに」
「そうもいかねえだろ」
「いらないの!」
 抱きしめていた杖を、ダグラスの胸元に突き返す。
 つい受け取ってしまって、エリーと杖とを見比べ、ダグラスはさすがに口調を荒くした。
「せっかく取ってきてやったんじゃねぇか」
「頼んでないもん!」
「持ってろよ!」
「いらない!」
 戻されそうになった杖を避けて、エリーは両手を後ろに回してしまう。
 そんな子供っぽい様子に、いつもならからかいで対処できるはずのダグラスも、つられてむきになる。
「エリー!」
「なによ!」
 ベッドの上、にらみ合う姿はまるで恋人同士に見えない。
 引くに引けなくなっているのに、次の言葉が出てこない。
 ようやくエリーが、一息置いてぽつりとつぶやいた。
「ダグラスは、わかってない」
「……何をだよ」
 何も言わずすべて理解できるほど、恋人同士としての二人の絆はまだ強くない。それどころか、ともすれば切れそうになる。
「杖より、ダグラスが大事なの」
 きゅ、とシーツの端をつかんで、エリーがうつむく。静かな口調にどきりとするが、ダグラスからは表情が読めなくて、泣いているのか、怒っているのかわからない。
「護衛だからって、私のために危ない目にあってほしくないの。杖なんて、買えばいいんだから」
「エリー…けどあの杖は…」
 王室から下賜された、いわば国の宝だ。その威力も性能も、買って代わりが効くようなものではない。
「杖は杖なの!」
 顔を上げたエリーが、泣いているのを見て、ダグラスの心臓が跳ねる。
「莫迦だなお前……」
「莫迦だもん! ダグラスのほうが大事なんだもん!」
 ぽろ、ぽろと頬を涙が伝うのを、拭ってやろうと手を差し出すと、ぷいとエリーが横を向いてしまう。
 届かなかった手は宙でためらうが、そっとエリーの耳元に触れた。
 びくんと体が震えて緑のイヤリングが揺れるが、それ以上避ける気配はない。
「……じゃあ、俺が何で杖を取り返しに行ったのか、おまえも考えてみろよ」
ダグラスは、エリーの耳にかかった髪を梳くようにして、親指でエリーの涙をぬぐう。「あの杖があれば……俺が万が一お前の傍にいない時でもお前を守れるだろ」
 世に二つとないアイテム。
 その威力を、ダグラスは知っている。
「俺から贈ったもんじゃないのは、ちょっと癪に障るけどな」
 きし…とベッドが軋む。
 喧嘩をするうちに、いつの間にかお互い半身をベッドに乗せて座っていたが、ダグラスはエリーの脇に手をついて、エリーへ体を傾けた。
「不安にさせて悪かった。……今度は気を付ける」
「ダグラス……」
 近づいてくる青い瞳。
 息を呑んで、わずかに顎を引いたが、頬に触れた手で止められた。
 ダグラスはエリーの囁き声を、唇で吸い取る。
── ずるい…。
 何をずるいと感じるのか、よく分からないままエリーは目を閉じる。
 久しぶりのちゃんとしたキスは、甘くて、少し塩味が効いていた。

 そしてエリーの涙が止まるころ。
 いつの間にかエリーはベッドに仰向けに横たわり、ダグラスはその上から覆いかぶさるように、エリーを見下ろしていた。
 ダグラスのキスがエリーに落ちる。
 頬に、額に、髪に…それから唇に。
「ん…、…っ」
 何度目かのキスの後、ダグラスの舌がエリーの唇を割って入ってきて、エリーは驚きについ、目を開けてしまう。
 だが、近すぎてダグラスの顔が見えない。
 逃げることもできない。
「ん……!」
 思わず伸ばした手は捕まえられて、枕元に縫いとめられた。
 そこから更に深い口づけ。
 ダグラスは鎧を着たままの体重を、エリーにかけないようにしていたが、エリーにそれが分かろうはずもなく。
 いつの間にか目を閉じてしまって、その分、唇の感覚に集中しているだけ。
── これって…もしかして…。
『男はウォルフなのよ』
 アイゼルの言葉と。
『優しくしてくれるわよ』
 ロマージュの言葉を思い出し、エリーの心臓が早鐘のように鳴る。
「は……」
 長い口づけが終った時には、がちがちに硬くなっていたエリーの体からすっかり力が抜けていた。そこに、手甲を嵌めたままのダグラスの手が触れる。
 抱きしめるでもなく。
 確かめる様に。
 顎先から、喉元にかけて滑る指に、ぞくりとした。
── あ、……触られ…ちゃう…
 自分より熱い指先が鎖骨をなぞり、胸元にたどり着きそうになった時、エリーは思わずきつく目を閉じた。
 だが。
 いつまで経ってもダグラスの手はエリーに触れてこない。
「ダグ…ラス…?」
 薄く目を開けて、ダグラスの顔を見上げると苦しげな顔をして、そのままエリーを見下ろしていた。
「…っ…くそ…!」
 吐き捨てる様に言うと、エリーに触れようとしていた手で拳をきつく握ったダグラスは、一気に体を起こす。そしてそのままベッドから降りて、エリーにその手を差し出した。
「起きろ! エリー」
「…え…」
 取り残されたエリーはぽかんとそれを見ていたが、やがて我に返って、慌ててダグラスの手を取る。
「きゃあっ…」
 肩が抜けそうなくらい勢いよく引き上げられて、自分も立たされ目を白黒させる。
 目の前には、真剣な顔をしたダグラスがいた。
「いいか、よく聞けよ?」
「え、…う、うん…」
 訳の分からないまま、エリーはうなづく。
 ダグラスはその鼻先に指を突きつけて、言った。
「俺は、お前を抱かないからな」
 意味が分かるまで、しばらくかかった。
 それから、エリーの顔がぽんと赤くなり、青くなる。
「今は、まだ、だ」
おろおろしだしたエリーを見て、ダグラスは一言付け加え、さらに少し考えてから言った。「俺が隊長を倒したら……お前、覚悟しとけよ!」
 まるで、仇に言うようなセリフを最後に言われ、エリーはぽかんとしたまま、ダグラスが乱暴に扉を開けて出ていくのを見るしかなかった。




 杖を無事に取り返したエリーたちは、次の日ミケネー島へ向かい数日かけて絶滅寸前の木の実を見つけ出した。
 そして今は、ケントニスに向かう船の中。
「ダグラスちゃんは本当にお子様ねぇ…」
 甲板にロマージュとダグラスが並んで、手摺に体を預けている。
 ロマージュは海を眺めていたが、ダグラスはもの珍しそうに商船の中を歩き回るエリーから目を離さない。
「やっぱり外で聞いてたな」
 何の話だ、とも聞き返さず、苦虫をかみつぶしたような顔をして、ダグラスは答えた。
「ふふ…いいんじゃない? 男のケジメって格好いいわ」
手摺に体を預けて、ロマージュはぐっと背をそらす。青空が視界いっぱいに広がって、潮風が心地いい。「でも、いつになったらかわいいエリーちゃんに手が出せるようになるのかしら?」
 流し目を向けられて、ダグラスは言葉に詰まる。
「一年も二年も三年もエリーちゃんを待たせたら、きっともっとイイ人が現れちゃうかもしれないし、エリーちゃんだってそうなったらまんざらでも…」
「エリー! ちょっとこっち来い!」
 最後まで聞かず、ダグラスは大声でエリーを呼んで、ロマージュから離れた場所に引っ張って行った。
 何を話しているのか、ロマージュには聞こえなかったが、遠目にもエリーの顔が染まるのを見て、微笑む。


「あーあ。早く赤ちゃんの顔が見たいわぁ…」
彼女はまだあきらめていない。



<END>






ラストのダグエリの会話は、ダグラスイベント「湧き上がる自信」ですね。
こうなると全く爽やかさに欠けますね!

ちゃんとキスシーン入れられて満足です(ニヤリ)

2012.3.1.
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