二度目の旅ゆきは、真夏の青空の下から始まった。
エリー・ダグラス・ロマージュの3人は、幌馬車に乗って、ザールブルグ-ケントニス街道を順調に進んでいた。
「馬車ってすごく便利で早いんだねぇ」
「お前、田舎から出てくるときに馬車に乗らなかったのか」
荷物をさほど持たない旅行者風の三人は、今回、中型の幌馬車を選んで乗った。以前の旅ではエリーの懐具合はずっとさみしくて、小型にさえ乗れなかったが、今回は違う。
中から御者台が見えるのは小型も中型も同じだが、中型なら左右に長いベンチが設けられて座れるにようになっていたし、荷物を置ける場所も確保できてなかなか快適だとエリーは思っている。
「乗ったけど…たった2.3日だったもん。速度はゆっくりだし、一日に走る距離もこんなに長くなかったから」
「東のほうはそんなに道も険しくないけれど、確か、森をいくつか抜けないといけないのよね」
だからスピードが出せないのよ。とロマージュがいうと、エリーも同意するように頷く。
「そうなんです…それに、緊張してたからあんまり覚えてなくて。馬車に乗るのも、村から出るのもあの時が初めてだったし、モンスターがいるからってみんな脅かすし」
「今じゃ、モンスターのほうが逃げていくよな」
向かいのベンチに座ったダグラスがからかうと、エリーは唇をとがらせる。
確かに、故郷にいた時には思いもしなかった。
たった3年で、こんなに強くなるなんて。
「ダグラス、右だよ!」
「おっし、任せろ!!」
ダグラスの剣が右手前の黒ウォルフを切り払うと、すかさずロマージュが奥を狙ってナイフを投げる。
そこにエリーの杖から、光が降り注ぐ。
「……やったぁ!」
こて、こて、こてんっ といった具合に、恐ろしいはずのウォルフが総薙ぎになり、ふぅっと空中に姿を消すと、エリーは杖を抱えて喜んだ。
これで何度目か。
幌馬車の陰に避難していた他の旅人達と、馬車の護衛の男が、あっけにとられてこちらを眺めているのに気付いたダグラスは、剣を拭っ手そちらに声をかけた。
「よう、もう大丈夫だぜ」
ダグラスは聖騎士の鎧を着ているから、ほかの旅人も、ダグラスを手練れと思う。だが、どこからどう見ても踊り子のロマージュと、か弱そうなエリーがあんな風に敵をなぎ倒すなどとは、思ってもみなかっただろう。
初めは、あまりのことに、3人のほうがモンスターなのではないかと疑われた。
だが今はそんな誤解も解けて、旅人達は3人を頼りにしている。
「また助けられたな…これじゃ、逆に護衛料を払わなくちゃいけないくらいだ」
壮年の御者が、暴れぬよう抑えていた馬の手綱を持って言う。「今回の被害は驚くほどないよ。また、帰りもウチの馬車に乗ってほしいもんだぜ」
「どうだかな」
剣を腰に収めながら、ふと、護衛の男の視線に気づく。
── しまった。
少しやりすぎたか、と思った瞬間、相手も気付いたかすぐに視線が逸らされた。
目も雰囲気も暗い男だ。
背中を見送っていると、エリーも同じようにその男の後ろ姿を見ていた。
ダグラスが気づいて、その横顔を見ているのに気づくと、エリーも振り返って…にこ…と、笑う。だが、いつもよりその表情が暗い。
── 無理しやがって。
きっと今の一瞬で、自分の立場と男の立場に気づいたのだろう。
上出来だという意味を込めて傍に寄り、髪をくしゃりとやる。
「みんな助かってよかったな」
「うん」
と、御者の男の声がした。
「よーし、降りたついでだ。今夜はここに宿をとることにしよう。岩も草もあって、贅沢ないい寝床だぞ」
軽口に他の旅人たちが笑うのを聞いて、エリーの頬にも同じ笑顔が乗る。
「ロマージュさんと、夕飯の支度手伝ってくるね」
峠での野宿も今夜で終わりだ。旅路もあとわずか数日。
仲良くなってきたほかの女性客たちを見つけて、エリーは走って行った。
空に夏の星が瞬いている。
もう、ぐっと南に近づいて、風が温かい。
テントに入らなくても、焚火の炎だけで十分なくらいで、その分、冬の旅とは違い、そこここのテントからにぎやかな話し声や、歌が聞こえてくる。
それでも、体力をしっかり取り戻すために、エリーとロマージュは、早めにテントに入り、隣り合わせに横になっていた。
月明かりに反射して、白いテントの中は結構明るい。
ロマージュは枕元にナイフを置いて横になっており、エリーは杖を傍らに。
ダグラスは外で火の番だ。
一寝入りしたら、今度はロマージュとダグラスが見張りを交代する。
……もちろん、ダグラスはこのテントでは寝ないが。
『そんなのなんだか悪いです。ロマージュさんは女の人なのに』
『あらあら。なら賃金を払って連れてくるものじゃないわよ?』
やんわりと咎められたのは、もう3年も前の話だ。
昼間のことでなかなか寝付けないエリーが、寝返りを繰り返していると、ロマージュがふと話しかけてきた。
「眠れないの?」
「え?」
とっくに眠っていると思っていただけに、驚いて振り返ると、ロマージュは銀色のさらりとした髪を掻きあげ、半身を起こし、エリーを見ていた。
「添い寝は私じゃなくて、ダグラスのほうがいいかしら?」
「添い寝…って!」
ダグラスと付き合うことになった、と報告してからずっと、事あるごとにからかわれても、まだ反応してしまう自分を恨めしく思いながら、エリーは顔が赤くなるのを自覚する。
「うふふ…、もう、可愛いわねぇ、エリーちゃんは」
ぽすん、とまた枕に顔をうずめてしまったエリーを見て笑う。
ロマージュにとって、エリーは年の離れた妹のようだ。ちょっとおっちょこちょいで、素直で、明るくて、可愛いという形容詞以外、つけられない。
── それから、そうね、『努力家』かしら。
半年ぶりに一緒に旅に出て、その杖の威力向上具合には恐れ入ってしまった。
でもそれを、自慢もしないし、鼻にかけない。
ロマージュも世間知らずではないから、さまざまな錬金術士に出会ってきた。けれど、エリーのような人間は稀有だ。
「……ダグラスは、そういうことはしないです」
くぐもった声で真面目に答えてくるのを見て、笑顔がこぼれてしまう。
「あらぁ。そうなの。でも、付き合ってもう半年でしょ? 少しは進展したんじゃないかしらって思ってたんだけど」
キスはしたんでしょ。と喉で笑って声を潜めて、ちらりとテントの外に目をやるふりをする。「エリーちゃん、最初は大事に大事にしてもらいなさいね。乱暴にされたら私に言うのよ?」
「乱暴って…ダグラスが私にですか?」
びっくりしたエリーの声が一つ大きくなる。
しー、とロマージュが唇に指を当て、小首をかしげて微笑む。
「いやぁね。違う話よ」
勘違いしているらしいエリーに、つい笑ってしまう。「慣れたら気持ちがいいものだけど、お互い初めてだったらなかなか大変そうね」
「……え…」
そこまで言われて、ようやく思い至ることがあり、エリーの頬に朱が昇る。
かっかと頬が熱くて、熱くて、めまいがしそうだった。
抱きしめられたことしかないのに。
エリーの家にだって山羊も羊も居たし、村の女たちの世間話はおのずと耳に入ってくるもので、あやふやながらもそれなりの知識はある。だがそれがダグラスと自分となると、恥ずかしくなってしまってとても先が想像できない。
「た……大変なんですか?」
それでも興味が先に立ち、ごく、小さな小さな声で、尋ねてみる。
「ダグラス次第かしらねぇ」
あら、意外。といった顔をしてから、小さな声でロマージュが囁く。「あなたのこと力任せに攻めそうだから……ううん、昼間の様子見ている限り、そんなこともないかしら?」
ダグラスはエリーの一挙一動をよく見ている。護衛のためだけではなく、その表情もしぐさも、全部。
「そ…です、か…」
ぽすん、とまた枕に顔を埋め直したエリーは、少し考えて……それはきっとまだまだ先のことなんだろう、と思った。
「いい? エリーちゃん。好きな人と一度体を重ねたら、どれだけ相手に自分が大事にされているかすごくよく分かるものよ?」
それは、エリーにも少しわかる気がした。
工房で抱きしめられた時のあの、幸せな感じが、体によみがえる。
ブランケットの中で丸まっていると、それと似た感じがするが、全然違う。
「ダグラスはぶっきらぼうだけど、やさしい子ね」
そうでしょう? というロマージュに、エリーもうなづく。
「はい」
「それに、割と気遣い屋さんね」
「はい」
よくわかっているなぁ、と思いながら、うなづく。
「だから、ぜーんぶダグラスに任せていれば、きっと気持ちよくしてくれるわよ?」
「はい…って、え、えっ……気持ちよく…って!」
ロマージュのあけすけな言葉に、エリーがしどろもどろしていると。
「こら! あんまりエリーをからかうんじゃねぇ!」
突然のテントの外からの大声に、二人ともびっくりして、それから笑い出した。
「よーく、聞こえてたみたいね」
「はい……」
聞かれていた内容を思うと、顔が赤くなる思いだったが、おかげで昼間の一件のことは忘れることができた。ほっとしたエリーは、横たわったまま、ロマージュを見て、微笑む。
「……おやすみなさい。ロマージュさん」
「おやすみ、エリーちゃん」
ほっとした顔のエリーが、やがて小さな寝息を立て始めるのを見ると、ロマージュは幸せそうに手を伸ばし、エリーの毛布の端を首元まで引き上げてやった。
5日後。
エリーたちはカスターニェに到着し、ボルトの船宿に荷物を下ろした。
二度目の滞在で、しかも酒場の男たちは、ダグラスとエリーを見て英雄が戻ってきたような扱いをするものだから、エリーたちは慌てて二階に上がって一息ついた。
「おい、エリー、ロマージュ」
女部屋の扉の向こうからダグラスの声がして、荷物を整理していたエリーは顔を上げ、声をかけた。
「開いてるよー」
今日の女の宿泊客がエリーとロマージュだけだと知っているダグラスは、遠慮なく扉を開け大部屋に入ってきた。
「まーだ荷が整ってねぇのか。のんびりしてるな」
ベッドの上の散乱状態を見て、ダグラスが腕組みしたまま呆れ声を出す。
「女の子はいろいろと必要なものが多いのよ。…どうかしたの?」
ロマージュの問いに、ダグラスがああ、と頷く。
「今下で話して来たんだが、どうやらボルトの船の装備でケントニスまで行けそうだ。だが、先日魚の発酵した奴を運んだらしくてな。一度船倉を洗い上げて水と食料を積むのに、二・三日はかかるって話だ」
「そうなんだ…千年亀砂丘なら行ってこられるかなぁ」
採れた材料はオットーの宅配便に頼めばいいとわかっている分、ここでしか手に入らない材料は、いくらあってもいいと思う。
「いや、それなんだが…どうもおまえの好きそうな話を聞いたぜ?」
『絶滅寸前の木の実』
ミケネー島で採れるというその話を聞いて、エリーの目が輝いたのは言うまでもない。
「それって! すごく貴重な錬金術の材料だよ!」
妖精たちにももちろんとってきてもらえない。エリーは喜んでミケネー島への出発を決め、一休みした後3人は街に食糧を買いに出た。
カスターニェには、ボルトの酒場兼宿屋とシュマックの武器屋、それからオットーの雑貨屋の3軒しか店がない。
「お前らがフラウ・シュトライトを倒してくれたおかげで、ずいぶん活気が出てきた」
にやりと言うのは、雑貨屋のオットーだ。
ロマージュとダグラスと連れ立って買い物にやってきたエリーを、オットーも、そして手伝いに来ていたユーリカも、うれしげに出迎えてくれた。
「そうだな、人も増えてきたみたいだし、船の出入りも一気に増えた感じがするな」
ダグラスが港についてからの様子を思い返しながら言うと、ロマージュも隣でうなづく。
「新しい店を建ててるのを見たわ」
「ああ、この町は漁業で成り立ってるけど、ケントニスとの貿易も大分元に戻ってきたってんで、奥地のほうから商人がこの町に出資してるのさ」
オットーはエリーの注文品を、白い袋に次々入れる。
奥で棚の整理をしていたユーリカは、オットーの隣にやってきてそれらを出荷表に書きとめると、ついでにカウンターの籠から出したオレンジを、エリーに投げて寄越した。
「お前、それはうちの商品で、お前のじゃないんだぞ」
「固いこというんじゃないよ」
ひらひらと手を振って、オットーがつめ終えた袋を外側から手際よく整えながら笑った。「これからミケネー島だって? 気を付けて行ってきなよ」
そういって差し出された紙袋は、脇からダグラスが受け取る。
「はい」
にこりと笑って、エリー達は代金を払って店を出た。
外は快晴だった。
そろそろ夕暮れになろうかというのに、ザールブルグよりずっと暑いのは湿気のせいだ。それにまだ、肌がじりじりと焼かれるのを感じる。
「ロマージュさんの故郷もこんな感じなんですか?」
「もっと暑いけど、もっと乾燥してるわね」
そんな話をしながら、小道から港へ出る。
港にはまだ戻ってくる船があり、人々が忙しげに行き来していた。
道の端に夕市が立って、屋台が並んでいる。
「あ、あれおいしそう」
匂いにつられて、エリーだけが立ち止まった、そんなときのことだった。
すれ違いざま、男がエリーの肩に強くぶつかった。
「あ、痛!」
不意を突かれて、エリーは道に倒れこむ。持っていたオレンジが遠くに転がる。
「エリーちゃん?」
ロマージュが振り返るのと、エリーが倒れた拍子に取り落した陽と風の杖を、ぶつかった男が拾い上げたのが同時。
「いたた…あ、ありがとうございま…」
拾った男に礼をいいながら、立ち上がろうとする間に、男があっという間に踵を返して、走り出した。
「え……?」
どうなっているかわからずに、地面に膝をついたままでいるエリーに、ダグラスの声が飛ぶ。
「エリー、ここにいろ!」
食料の入った袋が、倒れたエリーの傍に投げ置かれる。
「ダグラス!」
雑踏の中逃げ込んだ男の背中を、青い鎧が追って消えた。
- continue -
あれ? 今度はロマージュさんに愛が傾いた…。
次で完結します。
2012.2.28.