背中 2


 


 工房の扉をなるべくそっと開けるのは、中で妖精たちが寝ているからだ。
 エリーの作業机のちょうど下、今の季節だと調合釜から離れた冷たい床が、彼らにとって寝心地のいい場所のようで、そこにブランケットや草や木を持ち込んで、ベッドのような巣のようなものを作って眠っている。
 薄暗い室内を覗き込むと、穏やかな寝息が聞こえた。
 子供を育てているようなもんだろう? とルーウェンなどには言われるが、見た目は子供でも、自分のことはほとんど自分で出来るし、ともするとエリーよりよほどしっかりしている。
 確かに、抱き上げれば体温は高いし、人よりも素直な性格をしているとは思うけれど。

「じゃあな」
 エリーをここまで送り届けてきたダグラスが、扉の外から声をかける。
 遅くなった帰り道は、昔からこうして送ってくれた。
 昔と違うのは、別れ際に軽く口づけをするようになったことだ。
 あいさつ代わり、と言ったらそうかもしれない。
 長く離れていた相手と再開した時には、女性同士なら頬に軽くキスするし、相手が男性でも、抱き合ったりするのがこの辺りの風習だ。
 でも、そういったこととは全く違うのは、わかっている。
 エリーは少し身構えて、部屋の中からダグラスを見上げた。
「うん、おやすみ」
 目が合うと、青い瞳が笑う。
 だから、安心して目を閉じる。

 慣れなかった最初の二、三回は、ぼんやりしているうちにキスされて。
 こんなことをする人だったんだと、驚いた。
 しばらくしてから、あ、キスをされるな、とわかるようになってきて。
 当たり前になってきて。
 ないと、心配になるくらい。

「あんまり危ないことするなよ」
 一言置いて、唇が重なる。
 そしてすぐに離れる。
 
一瞬、昼間のことを思い出した。
 
 初めて、物足りなさを感じてしまって。
 いつもよりゆっくりと目を開けた。
 ダグラスが自分を見下ろしている。
── どうしたんだろう。
 いつもなら、さっと身をひるがえして行ってしまうのに。
 なぜか怒ったような顔つきで、ダグラスが髪をくしゃりとやるのをみて、昼のことでまた怒っているのかと、ちらりと思う。だが。
 次の瞬間。
 冷えたエリーの体が温かいものに包まれる。
 ダグラスに抱きしめられたんだ、と分かるまで時間がかかった。
「えっ…」
 採取の時に、寒さをしのぐため、マントに入れてもらったことはある。
 ふざけて肩を抱かれたこともある。
 でも。
 頬が、ダグラスの肩先にあたっている。
 驚いて何も言えなかった。
 こんな風に抱きしめられたのは初めてで、体全体が緊張する。
 聖騎士の鎧の感触ではない、服一枚隔てた向こうに、心臓の音。
 自分の髪に、かがみこんだダグラスの頬が触れている。
── ダグラスの、匂いだ…。
 こんな事をするのは、やはり昼間の一件があったからなのか。
 ダグラスの衝動は、エリーには理解できなかったが、胸の高鳴りと、うれしさで、緊張が少しずつほぐれ、体全体が触れ合うような感覚に身を任せる。
 唯一自由になる、両肘から下が、すがりつくようにダグラスの背中に回る。
 思わず手に力を入れた、瞬間。

「…ってぇ!」

 耳元で上がった声に、ふわふわと夢心地だったエリーは、驚いて顔を上げた。
 ダグラスはエリーの体を離して、扉の枠に片手を置き、もう片手を自分の背中に不自然に回している。
「ど、どうしたの、ダグラス!?」
 いくら冒険者として成長したからと言って、男の背骨をどうにかするほど、筋力がついたはずがない。エリーが慌ててダグラスの背に手を当てると、ダグラスが短く声を上げた。
 触れたちょうどその場所が、痛めたところだったのだろう。屈んだまま眉を寄せるのを見て、医者の言葉がエリーの脳裏をよぎる。
『そんなことができるんだね』
『念のため診ておくか』
 エリーは思わず声を漏らした。
「もしかして…昼間の?」
 ダグラスは、普通じゃない事をしたのではないだろうか。
 ようやく思い至ったエリーは、平気な顔をして夕食を共にした男に、尋ねた。
「お医者さんに診てもらわなかったの?」
 痛みが引いたのか、体を起こしたダグラスは、ああ? と首をかしげる。
「そんな暇なかったからな」
「でも…、だって」
 警護が終ったその足で、ダグラスはエリーの所に来たのだ。
 少し話すと、エンデルクと話していて、医者とすれ違ったらしいことが分かった。
「中に入って」
 ダグラスの腕をつかんで、エリーが引っ張る。
「いい。もう収まった」
「だめ! 触っただけで痛いなんて、おかしいよ」
 だが、ダグラスの足は一歩も動かない。
 力いっぱい引っ張って、たくし上げた長袖がずり落ちても。
「大丈夫だって」
「ダメだってば! 入って。 手当てしなくちゃ」
── 今、何があったかな。力の湿布じゃあ合わないし、リペアミンはないし。…あ、アルテナの傷薬があったっけ。
 だが、一向に動こうとしないダグラスに気づいて、動きを止めた。
「なんで入ってくれないの?」
 自分に手当てされるのが嫌なのだろうか。眉を落として尋ねるエリーに、ダグラスが髪を掻く。
「あ〜…。気持ちはありがたいんだけどな……。…今は、いい」
 ただそう言われただけで。
 エリーにもその意味が分かってしまった。
「…そ、う?」
 昼、明るいうちにダグラスが工房にいるのは珍しくない。
 夕方、食事に来ることもあった。
 でも今は、夜中だ。
 うつむいたエリーとダグラスの間に、気まずい沈黙が落ちる。
「……腕」
「え?」
「腕、離してくれ」
 ずっと腕を握ったままだったことに気づいて、エリーがぱっと手を離し、そのまま一歩後ろに下がる。その腕に抱きしめられたことも、思い出してしまって顔が赤くなる。
── どうして、あんなこと、言うんだろ。
 言われなければ気づかなかったのに。いつも通りに接することができるのに。
 ダグラスは、いつも自分以上のことを考えているみたいだ。
 それでも、低くうめいたダグラスの様子が気になって、扉を閉められない。
「おやすみ。ちゃんと鍵かけて寝ろよ」
 代わりに、ダグラスが先に動く。
 エリ―は、扉を閉めようとするダグラスの手を、とっさに握った。
「やっぱり、手当てさせて?」


 工房の二階、ランプの明かりを頼りに、エリーはアルテナの傷薬を手にして、こちらに背中を向けたダグラスのどこに視線をやったらいいかわからずにいた。
 ダグラスは、エリーも見慣れた黒のタートルを脱いで、ベッドの端に腰かけている。
 ランプの明かりで、背筋の陰影がはっきりと浮き出ているが、後ろを向いた表情はエリーからはよく見えない。
 小瓶の蓋をひねって開けると、ミスティカのすっとした香りが、部屋に漂う。
 エリーはその空気を一息吸って、思い切ったようにダグラスの背中に触れた。
「えっと…このあたり?」
 広くて、固い背中。きれいについた筋肉。
── 手当てするのも、初めてじゃないのに。
 エリーは動揺しそうな自分に言い聞かせて、尋ねた。
「ちょっと下だな」
「ここ?」
 落ち着きはらったダグラスの声に、少しほっとして、声を潜めて会話する。
 背骨の中程、少し力を入れて押すと、先程の場所よりも押し返しが強い。
「……っ」
 ダグラスが小さくうめくのを聞いて、びっくりして手を離す。
 それから、憤り。
「やせがまん、しないでよ」
「してねぇ」
 むすっとした返事に、力いっぱい薬を塗ってやろうかと思ってしまう。
 でも、やめた。
 この怪我は自分を受け止めてした怪我だ。
 今日だけじゃない。いつもエリーはこの背中に守られている。
 丁寧に軟膏を塗り広げると、冷たい薬が暖まって香りが変わった。
「はい。おしまい。もう、いいよ」
 気恥ずかしさを隠して、アルテナの傷薬の蓋を閉める。
「サンキュ。楽になった」
 ダグラスは、その薬の効力に驚きながらも、礼を言った。
 塗られた瞬間から痛みが引いていったのだ。さすがに舌を巻きつつ、タートルを頭からかぶってさっさと着替えてしまう。背中に怪我するなんて久しぶりだった。聖騎士隊では、自分の背中と体の内側は、徹底的に守るように教えられる。
「…ごめんね」
 エリーはダグラスの背中に、ぽつりとつぶやく。
 ダグラスの腕や、肩が傷だらけなのが見えたからだ。そのいくつかには自分にも心当たりがある。
 聖騎士の鎧さえも貫く、フラウ・シュトライトの牙にかかって、大きく裂かれた傷も。
 あの時はダグラスが死んでしまうのではないかと、意識が戻るまで一睡もできなかった。
「何が」
 ベルトを締めなおして立ち上がりながら、ダグラスが振り返る。
 いつもの顔だ。自信たっぷりで、それでいて優しい顔。
 ベッドに腰掛けたまま、エリーはその顔を見上げる。
「怪我ばっかりさせて」
「莫迦、俺が未熟なだけだろ」
普段用の軽い剣をベルトの端に差し入れて、様子を見ながらダグラスは答える。「ま、お前がもうちょい軽ければ、ここまでじゃなかったかもしれねぇけどな」
 からかうように言われると、エリーは唇をとがらせて立ち上がった。
「もう、怪我しても助けてあげない!」
「へーえ」
 腰に手を当て、ニヤニヤと笑うのを見て、先程までのすまなさがどこかに行ってしまう。
 ベッドサイドのランプを自分で持ち、使いかけのアルテナの傷薬をダグラスの手に押し付けた。
「ほんとに知らないんだから!」
「ふーん」
 ドアを開け、二人とも無言の了解で、そっと階段を下りる。
 あのまま、ベッドの上に二人しているわけには、いかなかった。
 怒ったふりをしながら、エリーはそれを少しだけ、さみしく感じる。
 ダグラスといるのは心地がいい。
 さっきのように、ずっと触れ合っていられたらいいのにと思う。
 もちろん、ダグラスにしてみれば、たまったものではないのだが、エリーにはそれがわからない。
 工房を抜け、玄関の鍵を開けて、ダグラスを送り出す。
 扉から半身を乗り出して見送ろうとするのを押し返された。
 何事もなかったように、キスをして、ダグラスは夜道を帰って行った。



後日。
「おねぇさんは、おにいさんと、真夜中に二階から降りてきたよ」
「入口でちゅーしてたよ」
「それはいつもしてるよー」
 依頼に来たアイゼルが、二人の様子を何気なく妖精に尋ねたところ、そのような返事が返ってきた。
 紅茶とケーキを持って奥から出てきたエリーが見たのは、うろたえて頬を朱に染めたアイゼル。
「私たちはまだ学生なのよ!? 節度を持ちなさい!」
 いきなり叱られ、事情を聞かされたエリーが、アイゼルの誤解を解くまでに、だいぶ時間がかかった…という話。





<END>



22歳というのも、そんなに大人じゃないと思うのです。
いろいろと興味もあるでしょう。
でも、18歳を相手にしてたら、大人ぶっちゃうしかないですよね。
え? ちがう? 光源氏計画? いやー、ダグラスには無理かな。

で。
キスシーンとか、入れたいわけです。
せっかくだから。

萌え補完したいのです。
苦手な方はごめんなさい。

あー…。他の人が書いたラブラブダグエリが読みたい…。

2012.2.24.


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