背中 1


 


「何ともないね。大丈夫だ」
 医者はエリーの脈をとって背骨を確認し、両腕、足、しびれやめまいがないかなどを確認すると、笑った。
「はい、ありがとうございます」
 ベッドに起き上がったままのエリーが会釈する。
 足元にいた妖精たちも、ほっとした顔だ。
 妖精たちの寝床は工房だ。ほどんど二階に上がってこない彼らが、今は調合の手を休めて、みんなベッドの脇にすがりつくようにしていた。
 エリーはそれを見て、申し訳なさそうにちいさく笑った。
「ずいぶん高い場所から落ちたと聞いたんだが…下に植え込みでもあったのかね?」
 医療道具を片づけながら、不思議そうに医者が聞いた。
「いいえ、あの…下に人がいて」
「人が?」
 驚いたような顔に、エリーは慌てて付け足した。
「受け止めてもらったみたいです。私、詳しいことはわからないんですが」
 気絶したことも知っている医者は、なるほどとうなづいてから少し心配そうな顔をした。
「そんなことができる人間がいるんだね」
ぱちん、と黒鞄の蓋を閉める。「さっき…下で会った聖騎士隊の彼かな?」
 思い出すように髭をなでる。
「そうです」
 エリーがうなづく。
 妖精たちは頭を巡らせて、二人の会話を一生懸命聞いている。
「ちょっと見は大丈夫そうだったが…念のため彼のほうも見ておくか」
「えっ」
 エリーの不安そうな顔に、医者は笑って見せた。
「念のためだよ。心配しなくていい。城に行けば会えるかな」
 一瞬すれ違っただけの顔を思い出そうと、医者の目が左上を泳ぐ。
「ダグラスなら、きっと城門か詰所にいます」
「なるほど」
 名前を呼ぶのを聞いて、個人的な知り合いなのだな、と医者はうっすら思う。
 ただ単に聖騎士が一般人を助けたのとは、少し違うらしい。
 ベッドの上の少女の顔が青ざめているのを見て、肩に手を置いた。
「ちょっと診たら、こちらに顔を出すように伝えておくよ。だからあまり気にしないでいなさい。それから今日はもう動いても大丈夫だろう」
 ほっとしたような顔に、にこりと笑いかけて、立ち上がって外に出た。
 職人通りの喧騒が、昼の活気を伝えてくる。
 夏。
 強い日差しに石畳が熱せられている。
 歩きながら、ダグラス…ダグラス、と忘れないようにつぶやき。
── ああ、あのダグラス・マクレインか。
 思い至った。
 武道大会でいつも優勝を争っている彼だ。
 遠目からだが見たことがある。
 先程すれ違った青年と、ようやくイメージが重なった。





「失礼します」
 真面目くさった顔が、隊長室から出てくると、同僚はダグラスに駆け寄った。
 ダグラスに城門警備を押し付けられた、出納係の彼だ。
「絞られたか?」
「ああ」
「うわ…俺もかなぁ」
 勝手に勤務交代するなどあってはならないことだ。
 ほんのわずかな時間と、つい引き受けてしまったが、ダグラスは1時間以上も戻らず、結局エンデルクに見つかってしまった。
 その場で怒鳴られたりはしなかったが、こうして呼び出されるほうが怖い。
「お前は大丈夫だよ。俺が勝手にやったって伝えておいた」
「莫迦、引き受けた時点で俺も同罪なんだよ」
「それでもな」
 エンデルクは規則に厳しい。大きな組織を動かす人間なのだから当たり前のことだ。
 でも、鬼ではない。
 エリーの一件を聞くと、一通りの説教のあとに、『だが、よくやった』と短く一言言われた。
 それで救われる。エンデルクが大きいと思うのは、あんなときだ。
 たぶん、同僚も自分ほどは絞られないだろう。
── でもな
 確かに気が抜けていた自分を感じて、頭に手をやりくしゃりとかき回す。
 失敗を引きずるタイプではない。
 それが自分でわかっているだけに、ミスはしっかり覚えておくと決めている。
 ダグラスは、両頬を掌でぴしゃりと叩く。
「よしっ」
 気合を入れて、城門警備に向かった。





 夕暮れ時。
 人の見分けがつきにくくなる頃、騎士隊の当番が、小さな炎を持って城門から街の入口へ巡回し、街灯に明かりをつけて回る。
 ダグラスは、城の両脇に点々と灯る明かりに目をやり、薄暗くなり始めた広場にしっかり目をやった。
 罰として、きょうは少々勤務時間が長いが、それ自体は苦ではなかった。
 もともと、城門での警備が好きなのだ。
 昼は子供たちが遊びに来たり、物売りが軽快な口上を披露するのが聞こえてくる。
 夜は酔っ払いを捕まえることもあるが、大概平和だ。
 ザールブルグはよい街だと思う。
 だがそれも、歴代の聖騎士隊や、どこかのんきな街の人間の性質のおかげだ。
 17歳でここに来てもう、4年。
── そういえば…
 9月には、新規入隊希望者の試験がある。
 その後一月の訓練期間を経て、討伐隊が編成され、入隊者は初任務に就く。
 その頃の自分を思い出すと気恥ずかしくなることがある。
 警備の仕事さえ、気合を入れすぎてぐったり疲れていたし、北からやってきて、夏の暑さにもなかなか慣れなかった。
── 今は…
 同僚との関係もいい。
 剣の腕も確実に上がった。
 宿舎での一人暮らしにもすっかり慣れた。
 それから、恋人がいる。
「…っ…と」
 ふと思い出した栗色の髪の少女の顔を、慌てて振り払う。今は勤務中なのだ。
 ついさっき、気を抜くまいと気合を入れたばかりなのに。
 だが、消しきれない。
『大好き、ダグラス』
 あれは、お世辞にも色気があったとは言えない。
 むしろ、全身で自分への信頼と愛情をのせた台詞だ。
 けれど、余計に抑えが利かなくなってしまった。エリーを女性として認識してから半年の間、さりげなく抑えてきたはずの衝動は、箍が外れたらそのままもう止められなくなるんだ、と知って自分でも驚き、焦った。
 それは、気を失ったままの彼女の心配で気が高ぶっていたせいもあるかもしれない。
 昼間のことを思うと肝が冷える。
 でも、あの傍迷惑なアイテムも、彼女の努力の結果だ。
 頭ごなしにしかりつけたが、認めていないわけじゃない。
 ああいった場面を見るたびに、自分も努力が必要だと思う。
── 何ともないといいけどな
 勤務が終ったら、行くつもりの方向になんとなく目をやった。



「エリー、聞いたよ。大変だったって?」
 飛翔亭に入るや否や、頬に十字の傷のある男が声をかけてきた。
「フローベル教会の屋根から落ちたらしいな」
ルーウェンは、エリーの全身を上から下まで眺めまわして、それから細い肩に手を置こうと伸ばした。「見た感じ、平気そうだけど」
「落ちたんですけど…無事でした。ご心配かけてすみません」
 へへ…と笑うエリー。
 ダグラスが、さりげなくルーウェンの手を払ったことに気づかない。
「怪我がなくてよかったなぁ」
 ルーウェンは当たり前のように一緒のテーブルに腰をかけると、もっと話を聞こうと身を乗り出し、ダグラスはそんなルーウェンとエリーとの間に陣取って、酒と食事をカウンターのディオに注文した。
「そうなんです。ダグラスが助けてくれて」
「へぇ」
 ダグラスを見るルーウェンの目には、感心の色しかない。
 エリーに対して親しすぎる態度を示すのが、この男の悪いところだとダグラスは思う。
 その態度が、エリーに対してだけだったら喧嘩でも売られているのかと思うが、ほかの人間に対しても同じだけに、文句も言えない。
 親しい友人のように、昼間の話に花を咲かせる二人を置いて、ダグラスは楽隊のいない酒場の中を軽く見回した。
 飛翔亭はいい酒場で、のんだくれたオヤシはいるが、暴れるような冒険者はほとんどいない。常連はクーゲルが腕のいい冒険者だったと知っているし、なにかやらかすとしたら、それは流れ者だ。
 特に妙な人間がいないことを確認すると、そこでようやく気を抜いた。
「空飛ぶほうき?」
 ルーウェンの驚いたような声に、二人の会話に意識が戻る。
「そうなんです。作ったばっかりで、ちゃんと確認しなかったから」
 コントロールできなくて。とエリーがしゅんとした顔をしている。
「へぇ…確かマリーも『生きてるホウキ』とかっていうのは作ってたけど、空を飛べるとはね」
「マリーさんが?」
 ぱっと目を輝かせ、エリーが尋ねる。
 マリーの事は、何度かエリーから聞いている。命の恩人、放浪の錬金術師。
「そう。マリーもエリーとおんなじで、部屋が片づけられないヤツで。ある日工房を訪ねたら、ほうきが自分で動いて掃除してたんだ。驚いたよ」
 エリーと同じで、という言葉に、ダグラスの眉がギュッと寄せられる。
── なーにが、エリーと同じで、だ。
 大して知りもしないくせに。と、言いたいが、運ばれてきたビールをぐっと飲んで黙る。
「なんだ、その『空飛ぶほうき』ってのは」
 カウンターから出てきたディオが、冷製パスタとヨーグルリンクをエリーの前に置きながら、尋ねた。
「またいで空が飛べるように、グラビ石を配合したホウキなんですけど、ちょっと出来が悪くて…」
と、エリーはちらりとダグラスを見る。「しばらくお蔵入りです。危ないし」
「しばらくじゃなくて、永久に、だ」
 ダグラスの苦虫をかみつぶしたような言葉に、へへ…とエリーが笑う。
「もうちょっと安全な乗り物を考えるつもりです。そしたら、たぶん大丈夫だから」
 大丈夫だよね? というように目で訴えてくるエリーに、ダグラスは懲りていないな、と思うが、ため息だけで済ませる。
「へぇ。できたら俺にも乗らせてくれよ」
「珍品として納品してもらえそうだな」
 ルーウェンもディオも、思い思い口にする。
「出来上がったら持ってきますね」
 エリーも笑顔で答えている。
 飛翔亭は顔見知りでいっぱいだ。
 それがわかっていてここに誘ったのだから、二人きりじゃないのは仕方がない。
 大体、飛翔亭の他にどこに連れて行ったらいいかもわからない。
 それで、毎回この状態だ。
「ダグラスどうしたの?」
 エリーが顔を覗き込んでくる。
── 近いだろ。
 最近、思う。
 今までと距離が違う。
 半歩、近い。
 ぐいとエリーの頭を、掌で押しのけた。
 乱暴な態度に首をかしげながらも、エリーは食事に戻る。
── こいつ、結構肝が太いよな。
 工房に迎えに行ったとき、どんな顔をしたらいいのかわからなかったのは自分だけなのか、すっかり元気な様子で調合まで始めているのを見て、自分もほっとした。
 いつの間にかディオもカウンターに戻って、ほかの客の相手をしていた。
 ルーウェンも、カウンターで客らしき男と話している。護衛の依頼だろうか。
「お酒ばっかりだと体に悪いよ。私の半分あげるね」
 けろりとした態度で、いつものように言うエリーに、顔をしかめて見せる。
「食いきれねぇだけだろうが」
 滑らせてきた皿に、添えられたフォーク。
 ディオが気を回して多めにしたに違いない。
 新鮮なトマトの赤と、バジルの緑、オリーブとニンニクが効いている。井戸水でしめたパスタは、酸味があって夏の暑い夜にちょうどよかったが、酒のつまみには物足りない。
 添えられた固めのパンに、くるりとパスタをまいて乗せて食べると、エリーが嫌そうな顔をした。
「それって、どんな味になっちゃうの?」
「うまい」
「うそ」
「試してみるか?」
 ええ〜? と言いながらも、同じようにパスタを乗せて食べてみる様子に、目を細める。
 どっちつかずの味だったらしく、うーんと唸る様子に笑った。
 エリーの作るものは大概美味い。
 だから、納得いかないものはいかないのだろう。
「あ、具だけ乗たらおいしいかも!」
 あれやこれやと、試し始める。
 それから、エリーが今やっている調合の話をしたり、依頼の話をする。
 もうすぐアカデミーの試験があるらしい。
 だんだんと夜が更けて、心地よく酔いながら、ダグラスは話を聞いていた。




「あー…涼しくなってきたねぇ」
 飛翔亭を出ると、月明かりに石畳も冷え、水路からわたる風が街路を抜けてそよいできた。
 まだ、昼間の強い風の名残がある。
 鎧を脱いでいる分涼しくて、肘までまくり上げた長袖も下ろしたほうがいいかと思う気温。
 一歩先を行くエリーの後ろをついていく。
 街灯に、エリーの白いマントが揺れる。
「寒くないか?」
「大丈夫だよ」
とん、と石畳をふんで振り返る。「あのね、ダグラス」
「なんだ?」
「今度の試験が終ったら、またカスターニェに行ってみようと思うんだ」
 足を止め、エリーはダグラスを見上げる。
 真剣な表情に、うなづいた。
「マリーっていう錬金術師のことか」
「うん」
 フラウ・シュトライトを倒して半年。あの時はケントニスにわたらずに戻ってきてしまった。
 ずっと考えていたのだろう、エリーは迷いのない目をしていた。
「マリーさんがケントニスにいるのは確かだと思う。…ううん、もし、いなかったとしても私、一度あっちに渡ってみたい」
新しい調合のヒントも見つかると思うし。と続ける。「そのなかで、マリーさんに会えたらいいなって思うの」
 ダグラスにとって、マリーは会ったこともない、伝説の…いろんな意味で…女性だ。
 はじめは、なぜエリーがそこまでしてマリーを追いかけたいのかわからなかった。
 でも、エリーにとってのマリーが自分にとってのエンデルクなのだと気づいた時から、そんな気持ちはどこかに消えていた。

 いつか。
 追いつきたい。
 追い越したい。
 その背中。

「で?」
 言いたいことを言うだけ言って、また歩き始めたエリーの背中にダグラスは声をかける。
「え?」
 不思議そうに振り返った顔に、ニヤリと笑って見せる。
「どうしてほしい?」
「どうして…って…」
 ぽかんとした顔。しばらくすると、やっと分かったらしく、きゅ、と唇を結んだ。
 腕を組んだまま、ニヤニヤと笑っているダグラスに、叫ぶように言う。
「……っ一緒に来てほしいよ! 護衛、お願いします!!」
「よーし、よく言えた」
 二、三歩先のエリーに追いつき、頭をくしゃりと撫でる。
 あとは、工房までの道を、並んで歩いて帰った。


- continue -


 

 


 



 


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