子供に戻りたい! -1-

  

「こ……こんなにちびっこくなっちまって……っ!!」
 唖然と呆然の入り混じったチチの声。
 悟空はぽり…と頬をかいて彼女を『見上げ』た。
「いや〜。オラもこんなになるとは思っても見なかった」
「なぁに暢気な事言ってんだっ!」
 ひとしきり怒ってから、なぜかガックリと肩を落としたチチの腿の辺りにポン、と手をやって悟空はニカっと笑った。
「ま、いいじゃねえか」
「良かねえだっ! 悟空さのバカたれっ! ……ああ、ただでさえ年の差夫婦みてえになっちまってたのに、これじゃ……」
どうやらチチのガックリはその辺から来ていたようで。「昔に戻りてえなぁ〜〜」
 そのガックリ、孫家の男性陣が思っていたよりも、案外長く続いたのである。


***


「って訳でよ」
 子供の姿に戻った悟空は、昔なつかしV字ネックにノースリーブのあの道着を着込み、カリン塔と神様の家を繋いでいた如意棒までいつの間にか取り戻して、背中に背負っていた。
「悟飯にはビーデルがいるからいいけどよ。このまんまだとオラと悟天は食いっぱぐれちまう。だからブルマ、あれ出してくれよ。あの、ポチっと押すと体がチビっこくなるやつ」
 暢気な顔をしてカプセルコーポを訪れてきた悟空を見た瞬間、当年とって四十ウン歳になっていたブルマは、夢でも見ているのかと思った。
 もしかしたら何十年も(!)前の夢を見ているのかと。
 でも、どういう理屈でそうなったのかは知らないが、眼の前のチビ悟空は本物であるらしい。
 まじまじ見つめてそれを確認した後、ブルマは肩をすくめた。
「ばかねぇ。孫君たら」
作業中呼び出され、ツナギを着ていたブルマは、腕を組んで悟空を見下ろした。「チチさんは『若い頃に戻りたい』って言ってるんでしょ。『小さい頃に戻りたい』とか『小さくなりたい』って言ってるわけじゃないの。…なんでそれっくらいわかんないかしらね」
「同じじゃねぇか」
「ちっがうわよ!!」
 ブルマに怒鳴られきょとんとした顔つきの悟空は、頬の丸みも手を頭の後ろで組む癖も、昔のまま。
 ブルマはため息をついた。
「大体、ミクロバンドならあの時、あんたの眼の前で亀仙人のじいさんにあげたでしょ」
 あんた、と悟空のことを呼び捨てにするのは、悟空が大きくなってからはなかなかなかったことだ。
「そうだっけ?」
「そうよ。行くなら亀じいさんの所に行けばよかったの。……でもまあ、こっちに来て正解だったかもね」
肩をすくめてブルマは顎をしゃくった。「いらっしゃいよ。丁度いいのがあるわ。孫君の希望にも、チチさんの希望にもなんとか添えるものが」
 そして、ブルマに連れられ久しぶりのカプセルコーポに入り、ブルマの母とお茶を飲んだりなど寄り道しつつも、その日悟空が手に入れたのは、『ワカガエルン』という、丸いビンに入った、一口ほどで飲み干せる位の液体だった。
 このワカガエルン、その名の通り、飲めば若返る薬である。
 それなりに年取った彼女が『お肌ぴっちぴちのギャル時代に戻りたいわ〜』思わないはずがなく、思いついたブルマがそれを開発するのも朝飯前だったわけだ。
「効力はニ三日で切れるけど」
薬の入った小瓶を悟空に手渡しながら、ブルマは真面目な顔をして言った。「その頃遊びに行くからね、ってチチさんに伝えておいて」
 小瓶がブルマの手から悟空の手に渡った瞬間、彼女の顔にはえもいわれぬ微笑が乗った。


 なつかし筋斗雲に飛び乗った悟空が、パオズ山の麓へと向かう道すがら。
「ごくーぅさー!!」
 声が聞こえた。
 筋斗雲越しに下を見れば、そこに丁度チチが立っている。どうやら町へ買い物に出た帰りのようで、傍にはビーデルと黄色いジープが止まっている。悟空の姿に気付いて停車したところなのだろう。
「お義父さん、どちらにいってらっしゃったんですか?」
 ビーデルは下りてきた悟空に腰をかがめて尋ねた。
「オラか? オラはブルマんとこ行ってきた」
そしてごそごそと懐を探ると、例の小瓶をチチに向かって差し出した。「これ飲めよ」
 差し出された小瓶を思わず受け取り、チチは首をかしげながら蓋をひねった。
「なんだべ? 悟空さの土産け? 可愛いビンにへえってんなぁ」
「ちょ…お義母さ……」
 ビンこそ可愛らしかったものの、液体の方は見るからにどろどろしていて土色で、更に言えばねっとりとして見えた。せめて中身が何か確認をしてからでは…? と言いかけたビーデルの言葉は、発せられぬままに終わる。
「う”っ……ッッ!!」
 両の掌で大事に包み、口元で傾けた小瓶の中身が口の中に広がった次の瞬間、液体はチチの喉を通り越していたが、なんとその後……。
「大丈夫ですか? お義母さん!」
ビーデルは慌ててせきこむチチの背中に手を当てた。ところが。「あ…あれ……? お義母さん……」
 その背が徐々に丸まっていく。体を支える腕が、袍の中に消えていく。そして足も。
 びっくりまなこの悟空。
 息を呑むビーデル。
 そしてチチは。
「……あんれ〜? ここはどこだべ」
 二人の眼の前で、推定10歳程度の、黒髪の美少女になっていた。不思議そうに辺りを見回す瞳はくるっと丸く輝いていて、自分の肩に置かれたビーデルの手に気付いて後ろを振り仰いだ。そして。
「おめえ、だれだ?」
それから、振り返り。「あっ、悟空さ!」
 ぱっと顔を輝かせ、同じように驚いた顔をしている悟空の首根っこにぴょんと飛びついた。「……ど…どうなっちゃってんの……」
 この小さな娘、自分の記憶と視力と頭がおかしくなっていなければ。
 彼女の義母である、チチ、ということになる。
「悟空さ〜! 会いたかったべ!! おらのこと迎えにきてくれたのけ?」
 ふっくりした頬を悟空のほっぺたにぎゅっとくっつけて、ほお擦りする。着ていた服が肩までずり落ちて、すべすべの肌が覗く。
―― お義母さんてこんなに可愛かったの。それにこの肌…なんてうらやましい……じゃ、なくって!!
「お義父さん、説明してください」
 キッと目つきを鋭くしたビーデルのその表情は、彼女の往年の(?)気の強さを思い起こさせる。だが小さくなったチチは悟空の腕に腕を絡めて、ぴったりと傍に寄り添い、『悟空は自分のもの』オーラを発しつつビーデルを睨みあげた。
「悟空さ、誰なんだ、この女」
どうやら、彼女の記憶は子供化と一緒になくなってしまっているらしい。「まっさかこんな年増と浮気したんでねえべな! おらというものがありながら!!」
「ち、違うよ、こいつは悟飯の嫁……」
 胸倉を掴みあげられゆすられながら、慌てて首を横に振る悟空の後ろで、年増と言う言葉に青筋を立てるビーデル。アンタのほうが年上でしょ、とまで思ったかどうかはわからない。仲のいい嫁姑であるゆえ。
「悟飯? 悟空さのじいちゃんのけ? ………。」
 チチは悟空の道着を離してしばらく考え込んだ。そして。
 ぱぱぱっと身なりを整えると、ビーデルに向き直り、精一杯可愛らしい声と笑顔で。
「はじめましてですだ、おら、牛魔王の娘のチチっていいますだ。悟空さの許婚にさしてもらってますだ。」
 どうやら、ビーデルの事を、『悟飯じいちゃんの』嫁だと思ったらしい。年の差だとか、もう悟飯は死んでいるだとか、そういうことはなんとか頭の中で折り合いをつけたのだろう。昔から大分思い込みの激しい娘だったから。
「これからよろしくお願いしますだよ。…ええと……『おばあさま』でいいべかな、悟空さ?」
 そっと悟空の耳にささやいた言葉も、どうやら大分ビーデルを打ちのめしたようだった。


「お、お、お、お母さん?」
 筋斗雲で一足先に戻った悟空とチチを追いかけ、ビーデルが家に戻った時には、予想通りの展開になっていた。突然現れた少女が誰か、悟空は『おめえたちの母ちゃんだってばよ』の一点張りで、そのほかの説明はまったくなし。悟飯も悟天も何が起きたのかまったく理解できていなかった。
「ひゃあぁ…信じらんないね〜!」
 背の高い青年達に挟まれて、今度は悟空の背中に隠れているチチ。間に割り込むようにしてビーデルが説明することによって、漸くその場が収まった所だ。
「兎に角お母さん……じゃなくって、チチ…さんは、そのままの格好じゃなんだから、パンの服でにでも着替えてもらって……」
 パンは今、学校主催のお泊り会でここに居ない。たんすの奥から引っ張りだしてきたフリルのついたエプロンドレスは、祖父譲りの格闘好きに育ったパンが嫌がって着なかった内の一着だったが、チチは目を輝かせた。
「これ、着てもいいのけ? 可愛ぇえな〜! ありがとう。ビーデルさ!」
 ビーデルを「おばあさま」と呼ぶことだけは止められたチチは、いそいそとバスルームに消えていった。
 そして、後に残された3人は。
「一体どういうわけなのか、順を追って話してください、おとうさん」
 悟飯の一言を皮切りに、あんまり言葉の美味くない悟空から、やっとの思いで事情を聞きだすことに成功した。薬のこと、それにいたるまでの事情。
 開発者であるブルマの言葉に間違いはない。ニ三日で薬の効き目はなくなると知り、みなほっとした顔になった。
「問題なのは、かあさんに記憶がないことだよね。僕のことも兄ちゃんのことも知らないわけでしょ。なんか変な感じだなぁ」
「でも、今の状況にあんまり疑問を抱いてないらしいあたりが、お義母さんらしいわよね」
 そうなのだ。チチという人は、あまり物事にこだわらない点では、悟空に匹敵するものがある。気にし始めると一から十まで気になるタイプでもあるのだが。
「……あんのぅ〜」
 遠慮がちの声が部屋の隅から聞こえた。一堂が振り返ると、そこには、ひらひらの黄色いドレスに身を包んだチチが恥ずかしそうに立っていた。
「かわいい!」
 まず悟天が一声。
「本当だ。すごくいいね。ああ、……パンがその服着てくれたらなぁ〜」
 母親であるビーデルと顔は大体同じなんだから、これくらい可愛くなるはずなのに……と、それに似た服を山ほど買ってきた張本人である悟飯は親バカな白昼夢を見る。
「よかった。びったりだったわね」
 ビーデルの言葉。そしてチチは褒め言葉に気をよくし、隠れていた柱の陰から出てきて、悟空に尋ねた。
「悟空さ、あの、……どうだべか?」
「どうって?」
「だから……その…」
もじもじしながら、チチは膝を交差させ、つま先で地面を掻く。「……似合うべか?」
「よくわかんねえけど、多分いんじゃねえか?」
「ほんとけ!?」
 キャv と喜び、チチは漸く胸を張る。どうやら他の誰の言葉より、悟空の一言のほうが大事なようだ。
 そして、みなはこれからどうするかを話し合うべく、お茶の用意をしてテーブルを囲んだが、この事態を気にも留めていない悟空は勿論、悟空さえ傍にいれば後はどうでもいいらしいチチも、会話に加わらないのでは、なんの進展もありはしない。
「はぁ……困ったけど…でも…うーん、なんとかなるかな〜」
 幾度目かの『どうしよう』の後で、悟飯は背を伸ばし、テーブルの隅に座っている二人の姿を眺めた。この家に遊びに来る父と母のためにしつらえた席。つい先日までは、壮年の父母が座っていた場所に、今は子供の二人がいる。
 それでも、チチがなにやら悟空の世話を焼きながら話しをしている姿は同じで、同時にひどく微笑ましくて、悟飯たちは肩の力を抜いた。
「ニ、三日の事だって話しだしね。……じゃ、僕は友達の家に泊まりに行こう。二人と一緒に居たら『何か起きそう』でとばっちりが怖いよ」
 言うが早いか、悟天はティーカップを片付けて席を立った。すでに結婚してこの家を持っている悟飯とビーデルとは違い、まだ高校に通っている悟天は、最近はもう家を出ることを考えているようだ。
「じゃあ、結局普段通りってことだね」
 悟飯は言った。チチや悟空や、それから悟飯は、時々こうして家に遊びに来て、帰っていく。今日もそういう普通の日になるはずだったのに、そうはならなくて、でも普通通りに事は進む、というわけだ。
「大丈夫かしら…」
 この中では一番常識的なビーデルは、頬に手を当てて考えたが、サイヤ人の血が入った男達の言うことは、ただ一言。
「ま、なんとかなるさ」
 それ以外であることが、あるはずもなかったのである。


 季節は夏。
 蝉時雨も鳴き止んで、宵闇。
 悟飯とビーデルの家を出た悟空は筋斗雲に飛び乗るとチチを引っ張りあげ、迎えに出た二人を振り返って手を振った。悟飯はとっくに出かけてしまっている。
「んじゃ、また明日な」
 チチがあんまり落ち込んで飯を作ってくれなくなってからこっち、ちょくちょくやってきていたのだが、この調子では明日も厄介になることになりそうだ、ということを踏まえての挨拶である。
「お世話になりましただ」
 チチはきちんと正座して、筋斗雲の上でペコリと頭を下げる。
「あんまり飛ばさないでくださいよ。おかあ……じゃなくって、チチさんが落っこちたら、困りますから」
「でえじょうぶさ」
 悟空は一つ頷いて、見送る二人を後に、空へ舞い上がった。
 星月夜。
 いつもよりずっとゆっくり目に飛ぶ筋斗雲と、涼やかな風。
 手を半ば筋斗雲にうずめて、チチはぽつりとつぶやいた。
「……なんだか、やけに長ぇ夢だなぁ〜〜」
夢? と悟空は振り返る。チチはその視線に気付いて、にこっと笑った。「こんな服着て、隣に悟空さがいて、筋斗雲にのるなんて。……これって夢だべ? 悟空さ」
 ね? と首をかしげて、チチはそよぐ風から乱れる髪を押さえ、空を見上げた。
「星もこんなに綺麗だし。おらが時々想像してた通りなんだもん」
 悟空は黙って、チチの声を聞いている。
「夢の中で夢の話、するのも変だけど。おらね、いっぱい悟空さの夢見ただよ。悟空さがね、おらと一緒に、城のひみつ地下道の探検したり、おらと一緒に恐竜のたまご見つけて、こーんな、おっきいのをゆでて食べたり、するんだ」
 悟空の背中が微かに笑う。だって、悟空は外見は子供でも、中身はもう、大人なんだから。
「つよ〜くて、悪いやつがおらたちの邪魔しても、悟空さがあっと言う間にやっつけちまうの。それにね……」
チチは、そこで一呼吸置くと、悟空の背中に頬を当てて目を閉じた。「大きくなった悟空さが……おらのこと迎えにきてくれるだよ。おらもそのときには背が高くなってて、すりむで美人になってんだ。でも悟空さは、もっと背が高くなってるだ。今日会った、あの人たちよりもずっとだぞ?」
 筋斗雲は低く飛ぶ。
 川のせせらぎが近づいてきて、もう家も近い。
「……それで?」
 悟空は笑いを含んだまま、珍しく自分から促した。
 でも、答えはなかった。その代わりに、すっかり疲れてしまったらしい、チチの寝息が聞こえ始める。
「小さくなりてえって言ってたくせに、今度は大きくなりてえって……」
チチの体が落ちないように、手首を引き寄せて、悟空は笑った。「おめえ、結構欲張りだなぁ」
「くー…、くー…。…むにゃ…」
 こんなに暢気なチチ寝息を聞くのは、久しぶりだなぁと悟空は思った。




 

 

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