お風呂に入ろう3

  


 頭の上にぽっかり浮かんでいるのは、半分よりちょっぴりふくよかになったお月様。夏の空気のせいで見事な山吹色をしている。
「は〜、きっもちいいな〜」
 夏の夜、とっぷりと日も暮れた所で、やってきたのはパオズ山の山頂付近に湧いている温泉だ。悟空は頭の上に絞ったタオルを乗せて、半分目を閉じている。
「風も涼しくなってきただしな」
手桶に湯を汲みながらチチが答える。「ほれ、悟飯ちゃん。目さつぶって」
 泡だらけの頭からざっとかけられた湯をプルプルっとふるって目をしぱたたかせて開くと、にっこり笑ったチチの顔が眼の前にあった。
「悟飯、体冷えちまうぞ、こっち来い」
 悟空が手招きしている。
「下が滑っから、気ぃつけてやって」
 悟飯はもう一人でも何とか歩けるようになったけれど、まだおぼつかない足運び。ちょっとハラハラしたようなチチの声に、悟空が身を乗り出して悟飯を抱き上げてくれた。
 ほかほかした体。悟飯は悟空の首根っこのところに抱きついて、家のお風呂よりも熱いお湯に足を浸す。
「一緒に来んのは久しぶりだなぁ、チチ」
 体を洗い始めたチチの方に顔だけ向けて、悟空が言っている。
「悟飯ちゃんができる前ぇだったけ? 最後に来たのは」
 岩の隙間の僅かなくぼみに膝を付いて首をかしげるチチの体は、湯に濡れてふっくらと滑らかで、悟飯はもう赤ちゃんではないのだけど、なんだか口の中がもぐもぐした。
「あん頃はおめぇもよぅ、一緒に来たのにこっち見んなとかうるさくってよぉ。なんつったっけ? …は、は……『は』何とかってのがあるだの無いだの」
「恥じらいのことけ? そんなら今だってあるだよ」
ちょっとむっとした様な、照れくさそうな顔をしながら、髪を結い上げ体を布で隠したチチが脇に滑るように入ってくる。「でも悟飯ちゃんがいるんだもの。そったらこと言ってらんねえべ?」
 悟空に抱っこされているのも好きだけど、やっぱりチチの腕の中の方が居心地がいいと思っている悟飯は、手を伸ばしてそちらに移動しようとしたが、話し中の両親は悟飯の仕草に気付いてくれない。
「じゃ、悟飯がいなかったらお前ぇまた、こーんな広ぇ風呂の、あーーっちの隅っこの方にへえるつもりか? また、出てきた猪に激突されっぞ?」
「あん時はたまたまだべ!」
 猪なんてそうそう出ない、とか、スゲエ悲鳴だったなぁとか、そんな会話を聞いているうちに、悟飯はなんだか体がぽかぽかしてきて、悟空の腕に絡めてバランスを取っていた尻尾から力が抜けてきた。
「うあっと、っと」
 ぐっと抱きなおされて、目が覚める。
「あっぶねぇなぁ、悟空さ! 悟飯ちゃんが溺れっちまうべよ〜」
「悪ぃ悪ぃ」
 頭の上で聞こえる声はまるで、夜眠る前に聞こえてくる囁き声のようで、ますます眠気を誘われる。
「……まだ悟飯ちゃんに温泉はちっと早かったべか?」
「あんまり温ったまんなきゃ平気なんだろ」
「まぁ、なぁ」
 またゆっくりと下がってきた瞼。かろうじて開いていると、水面にゆらゆら月が揺れている。
 山吹色で、あったかくて。
「なぁ、チチ」
「なんだべ?」
 食べてみたらどんな味がするのかな。
 触ってみたらどんな感じがするのかな。
「オラ明日はあれ食いてぇな、ほら、あの、卵…卵の……」
「? 目玉焼きけ?」
「それじゃなくて」
「玉子焼きけ?」
「でもなくて」
 プリン、茶碗蒸し、ホットケーキ。 次々出される卵料理の名前を聞きながら、悟飯は悟空の腕の中から水面の月に手を伸ばした。
「違う違う。オム…オム…」
真剣に悩む悟空は、空を指差し、見上げたチチは、頷いた。



「オムレツの事だな?」
「それだ!」


<END>
 


 

風呂、飯、寝る、遊ぶ しか思いつけない孫家の生活……
幸せそうナリ。
2003.8.29.

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