年の数だけ

 

 しんしんと冷え込む外の空気。春の香りはまだ少し遠く、でももうそろそろ…と期待してしまうそんな頃。
 パオズ山の麓に建った丸い屋根の小さな家でも、とある行事が行われようとしていた。
「へぇ〜。こっちの方では豆まきやんねぇんだな」
 フライパン山とパオズ山との距離は、直線にして約100キロほど。文化圏としてはごく内輪であるし、服装も言葉もさほど変わらない土地だ。しかし、中にはちょっとした違いも、知らなかった風習もあるようだ。
 なんだかいつもよりも酷くご機嫌な様子でフライパンを持つチチの後ろで、悟空はそのフライパンの中身に興味津々だ。
「ねぇなぁ」
フライパンの中では炒った大豆がぱちぱちとはじけ、えもいわれぬ美味そうな香りを醸し出している。「豆で鬼をおっぱらうなんてよ」
「豆撒いて、今年一年、家の中に悪ぃもんが入って来ねえようにするだ。悟空さ頑張ってけれな」
「おう」
 外に撒く時は『鬼は外』
 内に撒く時は『福は内』
 喉の奥でもぐもぐと繰り返しながら、炒ったばかりの豆を入れた一合枡をチチから受け取る。今度は口の中がもぐもぐ言ったが、撒き終わるまでは絶対に! 口をつけてはいけない。
「撒く前に食っちまうと……」
チチがニヤリと笑いながら、脅すように言ったのだ。「追い出すはずの鬼がお腹に入ってきて、どんなに美味いもんが目の前にあっても、何も食えねぐなっちまうんだからな〜」
 そんな事になったらもう、どうしたらいいか分らない。……と、玄関の扉を開けながら、悟空は身震いした。
「悟空さ? 寒ぃのけ?」
 後ろを付いてきたチチが悟空に尋ねた。
 豆を撒く時の風習というわけで、家中の窓という窓、ドアというドアを開け放っているので、冬の夜の気配が中まで忍び込んでいる。
 いつもより暖かそうな格好をしているチチでさえ、腕で身体を包むようにして寒そうだ。
 悟空は首を横に振った。
「でぇじょうぶだ。…えっと…まずは外に投げるんだな」
「んだ。鬼は外〜! ってな、今年いっぱい病気しねえように、力いっぱいやってけれ。」
「ようし、分った!『鬼は〜……………外おおぉおっ!!』」


 ビシビシビシビシッ!!!


 思い切り振りかぶり、投げられた豆という豆、一粒一粒が軽く100メートルは先で地面や木の幹に突き刺さる。
 豆というよりまるで散弾銃のようだ。潰れて消し飛んだ豆もある。
 普通の人間なら驚く所だが、すっかり悟空に慣れているチチは、きゃっきゃと喜んで悟空の服裾を引っ張った。
「あと他の窓からも豆を放るだ。そしたら今度は家の中に、福の神さんを入れてやるだよ」
「うん」
「今度はもっとずっと、そぉっとやるだぞ? 家の中穴だらけにするわけにもいかねえから」
 こじんまりとした家ではあるが、リビングに台所に寝室に、トイレの窓もある。
 悟空とチチはそれらを順番に回って、最後リビングの床に豆を撒いてしめくくった。
「これでいいだ」
チチは満足そうに言って、悟空を見て言った。「豆ももう食べていいだよ。落ちたのを年の数だけ拾って……」
「いいっ?」
その言葉を聞いた悟空が素っ頓狂な声を上げた。「年の数つったらおめえ、19粒しか食えねえじゃねえか! こんなにいっぺえ落ちてんのに」
 楽しみにしていただけにショックは大きい。
 だが、悟空の不満を予期していたチチは、軽くかわして言った。
「豆まきってのはそういうもんだ。食うために撒くんではねえんだから仕方ねえべ」
「とほほ……19粒かぁ…仙豆だったらめちゃくちゃ腹いっぺえになるのにな」
 リヴィングの床に座り込む悟空の傍に膝を折り、チチも豆を一つ一つ大事そうに掌に乗せていく。
「いいが、悟空さ? 一個食べるごとに、いっぱい幸せになりますように、って福の神さまにお願げえするだぞ?」
 その言葉の通り、チチは小さな小さな豆を、指先でつまんでは一粒づつ大事そうに食べ始めた。


「一つ… 今年一年いい年になりますように」
「二つ… 悟空さが病気なんかにならねえでいてくれますように」
「三つ… 悟空さが修行で大怪我しねえでくれますように」


 真剣そのもののチチの姿に、傍で見ていた悟空も、流石に神妙な顔になった。
 なんだか、目をつぶって一生懸命お祈りしているチチの顔が、照れくさくて見ていられない。
 だってチチが言うのは、何でもかんでも自分についての事ばっかりだからだ。
 悟空の大食いがちょっと収まりますように、なんてことまで言っている。
 悟空はチラッと手の中の豆を見て、それから思いなおしたようにチチの前に正座した。


「チチが美味い飯いっぺえ作ってくれますように」
 目を伏せていたチチが、きょとんとして顔を上げた。
 悟空はだが、本気で言っているようである。チチは思わず微笑んで、再び目を閉じた。


「悟空さが筋斗雲から落っこちませんように」
「チチがあんまし、『夕飯抜きだ』って言わねくなりますように」
「悟空さがうっかり拾い食いしませんように」
「チチ洗濯もんと一緒に川に落ちませんように」
「悟空さがおらの前でおならしなくなりますように」


「チチが…え〜と……チチが……」
 言葉に詰まって悟空は目を開けた。チチが片目を開けて、ころころと笑いながらこちらを見ている。
「もうなくなったのけ? おらできた嫁だだなぁ」
 笑われた悟空は、ほんの少し頬を染めた。
「まだあるさ」
「なんだべ? おらの事ならなんだって叶えてやるだよ。言ってみたらいいだ」
 ムキになるのが余計におかしくて、チチはくすくすと笑いつづける。
 悟空は、掌にまだいっぱい残った豆を、ぐいと口元に近づけた。
「チチが、ずっとオラと一緒に居ますように」
 ばくり。残ったたくさんの豆は、悟空のお腹にあっという間に消えた。
「………悟空さ…」
「もうねえや」
 それが豆の事なのか、お願い事の事なのかは分らない。
 食べた豆の数だけ。
 これから過ごしていく年の数だけ。ずっと。
 チチは、そっと最後の一粒を唇に触れさせた。
「おらも…。おらもお願いしよう。…悟空さとずっと一緒に居られますように……」
 もぐもぐとしっかり噛んで飲み込んで、願いが叶う事を祈る。
 それから二人して顔を見合わせ、照れくさそうに微笑みあった。
 
 
 そして……
「悟空さ…あんな、おら悟空さにいっこ話があるだ」
「ん?なんだ?」
 立ち上がってこの雰囲気を壊してしまうのが、何だか惜しくて、そのままじっとしていた悟空は、意味ありげな言葉に不思議そうな顔をした。チチはちょっと含んだような笑いを悟空に向けている。
 何だか変だ。いつもと同じチチのはずなのに、今日はどうしてか、酷く柔らかく見える。
 そういえばここ2.3日前から変じゃなかったか?
 いつもより食事が豪華だったし、修行で遅くに帰ってきても、文句を言われなかったし。
 悟空がそんな事を考えているとは梅雨ほども思わず、チチは懐から小さな袋を取り出して悟空に差し出した。緑の絹に赤い糸で刺し子され、小さいながら酷く手が込んでいる。見たことも無い袋だ。
「悟空さも豆拾って、これに幾粒か入れてけろ」
「なんだよ。おめえばっかずりいぞ」
 悟空はそれをチチが後で食べるのかと勘違いして、言った。
「違うだよ。悟空さってば食い意地ばっかりはって」
 チチはだが、言葉とは裏腹に苦笑してみせ、悟空の手に有無を言わさず袋を押し付けた。
 訳が分らぬまま、言われたとおりにする悟空と同じく、自分でもいくつかの豆を床から拾い、緑の小袋に入れる。
「……こんなちょびっとでいいんか?」
 元々がさほど大きくも無い袋だ。10粒入れる前にチチからもういいよと言われて、悟空は首を傾げた。
 チチは黙って頷いて紐を引き、袋の口をしっかり閉じると大事そうにそれを懐に仕舞いこみ、じっと悟空の顔を見つめて、それからまた少し恥かしそうにうつむいた。
「? …どうしたんだ? ぐえぇでも悪ぃのか?」
 チチは決して病弱なんかではないけれど、張り切りすぎたり、無理をしすぎたり、酷くショックを受けたりすると、反動で熱を出すことが時々あった。そんな時、チチは悟空に黙ってやり過ごしてしまおうなんて事をして、もっと酷くしたりと言う事もあったから、今回もそれか、と悟空はチチの額に手をやった。
 その黒く素直な前髪を大きな掌で掻きあげて、すっと額を寄せる。
 チチのまあるい額と悟空の額がコツンと当たる。
 チチは素直に目を閉じて、じっとしている。
「……熱はねえなぁ。でももう寝っか? ここんとこ寒みかったかんな〜」
 今のうちに一晩じっくり寝れば良くなるさ。と悟空は言った。悪い鬼も追い出してしまったことだし。
 だが、チチはゆっくりと目を開け、悟空の目をまっすぐに覗き込んだ。
「チチ?」
「違うだ。おら病気ではねえ。おら、やや子が出来ただよ」
「……へ?」
── 何が出来たって?
 聞きなれぬ単語に悟空は首を傾げた。
 チチはじれったそうに、しかし目を輝かせ、もう一度、噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「やや子が、出来ただ。…悟空さはおっ父になって、おらおっかあになるだよ」
 その言葉を口に出すことで、チチ自身にも喜びが沸いてきたようだ。
「何でオラが牛魔王のおっちゃんになるんだよ?」
「んもう! そのおっ父ではなくて、悟空さは……」
 チチは堪えきれなくなったかのように、悟空の腕に抱きついた。
 ベッドの上でもないのにチチから…悟空は驚いて身を固くし頬を染める。
 だがチチはそのまま悟空の手を取り、自分のお腹に持っていった。
「悟空さはここに居る赤ん坊の父親になるんだよ! 今丁度二ヶ月だって! 悟空さ、おらのお腹にやや子がいるだ!」
「ここに……?」
悟空はチチの下腹に触れたまま、チチの顔を覗き込んだ。「オラが? 父親に?」
 チチの暖かさが掌に伝わってくる
 この中に、もう一つの命があるというのか。
「んだ!!」
 チチは再び悟空の腕に抱きついた。
「そっか…オラの子かぁ…」
その時はまだきっと、悟空は自分に子供が出来たこと、その意味をまだよく分かってはいなかったに違いない。だが、チチの笑顔が、全身から湧き上がるような幸せそうな気が、悟空に伝わってきた。
 じわっと、なぜだか悟空の体にじわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
「そっか、オラの子か!」
 チチは微笑んだまま、笑顔になった悟空の顔を覗き込んだ。
「悟空さとおらの子だだよ! 嬉しいけ? 悟空さ?」
「おう! すっげえ嬉しいぞ! めっちゃくちゃ嬉しいカンジがする!!」
 尋ねてくるチチに大きく頷き、悟空は勢いをつけてチチの身体を抱きしめ、膝の上に抱き上げた。
「ひゃぁっ。乱暴しねえでけれ。お腹の子が吃驚するべ?」
 もうまるで母親のように、チチが悟空をたしなめる。
「オラとおめえの子だったら、これっくれえ全然平気さ」
 何せ、天下一武道会本選に参加する母と、優勝までしてしまう父なのだから。
 一緒に暮らし始めた頃は、男女の違いも子供の作り方も何も知らなかった。
 でも今はあの時よりもずっと、命が生まれる尊さを知っている。
 自分が居て、相手が居て、だから子供は生まれてくるのだ。
「悟空さってば、くすぐってえよ」
 強く抱きしめられ、頬擦りされて、チチの目に涙が浮かんだ。
「あはは…わりぃわりぃ」
 自分もうれしい。でも相手が喜んでくれるのが、何より嬉しい。
「おら、豆撒いて悪いものすっかり追っ払ったら悟空さに言おうって思ってただよ。おでれえたべ?」
悪戯気に笑いつつ、膝の上のチチは悟空の首筋に腕を回した。「そんでな、拾った豆は、おらの育った方では安産のお守りになるだ。悟空さが投げて拾った豆だもの、よっぽど強力なお守りになるに違いねえ」
「はぁ〜〜〜っ、そうだったんかぁ」
悟空は感心したように頷いた。回された腕に手を添えて、膝の上に乗ったチチを見上げる。「で、いつ生まれんだ?」
「秋。まだまだ先だだな、悟空さ待ちきれねえべ?」
 からかうような口調に、悟空は照れたように笑い返して言った。
「秋かぁ…楽しみだなぁ」
そしてふと気付いて尋ねた。「牛魔王のおっちゃんにはもう言ったんか?」
「まだだ。ついこの間分ったし、一番先に悟空さに言おうって思ってたもの」
 二人とも、牛魔王が孫をずっと楽しみにしていたことを知っている。
 このことを伝えたら、酷く嬉しがる違いない。
 孫可愛さにとんでもない事になるのはもう時間の問題だ。
「明日おっちゃんとこに行こうな」
「うん」
 二人は、微笑んだまま軽く唇を合わせた。
 幸せで、幸せで、勿体無いくらいのキス。
 何度も何度も繰り返す……内に。
「ご…悟空さ!」
 当たり前のように服裾を割ってきた手を、チチは慌てて止めた。「んっ、ダメ…っ、悟空さっ…」
「……なんだ? ヤなんか?」
 不思議そうに悟空が問い返す。夜なのに。
「だから…その……そこいら辺のことは、悟空さ習ってこなかったんけ?」
悟空の膝に抱えられたまま、チチは目をそらして頬を染めた。
 悟空はといえば、何を? と言う顔。チチは呆れたように額に手をやった。
「武天老師様も片手落ちだべ…こさえ方だけ教えて…。ブルマさのトコではきちんと勉強しただぞ…?」
 小さな呟きは、悟空の耳には届かなかったようで、チチは、頬を染めると覚悟を決めて悟空の耳に唇を寄せた。
「あのな……ごにょごにょ…で、ごにょごにょ…で、ごにょ……だから…。これからちっとの間、ダメだだよ…」
 『その旨』伝え終わり、チチはそっと悟空の顔色を伺うように、身を屈めた。
 案の定、動きが止まっている。
── そんな、ショックだったんだべか……。
 なんとなく嬉しいような、情けないような、でもやっぱりうれしいような、……情けないような。
「もうちょっとして、先生が大丈夫って言ってくれて、そんで悟空さが…えっと…おらにすっごく優しくしてくれたら……。そしたら大丈夫だからよ。それまで我慢してけれ」
 ちょっと強く言うと、悟空はぽりぽりと頬をかき、致し方なさそうに頷いた。
「う…う〜ん……仕方ねえな…」
 チチは、腰に手を当てて悟空を見る。
「こればっかりはな。……そうだ!悟空さもこれからおらと一緒に勉強するといいだよ」
それから、良いことを思いついた、というようにぽんと手を叩いた。「おらと一緒にマタニティスクールに通うだ!」
「ま…またねてい…る……??」
「マタニティだ。おらたち知らねえ事いっぺえあるもの。学校行くだ」
「オラ学校なんて嫌だなあ」
 本気で嫌そうな顔をする悟空。
 だがチチは、雑誌に載っていた記事を思い出してはしゃぎ出していた。目をきらきらさせて、手を組んでいる。
「水の中で『えあろびくす』したりすっだよ。面白そうだべ〜」
「えあろ……って?」
「子供生む為に体鍛えるだ」
 どうやらチチもあんまり良くは分っていないらしい。だが至極簡潔なチチの答えに、悟空もちょっと気が向いてきたようだ。
「明日おっ父のところに行くついでに、申し込みしてこよう、悟空さ」
「うん」
 マタニティスクールがどんな場所かも知らぬまま、素直に頷く悟空を、チチは満足そうに見る。
「面白いトコだとい…い…、…っ、…っっくしゅん!!」
 チチは大きくくしゃみして、辺りを見回した。
 そういえば、豆まきをしたまま窓も扉も開け放ってあったんだった。
 それで堂々といちゃついていたのだから、覗かれでもしたら大変な所だ。田舎とは言え、隣家もあるにはある。…軽く500メートルは離れているが。
 それに、2月の夜、まだまだ外は冷える。
「でえじょうぶか、おめぇ。ホントに風邪引いたんじゃねえだろな」
「ちっとも! おら風邪なんか引いてらんねえもの。窓閉めて豆片付けよう」
 大喰らいの夫に、子供まで出来るのだからなおさらだ。
 それでもちょっと鼻を啜る妻の顔を見て、悟空は微かに笑い、立ち上がろうとする身体を押し留めた。
「オラがやっといてやるよ。おめえにいっぺえ優しくしねえと、なんだろ?」
「ば……」
そういう意味で言った台詞ではないのに、とチチはいっぺんに頬を染めた。「ばっか、悟空さっでば……」
「そうだろ?」
 少し確信犯めいた目で、顔を覗き込まれ、抱き寄せられる。
「………うん……」
 そして窓は一つ一つ閉められて、家の中は再び温まっていった。
 孫家の住人がもう一人増えるのももう直ぐ後の、そんな冬の夜の事である。


<END> 



2月に二ヶ月。姫始め…? いやん♪
天下一武道会というのは、5月7日に行われるそうで。
MY設定で計算あってるといいなぁなどと思っています。
2003.2.3.
改→2003.2.4.

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