初デート


 

 昔々、フライパン山の麓の家のリビングで、チチは牛魔王にこう尋ねた事がある。
「おっ父。おっ父はデートしたことあっけ?」
「デ、デート?」
 大きな体を丸め、足の爪を切っていた牛魔王は、つぶらな瞳をぎょっとしたように見開き、それからちょっぴり頬を赤らめた。チチもそんなことに興味を持つ年頃になったのか。
―― それもそうだなぁ。チチももう15だ。
「したことはあっけども、何だ、いぎなし」
「やっぱしおっ母とけ?」
 尋ねてくるチチの手に封を切られた手紙が一通。この様子だと、どこの誰かからかは知らないが、お誘いがあったようだ。見目も可愛い娘だからそれも納得できる。
「おっ母以外とデートした事はねえなぁ」
 娘にそんなことを聞かれたら照れくさくなるのが父親というもので、無骨な指で頬を掻く。
「やっぱりそうけ……」
 ふと、牛魔王はチチの思い悩んだ様子に気付いた。
「どうかしたんか」
「ううん、どうもしねえだよ」
 チチはぷるると首を振ると、ついと立ち上がって自分の部屋に戻って行ってしまった。


それから、4年と少し。

「ごーくうさー!!」
 元気な声と共に包まっていた布団を剥がれ、悟空は唸って寝返りを打った。
「早く起きてけれ。夕べ約束したべ? 今日はデートすんだから!」
 肩を揺すられ薄目を開ける。
―― でぇと…って何だっけ……。
 天下一武道会が終わって数週間。悟空は牛魔王の家にすっかり居ついてしまったというか、居つかされてしまったというか。一日中目いっぱい修行しても、家に戻ってくれば毎日ご馳走が待っているのだから、帰りたくもなるというものだ。
「悟空さ、悟空さったらっ」
 腕を引っ張られ漸く起き上がる。いつもならガバっと起きられるのに、今日はすっかり気が抜けてしまっているのは、一週間以上も前から、修行を休んで一緒に居てくれと言われ続けた事が頭に残っていたからだろうか。
「もうっ、しゃんとしてけれよ、早くこれさ着替えて」
 腕に洋服の束を押し付けて、チチはあっという間に扉の向こうに姿を消した。
「……ふ、あぁあ〜〜…」
 伸びをして、ぼんやりした頭を振る。すると、だんだんと思い出してきた夕べのこと。
『明日な、この映画見に行ってな、それからここでご飯食べてこう』
『都の夜景ってすっげえ綺麗なんだって。楽しみだな、悟空さ!』
 ベッドに腹ばいになり、雑誌を脇に山積みにしたチチは、嬉しげな様子で次々ページをめくっていた。
 悟空はと言えば、隣で同じ雑誌を覗き込み、一応は頷いているのだけど、風呂上りの上に腹がくちくては、眠くなるのが道理で、うとうとして耳をつねられるばかり。
 そんな訳で寝不足気味の悟空は、大あくびをしながら腹を掻きベッドを出た。チチが置いていった服を持ち上げ試すがえすし、シャツに頭を突っ込んでズボンを履く。
 チチと牛魔王と一緒に暮らすようになってから変わったことの一つが、こういった身なりについてだ。北で修行しているときは北の民族風に、南で修行していたときにもそれなりに、思い返せばいつだって「郷に入っては郷に従え」だったけれど、チチは悟空を村の服屋に連れて行き、こういう風に言ったのだ。
『悟空さ、どんなのが着てえだ?』
 自分で着るものを考えるなんて事今までに一度だって無かった。だから悩んでしまって。
『普通のでいいよ』
『普通じゃわかんねぇだ。おら良く考えたら悟空さが道着着てるとこしか見たことねぇんだもの』
 言いながら生地を選ぶチチの後姿を見ながら悟空は、着るものって自分で選ぶものなんだなぁと初めて知った。
 それからそんな事が幾度かあって、悟空も迷わず自分の着たい服を選べるようになったけれど、今渡されたのは、あの時チチが作ってくれた東方風の胞でもないし、悟空好みのTシャツにジーンズ又はハーフパンツ、という感じでもない。
 勝手が分からぬながらも着替えてダイニングに行くと、チチがお玉を持ったまますっ飛んできた。
「これは後! 飯食ってる合間に汚されちまったらたまんねぇべ!」
 羽織ったばかりのジャケットを脱がせようとする。
「なんだよ、着ろって言ったり脱がしたり……」
 思わず漏らしながら腰を下ろすと、牛魔王が新聞の端からちらりとこっちを見て、面白い物でも見たという顔をして笑った。
「結構似合うでねぇか。チチが選んだ服ってそれけ?」
「そうなんだけどよ。なんか上手く肩がまわんねぇんだ」
 悟空としては正直な意見を言ってみたつもりなのだが、牛魔王はまた少し笑っただけだ。
「まぁ、今日はチチの好きにさしでやれ。デートすんだって張り切っでだだがらな」
「悟空さ! 待ち合わせ12時だかんな! 忘れちゃなんねぇぞ」
 チチは2人の会話はお構いなしにそう一言いい置いて、部屋に引っ込んでしまった。
「うーん…」
悟空はその背中を見送りながら微妙な顔つきをする。朝からいつもと違うチチの様子やら自分の格好が腑に落ちないらしい。「オラ……『でぇと』よくわかんねぇよ」
 不安げな声の調子に、牛魔王は肩をすくめ新聞を畳んだ。
「まぁ……なんとかなんべぇよ」



 街は別にキライでも無いけど、あんまり得意でもない。だからいつもは筋斗雲に乗って上を飛び抜けてしまう。
 6月の空は快晴。けれど普段は着ない長袖のシャツなぞ着せ付けられた悟空にとっては多少蒸し暑く、既に首元のボタンも袖のボタンも大きく外してしまっていた。
 東の都は西に比べたらそれほど大きくは無い。回りを山に囲まれているせいかもしれない。
 街の上に差し掛かると、悟空は筋斗雲からかなりの高度で飛び降りて、ト…ッと地面に降り立った。
 チチとの待ち合わせは映画館の前である。だが悟空は映画館がどこにあるか知らなかったので、辺りをゆっくり見回した。
 そんな悟空の脇を、人々がすり抜けていく。皆足早で、忙しそうに見えるな、と悟空は思った。
 そこで悟空は、すぐ傍を通りかかった女性の肘をひょいと捕まえた。
「なぁ、映画館ってドコにあんだ?」
 女性は弾けるように振り返った。悟空のしたことは性質の悪いキャッチセールスと間違えられても仕方ないやり方だったのだから仕方ない。だが女性は、悟空の頭の先から足の先までまじまじ眺めてから、どう判断したのか、気安く頷いた。
「知ってますよ。連れて行ってあげましょうか?」
「うん、頼む」
 そこからゆっくり歩いて10分ほど。辿りついた映画館の前にはまだチチの姿はなかった。
 チチは悟空が朝食を食べ終わった後もまだ部屋の中でナニヤラごそごそやっていたし、悟空の方が先に家を出たし、何より筋斗雲の方がジェットフライヤーよりも断然早いのだから、当たり前の事といえば当たり前だ。出掛けに持たされた腕時計に目をやっても正午までにはまだもう少し時間があった。
「待ち合わせの相手はまだ来ないの?」 
 案内してくれた女性は、悟空よりも大分聡かったらしく、その仕草一つで悟空の予定を見て取った。
「んー。そうみてぇだ。ありがとな」
「ええ、それじゃあね」
 ひらひらと手を振って立ち去っていく。
 チチがやってきたのはそれからすぐだった。
 ぼんやりと立っている所に、通りの向こうがざわついた気がして顔を上げると、涼しげなワンピースを着、黒髪を梳いて軽やかに背中へ流したチチが駆けて来たのだ。
 街の外で機体を仕舞ってきたのだろう。額にうっすら掻いた汗を手の甲で拭って、悟空の前で立ち止まった。
「待ったけ? 悟空さ」
「いや、別に」
 その受け答えは、もうチチがずーーっと前から夢見ていたそのものだったのだけれど、悟空にそれが分かろうはずが無い。全開の笑みを向けられた後には腕を引っ張られて映画館の中に連れ込まれていた。
 映画っていうのは、広くて真っ暗なところでテレビを見るという事だった。チチが選んだのは悟空にはちょっと内容の理解できない『レンアイエイガ』とか言うやつだった。それで悟空は、多分他の映画を見ても結果は同じだったのだろうけれど、館内は暗いし音楽はかかってるし、その上ちょっぴり寝不足だしで、結局いびきを掻きつつ眠ってしまったのである。
 けれど今、昼の明るい表通りに面したレストランの片隅の席で、向かいに座ったチチは悟空のことを見ながらにこにこしている。さっきまでは確かに不機嫌だったのだが。
「美味いけ? 悟空さ」
「うん、美味ぇよ」
 一緒に暮らすようになってから一月あまり。一体何がいけないのかまでは分からないが、チチが怒る原因の元は、大部分が悟空で、たまにテレビで、ごく時々牛魔王である。と悟空は学習した。
 じゃあ今チチの機嫌が直った原因は何なのかなぁと思いながらも悟空は手を休めず飯をかっ込む。
 チチの方はそういう悟空の姿に笑みを誘われているのだけれど。
「さっき、映画館からここまで来っ時にな」
ストローを咥えていたピンク色の唇が動いて、頬を同じ色に染めたチチがちょっぴり上目遣いに悟空を見た。「みーんな悟空さの事見てただよ。やっぱしおらのこーでぃねーとが良かったんだなぁ!」
「何で知らねぇ奴がオラのこと見んだよ。オラ何かおかしいか?」」 
 ちゅるん、とスパゲティを啜って悟空が尋ねると、分かってねぇなぁ、悟空さは。と言われた。
「おかしかねぇだよ。格好いいから見られんだってば」
 その視線の半分は、きっと悟空の為に一生懸命おしゃれしたチチの方に向けられていたのだろうけれど、チチはそうは考えなかったようだ。ぽっと染まった頬を手で押さえて嬉しげに言う。
「おら自慢だべ〜。悟空さおらが考えてたよりもずっと素敵なんだもの」
「ふーん」
 気のなさげな返事も、チチのご機嫌を損ねる事はない。その証拠にいくらお代わり頼んでも大丈夫だった。



「ひゃー。食ったな〜」
 満腹になった腹を抱えて店をでると、つい、とチチが傍に寄ってきた。映画館を出たときもそうだったけれど、なんでこの暑いのにひっついてくるのやら。
「後どうすんだ? もう帰ぇるか?」
 飯も食ったしな。と言ったらとんでもねぇ! と反対される。
「デートってのはな、悟空さ。2人で夜景さ見たりとか、夜明けの海さ見に行ったりだとかするもんだだよ。だから今はまだまだ途中だべ」
「夜明けまでいると何かいいことあんのか?」
 何か打ち揚げられてくるのかな、という期待と、満腹になった事で忘れかけていた『デート』に対する不安がまた持ち上がる。
 チチはそんな悟空背をバシンと叩いて激しく照れた。
「やんだもぅ、悟空さったらっ。……でもおら達もう夫婦なんだもの、朝帰りしたって……」
もじもじと下を向くチチなのだけれど、朝帰りの本質を理解しているわけではない。2人きりで丸一日過ごすのはちょっと、気恥ずかしいものなんだと考えているようだ。「でも、おっ父が心配ぇだし、ちゃんと帰ろうな」
 悟空がその言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろしたのにも気付かずに、チチは歩道脇のショウウィンドゥに並ぶ服やら靴やら眺めて、絡めた悟空の腕を引いた。
「悟空さ、きっとあれも似合うだよ」
「ん〜…」
 チチも見るだけで足を止めることをしないのは、雰囲気を楽しんでいるだけなのだろう。
 時々、チチの頭が肩先に寄りかかってくる。避けようとすると足がもつれるだけなので、もう好きな様にさせておく。
 ウィンドウには、自分達だけではなくて、同じように腕を絡ませて歩いていく幾組かの男女も、腕を組んでいないのも、一人でさっさと歩いて行くものも映っている。悟空は品物を見るよりはそういった周りの風景をぼんやりと眺めていた。
 いつもやっている事とは確かに違うけれど、道端で売っている色んな食べ物を食べる事も出来るし、まぁデートっていうのも思ったよりは悪くはないな、と悟空が思い始めた、その時だった。
「あら」
 連れだって入った公園に、さっきの女性が居た。なにをしていたのか一人だったけれど、悟空の姿を見かけて、思わず声を上げたものらしい。悟空より先にチチが振り返ったのをみて、ちょっとばつの悪そうな顔をした。
「彼女かしら?」
「彼女ではねくて、妻ですだ!」
 チチのきっぱりとした眉が上がって、悟空とその女性の間に割り込む。
「あ…あら、ご結婚されてたのね」
「うん」
 けろっと答えた若い悟空と、もっと若くみえるチチを感心したように見比べる目をして、女性はそそくさと立ち去っていった。
 悟空は気にせず先に行こうと歩き出そうとしたが、ぐいと腕を引かれた。見ればチチが足を踏ん張って悟空の腕を掴んでいた。
「今の、悟空さの知り合いけ?」
「あ? うーん、誰だっけな〜?」
 チチの低い声には気付かずに、悟空は考える。
「あっちの人は悟空さの事知ってたみてえだべ」
「ああ」
その時、相手のことを思い出せたのは、悟空にとっては勿論珍しいことだった「そういや一緒に映画館行った」
『一緒に』
『映画館に』
『行った』
 チチの脳裏にその一言一言が浮かんで消えた。
「チチ……?」
 きちんと答えたのに、俯いてしまったチチの足元に、やがて、ぽと、ぽと、と何かが落ち出した。
―― 雨か? 
 悟空は空を見上げ、真っ青な空が頭上に広がっていることに首をかしげた。
「………?」
 上半身を傾け、チチの顔を覗き込む。
 ぽと、ぽと、の正体は、チチの大きな長いまつ毛とすべすべした頬をつたって落ちてきた涙だった。悟空は心底驚いて身を堅くする。
「……悟空さは、おらとのデートが初めてのデートではねぇのけ?」
「オ、オラ、でぇとは今初めてだぞ!?」
「さっきの人と一緒に映画館行ったって、今言ったでねぇけ!!」
 きっ、と顔をあげ、チチは悟空の顔を見上げた。
「行ったけど。それが何か悪ぃ事だったんか? だとしたらオラ、謝るからさ」
 チチが怒ったり笑ったりするところは見たことがある。
 でもチチが、声を殺して静かに泣いたことなんてない。「……別に、いいだ」
「へ?」
「謝ってくれなくっても、おら、いいだ。だって、おらが勝手に……」
 思い込みしてたんだもの。と踵を返しながらチチは言ったが、声が小さすぎてあいにく悟空の耳には届かなかった。 
 悟空は、ぽかんと口をあけたまま、チチが麻の手提げからカプセルを取り出してポンと投げ、出てきたジェットフライヤーに乗っかって、フライパン山の方へ飛び去っていくのを見送った。
「……なんだよ……??」
 チチのすることはよく分からない事が多いけれど、でも、チチがこんなに分からなくて、こんな気持ちにさせられるなんて初めてだった。


 悟空がフライパン山に戻ってきたのは夜もとっぷり暮れてから。
 カプセルハウスの中はシン…としていて、この時間ならいつも漂ってくるはずのいいにおいも、チチと牛魔王の話し声も聞こえない。
 自分らしくもなく拒まれているような気がして扉を開けるタイミングを取り損ね、外でうろついていると、そっと中から扉が開いて、牛魔王が顔を出した。
「悟空さ」
手招きされて、家に入る。台所に目を走らせて見たけれどそこにチチの姿はなかった。「チチなら部屋に居っがらよ」
 廊下を渡って突き当たりがチチの部屋……今ではチチと悟空の部屋なのだけれど、その扉をうすく開き中を覗き込む。暗い部屋の端にあるベッドの上に、チチがこっちに背を向けて、どうやら眠っているようだった。昼間着ていた白い服が暗闇に浮かんでいる。
 ベッドの端に腰掛けて、合わない靴と服を脱ぐ。チチのすぐ傍に手を置いて、向こうを向いている顔を覗き込んで見たけれど、チチは気付かずに、力の抜けた体で微かに寝息を立てているだけだ。頬っぺたに涙の跡が残っていたので、まず指で擦ってみたが落ちなかった。
 戻ってきたそのまま泣き疲れて眠ってしまったのだと、ちょっと考えれば分かる事なのだし、悟空の態度一つでチチの気持ちをほぐす事など訳ないのに、悟空にはやっぱりそれが分からずに、昼間っから抱えたままの『変な気持ち』のままチチの隣に寝転んだ。
 ……そして、うとうとし始め、夢を見た。

 夢の中で悟空は、小さい子供で。割と幸せな毎日を送っていた。
 やがて夢は、祖父である孫悟飯が突然、その生活の中から居なくなった所に差し掛かる。
 山の上の小さな庵に戻っても、誰も悟空を待ってはいないもので、悟空はその後数日一人でご飯を食べて、それからしばらくの間、庵に帰らなくなった。





「……さ、悟空さ」
 ぺちぺち、と頬を叩く柔らかな感触。
 ゆっくり目を開けると、10センチとちょっと離れた位のところに、チチの顔があった。先ほどより一層部屋は暗くなっていて、思っていたよりもずっと長く眠っていたらしい事に気付く。
 チチは悟空が目を覚ました事を知ると、手を引っ込めて困ったような顔をした。
 どうしていいか分からないという顔をしたのはチチだけではなくて、悟空も同じ。
 横たわる悟空の上に覆いかぶさるようにして彼の顔を覗き込んでいたチチは、何か言いかけて止め、また居心地悪そうに目を反らしてから、再び意を決したように悟空の額に手を添えた。
「……うなされてただよ?」
「オラがか?」
 目を覚ました途端に、夢の内容などすっかり忘れた悟空は、驚いた調子で尋ね返した。
「うん。でえじょうぶけ?」
―― オラは別に平気だけどよ。
 悟空はまっすぐ目を覗き込んでくるチチの頬に何気なく手をやった。さらりとした黒髪が手の甲に掛かる。
「おめぇは?」
「おら?」
「もう泣かねぇか?」
「…………。」
 チチは黙って俯いて、暫くしてから体を傾け、寝転んだ悟空の肩先に額をトン…と置いた。
「チチ?」
「おらね、初めてのデートは悟空さとすんだって、ずっと前ぇから決めてただよ。」
囁き声でチチは言う。ほんのり暖かい吐息が肩の辺りに掛かる。「だから悟空さがさっきの人と一緒に映画館に行ったって聞いたらショックだったんだ」
「ゴメンな」
 するとチチは苦笑混じりに悟空の胸元を軽く叩いて身を起こした。
「これ、分かってねえ癖して謝ったらダメだべよ」
「そうか?」
「そうだ」
 それからチチは、何で泣いたのか、先に帰った事を謝りながら悟空に話してくれた。
 チチは悟空と一番最初に『でぇと』とやらをしたかったらしくて、でもそれだけじゃあなく、悟空もチチより先に他の誰かと『でぇと』していない方がもっと嬉しかったらしい。
 チチの説明を聞いてもまだ悟空にはちょっと、その微妙な心理は理解できなかったのだけれど、分かった。と言って頷いた。頷くより他にどう答えてやればいいものか分からなかったのだ。
 チチが隣に横たわってくる。
 悟空はチチの方に体を屈めて、さっき落ちなかった涙の跡を舐めてやった。
「ひゃっ…」
 くすぐったそうに体をすくめるチチの肩は細い。
 頬っぺたを最後に掌でもう一拭いすると、すっかり綺麗になったようなので体を離した。
 チチは、黙ったまま何か考えている様だった。悟空は腹が減っただの何だの言い出さずに待っていると、やがて、消え入りそうな声で聞いてきた。
「――悟空さ、あのね。……おらとデートすんの懲りちまった?」
「ああ、う、う〜ん……」
 答えに詰まっていると、チチはまた落ち込んだような声でぽそりと呟く。
「……あの女の人と一緒に行ったときの方が面白かったけ?」
「そんなん分かんねぇよ。おめえと待ち合わせたトコまで連れてってもらっただけだもんよ」
「へっ!?」
チチは俯いていた顔を上げ、まじまじと悟空の顔を見つめた。「ちっと待ってけれ。悟空さ今んとこもういっぺん言ってけろ?」
「そんなん分かんね…」
「そん次だべ!」
 首をガクガク前後に揺すられる。
「ま、ま、ま、待ち合わせたトコまで……」
「案内さしてもらっただけなのけ!? じゃあ、映画一緒に見たんはおらが初めて?」
 映画を見たのすら初めてなのだが、揺すられながら辛うじて頷くと、チチは悟空の胸元を離してパタンと腕を枕に落とした。
「悟空さってば……」
「げほ、げほっ」
 開放された気管を押さえて咽こむ前で、ぽふっとチチは枕に顔を埋めて、そのまま枕を抱きしめた。
「……莫迦」
「…けほ…っ」
 最後に一つ咳をして、悟空はうつぶせたチチの様子を眺める。
―― また怒らせたんかなぁ……。 困った悟空はぽり……と頬を掻き、チチの背中をぽんぽん、と幾度か叩いてやった。
 チチがその手を握ってくる。
 
 こんなときは。
 もうチチの気の済むまで、『ひっつかせて』おいてやるのが一番なのだと分かるくらいには、悟空もチチに慣れてきた。
 そんな、同居一ヶ月目の夜のこと。
 悟空はこの家に来て初めて夕食抜きで寝ることと、なったのであった。

<END>


 

初めてのデート。なんか書いてて難しい話でした。
後半が恥ずかしいカンジ。
でも、自分が読むならもっとラブラブしてるのがいいなー。(照)2003.09.11.

 


inserted by FC2 system