天下一武道会 その後


 

 さっきっから蝉みてぇにずーっと張り付いてて、はがれねぇ。
 オラのこと木か何かだと思ってんのか? オラ、腹減ったから飯食いてぇのに。これじゃ箸も持てやしねぇぞ。
「悟空よ、これからどうするつもりだ?」
 じっちゃんに聞かれて、オラは答えた。
「どうすっかな〜」
 修行するのはあたりまえ。取り立てて向かう目的地もない。
 すると、くっついてたチチが言ったんだ。
「だったら、おらの家にきたらいいべ。いおっ父も悟空さに会いたがってるし、それになんてったって、悟空さはおらの旦那様だもの」
「じゃ、そうすっか。……おーい、筋斗雲ー!!」
来た来た。お前を呼ぶのも久しぶりな気がするな。「おめぇんちで美味いもん食わせてくれるんか?」
 チチの手を取って筋斗雲に乗りながら、尋ねると、チチは得意げな顔になって答えた。
「花嫁修業はバッチリだべ。たーんと美味いもの食わしてやるから楽しみにしてるといいだ」
「ほんとか!? よし、急ぐぞ筋斗雲!」
「なんと…筋斗雲に乗れるのか」
 じっちゃんの声に振り返り、オラは皆に向かって言った。
「じゃ、またな!」
 あとは、米粒くらいにちっちゃくなって、あっという間に見えなくなった。
 筋斗雲に乗ってからも、チチはぴた〜〜〜〜っとオラにくっついてる。
 そりゃ筋斗雲はそんなに広くもねぇけど、そんなにひっつかなくっても落ちやしねぇのに。
「悟空さ…おら幸せだべ」
眠そうな声でチチが言ったら、オラの腹の虫がぐぅって答えた。「もうっ、悟空さったらムードってもんがねぇなぁ」
 チチが怒ってるのか笑ってるのか、分らないような顔をしたもんだから、オラつい、まじまじ見ちまった。
 黒くて長くてさらさらした髪。それに、でっけぇ目。
 言われて見れば、あんときのチチだ。
 でも、こんなにでっかくなるとは思わなかったな。それに細っこくなっちまって。昔の方が強そうだったのに、修行サボったんだろうか。
「ムードって何だ?」
 オラが尋ねると、チチは少し考え込んだ様子を見せて、それから顔を真っ赤にした。
「そ…そんなの悟空さが考えるだ」
 オラ、考えるのは苦手だ…って、そういう気持ちが伝わったのかな。しばらくしたらチチがもっと擦り寄って来た。
 ふわっ…と、汗の香りがする。でも…なんか…オラの知ってる匂いとは違う。香水みたいにくさくもねぇし、でもオラとは違う匂い。
 快調に飛ばす筋斗雲の風に煽られて、チチのぱっさり切りそろえた前髪がなびく。
 そういえば、さっきチチを場外に落としたとき、額を打っていたみたいだったなぁ。
 気になって、額に手をやると、チチが吃驚したように身体を強張らせた。痛かったんかな。オラ、手加減したつもりだったけど。
 チチは、あんまし強くねぇみてぇだから、力の加減に困っちまう。
 多分すりむいたんだろう、血が滲んでいたから、舌で舐めてやった。大抵の傷はこれで治るってじっちゃんが言ってたしな。
「ご…悟空さ……」
 気付くと目の前にチチの顔があった。顔が真っ赤で、目が潤んでいて。
「どうした。熱でもあんのか」
 それは困る。チチが料理を作ってくれるはずではなかったのか。
「…はずかしくって、もう死にそうだべ」
 恥ずかしいのと死ぬのと、どう関係があるんだ? オラにはさっぱりわかんねぇ。でも、死なれたら困る。それは困る。
 オラはチチの身体を抱き寄上げて筋斗雲の上に立った。倒れられたら筋斗雲から落っこちちまう。
「しっかりつかまってろ、もう直ぐ牛魔王のおっちゃん家に着くかんな」
「ち…、 違…う  悟…空…ざ …ってば!!」
 チチがなんか言ったみたいだったけど、最高スピードにした筋斗雲の上では耳を切る風の音しか聞こえない。
「急げ! 筋斗雲!!」


***


 あんなに具合が悪そうだったのに、ぴんぴんしてるのはどういう訳なんだろうなぁ。
 牛魔王のおっちゃんの話を聞きながら、オラ、気になって台所に立つチチの背中を見ていた。
 でっけぇ鍋とでっけぇフライパン。かまどから出てる火は、あんとき消した火の名残だって話だけどさ。
 亀仙人のじっちゃんが、山ごと城をふっとばしたから、おっちゃんはあれからカプセルハウスに暮らしてるんだってよ。おっちゃんにはちっと狭い家の気がするけど、そこは「チチが嫁にいっちまうのは分ってたからなぁ」なんだそうで、オラ、わからねぇことだらけだ。
 分るのは…このいい匂いの事位だな。
 腹の虫が大合唱。さっきっから気もそぞろ。
「チチ〜まだか〜? オラ腹減っちまってもう力がでねぇよ」
「もうちょっと待つだ。腹減ったら減っただけ、ご飯も美味くなるだよ」
 振り返りもせず、チチが言う。
「ははは、もうすっかり夫婦みたいだな。さて、所で式はいつにする。いやいや、新居のことなら心配いらねぇべ。宝物つかってパオズ山の上に一軒建ててやるから」
 おっちゃんはもう酒を飲んでるし、オラも、飲んでる。
 だから余計に腹が空くんだよなぁ。
「ほれ、出来ただよ! たーんと食べるだ!」
「ひょお〜!!」
目の前にどっかんと置かれた食いもんの山。い〜匂いだ、しかも…「うっめぇ!!」
「ほんとにそう思うべか?」
 オラの顔見て、席に着いたチチが言う。うそなんかついたってしょうがねぇだろ?
「町で食ったもんも、ブルマんちのもうめぇと思ったけど、これがいちばんうめぇ」
 口いっぱいに頬張って言うと、チチがすっげぇ嬉しそうな顔をした。
「そりゃそうだべ。おらの愛情が一杯入ってるもの」
 そして、オラの顔にくついた飯粒をちょいと取ってぱくっと食べた。……昔おんなじこと、じっちゃんがしてくれたっけなぁ。
「悟空さの顔ばっか見てねぇで、おめぇも食ったらどうだ、チチ。酒はいるか?」
 おっちゃんがチチに言うのを、茶椀の陰からのぞき見る。促されるままチチが酒を飲んで、さっきみたいにホッペを赤くした。
── 酔っ払ってたんかなぁ。
 筋斗雲の上での出来事を思い出して、オラはそう思った。酒も飲んでねかったのに、酔えるなんて器用なやつだ。


***


 腹いっぱいになって、眠ってしまった悟空と、ほろ酔いになってうとうとしているチチの身体を担ぎ上げ、牛魔王は食卓を後にした。
「まさか本当に嫁に貰いに来るとは思ってもみなかったべ」
 心のどこかで、娘は置いていかれると思っていた。昔々に出会った悟空という少年は、まっすぐ前だけを見る目をしていて、チチのことなど思い出す事はないかもしれないと、そう思っていたのだ。
 チチと悟空を同じ寝床にねかせて、じっと娘の顔を見る。
「うーん…むにゃむにゃ…悟空さぁ……」
── 随分おっきくなったもんだ。
 この数年間の、娘の一途な思いを牛魔王は見てきた。母親が居なかったもので、つい強くあれと育ててしまったが、にも反してとても女の子らしく育ったと、自分では思う。
『悟空さに、美味しいって食べてもらえるように、料理の勉強するだよ』
『アイロンかけだって、上手でなければなんね』
 ともすると、男勝りになるかもしれなかったチチが、こう育ったのは悟空のおかげ以外の何者でもないだろう。
 だがそんな娘の横顔には、時々影がさした。
『……悟空さ、いつ迎えに来てくれるんだべ……』
 何もいえなかった。
 だが今、娘の手が、無意識なのか悟空の服裾を掴むのを見て、牛魔王はほっと胸をなでおろす。
 娘は、多分これからちょっぴり苦労する事だろう。悟空という若者が、普通の人生を過ごす運を持っているとは、到底思えない。
 けれど、娘はそれでも悟空についていくだろう。
「うらやましいくれぇだべ」
 亡き妻を思いながら、牛魔王はそっと部屋の扉を閉めた。


***


 あれ…ここどこだったっけな…。
 目を覚ましたら、目の前にチチが居てオラちっと、頭がくらくらした。
 これが二日酔いってやつだって知ってるけど、早起きして修行すんのは、じっちゃと暮らしてた頃から、当たり前にやってきたことだ。起き上がろうとしてオラ、チチの手が服を握ってるのに気付いた。
 随分良く眠っているようだから、そっとほどいて行こうとして、夕べの飯の美味さも思い出した。
 ここでチチを起こしておけば、修行から帰ってきた頃にはまた美味い飯が出来てるはずだ。
「チチ、チチってばよ。起きろ」
「ん…もう朝だべか…?」
 目を擦った後、ぱちっと言う音がしそうな勢いで、チチが目を開けた。
「オラ修行にいってくっからよ。またあの美味いの一杯作っといてくんねーか」
「ど…、ど……」
「ん?」
 まだ酔っ払ってんのか。と思ったら、えらい勢いで平手が飛んできた。
ぱちーん!!
 殺気なんて感じてなかったせいか、どういうわけだかオラ、それを避け切れなくて思いっきりくらっちまった。
「いて〜」
「どうしておらと悟空さが一緒の寝床で寝てるだ! ま…まだ式さあげてないのにっ」
「式? 昨日おっちゃんが言ってた奴のことか?」
「やや子ができちまったら、どうしてくれるだ!! こっぱずかしい!」
 チチってばすげぇ怒り方すんのな。オラ昨日の武道会の時の事も一緒に思い出して、ぽかんとしちまった。
「やや子ってなんだ? 食えんのか?」
「バカっ! 自分の赤んぼ食う気か! それでも悟空さは人間か!」
 なぁんだ。子供の事か。いくらオラだって、人まで食いやしねぇぞ。
 でも、それとこれとどう関係があるのかさっぱりわからねぇ。そう言ったら、チチはしばらく押し黙った後で、口を開いた。
「…一緒に寝ると、やや子ができるだ。…知らねぇだか?」
「じゃ、おめぇの腹にはもう出来たんか」
「……出来たかもしんね」
 チチは、気恥ずかしそうにオラの顔を見上げて、小さい声で言った。
 へぇ。オラの子がこれでもうチチの腹ン中にいるんか。へぇ〜〜〜。
「良かったなぁ。チチ」
オラは言って、チチの腹を撫でてみた。まだ何も入ってねぇ気がするが。「これでオラも父ちゃんだ。チチは母ちゃんだな」
 するとチチは、俯いていた顔を上げて、オラに聞いてきた。
「悟空さは、嬉しいって思ってくれるだか?」
「当たりめぇだろ?」
 答えてからオラは、漸く気が付いた。
 オラ、チチと結婚するんだから、チチが家族になるんだなぁ。
 夕べ、チチがオラの頬にくっついた米粒食ったとき、そういえばそう思ったんだ。
 じっちゃんが死んでから、オラ、朝起きたら誰かと一緒なんて久しぶりだし、あれをされたのも久しぶりだった。
 そんで、子供が出来たって? したら、子供も家族じゃねぇか。一日で随分増えたもんだな。
 思わず顔が緩んだら、チチにもそれが伝染したみたいに、チチの顔がぱぁっと明るくなった。
「そうけ? …新婚の間はって思ってただが… 悟空さが嬉しがって呉れるなら、おらも嬉しいだよ! …ちょっぴり恥ずかしいけども」
 と、そこに躊躇いがちのノックが聞こえて、オラ寝床から出た。
「おう、もう起きてただか」
 牛魔王のおっちゃんが、手にこぉひいのカップを持って立ってた。オラあのこぉひいってやつは、苦くて駄目だったけど、最近は飲めるようになった。
「おっ父」
チチがオラの横をすり抜けて、おっちゃんに駆け寄る。「喜んでけれ。もうややが出来たかもしんね」
 ブーーーー!!!
「なんだよ、きったねぇな、おっちゃん」
「…や、ややって…悟空さ、案外手が早ぇかったんだな」
 噴出した珈琲を袖で拭いながら、おっちゃんが言った。
「名前考ぇて貰うのはおっ父でいいか、悟空さ?」
 そっか。名前も付けなきゃなんねぇんだな。
「オラ、なんでもいいぞ。それよかいつ生まれるんだ? 今か? それとも明日か、あさってか?」
「バッカだなあ悟空さは。やや子が生まれるには十月十日掛かるだよ」
「ふーん。ピッコロの卵とは訳が違うんだな」
「…言っとくけど、おら、卵生むわけじゃねぇかんな」
 また眉の間に皺を寄せる。こいつって、一杯顔が変わって面白れぇなぁ。
 それに、いい匂いもするしな。
 ずっと傍で寝ていたせいか、自分の身体にくっついたチチの匂いが分る。途端にグゥっと腹がなっちまった。
「急いで朝飯作るだよ。悟空さはもっとゆっくりしてていいかんな」
 幸せそうな顔をして、チチが部屋を出て行く背中に、オラは修行に行って来ると声を掛ける。
 チチの姿が見えなくなると、おっちゃんが、ひそひそ声を掛けてきた。
「上手くやったらしいな。父親としては複雑だだが、おめぇたちが上手く行ったのはうれしい限りだべ」
「? なんだかわからねぇが、おっちゃん暇だったら稽古の相手してくんねぇか」
「勿論いいとも。婿殿からの初のおねげぇって訳だな」
 っていう訳でオラたちは庭に出て修行を始めたわけなんだけれども。


**


「夕べはどうだった?」とか「チチにはな〜んも教えてなかったから不安だっただが、悟空さが知ってて良かったな。さすが亀仙人さまの所で修行してただけはあるだ」とか、言って来る。
「…なぁおっちゃん、さっきから何なんだ? おら夕べの事なんてちっとも覚えてねぇ。朝起きたらチチが傍に寝てたんだ」
 すると、繰り出す拳を受け止める手が、ふっと止まってオラもうちょっとでおっちゃんの顔面に突きを食らわす所だった。
「悟空さは、酒を飲むと記憶がなくなる性質か?」
 ヘンなことを聞かれて、オラ首を横に振った。
 その後は立て続けだった。幾つもの質問に答えていくうちに、おっちゃんの肩ががっくり落ちた。
「あっという間の初孫だと思ってただが…道のりは険しそうだべ」
 その時、家の中からチチの明っかるい声が響いてきた。
「ご飯が出来たべ〜!!」
「おう、今行くぞ! おっちゃん、何してんだ? 全部オラが食っちまうぞ」
 窓から手を振るチチの姿が見える。
 ケッコン、っていいもんだな!

 

 

悟空は、結婚をどう思ってるんだろうねぇと思って書いてみました。
多分、=家族が出来る、で。純粋に嬉しかったんじゃなかろうかな。
2002.11.02


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